1991/09 五月会だより No.58 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


証券・金融スキャンダル 「構造的不公正」の改革が必要

八月五日に召集された臨時国会では、証券・金融スキャンダルが大きな焦点となりました。これは単に日本の証券業界や金融業界の不祥事というよりも、まさに日本社会あるいは日本経済の構造的不公正の実態を明らかにした構造スキャンダルと言えます。


損失補てん問題のポイント

 今、明らかになったのは、大手証券会社や準大手・中堅十三社などが大口の顧客に対して合計1720億円にのぼる損失補てんをしていたこと。これは日本の証券市場の不公正・不透明な実態の氷山の一角にすぎません。今回の損失補てんは、1990年3月決算期の営業特定金銭信託(営業特金)などの一部の分野のものだけです。むしろポイントは損失補てんをするために証券会社が使った『手口』です。現在のところその一部が明らかになっただけですが、たとえば(1)新規公開株で値上がり確実な株を優先的に割り当てる、(2)転換社債やワラント債などを優先的に割り当てる、(3)ワラント債などを市場外の相対取引で顧客に利益をあげさせる、(4)国債の売買で一日のうちに安値で買って高値で売ったことにして、一日で数億円の利益をあげさせる−などです。

不公正の実態の徹底解明を

 リクルート事件ではリクルートコスモスの未公開株の上場に際して、値上がりが確実で、一般の人には容易に手に入らないものは現金の贈与と同じと認定され、公務員ではない民間の経済人が受け取った場合も不公正だと批判されました。今回の証券スキャンダルは、リクルート事件のような不公正な取引が、証券市場のあらゆる分野で日常的に行われていることを示すもので、証券市場での『スーパーリクルート事件』とも言えます。金権政治家の政治資金調達にも、先ほど紹介した『手口』が使われていると思われます。国会での証人喚問などを通して不公正の実態を徹底的に解明をする必要があります。

日本版SECはやはり必要

 再発防止策については色々な議論がなされていますが、短期的には損失補てんを禁じて、証券会社と顧客の双方に罰則をつける証券取引法の改正案が検討されています。抜本的方策として、手数料の自由化、大蔵省の天下り規制、免許制の是非、不明確な行政指導の明文化などが議論されていますが、重要なのは不公正な取引の禁止と、日本版SECの設置です。SECとはアメリカの証券取引委員会のことで、捜査・摘発などの準司法的機能をもつ独立の行政機関です。日本では公正取引委員会が同じような機能を持っています。大蔵省は、証券業者が免許制の日本と、登録制のアメリカとでは事情が違うので、SECは必要ないと言っていますが、免許制とSECは矛盾しません。大蔵省が業界の『審判』と『コーチ』を兼ねるのはおかしいことは明らかで、やはり日本版SECが必要です。公正取引委員会に証券・金融部門を創設して、全体として強化するのも一つの方法です。

証券・金融問題は構造スキャンダル

 損失補てん問題以外にも、暴力団と癒着した株価操作事件、住友銀行に関わるイトマン事件、富士銀行の不正融資事件、日本興業銀行に関わる東洋信用金庫の架空預金証書事件など、バブル経済崩壊の中で、次々と証券・金融スキャンタルが起きています。これらはいずれも地下水脈でつながっており、政治家や暴力団も含めた地下のバブル人脈で、相互に結びついているという意味で、まさに日本社会の構造スキャンダルだと言えます。今回の問題では、大衆投資家である一般市民と同様に、外国企業や外国人投資家も損失補てんを受けていないようです。その意味では一般市民と外国人をアウトサイダーとして阻害した、大がかりなインサイダー取引で、日本経済の国際的影響力を考えれば、構造的な国際スキャンダルと言っても過言ではありません。

真の解決方法は政権交代の実現で

 江田五月議員の言う政官財の『強者連合』による利権のネットワークの構造的不公正に対しては、まさに構造改革をしなければなりません。そのためには、さまざまな法的措置や制度改革ももちろん必要ですが、この構造的不公正を根本的に改革するには『生活者連合』『地球市民連合』による政権交代を実現することが最も有効だと思います。自由と民主主義と社会的公正の原則に立って、国際社会の中で平和・環境・人権・ゆたかな社会を実現する『生活者連合』『地球市民連合』の政権を、江田五月議員は目指します。


