2012年法政大学大学院政治学講義 ホーム講義録目次前へ次へ

2012年10月5日 第 3 回講義「日中関係― 2 」               講師  江田五月

 

前回は中国から帰った直後でした。中国のなかなか厳しい状況、賈慶林さん、唐家?さんとの会談を報告しながら、尖閣問題について中国の言い分を紹介しました。前回に引き続き、尖閣の問題から始めます。資料読んできましたか。中国の主張を説明できますか。外務所のホームページにのっている日本の主張は見ましたか。では中国からいきますか。中国は最初どこからスタートしますか。

 

<中国側の主張>

•  明、清時代の古文書の記載により、釣魚島は固有の領土である。

•  台湾省に編入した。

•  日清戦争:下関条約で台湾とともに日本の領土となった。

•  第二次世界大戦:ポツダム宣言で台湾とともに中国に返還された。

•  サンフランシスコ講和条約:米が委任管理領に編入=沖縄の一部。

•  施政権返還:沖縄が日本へ返還されたことで、誤って日本に返還された。

中国が声明を発表した ( オブジェクション )  →アメリカは我関せずという立場で逃げた。領土問題は日中間で争ってくれという立場をとって、沖縄を返還したところで手を引いた。

 

<日本の主張>

•  1884 年に沖縄の人が国有地使用願を出し認定した。

•  1885 年 井上馨が密かに調査させた→無人島:清国の支配は及んでいないと判断。

•  1895 年 1 月 14 日 領土であると同時に、領標を建設する旨の閣議決定を行った。

•  1895 年 5 月 8 日  下関条約締結( 4 月 17 日調印、 5 月 8 日発効)。

よって 5 月 8 日の下関条約締結前、 1 月 14 日に閣議決定しているのだから日本の領土であると言える。→しかし、中国は 1 月 14 日の閣議決定は秘密決定で公表されていないと主張し、「当時の日本と中国の力関係、アヘン戦争などで疲弊しているところにそんな主張をされても、中国は力がなく全く取りあえるはずがなかった。明治以来の侵出でとったものだ」とし、完全にすれ違いになっている。

 

中国の楊外相が、国連で尖閣諸島は日本が盗み取ったと発言した。それは穏やかとは言えず、日本は反論し、やりあった。中国は日本が盗みとったという根拠として、もともと中国のものなのに日本は静かにこっそり、ある日閣議決定してとったとしている。

何かいい解決方法はといっても、日本は領土問題がないと言っているので日本側から裁判に持っていくのはできない。そうすると領土問題はないというのは無理があるのではないかとも思う。ただし、私も与党の政治家なので政府と違うことを言うわけにはいかないが。

 

1972 年  共同宣言 田中角栄首相―周恩来首相

1978 年  平和友好条約  園田直外相―ケ小平副主席

中国側は、尖閣の問題については両方が領有権を主張しており、これを棚上げにしようという共通認識ができていると主張する。一方、日本側は、尖閣は日本固有の領土であって領土問題は存在しない、それに対して中国はなんか言ったけれどその話は聞いておらず、了解の共通認識はないと主張する。これだけこじれているのに領土問題はないというのは頑ななのではという意見もあるが、そんなことはないとも言える。領土をめぐる国際紛争は常にそういうもので、実行支配をしている国はいつの時代でも、どこの国でも領土問題はないと言うものです、その立場を日本はとっているだけの話です。ただ、それではとりつく暇もなく、中国では怒って暴動が起こり、行き着く先は戦争などということも危惧される。

1972 年の国交正常化の際に、最後に田中角栄首相が尖閣問題を取り上げようとするが、周恩来首相は、全体の合意に達しない恐れがあるのでその話をするつもりはないというやりとりがあったことも事実である。日本は暗黙の合意もないというが、領土問題が存在するではなく、日中間の海上での国境のあり方について議論があるなどと言い方を変えて、テーマとして設定し、解決のしくみを合意するとか必要ではないか。領土問題の話を 40 年前のメカニズムに戻して、議論するのは大変難しい。

 

