江田五月 活動日誌 2000年5月(1〜5) >>日程表

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5月1日(月) 街頭演説、組織力の争い(倉敷)、展覧会、北岡和義さん

今日は、4時間の睡眠で、7時半から恒例の朝の駅前街頭演説。

9時から、江田事務所の会議。昨日の倉敷選挙の反省と総選挙の準備状況の点検など。11時から、知人の相談事。障害者の小規模作業所で、苦労している人です。

倉敷の選挙は、その後の国政選挙の先行指標になることが多いので、要注意なのです。今回の結果は、「風なし、組織力の争い」が特徴です。民主党にとっては厳しい傾向です。しかしこれは、あっという間に変わります。何はともあれ、「意思あるところ、道あり」で、頑張るほかありません。

1時半から、事務所スタッフの面接。その後、展覧会ツアー。
まず、高木聖鶴先生の弟子の長谷川鶴山さんのかなの個展。次いで長泉寺の中興40周年記念書画工芸展。番町文庫の山本美奈子さんが出品しています。最後は、日展。今日は、書道、日本画、工芸部門だけ。

夜、はるかロスアンジェルスから旧友・北岡和義さんが訪ねてきてくれて、楽しい話とおいしい夕食。北岡さんは、江田三郎離党から急死、私の参院選の時に、記事を書いてくれたジャーナリストで、アメリカで独立してテレビ番組などを作っています。



5月2日(火) 参議院憲法調査会(GHQ起草者の話)

今日は、9時過ぎの新幹線で上京。昼、ピースボートの古山さんが、東チモールの若者サッカーチームと来室。今回もビザを取るのにお手伝い。

1時から「参議院憲法調査会」。米国から、GHQ草案の起草に関わったベアテ・シロタ・ゴードンさん(女性、人権関係など)とリチャード・A・プールさん(男性、天皇制など)を招いて、当時のことを話して貰いました。2人とも非常に誠実に真剣に話をしてくれ、「決して勝者の敗者に対する復讐でなく、将来の日本のために役立とうと思っていた」と強調されました。

ゴードンさんの話。当時22歳。自分は長く日本で暮らし、日本と日本人のことはよく知っており、また各地の図書館を回って資料を集め、日本の内外の議論を踏まえて、必死に仕事をしました。女性のことについて、「親が決めるのでない、男の支配でもない」結婚と家庭など、細かなことまで書きましたが、憲法に向いていないからと削除され、涙が出ました。憲法議論では、ぜひ日本の女性の意見を聞いて下さい。

プールさんの話。当時26歳。天皇の地位を示す「symbol」という言葉の意味は漠然としています。マッカーサーは最初「head」という言葉を使いましたが、そうではない何かで、日本語の「象徴」が意味するものだと思います。また起草者は、9条によって、将来日本がPKOに参加する事を禁じる意図などありませんでした。しかし9条を改めるのなら、日本が占領したアジアの国々の理解を得ることが必要です。

委員からの質問は、私には隔靴掻痒。しかし一生懸命答えてくれました。(会議録)

4時半から、8日の行政監視委員会の質問準備。

6時半から、ゴードンさん、プールさんご夫妻と調査会委員との20人以上の夕食会。私はゴードンさんの隣の席で、彼女の生い立ち(ウィン生まれのユダヤ系オーストリア人。5歳で日本へ。15歳で単身アメリカへ。18歳になって米国籍取得。)など、たくさん話をしました。「菊と刀」は、憲法起草当時はまだ読んでいなかったと思うとのことです。非常にいい雰囲気の会でした。この調子で憲法論議が進めばいいのですが。



5月3日(水) 光の子学園、中田喜直さん

今日は、憲法記念日。朝から長野県へ。

野尻湖の湖畔に、「光の子学園」の山の家があります。この学園は、東京家裁判事だった森田宗一さんや奥さんの小児科医・良子さんの指導で、大学3年生だった私や江橋崇さん(現在法政大教授)、森田明さん(現在お茶大教授)ら大学生が中心になって始めたものです。受験に追われる子どもたちを自然の中に連れて行き、一緒に遊びながら私たちも子どもの成長から学ぼうというもの。夏のワークキャンプでは、100人以上の子どもたちを預かりました。小学校低学年でも、黒姫の岩場を楽にこなします。子どもの可能性は、無限です。

そのうち、私たちの活動を理解してくれる人のお世話で、野尻湖の湖畔に土地を手に入れ、ここに山の家を建てたのです。社団法人にもなりました。「やればできる」ということを学びました。

ところが時代は移り、今では山の家は老朽化し、湖の水質保全のため既設の浄化槽ではだめで、何かと金がかかる。こんな風変わりな子ども会活動に子どもを預ける親は少なくなる。リーダー役の大学生もいなくなる。存続の危機が来ました。

