1990/03 五月会だより No.49 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


江田五月トップ当選 あなたが支えた! 良識が選んだ!
やります! 決意新たに作るぞ! 21世紀の政治の流れ

ごあいさつ 身にあまる光栄

 寒中の総選挙でしたが、大勢の皆さんの心からのご支援で、連続三回トップ当選という結果を得させていただきました。身にあまる光栄です。

 社会党旋風と自民党金権選挙の谷間で、他の野党は苦しむという選挙でしたが、わが岡山一区の有権者の皆さんは私の主張に大きな拍手と確実な支持を与えてくれました。私は本当に幸せ者だと思います。

 しかし選挙結果は全体として、決して満足できるものではありませんでした。

 わが国は戦後、驚異的な経済成長をとげましたが、生活のストレス、子供たちの無気力など、大変な犠牲も伴っているのです。しかも日本経済は、外は債権の膨張や貿易摩擦、内は金あまりや地価高騰で、これまで通りの成長優先ではもう破滅しかありません。

成長優先だけではダメ

 成長した経済を上手に使いこなして、誰もが充実した人生を送れる、生活しやすい日本を作ることが、九〇年代の課題です。それが勤勉な国民に対する政治の責任です。いつまでも鞭と人参で走り続けさせられるのでは国民はたまりません。

 自民党は経済成長は得意でも生活優先は不得意。ピッチャー交代の時期です。

 しかし国民は、今の野党にはまかせられません。海部さんが衆参で首相に指名されましたが、半年前には参議院は土井さんを指名したのです。参議院には何の変化もないのに、衆議院での社会大勝があだになって、参議院の与野党逆転という掌中の珠を自ら捨て去った野党は大反省が必要。

 海部さんは、リクルートの排除に全精力を使い果して、女性ゼロで新鮮味の全くない組閣。これもダメです。

新党をつくるとき

 野党はこれまでの分立状態を前提にしていたのではもう限界。社会党も批判勢力のままでは今が限度。分立をのりこえて、新党を作る時が来たと思います。それがこれからの私の仕事です。

 政権交代のため、私たちの枠をここまで広げるべしという思いで、進歩党の田川誠一さんとの統一会派、「進歩民主連合」を作りました。

 今回から私は商工委員となりました。「進民連」には他に予算、大蔵、社会労働、農林水産、懲罰もあり、交代も可能です。

 かくして三期目も、超多忙でスタート。帰岡はますます困難になりそうです。

 全力投球をお誓いして、ご挨拶といたします。


社民連現有議席守る

 自社の間で、大きく議席を減らした他の野党の中で社民連だけは、現有勢力の四議席を守り新人も善戦した。これは勿論候補者の良さもあるが、この十年、「野党再編で政権交代可能な政治勢力を」と訴え続けたことが、国民の共鳴を得ていることを如実に示しているといえる。更に、党首江田五月の地元岡山では、一区が九%、二区でも四%と社民連支持率が過去最高を示し、単に江田個人の人気で当選してきているのてはなく、われわれの主張が県民の中に浸透し、受け入れられつつあると評価してよかろう。われわれは、ますます勇気を持ち、新しい政治作りのため頑張らなければならない。

 野党も参議院多数の殻の中に閉じこもるのでなく、自民党を超える政策提案を進め、国民の信頼を得る責任政党としての訓練をはじめなければならない。


総選挙をふりかえって  江田五月選対事務長 大亀幸雄

 93,852票。連続三回トップ当選。すばらしい成績だと思う。勝因はなんといっても、県民参加の自発的な運動にある。

 江田選挙には三つの柱があった。一つは、学区、市町村の地域五月会。二つは、職業分野ごとのグループ五月会。三つは、労働組合の活動である。この三本柱が、相互に協力しあったことが好成績に発展したと思う。

 さらに、「新しい政治、新しい政権」の実現を、と訴えた江田五月の政治姿勢にも、大きな拍手が送られた。まさにこれからが正念場。県民皆様のご支援に心から御礼申し上げます。


江田票、県下で着実な伸び!

評価えた野党再編の主張

 皆さん、大変ご苦労様でした。江田五月の票は、県下で着実に伸びています。この票の伸び方をみるとムードや人気による一時的な増などではなく、皆様方が江田のキャラクターと有権者を着実に結びつけて下さった、その成果であることが一目瞭然です。その中でも、運動が盛り上ったところはそれだけ、票の伸び方も顕著です。

 特に津山市と郡部は岡山市に比べ、有権者の数の点からも、立派な伸び率といえるでしょう。各位の一層のご奮闘をお願いいたします。


選挙戦あれこれ

江田五月の影武者 河原弁護士奮戦す

 今回の選挙では、候補者が仲間の他候補の応援で、半分近く留守をするという状態であった。

 代わりに活躍したのが河原昭文弁護士。自分の仕事はおろか、弁護士会長選挙もかえりみず、十五日間本隊車に乗りこみ、弁士は努めるは、ウグイスボーイ?はやるはで縦横の活躍。過去二回の選挙に勝る奮戦ぶり。

 でも終わってみると、「もう年だなあ。これで選挙応援は終りにするぞ。」
 果して江田五月が放してくれるかどうか。河原先生ご苦労様でした。

法定チラシに続々反応あり

 江田選挙では、選挙用法定政策チラシの中に、「江田五月株購入のお願い」というコーナーをもうけ、チラシを切り取って送り返していただくようにしていた。

 なんと岡山一区の有権者の意識の高いこと。これが期間中、数百枚をこえる数で返送され、ご意見欄にもほとんどびっしり意見が記され、株券申し込みのほとんどは一万円。これだけでカンパもゆうに五百万円を突破。一枚の返送ハガキの背後には無数の江田支持者がいらっしゃると、その時点で勝利を確信した。

お食事処「さつき亭」に ますらお派多数現る

 江田五月の選挙は、毎回、「お金も下さい。体も貸して下さい。時間も下さい。」と下さいづくめで支持者の皆さんに無理ばっかりいっているのであるが、ただ一つ自慢にできるのが「食堂」。応接の皆さんに手づくりの温かい食事をしてもらい、ホッと一息ついてもらう。これがなかなかの評判なのですが、今回、この食堂、「お食事処、さつき亭」にOさんという中年男性がボランティアで参加。

 Oさんは、過去にご夫婦で食べ物屋さんをされた経験があって、ボランティアを申し出られた時、「何でもやります。運転でも、力仕事でも、場合によっては台所でも」と言ってしまったら、場合によってしまって、さつき亭主の黒田益代さんにスカウトされ、以後十五日間、会社帰りには台所に直行。赤いゴムの前かけがすっかり板について、選対本部の人気者に。

 口は災いの元?!


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