江田五月 活動日誌 2001年8月(1〜5) >>日程表 ホーム総目次8月目次前へ次へ


8月1日(水) 引越風景、役員選挙

今日は、朝ゆっくりして、10時過ぎに議員会館へ。宿舎も会館も、いつもの選挙後の風景です。つまり、意に反して落選された皆さんの引っ越しです。1976年末、私の父が総選挙で落選した時のことを思い出します。「連合時代」の幕開けと言われ、そのトップリーダーのまさかの落選。マスコミが「これから真っ先に何をしますか。」と非情な質問。父は、「決まってるじゃないか。会館の引っ越しだよ。」と答えました。

その反面、鵜の目鷹の目で狙っている人がいます。粗大ゴミとして廃棄された、まだ十分使える事務用品などを、拾ってくるのです。私の事務所も例外ではありません。国会の、ごくありふれた、しかしあまり知られていない情景です。

参議院の「民主党・新緑風会」の会長・幹事長人事が緊張してきています。規約上、民主的に選挙で決めることになっており、既に告示もされているのですから、立候補の動きがあっても咎め立てするには当たりません。選挙をするとしこりが残るというのでは、民主主義が成り立ちません。堂々とフェアプレーで選挙をし、決まったら淡々と結果に従うことが出来る民主党になることが大切。私にも、昨日から働きかけがあります。一晩考えます。

民主党は3年3ヶ月前に結党されたので、参議院の民主党は、半数改選を2回経過して、やっと全員が民主党で当選したことになりました。これまでの民主党形成過程を踏まえて、これをさらに発展させ、新しい民主党としてのスタートを切らなければなりません。

選挙が終わったばかりだから、ちょっとゆっくりしたいというのが、みんなの正直な気持ちです。しかし、国政は選挙後直ちに始まるのであって、悠長なことは言えないのです。そんなことで、今日は1日、ご意見を聞き回って過ごしました。



8月2日(木) 議員会長立候補、役員会、有志の会、電話かけ

今日は、重大な1日となりました。9時過ぎから、会派役員選挙の動きを総点検。多くの皆さんに励まされて、11時過ぎに最終決断をし、既に推薦人10人が署名捺印済みの立候補届に、決意を込めて印を押しました。直ちに届け出の手続きをし、賽が投げられました。届け出も投票も別々ですが、私の方の幹事長候補は直嶋正行さんです。私の文章をもとに「私たちの決意−立候補に当たって」を決定。12時直前に、角田さん、北澤さんの立候補届が出され、選挙になることが確定しました。

12時半から常任役員会。ちょっと空気が張りつめています。広中和歌子選挙管理委員長から、立候補があったこと、投票は6日11時からとすること、投票所を閉鎖し、各候補が5分の決意表明を行い、次いで全議員が無記名で投票すること等の説明があり、了承しました。議員総会は10時からです。

14時から、全議員に呼びかけて私たちの「有志の会」の旗揚げ。急なことで、出席者は僅かでしたが、私たちの立場を明確にし、方針を協議しました。

その後は電話かけや来客応対。夕食後も、電話かけに追われました。みなそれぞれ真剣に考えてくれています。これまでは、やはり「寄り合い所帯」でしたから、内向きの会派運営も必要でした。今は、全議員が「民主党」で選挙を経てきたので、これまでの形成期から脱皮し、国民に向かって新しいメッセージを発信できる会派運営にすることが大切。この変化は、人の変化でしか示せません。全力を尽くします。



8月3日(金) 県政懇、役員選挙、選挙回避?、賀来さん

今日は、8時から「岡山県県政懇談会」。毎年この時期に、県から知事以下の幹部職員、県議会幹部、市町村の幹部が上京され、県出身の国会議員と朝食会で県側の要望を聞きます。今回から野党議員は私1人。寂しくなりました。透明性が高い点では、良いのですが、ここだけで陳情が終わるわけではありません。内容も、補助拡大要望などが多く、地方分権の逆行ではないかと思います。しかし、今の制度を前提とすると、やめろとも言えません。

道路特定財源と地方交付税の問題について、片山総務相が、興味深い説明をされました。自分は閣内でソフトランディングを主張しているという趣旨だと理解しました。私は、ハンセン病問題について、実態調査だけでなく検証もして下さいと発言。終了後、知事から、検証もしますとの言質を頂きました。

