江田五月 活動日誌 2001年1月(11〜20) >>日程表

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1月11日(木) 嵐のシスコ、サクラメント、州議会、住民投票、電力危機、教育改革

今日は、9時のUA857便でワシントン・ダレス空港を発ち、6時間強の飛行で12時半にサンフランシスコ空港到着。つまり時差が3時間あるということで、アメリカの大きさに改めて驚きます。

機内で2度食事。機内放送の9チャネルで、管制塔と機長とのやりとりを聞くことが出来ます。「濃霧、強風、豪雨。滑走路は1本しか使えません。」「分かりました。」といったやりとりで、ひやひやしました。海は湾内まで白波が立ち、しぶきが道路にまで上がってくるほど。今まで見たこともない悪天候だそうです。

そのままバスで2時間走り、カリフォルニア州の首都・サクラメントへ。3時からマイク・マシャド州上院議員と会談。先日の選挙で当選したばかりだというので、議会は全くの新人かと思ったら、その前に6年間、州下院議員を務め、引退した上院議員に代わって上院に出たとのこと。なぜ。実は1990年に任期制限の住民投票が成立し、上院は8年、下院は6年しか務められないのだそうです。

アファーマティブ・アクションやバイリンギュアル教育も、住民投票で廃止されました。住民の政治判断が試されているのでしょう。

電力危機が大問題です。規制緩和で電力料金を下げようとしたら、逆に需要爆発に供給が追いつかず、異常な値上がりと供給不足が生じました。今日3時半から、第3次供給制限で、そのため会談を予定していた州下院議長は時間をとれないということ。やむを得ません。

3時半から、ポール・ジャックス州災害室長代理。災害対策に当たる多くの公共機関や民間の協力体制が大切ということを強調されました。

4時から1時間、議長に代わりナカノ州下院議員。州と連邦の関係や教育改革につき意見交換しました。教育制度は徹底した分権。地域の教育委員会が、市政府からも独立して運営するので、教師の給与も市によって異なります。教科書は州で何種類かを決め、その中から委員会が採用決定します。カリキュラムは州が決めます。

チャータースクール制度は、親たちでも地域社会でも、意欲を持った人たちが、自分たちで学校を作り、これを公認して公的資金で運営できるようにする制度です。カリフォルニア州はこれを認めていますが、まだまだ流動的とのこと。

雨の中をサンフランシスコに戻り、7時半から10時過ぎまで、田中総領事の公館で夕食をよばれました。高台にあって、金門橋など眺望の素晴らしい場所ですが、夜で残念。帰りには嵐が嘘のように去り、冬の月が煌々と照っていました。「三笠の山にいでし月かも」。



1月12日(木) 行政長官、PPIC、ブラウン市長、団長招宴

今日は9時から、サンフランシスコ市役所に、事務方のトップであるCity Administrator(行政長官)のウィリアム・リーさんとスタッフのポール・ホッシャーさんを訪ねました。すっかり晴れ渡り、雨に洗われて、気持ちのいい朝の空気が広がっています。

「連邦は、国防、外交、通商などだけを扱い、州以下の地方政府がその他のすべての事務を扱います。税の基本は、連邦は所得税、州は消費税、郡は資産税の徴税権を有し、消費税の一部は郡に交付されます。税は、納めたものが使い、使うものが納めるのが基本で、事務の分配も税源の分配に従って決められます。」

「社会保障、住宅、拘禁施設などは、郡の事務です。郡の中に市があります。サンフランシスコは1市1郡で、特別です。郡や市の権限は独立していて、例えば電力についても、ロスアンジェルス市は独自の体制を取っており、危機はありません。」

「徴税権も独立性が強く、サンフランシスコ市では、911(日本では119番)税を採用しました。1989年の大地震の時、電話が使えなくなったので、その改善のため、電話1回線毎に月1ドルの税を決めたのです。住民に支持されています。フィラデルフィア市では、資産税の税率を、市内居住者には2%、市外居住者には4%とし、市内の居住を推進しました。」

「市の職員は2万6000人ですが、その内300人が政治任用です。リーさんはもともと他の市の職員でしたが市長の目に止まり、ホッシャーさんは政治任用です。」

「サンフランシスコ市の支出の内、15%は連邦、20%は州、それ以外は市の財源で賄われます。

「第2次大戦のつらい記憶をまだ中国系やアジア系の人々は忘れていません。時々酷い言葉が出ます。領事館の人々は良くやっています。」

11時から、Public Policy Institute of California(PPIC、カリフォルニア州公共政策研究所)にデビッド・ライオン所長らを訪ねました。政治的に中立で、財政的にも独立したシンクタンクです。資料を用意してくれ、州の財政の構造につき説明を受けました。