【領土とは何か】

そもそも領土とは何か。配布した朝日新聞の写し「 2012 年 10 月 3 日オピニオン欄 インタビュー 尖閣で何を慰めたか」を見て欲しい。慶田城さん(尖閣列島戦時遭難者遺族会会長)は石垣島の方で、 1943 年に生まれ、父が亡くなり暮らしていけないとのことで、親族がいる台湾に渡ろうとした。

1945 年アメリカは日本本土上陸作戦を実行するために、東シナ海一帯の島をひとつひとつ殲滅していた。そこに乗っていた船が通りかかったところ、機関銃で襲撃され、兄が即死した。翌日魚釣島に漂着し、そこに埋葬した。その後は飲まず食わずで、どうやって生き延びたかわからない。戦後 50 年を機に亡くなった皆さんを慰霊するため、尖閣列島戦時遭難者遺族会ができて、二代目の会長になった。

自民党の山谷えりこ議員から魚釣島で一緒に慰霊祭をやろうと持ちかけられる。しかし、慶田城さんは領土問題を解決するために慰霊祭などを開きたくないと断る。戦争でどこの国の領土だと争いを起こし犠牲者がでたから、その人たちを慰霊したいと思っているのであって、山谷議員の思いとは全く別だ。

 

領土とは何なのだろう。国家主権とは何なのだろう。昔から主権はあったのか、主権国家がいつ頃できたのか。戦争を終結するために当事者がウエストファリア体制をつくって条約で戦争を終わらせた。その時に、当事者がそれぞれ自分たちは国民国家だといって、そういう概念が生まれたというのが世界史の理解である。それより前に国家があって主権があってとこだわっていたわけではない。国境が生まれる前は、不法入国だ、領海侵犯だなどということはなく、中国人も琉球人も魚釣島を行き来していたことだろう。発見していなかったとは言っても、それは権力が発見していなかっただけで、漁民は発見していたことだろう。国境なんてそんなものだと思います。明とか清の時代、国家のもとに領土があったとなるのか。以前の事実関係があれこれあって、中国の漁民が尖閣の外側、境界があって、不法入国だ、領海侵犯だとか、そんなことはなかった。行ったり来たりしていたのでは。琉球の人々も魚釣島の周辺まで行ってたのでしょう。権力が島を発見していなかったとしても、漁民は発見していたかもしれない。国境なんてそんなもの。

 

一昨年、壱岐・対馬に行った。対馬の皆さんは韓国旅行者を「韓国さん」と歓迎し、観光客の落とすお金で商いを営んでいる。対馬の土地を韓国人が購入したからといって韓国の領土にはならない。民事的に土地の所有権が韓国人にあるだけで、領土の問題にはならない。土地を外国人が購入することに、永田町や霞が関には異常にこだわる人がいる。購入した土地が川の上流で、そこから毒を流したりするようなことがあったら問題だが、そういうことがない以上別に問題にするようなことではない。第一、その土地を変に利用されたらから困るわけで、それは日本人がやっても問題になる。国の安全で障害になるような土地の使用の規制をすることは考えられるが、買ってはいけないということではない。そのへんのことが整理されずに報道されている。

国家、領土、主権というものは後から出てきた概念で、そういったものが本当に国民を守ってきただろうか。これらによって犠牲を払った歴史は多々あると言えるが。北朝鮮の問題では、国家がもっとしっかりして拉致被害者を救出してこいと叫ぶが、国家がどんなに肩を怒らせても解決にはつながらない。やはりそれには外交上の努力、国民の交流、経済交流が必要である。「尖閣で何を慰めたのか」という記事は国家、領土、主権が果たして何の意味があるのかということを考えさせられる。

私自身は 1946 年に中国から帰国した。私の妻京子は 1944 年に中国から戻ってきた。妻は家族で中国にわたっており、中国で生まれたため、北京の「京」を取って名付けられた。私の家族は、いよいよ戦争に負けそうだということで、父が一人残り、母が 5 人の子供をつれて、中国から出る最後の船に乗って帰ってきた。もう少し遅れると、おそらく機銃掃射にやられていたかもしれない。そういうことを考えると、この記事のことは他人事のようには思えない。

お互い肩を怒らせた状態ではなくて、燃え上がって不幸な結果になるのではなくて、なんとか外交交渉の上で解決してほしい。そのためには、日本には領土問題はないし、合意などなにもなく、中国が勝手に言っているだけのことと無視してしまうのでは外交交渉もできない。やはりそこは、話し合いをしましょうと、まず、やりださないといけないのではないでしょうか。