 ゴルビーが復権した。

 世界を驚きと失望と不安のドン底に落し入れたソ連のクーデターもたった三日の悪夢で終ったこと、市民の犠牲が最少限で済んだことを、先ず喜びたい。

 この様な最少限の混乱でこのクーデター劇に慕を降ろすことができたのは、自由と民主主義を愛するソ連市民のまさに命懸けの抵抗があったからだ。そしてこれらを世界中の市民が強く支持し、クーデター側の指導者の意気をそいだからだ。その意味では、ソ連における自由と民主主義が、完全に保守勢力を打ち砕いた、大きな勝利といえよう。

 解放直後のゴルバチョフもいっている様に、ソ連社会の中にも、1985年以来のペレストロイカの成果は、民主主義という意味では、着実に根付きはじめていることが立証され、これまでの「ソ連はわからない」「社会主義国はいつ変わるかわからない」という不信から「ソ連も我々と同じ様な物の考え方をする国なんだな」とある意味では世界の信頼を増した結着であった。「一度流れ出した歴史の流れは、どんな力をもってしても止めることはできない」という貴重な体験を、ソ連市民と共に我々もさせてもらった。

 しかし復帰したゴルビーにとっても、今後の経済改革は至難のものである。この度大きな働きをしたエリツィンと二人三脚で、更なる前進を期待したい。

 世界はまちがいなく、二人を支援するだろう。


特別企画 気まま対談
児童文学者 脇 明子さん * 江田五月議員

学生運動が残したもの

江田「僕が東大に入ったのが 1959(昭和35)年。脇さんが…」

「66(昭和41)年です」

江田「じゃあ、全共闘世代」

「ですね。『ノンセクト・ラディカル』の典型だったようで、言うことは過激なんですけれども、やってたことは、『文化活動』(笑)みたいな…」

江田「脇さんとしてはあの運動を、どう評価しますか」

「う−ん。客観的に見ると、肯定的な評価はできないですよね。ただ、あの時代を共有した者同士の連帯感みたいなものは、結構貴重な財産だと思います。お互いの立場や専門領域を越えた横のつながりがあると、割と幅広い視野で物事を見られるんですよ。だから、私たちの年代の研究者は、例えば私の専門である『児童学』などもそうですが、従来の学問の枠に捕らわれない、自由な立場で研究をしてる人が、結構多いですね」

江田「我々の年代にも、そういった『同世代意識』がありますね。当時のセクトや、現在の立場、ものの見方は違っても、すんなりと腹を割って話し合える。

 それと、全学連・全共闘 両世代、四〇代から五〇代の人たちの中には、当時の運動を戦後改革から漏れた部分(例えば大学の権威主義的な体質などは、戦前のものをずっと引きずっている訳ですが)の補完として前向きにとらえ、『二一世紀に向け、あの時やり残した戦後改革を、もっとしっかりしたものに完成させてゆくぞ』という、強い使命感とパワーがある。これは運動の、正の遺産と呼べるんじゃないでしょうか」

「逆に『負の遺産』も、特に全共闘には相当ありますよね。運動の結末があんな風に暴力化しててしまったことの萌芽が、私たちの運動に内在していたのかなあ、という自責の念があります」

江田「全共闘運動には、大学批判がエスカレートして、教師個人を人格崩壊にまで追い込むような、『人間否定』的な面があったように思いますね。団交などの場でも、学生たちが集団特有の興奮状態に飲み込まれ、抑制が効かなくなってたというか…。我田引水かも知れないけど、少なくとも六〇年安保の時には、デモなどで集団的狂気がその場を支配しそうになると、必ず理性的な抑止力が働いたものです。多分、全共闘運動にはある時期からそれが無くなってしまったんじゃないでしょうか」

「確かに、途中から『ちょっと恐いな』って雰囲気でした。それがそのまま突っ走って、あんな状況を招いたのかも知れませんね」

大衆への信頼

江田「大衆心理の恐さって言うのかな…。ただね、なるほど大衆心理には恐ろしい面もあるんですが、反面『大衆心理は恐いゾ』と喧伝する学者はまやかしだ、という気がするんですよ。一昨年、西部邁(にしべ すすむ。1939年生。元東大助教授。著書『大衆への反逆』等で大衆社会を批判)と対談したんですが、彼は89年のいわゆる消費税選挙での社会党の圧勝を『大衆ヒステリー』だと言うんですよ。僕は『それは違う。あれは市民一人ひとりが自分の意志で選択し、自分の一票で権力者を代えようとしたんで、極めて理性的な行動だ。ただ、代えようにも政権の受け皿が無かったのが問題で、それをヒステリーと言うのは違う』と反論したんです。あの投票行動に大衆心理が働いていたことは否定できないが、まずは大衆、というか市民の自由意志に基づいた選択に信を置かなきゃ、始まらないじゃないか、と」

