1986年 ’86衆参同日選挙結果

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少数精鋭・党一丸の奮戦実る  野党唯一の躍進

 80年代後半の政治を決める衆参ダブル選挙は、史上初の自民党圧勝、社会、民社の惨敗に終りました。

 社民連は、野党全体が不振をかこつなか、衆議院で唯一議席増を実現、目立った躍進を果たしました。とくに、楢崎弥之助顧問が見事な得票で帰り咲きを果たした他、阿部昭吾書記長も定数減の三名区で、野党唯一の議席を確保して、結党以来初の衆議院四議席を達成しました。

 これは何よりも、あの崖っ淵で存亡をかけた再建大会以来の全党一丸となった意気込みの成果です。また、時代を先取りした新鮮な発想と人材の勝利であり、さらには野党再編・連合の主張が国民に受け入れられたものと言えるでしょう。今後の社民連の課題は、国民の皆さまの期待に応えて、大いに市民性豊かな政治をつくること、そして政権を担い得る野党の結集を実現することです。このために、自民党独走の厳しい局面に、全力をあげて立ち向かわなければならないところです。



社会・民社と統一会派結成

  新しい政治勢力結集のために

 民社党からの院内統一会派結成の呼びかけへの回答を踏まえて、わが党は野党結集についての考え方を七月十一日、左記の通り表明した。

一、今回の選挙結果にかんがみ、今こそ新しい政治勢力を結集するため、社会党、民社党、社民連の三党は解党的出直しを行うときと考える。

二、そのために私たち三党は、これまでの行きがかりを捨てて無党派市民層をも含む結集への協議を始めるべきである。

三、その第一歩として、三党は特別国会から国会内連合会派を結成し、特別国会での首班指名に際しては一致して行動すべきである。

四、以上の考えに立って私たち社民連はただちに具体的行動を起こしたい。

(一九八六年七月十一日)



  統一会派結成について

 社民連は、政権獲得可能な野党連合を実現し、政治に民主主義的政権交替システムを確立するために社・公・民・連と無党派市民層の連合により野党再編をめざしてきた。

 しかるに今日、衆参選挙の結果は、自民党の圧勝に終わり、議会制民主主義における野党の役割がいよいよ決定的に問われることとなったのである。

 私たちは、野党の再編・連合の実現を考えるとき、先ず、日本の社会民主主義的潮流を代表する日本社会党と民社党の思いきった連携が必要であると繰り返し訴えてきた。いま、選挙後の状況をふまえて私たちは、最早80年代最後のチャンスをつくるため、自ら捨て石になる覚悟で、日本社会党及び民社党との間に統一会派を結成し、野党結集への行動に踏み切ることを決意した。

 統一会派結成に当たって、社民連は日本社会党、民社党と左の合意事項を確認した。(但し第二項は社会党から公明党も加えるよう提案され、表現上留保された)

一、今回の社民連の提案を全面的に受け入れ、社会・社民連及び民社・社民連の間で、それぞれ統一会派を形成する。社民連所属の議員については会派としての党議拘束を行わない。

二、社民連提案の野党結集、特に社会、民社の提携を実現するため、社会、民社、社民連三党による定期協議を設ける。

三、野党結集の進展状況を踏まえて、次期通常国会終了後、統一会派継続について再検討を行う。

 この合意に際して私たちが基本的態度として貫いたことは次の諸点である。

 第一に、社民連が政党として、従来にも増して独自の前進をめざすことは勿論、むしろ広範な可能性を開く重大な選択であること。

 第二は、極めて困難な状況ではあるが、日本社会党、民社党、社民連が合意のうえ、公明党の参加を得て野党結集のための 「定期協議」を設けること。

 第三に、今回結成する統一会派は、連合の第一歩としての定期協議の実現と野党間の連携強化をめざすものと位置づけ、原則として今期限り(次期総選挙まで)をもって再検討するものである。また、野党間関係において意味を失った場合には解消すべきであること。

 第四に、会派名については、それぞれ協議の上決定すること。(日本社会党との場合は継続協議となった)。また、法いわゆる党議拘束の問題については基本的に主体的対応を行うこと。

 第五に、社民連四議員の両会派への割り振りについては、個々の考え方、立場等の事情を超えて、組織的に対応すること。

 最後に、私たちは結集の客観的状況づくりのため、社・公・民・連及び無党派市民層、知識人などによる 「野党連合フォーラム」(仮称)を結成し、“野党のあり方”について大討論集会を開催したい。このたびの行動はそのための条件づくりともなるものと考えている。