 

【日中の交流の歴史】

中国との関係をもう少し話すと、中国と日本は、歴史上二千年の付き合いがある。両国関係はおおむね良好であり、争っていたのは日清戦争から国交正常化されるまでの 80 年ほどであった。中国は、二千年の内ほとんどは中国が上で、明治維新以来の百年は中国より日本の方が上だと言っている。特に最近この数年、中国の経済力は随分大きくなって、今や世界第二位の経済大国になりました。だが、一人当たりはまだまだ下であり、経済格差も大きい。農村の人が「都会に行ったら儲かる、いい生活ができる、車に乗れる」と思い都会にたくさん出てくるが、そんなに雇用できるようなことにはなっていない。大志を抱いて都会にきたら、なんと失業で食うや食わずになってしまう。そういうのはいろいろあるが、全体として日本を凌駕して、中国優位の体制を確立したと中国の人が思いかけている。そこはやはり、中国の皆さんにも考えてもらわないといけない。しかし、日本が過去中国蔑視で、中国を下に見て、中国なんてどうせ眠れる獅子だと乱暴狼藉を働いたことを忘れて、「中国、いばるなよ」というと、これまたおかしなことになる。どっちが上とか下とかいう次元の話ではない。日本と中国が本当に固い絆で結ばれているのです。

 

中国国際交流協会という団体が今年 5 月、世界 30 カ国から参加を得て国際セミナーをやった。北京での会合を終え、杭州に行った際、郊外のマンション群に日本でいう連合町内会みたいな組織があり、その公民館活動を見てきた。組織はもちろん住民の集まりだが、管理には共産党も加わっている。そこで書道教室をしており、先生がお手本に「朋有遠方より来る、また楽しからずや」と書いていたものを私が読み、私たちのことを思って書いたのですかと言った。カナダの副首相経験者が「どうして日本人が中国人の書いたものが読めるのか」と驚いていた。漢字で書いてあるので、孔子の言葉であり、日本人なら誰でもわかる。日中は共通の文化を持っている。日本と中国は文化的にものすごく強い結びつきがあるが、我々は当たり前すぎてほとんど意識しない。しかし他の外国人から見ると驚くべきことなのだということを初めて意識するとともに、改めて痛感した。ちっちゃな島で、これだけこじれてどうするんだという気もするんですが、そういう両国関係なんです。

 

杭州に西湖という湖がある。楊貴妃に代表される中国の3大美人の一人に「西施」という女性がいるのを知っていますか。西湖の素晴らしさは、西施という女性を彷彿させるものです。芭蕉の奥の細道の句に「象潟や 雨に西施が ねぶの花」がある。中国の西施という話が芭蕉の常識になっている。そのくらいつながっている。他にもある。西湖で夜、イルミネーションの綺麗なイベントをやる。男女が湖面を歩く。別れ別れになる。別れた二人を会わせる。鳥がいっぱいやってきて架け橋をつくって二人が渡って再会する。どうやってやるのかというと、浅いところに板を敷き締めて上下しながらきれいな光を出しているのです。なんか思い出しませんか。

百人一首に、「かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ふけにける」という歌があります。僕ら子供の頃は意味もわからず、百人一首をやっていた。かささぎという鳥が橋をつくり、それが真っ白になって、白きをみれば夜がふけてきたなあと感じる。その種のことはいくらだってある。

おそらく、中国側の文化の殖産を日本側が受け継いで、日本側でそういうことを知っているのが文化人ですよと、そんな誇りみたいになっていたのです。長い歴史、深いつながりがあるのが日中両国であり、たまたま日中戦争でいがみ合ったが、そんなことがあってはいけない両国なんだと思います。

 