「あの選挙結果を『大衆ヒステリー』の一言で片づけてしまうのは、私も反対です。あれは人々が冷静な判断と期待を込めてとった投票行動だと思います。仮にあの時雪崩をうって社会党に投票したのは誤りだと言うのなら、どこが誤りなのか、なぜ人々は(ある立場から見て)誤った行動をとったのかということを、少なくとも、学者ならちゃんと分析すべきです。

 例として適当かどうか分かりませんが、児童文学の世界でも、我々専門家が見て質の良くない本が売れるのを『人々に見る眼がない』と言ってしまったのでは批評にならない訳で、なぜ、そんな本が売れるのか、どこが受けているのか、見るべき点は本当にないのかを、冷静に分析することが大切ですから」

良い本・悪い本

江田「良くないものが支持されるのは、人々に見る目がないからだというのは、どこかの政党の論法みたいですが(笑)」

「実際には、良くないのに売れる、という場合が結構多いですよね。私は、どうせ子供向けの読物だから、というのは大間違いで、文学としての質の高さにプラスして、理解のしやすさが必要とされる分、児童文学の方が作り手にとっては難しいはずだ、と思います。…でも安易な作品が多いですねぇ。戦争を題材にしたものに顕著なんですが、『戦争は悲しい、戦争は悲惨だ』と言えば事足れり、みたいな。一方、それを批判するのはタブー、という風潮があって、こっちは作品の質を問題にしてるのに、戦争反対に反対するのは許せない、という感情的な反応が返ってくるんですよ。

 それともう一つ気になるのは、作品の受け手、子供たちの反応ですね。読書感想文を読むと、十人が十人とも『感動した』と書く。とにかく感動しまくってる訳です(笑)。感動すれば先生に誉めてもらえる、と。でも、文学や音楽、絵画なんてのは、いくら良い作品でも皆んなが感動するものではないですよね。例えばある文学作品には全然感動しない子が、何かの絵に非常に感銘を受けるなんてこともある訳で、ともかく感動させなきゃ、ということで、感動までカリキュラムの中に入れてしまうような今の教育では…。先生方もゆとりがなくって大変だとは思いますが」

今こそ改革の時

江田「それは、教育だけの問題と言うより、今の日本の社会全体の歪みという気がしますね。今の社会(や教育の現場)では、いかに効率よく与えられた仕事を処理するか、ということだけが価値の基準になってしまってる。そこには人間一人ひとりが本来持っている尊厳だとか、教育の現場で言えば一人ひとりの子が、どんなことに感動するか、色んな機会を与えて気長に見守るといった発想は無いんです。最近の証券疑惑がよい例で、当事者は悪いことをしたなんて、きっと思ってないでしょう。会社のために、与えられた任務をこなしたことのどこが悪い、と。つまり目先の事しか見えてない。皆んなが会社のために一生懸命働く、そのことが社会のため、日本のため、ひいては自分のためだ、という思いで頑張ってきた。しかし、日本がこれだけの経済力を持ち、世界で唯一の資金供給国となった今、従来の経済・効率優先の論理だけで動くことは許されません。そういった意味でも、社会のしくみを根本から変えなきやならない時に来ている、と思います。ただし、一度に全部をがらりと変えるのは危険だし、第一不可能だから、機械をオーバーホールをするように、あっちのネジを少し、こっちのネジを少しという具合に、締めなおしていかなきゃなりません。

 もっとも、教育については、脇さんもご指摘のとおり、かなり悲観的状況ですから、最初からやり直す方がいいのかも知れないなぁ」

「全共闘は、教育制度を壊し足りなかったと(笑)」

江田「ハハハ。そうなのかな。でも、壊すにしても、そこから『人間』が再生できるような壊しかたで、いきたいものです(笑)」


番外TALK

小学校は、子供達に色んなチャンスを与える場であって欲しいんです。何も文学に限らず、絵でも音楽でも、『人』でもかまわない。本当に素晴らしいものに、心がピュアな時期に一杯出会わないと、モノを見る目は育ちません。(脇 明子)