「加州には、人口2000人から1100万人までの58の郡、人口数100人から600万人までの485の市があります。その他に様々な特定の事務を行う全部で5000の自治体があり、その内1000は教育自治体です。州の歳入中、連邦から来るのは30%程度で、おおむね一定しています。州の歳入を支出するのは、州が25%程度、資本投資が数%、その他は郡以下です。」

「税は大きく集める方がやりやすい。サービスは身近なところがやりやすい。そこで道路、社会保障、教育では、州が予算配分し、郡以下がこれを使って行政サービスを実施します。」

昼食後、3時半から1時間、オークランド市にジェリー・ブラウン市長を訪ねました。まず市の議事堂。8人の市議会議員が、ちょっと高い雛壇に弧になって座り、その前に事務局席があります。後方には傍聴席がたくさんありますが、その前に雛壇に向かってに発言者席があり、市民の有志が議員に対して発言します。マイクの前に、「発言ははっきり」といった注意書きがあります。民主主義の原点です。

市長スタッフのロペス−ボーデンさんは、見事な英語を話す女性ですが、アメリカ国民ではありません。メキシコ人です。他民族国家ですね。

ブラウン市長は、一見禅のお坊さんを思わせる風貌。何が聞きたいのかと迫られました。Q.「まず何が問題かを見極め、次にその解決策を探すのですよ。」A.「そりゃあそうですが、日本の憲法問題は、何が問題かが問題なのですよ。」

「日本の憲法は、9条がありながら世界第2位の軍事費を支出するというのが現実です。世界の大量破壊兵器をなくするために、日本は出来る限りこの憲法を変えず、アメリカにももっと礼儀を弁えずものを言った方がいいのではありませんか。」

「地方にもっと自治権を与えた方がいいと思っています。アメリカでは、大気、水、バス、教育など、行政の各分野毎に自治体があり、選挙で選ばれたものが運営を決定します。加州でも5000以上の自治体があるのです。これが重なり合って行政を行っているので、決定は実に困難、複雑になります。解決できないときは、司法が訴訟の判断で決めます。これが民主主義で、非能率なものです。」

「今日は、警官の1人が射殺され、これからご家族のお見舞いに行くので、失礼します。」といった調子でした。迫力があり、大人気なのです。

6時半から団長招宴。田中総領事はじめ館員の皆さんと在留邦人の皆さんと共に、中華料理で盛り上がりました。結局ベイエリアでの観光は、ケーブルカーに乗っただけ。忙しいアメリカ旅行でした。

ところで、私の書き込みは、私が自分なりに大切だと思ったことを要約しています。そこには、私の政治の考え方が入っていると思って下さい。また、発言の引用の体裁を取っていますが、正確な引用ではなく、文責は私にあります。活動の雰囲気をつかんで下さい。これ以上、報告を充実することは、時間の制約もあり、出来ませんので、悪しからず。



1月13日(土) 消えた1日

今日は、午前1時にサンフランシスコ発OZ213便でソウルへ。途中で日付変更線を越えるため、突然14日になって、1日消えることになります。ソウルから直ちに関空の予定です。



1月14日(日) ソウル国際空港から

I have just arrived at Seoul after a long fright which lasted for 12 hours.
Now, it is 7:10. Here, there is no time difference from Japan.
I will leave for Kanku at 10:00 by OZ112, and come back to Japan at 11:40 at last.
I am sorry to write in English as there is no Japanese device here in the airport.


帰岡、小野先生祝賀会、夏爐冬扇、「右足を誉めたい」

今日は、サンフランシスコからソウルへの飛行中に、日付変更線を越えたところから始まりました。12時間の飛行中はずっと夜で、朝6時過ぎにソウルに着くまで、なるべく寝るようにしたのですが、休めていないのでしょう。ソウルから関西空港への機中は、ぐったり。12時ごろ関空着。JR、新幹線を乗り継いで、2時半前に岡山着。自宅に帰り、ひげだけ剃って、4時からの「小野桂華先生喜寿のお祝いと歌集『夜の雨』出版記念会」へ駆けつけました。活動日誌の昨年11月4日を見てください。

200人以上の大盛会でした。「波動」を主催される歌人の川野弘之さんが、序文を書かれた立場から、芭蕉の「夏爐冬扇」という言葉を引かれ、お心のこもった祝辞を話されました。夏にひばち、冬にせんすは、役に立たないもの。短歌や俳句はそんなものだが、その役に立たないものが大切。