今、日本と中国がものすごく経済的な結びつきが深く、日中貿易は大変なボリュームになっている。トヨタやパナソニックなど大きいところは少々焼き討ちにされても大丈夫だが、もっと小さな町の零細企業で、中国に行ってそこで雇用を生み出しているところはいっぱいある。こんなことが長く続けていれば日中の国民感情のなかに大変、深い傷を残してしまう。今も相当、「中国の奴らは酷い奴らだ。日本車のマークがついているだけでたたく。あいつらわかっているのか。その車はどこで作っているのか、中国でだ」という中国敵対感情が日本の中でも高まり、逆の感情も中国に広がっている。こんなことで日中間の経済関係が冷え込んでいったらどうなるのか。日本も中国も大変困るが、一体どっちが先に困るのか。

ヨーロッパはしたたかで、じっとビジネスチャンスを狙っている。日中の経済関係が冷え込んで今がチャンスとなれば、欧州はどんどん中国に出てくる。中国の方は別に日本でなければならない理由はない。韓国もどんどん発展し、中国に本格的に入ってきている。日中も冷え込み、日韓も冷え込むが、中韓はそうならない。中国にとって、韓国は日本に代わる力をもっていて、だんだん日本がしぼんでしまう。そこに領土問題があるとさえいえないような関係を続けて本当にいいのだろうか。

 

さすが経済人はたいしたものだと思います。経団連の米倉会長はさっそく記者会見して、経済関係を考えると、領土の問題でもう少し柔軟な対応、もっと合意的な解決ができないものかと言われた。おそらく、これは今の経済界を代弁した声だと思う。ナショナリズムは不合理であり、論理や理性で説明できない。それでいて人の感情を大きく揺さぶるところがある。そういうものの動きに任せてしまうのでなく、やはり、ナショナリズムを超えた発想でこの問題を解決しないといけない。なにより、もともと世界はそういうことになってきているのだから。

 

日本国憲法は自国のことのみにかまけてはいけないと書かれている。自分の国だけで生きていける時代はとっくに去っている。世界はお互いにそれぞれ支えあい、依存しあい、国と国との関係が複雑に入り組んでしまっている。そのことを認識しながら、新しい世界を考えていかないといけない。日本がどういう役割を果たしていくべきなのか、改めて痛感した。日中関係だけでなく、日韓、日印、日・インドシナ、日・アフリカ、日・欧州などどこであろうと、相互の依存関係を強めて、安定した世界の秩序をいかにつくっていくかを考えていく必要がある。

日本が国連、国際機関の中で、国レベルだけでなく、 2012 年のこの時代に縁あって生きている一人一人の人間・地球市民が、国境がどうであれ、肌の色がどうであれ、皆それぞれ支えあう、そういう地球になっているのだということを認識して、新しい国際関係を構築していかなければならない。一人一人市民の仕事でもあるし、経済活動を担う企業の社会的責任でもある。やっぱり一番重要なのは、そうはいっても国家で、国の運営に携わっている政治というのが、そうしたことを考えてやっていかなければいけない。よく国益というが、自分の国のことだけ考えて損得勘定でやっていたのではダメである。

地球全体、環境、資源など、地球益を考えて行動することが、実は長い目で見ると国益につながっていく。日本という国が世界各国から必要なんだ、そんな関係を世界につくっていくのが一番重要で、そんなことをやることが実は日本の将来に有効になると思います。

 

何か質問あれば。

(学生)領土問題は国際裁判所で解決すべきではないと思う。仮に領土問題があることが前提で、日本側から領土問題がないことを確認する裁判ができるのかどうか。

(江田)できなくもないが、そういう考え方で日本の国の方針を決めるのは困難である。

国内の民事訴訟上の紛争は 3 つある

•  給付訴訟、A 形成の訴え、身分関係、 B 確認の訴え

権利があることの確認について、紛争がなければ確認の訴えにはならない。本件は自国の領土であるいう確認する訴えだが、紛争があるということを言わないと確認する訴えができるが、日本は紛争があることを否認しているからと訴えは無効となってしまう。国際司法裁判所はまだそこまで成長していない。中国は両国の外交により解決にすべきとしているが、何故、国際司法裁判所はだめだと思うのか。

(学生)裁判的な解決は禍根を残す。だから領土問題においてはお互いの国にとって意義を持たなくてはならない。

(江田)国内の裁判は和解がある。民事裁判においては判決が一番下手であり、判決で解決することはまずない。大体、両方ともそれぞれ言い分があって、片や真っ白、片や真っ黒はなく、どっちもどっちが多い。どこかで合意をした方がよい。判決でどっちが勝った、負けたとなると傷つく。