子どもを一個の人格としてみる発想が、教育の場にも社会にも欠けている。これを改善する有効な手だての一つは、国連が採択した『子どもの権利条約』だと思います。残念ながら日本は、国内法の不備を理由に、批准を先送りしてますが。(江田 五月)

脇明子(わき・あきこ)さん 1948年香川県生まれ。東京大学大学院修了。ノートルダム清心女子大学教授。「丘の家のセーラ」「フランセスの青春」「センダック絵本論」など訳書多数。その絵本論、児童文学論は格調高く、しかも分かりやすい。教え子に対する優しい眼差しも魅力的。

「世界の中の日本・今なぜ新党か」
学生政治フォーラムで大激論

 7月6日、「世界の中の日本・今なぜ新党か」をテーマに、東京社民連主催の学生政治セミナーが、50人以上の学生を集めて開催されました。

 冒頭、江田代表は「1789年(フランス革命の年)以来の歴史、生産力の上昇が人類の幸福につながるという考え方は、1989年で終わった。今や我々は新しい世界史の時代に入ろうとしている。そこでは、保守・革新といった旧来のパラダイムで政治をとらえるのではなく、『生活者』 『国際』といったキーワードで考え、行動することが必要である」と、めざすべき新党の理念について、問題提起を行いました。

 その後、グループ討論、全体討議では多くの学生と意見を交換し、活発な議論を行いました。また、懇親会ではビール片手に討議の続きをする人があちこちに見られ、江田代表もにこやかに議論の輪に入り、楽しいひとときを過ごしました。

 最後に江田代表は総括として、「若者の政治離れが言われているが、決してそんなことはないということがわかった。これからもこうした機会を多く持ちたいし、皆さんももっと政治に参加してほしい」と述べ、長時間にわたる討論をしめくくりました。

 ちなみに、セミナーの参加者に行ったアンケートでは、「好きな政治家」と「新党の代表にふさわしい人」の項目で、江田代表が断然トップ、という結果が出ており、学生の江田代表に対する熱い期待がうかがわれました。


五月会 ふるさと便り

江田議員は名板前!? 上南五月会 太田

 上南地区というのは旧上道郡の南、児島湾に面した、のどかな農・漁村です。近年は次第に耕地も減少しましたが、いちごや葡萄栽培などで生計をたてる専業農家が数多くあります。ちなみに上道は、故江田三郎氏が県会議員だった当時の選挙区。江田議員が訪れた時などご年配の方が「三郎先生の息子さんも、立派になられて」と目を細める光景も見られます。
 去る八月二日、江田議員ご夫妻、光子夫人、橘県議、寺田市議をお迎えし、上南五月会と内山工業五月会の親睦を兼ねて夏の風物詩、四ッ手網を楽しみました。当日の収穫は『大漁』とまではいかずとも、なかなかのもの。とれたての海老、ベカをさばいたのは、何と江田議員。見事な包丁さばきに一同感心することしきりでした。味の方も最高で、夜のふけるまで、楽しい時を過ごしました。

長島社民連は健在です   邑久町 中原 純

 長島社民連の歴史は故・江田三郎先生とともに社会党を出て、社市連結成に参加した時から始まりました。先生は望みを達することなく不運にも急逝されましたが、その遺志を次いだ五月さんが素晴らしい活躍をなさっているのはうれしい限りです。
 私たち長島社民連は、社民連として初めての市議選などでは、ポスター貼りのために道も不案内な岡山市内を駆けめぐったこともありました。最近では五月会だよりの封筒入れ奉仕を、会員、協力会員、支持者など五十余名が行っております。この奉仕では、皆んな五月会の陰の力となれることに生きがいと喜びを感じると同時に、会員相互の友情と信頼も深まり、一挙両得といったところです。


江田五月グループ地方議員集団(すばる会)発足
会長・金谷光夫、事務局長・寺田明生

江田五月の政治路線をバックボーンに、政治の改革に情熱を燃やしている政治家は多い。特に地方議員の中に、江田五月とのつながり、さらに横の連絡もほしいという声が高まってきた。地方の議会はそれぞれに活動しているとはいうものの、共通のテーマが問題となることも多い。そこでそうした要望にこたえ、江田五月グループをさらに発展させるため、地方議員団が結成された。