 以上、私たちの行動は、政治を活性化させるために、大胆に投じた歴史的な一石であり、私たちは今後の努力によって、必ず実りあるものとする自信と確信を表明するものである。


  声 明

 自民党圧勝により議会制民主主義における野党の役割が問われている今日、我々社民連は野党再編の捨て石になる覚悟で、社会党及び民社党との間で統一会派結成に踏み切った。

 今後我党は、三党合意を踏まえ、社会・民社の歴史的和解と公明党や無党派市民層をも含む大結集に向けて、一致結束して全力あげる決意である。

 一九八六年七月二十二日



  野党結集に捨て身の第一歩

機関紙局長 石井 紘基

 既に一般マスコミ等でご承知の通り、社民連は社会党及び民社党と国会内で統一会派を組み、社会党・護憲共同に江田五月、菅直人両氏が、新たに結成した民社党・民主連合に楢崎弥之助、阿部昭吾両氏がそれぞれ加わりました。

 これは極めて短時間の行動だったため、社民連支持者及び国民の皆様にはショッキングに映ったことと思います。たくさんの御意見が寄せられています。激励やお誉めの言葉もある反面、正直なところ心配やお叱りもたくさんあります。

 従って本紙では紙面の都合もありますが、できる限りご理解いただけるよう努めたいと思います。

 ご心配のなかには「社民連解党につながるのでは」「市民の党のイメージが失われる」「利用されるだけだ」「共産党いじめに過ぎないのでは」「社会党なんて――」「民社党なんて――」等々のご意見があります。

 確かに私たちとして、この決断をするに当たってそれらの点を深く危惧し、悩みました。

 しかし私たちは、あくまですじを通し、一点の不明朗をも残さず、高い理想と確固たる信念と正確な可能性の分析に従って、国のため改革のために決起すれば、必ず大勢の方々にど支持いただけると信じて立ち上がったのです。

 いま政界は自民党の圧倒的強さのなかで、野党の存在は大きく意味を減退させています。このような状況をいつまでも放置しておいては、政治緊張が失われ、日本の議会制民主主義は歪んでしまいます。

 江田三郎が社会党を離党して以来、政権を担える野党づくりを強調し続けてきた私たちとしては、選挙直後の民社党からの申し出(民社・社民連の合同会派)を丁重にお断りする一方、何とか野党結集の手がかりはないものかと知恵をしぼりました。

 民社党の多くの方々とも話しました。社会党の方々とも。そして市民団体や労働組合、知識人やジャーナリスト――。

 そして、大変困難ではあるけれども、社会党と民社党、それに公明党などをも加えた野党結集を「定期協議」の実現という方向で具体化しようという私たちの提案に、社会党、民社党の同意を得ることができたのです。

 私たちの本来の主張実現のための固い扉にようやく手が掛けられることになったのです。扉が開かれれば、社民連大活躍の大広間が待っています。舞台が広がります。扉を開くために多くの人々が手をさしのべています。

 まさに決断の時は来たのです。文字通り、身を捨てて身を生かす決死の行動です。政治の舞台では、いつまでも美辞麗句の語りだけではだめです。泥沼を洗うには泥沼に入り込まなければなりません (これは困難な情勢と私たちの心境であって、決して社会党や民社党を意味するものではありません。――念のために)。

 確かに、わかりにくさはあるでしょう。しかしこれは、統一会派の当事者である国会議員の完全な意志統一をはじめとする私たちの一致した行動であり、あくまで日本の政治の将来を思う、大所高所の立場に立った高度の政治行動として、是非ともご理解をいただきたいところです。

 また、今回の選択の成否は大部分、今後の結集の進展と社民連の活動にかかっていることを、私たちは深く認識して、責任ある努力を続ける決意であることを付言しておきます。



第十二回運営委員会  野党の脱皮、再編を

 第十二回運営委員会は、七月二十四日、東京・都市センターホテルで行われ、衆参選挙総括などが承認されました。

 当日は統一会派問題の議論に内外の関心が集まったため、多数の報道陣もつめかけるなど、熱気に包まれました。

 冒頭、江田五月代表が挨拶。次いで田英夫選対委員長から選挙報告が行われました。また、久し振りに役員席についた楢崎弥之助顧問からも復帰の挨拶がありました。

 このあと阿部昭吾書記長の統一会派問題に関する詳細な報告と、これを受けた熱心な質疑・討論があり、了承されました。 選挙総括についても石井紘基事務局長の提案を基本的に採択することで一致しました。

