2011年法政大学大学院政治学講義 ホーム講義録目次前へ次へ

2011年12月16日  第14回「憲法論議」

 今日は14回目の講義になります。

 前回は行政というものの始まりは権力行政、つまり警察や徴税、権力の行使が主流であったものが、社会保障や教育など給付行政に拡大してきたことをお話し しました。給付の事業は主に行政機関によって行われていますが、どうしても堅苦しいものになってしまいます。社会全体に福祉が行き渡っている社会の状態の 方が望ましいですから、行政がやるよりも社会を構成している市民によって担われる方が良いと考えます。NPO優遇税制が所得控除から税額控除に移りました。 これは今年の通常国会の最後の段階で行われましたが、これらの制度設計の基本にはこのような考え方があるのです。包摂社会の構築、つまり第三の道に通 じるのです。この方向に進めていくためには市民の参加が欠かせません。民主主義のあり方も、委任民主主義から参加民主主義に変化することが大切です。民主 主義をきちんと保障する選挙においても参加が大切です。その関連でthink globally, act locallyという行動原理を紹介しました。

 ハーグ条約、東ティモールの独立についてもお話ししました。東ティモールの場合は国際的な支援の広まり、国際的支援の基盤があったのです。どういうことか というと、東ティモールではカトリックの世界的なネットワークが生かされました。情報交換や実際の活動において果たした役割は非常に大きかったのです。外 相から首相、そして今は大統領をしているラモス・ホルタという方とともにノーベル平和賞を受賞したベロ司教の存在も大きい。また、日本からはカトリックの 修道女が現地に入り、カトリックの地下水脈を活用して、このような地殻変動をもたらしました。

 東ティモールの住民投票についての話で、住民が自分自身で議決権を行使することが大事ということを繰り返し述べました。ディエという町はインドネシアに よって壊滅的になりました。落ち着いてきたら東ティモールを支援しようということになり、私も現地に飛びました。シャナナグスマンという方が首相でした が、この人に会いに行こうと計画を立てました。しかし彼は首都にはいません。このとき一緒に行動した超大物政治家が羽田孜さんでした。羽田さんと私は一緒 に現地入りしましたが、SPも一緒ということになるとスペースがありません。私たちだけで彼に会いにいったのです。現地入りしたのはいいけれども、グスマ ン本人が現れません。仕方ないから泊めてもらえる場所を探していたときに、カトリックのネットワークを実感しました。なんと修道院に泊めてもらえることに なったのです。尼さんの修道院でしたが、私たちのために部屋を開けてもらって、羽田さんはさっきまで尼さんが横になっていたベッドで寝る、私はフロアで寝 ました。一緒にインスタントラーメンも食べました。そういうことをしたのです。

 あとは情報をどうやって手に入れるかが問題でした。インターネットがそれほど主流になっていなかった時代、どうやって情勢を知ったかというと、NHKの ポルトガル語放送でした。NHKが何故ポルトガルかというと、大勢の日本人移民がいるブラジル向けなのです。これが東ティモールにも流れています。私たち もNHKに働きかけて、東ティモールの現状を番組内でお話ししました。

【憲法とは何か】
 さて、今回は様々な社会活動の一番基本にあって、法律的表現をしている憲法論議の変遷と現状について述べます。

 その前に、憲法とは何でしょうか。日本国憲法を見れば良い、それが憲法だ、ということではありません。11月から懸案だった憲法審査会が衆参両院で 始まりました。審査会の前には憲法調査会がありましたが、最後の会長だった関谷勝嗣さんに来ていただき、最終報告について説明してもらいました。また、憲 法審査会の職員からも説明を受けました。そして私を皮切りに、委員が順番に発言しました。さらに12月7日ももう一度、各委員の自由発言を行いました。その際 に、前川清成さんという方が発言しました。前川さんは奈良県選出の二期目の参議院議員ですが、憲法の定義や性質について、一番基本的な考え方を述べていま す。まずはそれについてご紹介したいと思います。