ついで、石井県知事、書家の高木聖鶴先生、私、山陽新聞の内藤康裕さん、就実校長の武内眞吾先生、書家の黒田賢一先生が祝辞。私は、アメリカから駆けつけた事情を話し、書道の修練の厳しさを詠んだ歌と、戦後の新しい息吹への確信を詠んだ歌に触れ、21世紀を待たずに他界した河田一臼先生に思いを馳せながら、私たちは新世紀を迎えることが出来たのだから、輝かしい時代を作るために頑張ろうと訴えました。

小野先生のお話は、21歳から36歳までの短歌への傾倒、その後書道に集中するに至った道程、再び短歌を始めた気持ちなど、ほとばしる情熱を抑えた表現で話されました。左足が悪く、全体重を右足だけにかけて大きな紙に向かわなければなりません。「よくやったと右足を誉めてやりたい。」との言葉は、本当に述懐がこもっていました。会は7時過ぎまで賑わい、お開きにした後も去りがたく、慰労会にまでお邪魔しました。



1月15日(月) 駅前演説、訪米報告、事務局会議、愛生園、旭操五月会

今日は、寒波の中岡山駅西口前で、石田みえ参議院議員、森本県議、羽場、田原両市議と共に、恒例の7時半からの駅前街頭演説「おはよう民主党です」に参加しました。私からは、新年の挨拶と訪米報告。

報告の要点は、次の3点です。(1)先の大統領選挙の混乱も、憲法が機能したから乗り越えられたというように、アメリカ国民がアメリカ連邦憲法に対し、強い信頼を寄せていること、(2)連邦憲法の原文に人権条項がなく、修正1条から10条も古典的な自由権の規定のみで、それも性差別禁止などに欠け、福祉、教育、労働といった社会権は規定がないのに、連邦の法律で憲法を補完しており、人権確保はしっかりしていること、(3)主権者は国民で、大気、水、交通、教育など、課題ごとに選挙された地域自治体(district)があり、これが重なり合って自治機構を作っており、市議会の議員数は、例えばオークランド市では8人、議場に市民有志が集まり、議員に意見を言う公聴会のような議会運営をし、民主主義の原点となっていること。

9時半から事務局会議。訪米報告、政治状況の議論、21日の新年パーティーの取り組み状況点検など。

昼から、支持者挨拶まわり。国立のハンセン病療養施設、長島愛生園を訪ねました。予防法は廃止されましたが、まだまだ社会から偏見がなくなりません。この偏見を作り出した国の行政責任を追及する訴訟も、熊本地裁の訴訟が結審。5月には判決となります。私は、民主党内のワーキングチームの座長です。ひとふんばりしなければはならないと思っています。

7時から、私の地元、旭操学区江田五月会の中心メンバー30人以上が集まってくれ、新年会。中西英雄さんが会長に決まりました。皆でタイムショック21を楽しんだり、盛り上がりました。



1月16日(火) 小山議員逮捕、KSD構造、閉会中審査、村上会長辞任、連合新年会

今日は、午前中は支持者挨拶まわり。12時、知人のご母堂の葬儀。午後からも挨拶まわり。

その間に、小山孝雄参議院議員取調べのニュース、次いで逮捕のニュースが飛び込んで来ました。小山議員は、参議院憲法調査会の運営検討委員会のメンバーだった人で、良く知っています。KSDから委託されて、国会質問をし、その対価として数千万円の賄賂を受け取ったという容疑です。与党議員は実力者であれば、質問などしなくても、政策実現できます。だから、国会質問で収賄というのは、官僚に言うことを聞かせるわけにいかない野党議員が陥る落とし穴だったのです。それだけ筋の悪い質問だったということ、つまりKSDの古関容疑者の事業の便宜のためだけの質問だったというわけです。

KSDの会員の集め方は、全国の信用金庫が、お客である中小企業経営者を勧誘したというのですから、これも性質が悪いですね。私の回りでも、信金に言われて会員になったという人が複数います。中小企業の皆さんは、実態を良く知っているはずです。そして、このような「活動」は、KSDに限りません。自民党の集票構造は、すべて似た構造を持っています。ですから、この事件をKSDの特殊事情だとして、葬ることは出来ません。まして、小山議員一人血祭りにあげて、済ませることも出来ません。自民党構造にメスを入れなければなりません。小山議員については、某士業の政治連盟が自民党員集めをしたさい、党員に党費の一部しか負担させなかった例があることを知っています。