久しぶりに山の家を訪ね、危機脱出策を相談している現役の若者たちを激励しました。ついでに池の平まで。白の水芭蕉、ピンクのしょうじょうばかま、黄色のりゅうきんかなどを楽しみました。

ラジオで中田喜直さんの訃報を聞きました。「水芭蕉の花が…」と口ずさみました。中田さんとは、貸しレコード問題では意見が違いましたが、やさしい紳士で、嫌煙権では同志でした。



5月4日(木) 新潟6区・筒井信隆さん

今日は、上越市へ。新潟6区は、筒井信隆さん(民主党公認)と白川勝彦さんが対決する注目区です。筒井さんと、長野県から駆けつけた堀込征雄さん(民主党衆議院議員)とで、上越市内数カ所で街頭演説。

筒井さんは、’89年総選挙でニューウェーブで当選した政策通で、堀込さんとも一緒にシリウスを作った仲間です。民主党が議員立法で政策活動を行う場合に、なくてはならない人材です。

筒井さんの演説要旨。

政治家の命は政策です。私がやりたい事は、国民の皆さんの政策要求を実現すること。世論調査で3つの項目が出てきます。

まず景気回復。不況の原因は、橋本元首相の行った消費税増税、医療費値上げなどの政策の誤りです。これを正すには、消費を活発にしなければならないのに、政府がまずやったことは、銀行に公的資金を注ぎ込むこと。70兆円という想像を絶する金額です。これが大蔵省ら官僚のやることです。

次は、医療、介護、年金など、生活のこと。「介護は社会で、家族は愛情を」という介護保険に、私は賛成ですが、未解決の問題もたくさんあります。年金は、附加方式では行き詰まることは判っていたはず。基礎年金は完全税方式、2階建て部分は積立方式が、私の主張です。

第三は、ダイオキシン。サリンより猛毒、環境ホルモンで人類の生殖システムを破壊するとも言われるダイオキシン問題は、都市と農村の区別などありません。これをなくするため、今こそ13年前に書いた本で主張した「ゴミはリサイクル」との考え方を実現します。

これらの政策課題を実現するため、政策決定を官僚お任せでなく、政治家が行えるようにしなければなりません。このことを江田さんたちとやります。ご支援下さい。

好男子です。ぜひ、当選してほしいと思います。



5月5日(金) 子どもの日と17歳の反乱

今日は「子どもの日」。野尻湖畔を午後発って、帰岡。

17歳の少年による衝撃的な事件が続きました。豊川市の高校生による「経験のための殺人」事件と佐賀から広島までの「バスジャック殺人」事件です。さきの5000万円恐喝事件といい、やりきれない気分です。

また「少年法改正を」との声が聞こえます。しかしいずれの事件も、少年審判への検察官関与を中心とする今回の改正案では、解決の手がかりさえつかめません。かえって問題の核心から目をそらせ、解決の先送りになってしまいます。選挙目当てにこれらの事件を利用するのは、政治家の悪乗りで、認められません。

問題はどこにあるのでしょう。まだ各事件の概略しかわかっていませんが、私にはいずれも今の子どもたち自身や彼らを取りまく社会の問題をよく示している、起こるべくして起きた事件のように思えます。現代社会に対する警鐘であって、驚くにあたらない、真正面から向き合わなければならない事件です。

まず教育。「あんな成績の良い優等生が…」といわれます。しかしこれが問題。子どもたちを評価する尺度が単一で、多様な評価基準がありません。「ブロイラー」教育に違和感を感じ、これに収まりきれない子どもはどこかで切れます。学校だけでなく、社会も親も、50年かけてこんな状況を作ってしまったのです。時間がかかっても、価値観から変えていかなければなりません。

答えのない問題もあるんだ、そんな時は悩んだり、友と一緒に泣いたりするしか手はないのだといったことを、今の子どもはどこで経験するでしょう。私が「光の子学園」を始めたのは、そんなことを考えたからです。遊びのこと、友達関係のことなど、問題が多く、子どもがすくすく育ちにくい現代社会です。そもそも大人たちの社会が、悪いお手本を示しているのです。これも50年にわたって。

道に迷った、また迷いそうな子どもたちをどうするか。前にも書きましたが、家裁調査官を中心として、親、少年警察、保護観察所、学校、児童相談所など少年の育成に携わるもの全てが手をつなぐネットワークを作りましょう。

少年法改正は、そうした総合的構想の後に見えてくる課題です。


坪井節子弁護士のメッセージを紹介します
病んだ子どもへの治療的アプローチを



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