 〔前略〕同時に、私たちは憲法の歴史も尊重する必要があります。〔中略〕議論の出発点としての憲法の歴史、すなわち「法の支配」、「立憲主義」について、今一度、 確認させて頂きたいと思います。

 一定の限定された地域、すなわち領土と、そこに暮らす人々、すなわち人に対する強制力を持つ統治権、すなわち権力が確立した時に「国家」が成立します。

 国家が成立したとき、その存在を基礎づけるルールを「固有の意味の憲法」と呼びますが、さらに国民の基本的人権を保障するために、専断的な権力を制限す るルールが確立したとき、そのルールは「立憲的意味のある憲法」あるいは「近代的意味の憲法」と呼ばれるようになります。

 1789年、フランス人権宣言第16条が「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されていない全ての社会は、憲法を持つものではない」と述べていま すが、ここに言う憲法は「立憲的意味の憲法」であり、国民の自由や平等を保障するために、国家権力を制限することこそ、憲法が「自由の基礎法」と言われる 所以であり、憲法のレーゾンデートルであることを宣言しています。

 現法憲法においても、第10章最高法規の冒頭に、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である」ことを確認する97条を置いているの は、やはり憲法が「自由の基礎法」であることの確認であり、「自由の基礎法」であるからこそ最高法規であることの思想的表現です。

 ついては、まず第一に、憲法の本質は制限規範であることを議論の再スタートに際して、是非委員各位にもご確認をお願いしたいと思います。

 憲法は、国民の心構えや、国柄なるものを書き記す文書ではありません。〔以下略〕

 これが前川さんの発言です。憲法に対する基本的、基礎的理解を述べているものです。

 他の議論を紹介しましょう。自民党の皆さんから、「日本国にとって一番大切なものは家族であり、家族という言葉のない憲法は私たちの憲法ではない」とい う発言がありました。しかし、「家族」という言葉は憲法の中にあるのです。第24条、婚姻は両性の同意に基づいて行われる、というくだりに、家族という言 葉が出てきます。「自民党の人は憲法すら読んでいないのか」と民主党からブーイングがでました。そうすると自民党の側からは「いや、家族の本質について書 いていないから駄目なのだ」という反論がありましたが、前川さんの発言を読めばわかるように、憲法は国民の心構えを規定するものではないのです。憲法は、 制限規定を置くことこそ大切なのです。先日の講義でお配りした憲法調査会のブックレットには、戦後において憲法は役割を果たしたという一文が書かれていま す。憲法論議というものは、今の憲法をスタート台にしなければならないのです。

【日本国憲法に対する評価】
 憲法審査会を開始する時に、自民党の側から「憲法には瑕疵があり、この憲法は全面改正して自主憲法を制定しなければならない」という発言があり ました。自民党に限らず、この種の主張は無視できない数の人が言っています。その瑕疵の理由として二点あるように思われるので、それについて見てみたいと 思います。

 一つ目に、現憲法の制定は、太平洋戦争が終わって占領中、すなわち講和条約発効前に制定されたという議論です。これはハーグ陸戦条約に規定されている、 占領中の基本法制定の禁止に該当するというのです。現憲法は国際法違反になるから無効である、ということになります。

 この議論に対する反論は、形式面を重視した反論です。占領の実態を見るべきという議論です。確かに日本は占領されていたけれども、占領軍は全ての権力を 持っていたわけではありません。日本の統治構造は維持され、占領軍はこの日本の機構に指令を下して動かしていたのです。日本国憲法は、大日本帝国時代の統 治システムをそのまま維持した上で、衆議院の選挙を行い、枢密顧問の諮詢、帝国議会の議決を経て、天皇の裁可により1947年に施行されています。つま り、日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きにきちんと従い、適法に成立していますから、無効にするほどの瑕疵はないという反論です。

 少し余談ですが、枢密顧問の諮詢とはどういうことでしょうか。このシステムはイギリス生まれのシステムです。イギリスは極めて保守的な国であり、枢密院 が存在しています。イギリスは大英帝国ですから、世界中に英連邦の一員の国があります。カナダやオーストラリアなどは、独立した後も最高裁は、イギリスの 枢密院なのです。なお、イギリス国内の最終審は上院である貴族院で行われます。