小山議員のケースにつき、衆参の予算、法務、労働の各委員会で、国会閉会中の審査を求めることになりました。そこで電話連絡を取り合い、参議院法務委員会では、明日私が上京して公明党の日笠委員長に申し入れることにしました。

突然のニュースが飛び込んできました。3時22分、参議院憲法調査会長の村上正邦議員が、会長代理の私宛ての書面で、辞任を申し出ました。私は直ちに、これを受理しました。しばらく私が、会長の職務を代行します。国会召集をまって、調査会を開いて、辞任の許可と新会長選任をしなければなりません。

村上議員の辞任が何を意味するか。次第に明らかになってくるでしょう。彼は小渕前首相が倒れられた時、5人の秘密会議で森さんを次期首相にする話の口火を切った人です。

4時から、連合岡山の新年交歓会。民主党を代表して、以上のようなKSDの話と絡めて夏の参院選必勝を訴えました。7時から3時間、石田みえ選対会議。発破をかけました。それから数人で夕食。帰宅は午前様でした。



1月17日(水) KSD閉会中審査、役員会、NPO税制、研修所クラス会

今日は、7時過ぎの新幹線で上京。

11時25分、法務委員会の日笠委員長と連絡が取れました。日程の都合で急遽、私1人で面会し、野党会派を代表する立場で、通常国会召集前に直ちに委員会を開き、KSD問題を審議するよう申し入れました。「閉会中審査」と言います。委員長は、「与党理事の意見も聞き、判断します。」との返事。公明党所属の委員長なので、今後の展開を見れば、この問題に対する公明党の姿勢が分かります。与党にいても、政治腐敗に対する厳しい姿勢を保って欲しいですが、どうでしょうか。

11時40分、熊谷幹事長代理と協議。12時から1時間半、「民主党・新緑風会(民主党が参議院で無所属の議員と作っている会派の名前です)」の常任役員会。私は会派の筆頭副会長です。通常国会に臨む態度、KSD問題の取り組み、比例選挙の投票方法改正問題など、具体的な協議を進めました。KSDでは、あら捜しではなく、自民党の利権と腐敗の構造を浮き彫りにする取り組みが大切です。

1時半過ぎ、自民党の鴻池国対策委員長と会い、昨日の村上憲法調査会長辞任を受けた次期会長人事につき、意見交換。

2時から2時間、「NPO税制に関する意見交換会」。20ものNP0法人から、30人ほど集まって下さいました。初めの40分は、鳩山代表も参加して、まず7人から代表的意見を伺いました。鳩山さんの衆議院代表質問に生かしていただきます。続いて意見交換。皆、与党の税制案には怒っています。細かな技術的なこともいろいろありますが、NPOとこれからの社会についての哲学がないことが問題という意見です。民主党もまさに同意見。それだけに、私たちのこれからの取り組みが問われます。

5時、佐藤選挙対策委員長と協議。いくつかの電話連絡などのため、6時からの「司法研修所20期2組新年会」に、遅れて駆けつけました。10数人で、賀集、難波両教官を囲み、近況報告など楽しいひとときでしたが、私は8時で中座。最終新幹線で帰岡。忙しい1日でした。



1月18日(木) 支持者回り、石田みえ企画準備会議、メール

今日は、7時半過ぎに家を出て、午前中は支持者挨拶まわり。

2時から2時間強、石田みえ選挙の企画準備会議。連合岡山の東副事務局長(政治担当)にもオブザーバーとして参加していただき、次のような項目を議論しました。まだまだ議論を深めなければなりません。

(1)参院選の意義
 イ、新時代の幕開け
 ロ、有権者の期待

 ハ、岡山県は象徴的

(2)メインコピー
 「変わる勇気と代える決断

(3)基本戦略
 イ、現状分析

 ロ、基本戦略

(4)目標投票率、目標得票数

(5)組織戦略

夕方、今年になってからたまっているメールに、返事を書きました。なかなか書けません。お許しください。



1月19日(金) 支持者回り、KSD、民団婦人部新年会、法律扶助祝賀会

今日は、午前中支持者挨拶まわり。中小企業の皆さんにとって、KSDの問題はかなり身近なことです。皆怒っています。村上議員が1996年1月25日、本会議の代表質問でKSD関連を取り上げたことが報道されました。受託収賄の時効は5年です。しかし質問後に賄賂の要求、約束、収受があれば、その時から時効開始です。目が離せません。