もっとはっきりしているのは、判決まで行って行政執行してお金が取れることはまずない。判決で負ける人は、多くは何もない、すっからかんである。交通事故で保険会社がついていればよいが、ついていない自転車事故など判決をもらってもとれはしない。それよりは、たとえ月々 3 万でも 10 年かかっても払ってもらった方がよっぽど満足度は高いことを弁護士も裁判官も知っているから、なるべく判決でなく和解で解決しようとする。たとえ請求の1割でもとれた方がよい。国際司法裁判所も領土の問題でも、いろんな和解の手はある。裁判所で一定の審議をし、一定の見込みをつけて、こんなことではないかと和解の方法はある。しかし、両国間で話し合いで解決する方がよい。

(学生)領土問題で昔の判例で、 1928 年フィリピンのミンダナオ島パルマスの領有権を米国とオランダが争った。継続的平穏に支配している方が 勝ちになっている。そうなると、日本が実効支配しているので領有が認められるということになる。

(江田)尖閣諸島について、少なくとも日本が実効支配してきたのは事実である。無主地先占理論はあるが、無主地といえるかどうか、占有はどの程度ならば占有といえるのか、歴史的な変化もある。少なくとも中国があそこで事業活動をやっていたという証拠はない。日本は鰹節の工場があったし、ヤギを飼っていたこともあった。それを今まで続けておけば問題なかったかもしれない。占有している点では日本の方に分はある。ただ、今実行支配しているといっても、中国の公船は毎日入ってきて、最近は日本が警告しても、黙って走らせて適当な時に出ていくという状況だ。公船なら、お互いに鬼ごっこやってもいいが、民間の船が入ってきて民間人がケガしたり、亡くなったりしたら、やっかいなことになる。

 

尖閣の領有のことだけで話をしようとするのはなかなか難しい。現状をとにかくいっぺん収めて、そこにイシューがある。そのことを認めて、このイシューを含め、台湾、中国、日本の周辺海域が平和で安定した豊かな海、厚情の島になるため、話し合いと共同開発のメカニズムをつくる。台湾を条約当事者にいれるとこれはまた大変なことだから、そうはうまくいかないかもしれないが、そんなことをちゃんとやって、尖閣ということに限局するのでなく、もうちょっとほわっとやるのがいい。日本と台湾は今漁業協定の交渉が頓挫しているので、そのあたりも進めたい。とにかく話し合いで多角的にいろいろやる。

外務省の OB で孫崎亨という人がいるが、この問題についてかなり詳しく書いている。日本の外交当局の立場とはちょっと違って、日本の主張は少し考えなければならないと言っている。

 

尖閣諸島を最初に発見したのはイギリスではないかという説もある。島の名前として日本にはない、感覚的に違う付け方だ。イギリス人が最初に発見した時に英語で名前をつけたが、さすがにここは何の価値はない。名前だけはつけたけどほったらかした。フォークランドは戦争になったが、尖閣をイギリス人は放置している。文献では見当たらないが、その英語の言葉を翻訳したのが尖閣諸島だとの説がある。

 

来週は国会のことをやります。尖閣の日中関係もねじれているが、日本の与野党はもっとねじれている。日中もどこから話し合いするかが課題だが、日本もどこから話すのか、ぜんぜん定まらない。国会がいつ始まるのかもわかりません。人によっては当分やらない、内閣改造をやって新しい大臣を選んでおいて、国会で国民にものを言わないでとおるかと、与党にいながらそういうふうに思うが、どうも与党の中にはそうでもない人もいるようだ。国会が開いたら、火だるまになる大臣がいて大変だ、それなら最初から大臣にするなと野党なら言えるが、与党ではそうも言えない。

その次の講義が大蔵君、参議院の職員、議長秘書をやってもらった。職員ならでは、国会の動かし方、技術的な様々な問題、深く理解する上で参考になる。

その当日は私はいません。京都で司法修習生の同期会があります。京都から中国に行って、中国からカナダへ。 IPU 列国議会同盟に出席します。

今日はこのへんで。


2012年10月5日−第3回「日中関係-2」 ホーム講義録目次前へ次へ