 最後に、従来、阿部書記長の兼務となっていた国対委員長を楢崎顧問に変更することを決定、来年の統一地方選挙について若干の協議を行い散会しました。

  江田代表の挨拶(要約)

 今回の衆参同日選挙において、自民は大勝、わが党を除く野党全体が大きく敗退しました。

 わが党が有権者に共鳴を与えたのは―― 第一に、政治に市民性を持たせ生活者の政治を目指した点、第二に、野党間の腕組みを大きくアピールした事ではないでしょうか。

 わが党も含めて全野党は、労組依存型の一本足政党でなく、国民の生活の場にも根をはやし、二本足でしっかりと立った野党を築かねばなりません。

 そして野党全体が選挙結果を反省し再考しなくてはならない事は、単に議席の増加や支持団体との連携強化ではなく、政権交代の望みかある政治構造をどうやって作るか――という問題です。

 この展望に基づきわが党も、二十二日の特別国会直前に社会、民社党に二名ずつの院内統一会派を結成するという大胆な行動に踏みきりました。

 社会、民社、社民連は解党的出直しをして、無党派市民層の結集も含め、大きな政治勢力の協議を行う――この考えで三党間の話し合いをもち、この結論に達した次第です。

 もちろん政党としての社民連は微動だにしませんし、来年の統一地方選も「社民連」として戦います。わが党がしっかりしている事が野党再建の重要な要因です。

 今後は各国会議員、運営委員各位には「歴史的な大事業の一歩を踏み出したのだ――」という認識をもって頑張って頂きたい。

 また第三次中曽根内閣が発足したのですが、布陣を見ると大変なものができたと思わざるをえません。我々野党は相当にタガをしめて戦線の整理と脱皮、再編を急がねばなりません。


  統一会派結成についての報告

書記長 阿 部 昭 吾

 五議員が完全な結束で
 今回の衆院選では最重要事項であった楢崎顧問の復活も達成でき、定数一減の私も難関をクリアすることができ大変満足しております。

 同日選挙後の二週間において、院内統一会派問題の対応に忙殺され、選挙総括が遅れたことをお詫びします。

 さて今回の院内統会派結成の件ですが、最初に五人の国会議員は完全なる団結の上に決断したことを申し上げます。

 しかし分権・自治の政党として運営委員会の正規な論議・判断を通さず、三役議員団会議のみで選択したことは今後二度と行ってはならないと反省しております。

 以下その経過を御報告しますと、選挙終了以降、民社党の永末副委員長から統一会派結成の件で要請があり、三役で協議し、会派結成をするなら「政治の状況の一つを確実に動かし、我々が目指す再編連合のために大きな一歩を進めるものでなければ――」との結論に達しました。

 我々は民社、共産の衆院内における序列云々等の次元を超えて、社会、社民連三党による統一会派を加え、公明党との強固な共闘関係を作ろう――との考えを民社党側に伝えました。

 その野党四党の国対委員長会談で四人が膝をつめて話した結果、わが党からの 「三党統一会派」案は、各党とも台所の事情があり早急には実現できない―― しかし社民連の決断によって会派問題を一歩踏み出してもらいたい―― と三党の国対委員長から強い呼びかけがありました。

 それからも社・民の国対委員長レベルで、また公明の国対委員長からも社会党に「何とか打開はできぬか」等の意向が伝わり、社会党からは、わが党の国会議員団に色々な角度から話がありました。

 我々議員団は十九日に三役プラス若干の人々の意向を伺い「残念だが、間に合わない。原則的には一つにまとまって次回に備える」との結論に達しました。

 しかし二十一日には、三野党に加え、大衆団体の幹部等からの強い要請を受け、二十二日早朝に再び集まりを催した結果、社会・民社に対して一定の合意を提出した上で、二派に分かれての院内統一会派結成に踏みきった次第です。


 四党書記長会談で確認
 この合意に関して民社側は全面的了解、社会党からは第二項については留保(公明も含めた野党結集のための協議を希望)、また会派の名称で論議はありましたが、他の点では了承と相成りました。

 翌二十三日に四党書記長会談を行い、その中で――決議形式はこれから整えるが、内容はこの通りで行く――こととなり、三書記長からも「今回の決断を非常に高く評価している。これを発展させていくために協力して行こう」との言葉がありました。

 これは、わが党が生死を賭け決断をしたことに対する、千金の重みを持つ言葉だと思います。

 以上御報告し、皆様の御理解と御協力をお願いします。


1986年

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