11時前に、やっと民団岡山婦人部の新年会に到着。今年は、昨年の激動を受け、総連系の女性部の代表も招かれ、南北和解と統一への期待に溢れた、新世紀にふさわしい新年会でした。一連の挨拶の後、あっという間に歌合戦になり、私もうろ覚えで「トラジ」と「別離」(場違いですが)を歌い、ダンスもしました。3拍子で、両手を点対称に動かせば、大丈夫のようです。

私の挨拶の概要。「アメリカから帰ったばかりです。明日から始まるブッシュ体制で国務長官に内定しているパウエルさんが、『南北和解がこの地域にとって何より重要。しかし北の軍備も気は許せない。』と言ったようです。南北と日韓、日朝が仲良くすれば、アメリカに北の軍備がどうこうと言われることはありません。新時代の幕を、私たちで開きましょう。」残念ながら、「こんにちわ」と「ありがとう」以外は日本語でした。

2時過ぎの新幹線で、上京。6時から、「民事法律扶助法施行祝賀会」。法律扶助制度は、1952年の「(財)法律扶助協会」の発足以来、弁護士さんたちの大変なご苦労で運営されてきました。58年から国の補助金が出るようになりましたが、「予算補助」で微々たるもの。憲法に保障された国民の裁判を受ける権利を、絵に描いた餅でなく、実体のあるものにするため、長年にわたり、これを法律に基づく制度にして、国の「法律補助」で確固たる財政基盤を作ることが求められていました。やっと昨年4月21日、民事についてだけですが、法律が成立(活動日誌2000年4月18日、20日、21日参照)、10月施行され、扶助事業を行う指定法人に協会が指定されました。予算も今年度から20億円超の規模となりました。しかし足りないところも多く、制度も予算もまだまだ拡充が必要です。

国会議員は、法施行当時の法相である自民党の保岡さん、民主党の佐々木秀典さんと私、共産党の木島さんなど。まだ皆さん地元でしょうか、あまり多くはありませんでした。法務省の松尾事務次官、但木官房長、山崎民事局長、良戒人権擁護局長、房村司法法制部長、最高裁の堀籠事務総長(私とは大学入学時に同クラス)、公安審査委員会の藤田委員長、法制審議会の竹下新会長(共に裁判官時代からの知り合い、お会いしたのは4半世紀ぶりかな?)、弁護士は、日弁連の久保井会長他多数。千葉の鶴岡弁護士は同期。皆旧知で、張り切っていました。



1月20日(土) 「新世紀は民主党」、常幹、幹事長会議、定期大会

今日は、東京都内で民主党の2001年度定期大会です。まず正午から、21世紀最初の常任幹事会。鳩山代表の挨拶は、「新世紀は、民主党。」というメインスローガンにふさわしく、夏の参院選必勝で新時代を開こうというもの。菅幹事長の報告の後、新たに参院選で2名、都議選で2名の公認候補を決定。全部で、参院選は選挙区24名(女性5名)、比例区13名(女性3名)都議選は28名(女性4名)となりました。まだまだ増やさなければなりません。

1時から、全国幹事長会議。地方の責任者の会議で、金のこと、組織のことなど、実務の苦労を踏まえた意見や質問ばかりです。政策については、(1)地方政策の重要性、(2)原子力発電を「過渡的で、慎重に推進」とすることの是非、(3)農業のセーフガードの考えかた、(4)金融再生政策、(5)安全保障政策などに議論が集まりました。

2時半から、「おかしなことなくし隊」の全国行脚のビデオ。年末年始に、若い国会議員が、吹雪にも負けずに頑張りました。

3時から、大会本会議。議長に、中山義活衆議院議員と中村久美参議院候補(高知県)を選び、鹿野大会実行委員長の「交代のときが来た」との開会挨拶の後、来賓として経営者の岸紅子さんと連合会長の鷲尾悦也さんから、激励のご挨拶をいただきました。その後、鳩山代表の挨拶、菅幹事長の報告と提案。参院選の政策は、「地域から、政府を代えよう!」と題し、日本を変える6本の柱として、(1)分権改革、(2)公共事業改革、(3)社会保障・雇用環境改革、(4)学校改革、(5)財政構造改革、(6)IT改革を掲げました。いずれも意欲的なものです。民主党のHPをご覧下さい。

最後に、参院選、都議選の候補者全員が壇上に勢揃いし、羽田特別代表の檄と広中副代表の音頭で「ガンバロー」。広中さんは、初めてだそうです。

東京駅で、草苅さん、森本さん、羽場さんと一杯やって、6時前の新幹線で、雪で遅れましたが、無事帰岡。


江田五月 活動日誌 2001年1月(11〜20) >>日程表

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