 さて、形式面からの批判を見ると、確かに日本国憲法は確かに形式を踏んで成立していますが、やはり実施面を見てみると、実質的に新憲法の制定と考えるの が自然です。何故ならば、裁可した天皇自身の地位が変わっているからです。8月15日革命説であり、形式論からの批判とは異なる立場となっています。

 現憲法に瑕疵があるという議論の第二は、そもそも、終戦から国家としての意思決定手続き自体が無効と化しているという議論があります。これは驚くべき 「議論」です。大日本帝国は立憲君主制を採用しており、内閣の助言と承認によって、天皇が権限を行使してきましたが、終戦の決定には、実は内閣の助言と承 認が抜けていた。だからこれ以降、日本は国家としての意思決定能力を欠くに至ったというものです。天皇が終戦を決めて「玉音放送」を行うまでの過程は、今 も歴史的検証が行われていますが、この時点でポツダム宣言から敗戦の意思表示というものが適法になされていないから、日本国憲法が適法に制定されたなどあ り得ないという議論があります。

 さらにすごい議論として、そもそも日本という国家は何かという議論を提起する人もいます。前川さんの発言にもありましたが、国家とは主権と領土と国民に よって成立しています。では国民とはなにか、ということを問いかけるのです。その人達曰く、現在生きている人だけが国民ではないのです。日本には過去と現 在、もしかしたら未来にいたるまでの悠久の歴史があって、その歴史と伝統を共有する大和民族がこれまで長きに亘ってこの領域において作り上げた共同体の営 みが国家であって、憲法でどのような規定をしようが、日本の国家としての本質を変えることはできないということを言っています。典型的には西部邁さんなど が言っています。大日本帝国憲法に規定されている、万世一系で神聖にして侵すべからずという天皇像が正統であって、現憲法の天皇条項は無意味だということ になってしまいます。いまだにこういう議論をしている人もいるのだと、びっくりしてしまいました。自民党の女性議員の中にもこういう議論をする方がいますが、女性が 参政権を獲得したのは日本国憲法によってであることは皆さん知っていると思います。日本国憲法によって議員になっているのに、その憲法は意味が無いという 神経が分かりません。私は、このような主張にまともに反論する熱意を持ちませんが、やはり国民というのは、その時代に現に生活し、国民の集団を構成してい る人を指すもので、私たちは、過去に束縛されるいわれはないと思います。

 しかし私は、憲法の瑕疵を主張される方に同感する部分がないわけではないのです。それは、日本国民が憲法制定という国民的事業に対し、明示的に投票とい う行為によって参加したことがない、このことは事実であり、大変残念に思います。前回お話しした、東ティモールの住民投票では、9割以上の住民が投票しま した。こういう集団的体験をして共同体を形作った方が良いと思います。このような経験は、国を構成する集団にとって得難い経験となります。しかし、だから といって憲法に瑕疵があるということとは別問題です。憲法審査会で私は、以下のように発言しました。

 〔前略〕私は参議院憲法調査会の立ち上がりのときの民主党・新緑風会所属の幹事で、運営検討委員会の委員でした。〔中略〕最初の発言は、2000年2月16日です。私は、ほぼ同時期に開始した民主党の憲法調査会の事務局長として、党の憲法論議に加わってきたので、その立場を踏まえて民主党の憲法に関する基本姿勢を紹介しました。

 21世紀を、当時ですが、目前にした時期で、時代の変化を踏まえ、新世紀の日本の国のかたちを大いに議論し、私たちが目指すものと現に私たちが手にしている日本国憲法と照らし合わせて、守るべきは守り、変えるべきは変えるという姿勢で大いに憲法を論じようという「論憲」の姿勢で、さらに民主党はその後、「創憲」も打ち出しました。〔中略〕この過程で私たちは、現在の憲法の平和主義、民主主義、基本的人権という三つの基本的原則は、これからもこの国の形の原則であり続けるべきもので、変えてはならないものだと確認しました。