 八月三日の午後三時から、御津郡建部町「友愛の丘」で、江田五月グループの議員集団『すばる会』が結成された。
 この会は今、目まぐるしく変わる政治を地方の立場で確かなものにしようと、五月会事務局長大亀幸雄などが呼びかけて結成の運びとなったもの。当日は、江田五月代表が「社会党改革と新党結成のうねりについて」というテーマで話をした後、社民連政審会長の菅直人代議士が「新しい政治の理念と政策の骨子について」と題して記念講演。
 講演に先だって開かれた結成総会では、当日までに参加の申し込みを済ませた方々のうち三十四名の議員およびその経験者、候補者が参加して熱心な議論が行われた。
 『すばる会』という名称、年間一万円の会費、年四回のリポートの発行、定例勉強会などの活動方針を決定。役員には次の諸氏を選出した。

会 長
副会長
副会長
副会長
事務局長
事務局次長
会 計
会計監査
金谷光夫
神崎裕康
橘 民義
末石朝夫
寺田明生
羽場頼三郎
金田 實
片山英昭
倉敷市議
津山市議
岡山県議
邑久町議
岡山市議
岡山市議
湯原町議
瀬戸町

 なお、まだ連絡が行き届いていない議員もおられるということで、会としては随時参加を呼びかけることを、あわせて確認した。


市民感覚を大切にした労働運動を
県下10ヶ所に「連合岡山地協」結成

 1989(平成元)年、日本労働運動の長年の願望であった労働戦線の統一がついに実現した。約800万名。正式名称は「日本労働組合総連合」である。岡山県においても、1990年1月、役12万人の働く仲間を結集して、日本労働組合総連合岡山県連合会(略称『連合岡山』)が発足した。長い間、総評・同盟・中立の三大潮流に分かれ、抗争と対立を繰り返してきた労働運動がついに統一された意義は、どんなに評価されても、されすぎることはない。

 さらに、『連合岡山』は、国民的願望にそった、市民感覚を大切にした、地域に根をおろした運動の発展を願い、連合岡山○○地協の結成に乗り出した。まず、6月9日に連合美作地協を結成、つづいて総社(7/12)、東備(7/20)、岡山(7/26)、笠岡(7/27)、玉野(8/4)、高梁(8/23)、井原(8/29)、阿新(8/30)、倉敷(8/31)と県下十ヶ所に、次月と連合地協を結成した。いよいよこれで全県的な活動体制ができたことになる。

 率直に言って、旧来の労働運動は、総評は社会党と、同盟は民社党と支持協力関係を持ち、政党系列化されていた。これからは、労働戦線は、統一されたのだから、政党も政治運動も従来の枠を乗り越えて、大きく大統一の方向に前進することを期待したい。


「おはよう7:30」500回突破!

毎週月曜日に岡山駅前で行れれている『おはよう7:30、江田五月です』が、ついに500回を突破した。今では駅前演説は、通勤・通学の皆様におなじみ。“岡山の朝の顔”として定着している。

 「おはようございます。江田五月です」 早朝、急ぎ足で流れる人波への呼びかけではじまる『おはよう七三〇』は、毎週月曜日、岡山駅前で行われ、駅東口(2回)→高島屋前→駅西口と四週間で一巡する。

 江田グループの政治活動を理解してもらおうと、昭和五六年に始まったこの演説も、今年で十年、五〇〇回を越えた。江田五月も岡山にいる限り参加し、政治問題の焦点などを、ていねいに語りかける。

 また、街頭で配る『五月会だより』も好評。「お早う」「ご苦労さん」と声をかけられることもしばしば。この十年間、一日も休まず「五月会だより』を配って下さる山本美奈子さん、時にはマイクを握って颯爽と演説する安藤多美子さんなど、多くの方々に支えられれて迎えた五〇〇回の節目。これからも末永く続いて欲しい。


編集後記 

かつて米ジャーナリスト ジョン・リードは、ロシア十月革命のルポルタージュ「世界を揺るがした十日間」を世に送り出しました。当時、ロシアの民衆革命の実態を伝える情報は極めて制限されていたと言います。

それから四分の三世紀、私たちは「世界を揺るがした三日間」をリアルタイムで知りえました。世界の対応も早かった。時代はまさに「地球連帯時代」。一方日本は利己心まるだしの証券スキャンタル。 政治の責任はいよいよ重い。(S)


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