9時過ぎから議員会館。その後は終日、役員選挙活動です。伊藤基隆さん、藁科滿治さんからご忠告などを頂きました。みな真剣に考えてくれています。

選挙を回避すべしとの強い意見があります。回避のメリットがあるとは思いますが、デメリットもあり、回避が最上の策だとは思いません。議論はとことん尽くすことが大切。ですから今でも、私は誰とでも打開策につき協議します。しかし、議論が煮詰まったとき、選挙で、つまり多数決でことを決し、皆その結果に従うという問題解決方式を持っている点が、民主主義が他の制度と比較して優れている点なのです。首を切るのでなく、頭を数えるのです。その時、多数決以外の方法(例えば談合)で事態を打開すると、仲間内はよくても、そのグループ(国でも同じことです。)の対外的(政党なら国民、国なら国際社会からの)信用はなくなります。

私が誰とでも協議するので、江田は揺れているとか、辞退を模索しているとかと評する向きがあるようですが、断じて違います。逆に、次第に議論は煮詰まりつつある、つまり選挙の環境が整いつつあると思っています。その時に大切なのは、結果をさわやかに受け入れる政治文化を、身を以て示すことです。

賀来龍三郎さんの社葬に参列し、献花しました。



8月4日(土) 役員選挙、広島へ

今日は終日、役員選挙の支持依頼などをして過ごしました。会長と幹事長で選択が異なる人もいるようです。一応私たちの方が優勢との見方が出来そうですが、まだ決めかねている人も多く、これから何が起きるか、予断を許しません。新人の皆さんには、なかなか酷な選択だと思います。

今回の参院選で、参議院でも所属議員全員が新しい民主党で選ばれたことになります。従来の「寄り合い所帯」から脱皮し、会派の運営をバージョンアップさせるときです。「分裂」の心配などはもうないのですから、これまでの貴重な経験を踏まえて、さらに透明性を高め、全員が能力を存分に発揮し、国民に魅力のある確かなメッセージを発信するようにしたいのです。新人の皆さんも、選挙のしがらみで選ぶことは避けて欲しいものです。

お手伝いしてくれている数人と夕食。私だけは、15分でえび汁そばを掻き込んで、後ろ髪を引かれる思いで、最終新幹線で広島へ。明朝、原水禁の討論会にパネリストとして参加するためです。初めて新幹線の中で書き込んでいます。



8月5日(日) 原水禁討論会(核廃絶と日本)、役員選挙

今日は、9時から12時15分ころまで、「被爆56周年原水爆禁止世界大会広島大会」の第1分科会、「公開討論:核廃絶に向けた日本の役割」に、民主党を代表しパネリストとして参加しました。他の参加者は、ピースデポの梅林さん、米国からLawyers' Committee on Nuclear Policyのジョン・バローズさん、外務省課長の岡村さん、社民党の金子さん。コーディネーターは非核ネットワークの川村さんです。

梅林さんは、昨年のNPT(核不拡散条約)再検討会議で合意の13項目措置の内、特に(1)CTBT(包括的核実験禁止条約)早期発効、(2)核兵器の役割縮小、(3)核廃絶の明確な合意の具体化につき、言葉だけでなく実行が図られることが重要と指摘し、新アジェンダグループとの共同行動を主張。

バローズさんは、米国による原爆投下を謝罪し、ICJ(国際司法裁判所)の核兵器違法判断を国際社会の規範とする努力が必要と強調し、CTBTや京都議定書に見られるブッシュ政権の一国主義傾向を強く批判し、ホヤガラス問題を提起し、国際社会に「法の支配」を確立することを訴えました。

岡村さんは、ヒバクシャの静かな訴えの説得力を実体験で語り、日本は核兵器国に囲まれていることを指摘して核の傘必要論を展開。私は、冷戦終結後、政策努力で核廃絶を実現できる時代が来たが、日米の最近の動向に見られるとおり、現実には逆の動きも強く、今、歴史の歩みをどちらに向けるか、極めて大切な時となっていることを強調し、(1)ブッシュ政権の防衛政策の変更、(2)小泉内閣の外交政策の変更、(3)ミサイル防衛構想批判、(4)核物質国際管理の必要、(5)安全保障基本法の提唱を話しました。金子さんは、被爆体験を世界に知って貰うことの重要性を強調。

日米の「核先制不使用合意」については、私も提案しましたが、岡村さんは「米国は応じるのではないか」としながら、しかし日本は申し出ないと否定。

13時過ぎの新幹線で東京へ。役員選挙の最終点検。情勢は昨日と変わっていません。各議員とも、電話が通じにくくなっているようです。21時からの「有志の会」の決起集会に、議員本人が18人集まってくれました。皆、新しい民主党を作ることに燃えています。


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