 現憲法は、戦後の占領下で制定されたもので、制定過程の占領権力の介入があったことは否定できません。しかし、この歴史的事実は大日本帝国憲法を基本法とする当時のわが国のかたちが引き起こしたもので、制定過程はこの歴史全体の中で観察しなければなりません。占領権力が世界の憲法史の流れに沿って行動し、その時代における国際社会とわが国との意思の合致が現憲法となったという側面もあるわけです。現憲法は、形式的には帝国議会の審議などの手続きを経て成立し、その後半世紀以上にわたってこの国のかたちを規定する基本法として受け入れられ、機能してきました。制定当時の国の意思決定の有効性については、さまざまな説があります。しかし今述べたような現憲法の有効性に照らせば、やはり当時すでに未成熟であっても憲法制定権力が存在していて、これが現憲法を成立させたのだと考えられます。

 本院の憲法調査会の最終報告は、これからの私たちの議論の出発点としなければなりません。

 私はこれまでに、憲法調査会で8回ほど発言をしています。どのように調査をしていくのかということについて発言しました。このときの会長は村上正邦さ ん、会長代理は民主党の方で、私は会長代理に次ぐ筆頭幹事でした。村上さんがあまりにも強烈だから、運営検討委員会をつくったのですが、最初の立ち上がり のときは、村上さんがぐいぐい押してきて防戦一方でした。村上さんは「江田、おまえが!」など、本当に怒鳴り合いをしていたものです。憲法の議論は落ち着 いてしなければならないと思っていましたが、村上さんはある種の政治的意図を持って、敢えて大荒れの国会終盤で憲法論議をしようとしているのではないか、 と私はにらんでいました。

 私のこれまでの講義からも分かると思いますが、私たちが手にしている社会の諸制度を考えるとき、現時点で私たちが手にしているもののみをとらえる、つま り断片的に把握するということでは不十分なのです。これら制度が歴史の中で発展してきた軌跡、世界中に分布している座標軸を意識しなければなりません。

 立憲的意味の憲法を見た時、前川さんが指摘したように、ある程度の共通の歴史があるのです。そして、今や各国ともこの共通の諸原則を持つ不文の「地球憲 法」というべきものを前提として、各国の憲法が成立してきたといえます。少し難しいですが、各国の憲法には、その成立の牽引力となった「憲法制定権力」が 観念されますが、この権力は各国ごとに存在する裸の権力ではなくて、世界中に妥当する一定の憲法的規範意識を共有する「地球市民」が各国毎に若干の特殊 性を持って発言しているといえるのです。

 最近できた憲法でいうと、南アフリカの憲法でしょうか。これはアパルトヘイトを克服した後にできた憲法です。私自身南アフリカの憲法を読んだ記憶があり ます。1996年頃、岡山知事選挙に落選し、国政に復帰する前に、岡山で弁護士の活動をしていました。その際に修習生と英語塾を開いて、各国の英語の法律 文書を読んでいました。そのなかで南アフリカの憲法を取り寄せたことがあります。

 さて、日本はどうでしょうか。日本は、いま述べたような憲法の世界史的流れの主流から外れてしまい、いささか異質の支流となってしまいました。明治憲法 がもつ歴史的欠陥によって、ドイツとイタリアとの連携や軍部の独裁、第二次世界大戦の開戦と継続、そして敗戦となりました。枢軸側に逸れてしまった支流を 本流に統合していく中で、ポツダム宣言からはじまり日本国憲法の成立という一連の流れがあります。その上でこれからどのような道をとるべきかを探る実践的 な態度が大切です。一緒くたに瑕疵として非難する態度は正しくありません。日本はよちよち歩きではありましたが、立憲主義的な意味での憲法制定権力が日本 に存在して、その後に日本が軽武装で平和主義、民主主義、基本的人権、市場経済システムの中で大きく発展したのは、この憲法が歴史の流れに沿ってきたから であり、そして日本の国民に支えられてきたからである、と考えています。

 前述の発言に続けて、私は次のように述べました。

 私自身が生まれのは、1941(昭和16)年5月、つまり戦前です。戦後、教科書が墨で塗りつぶされた翌年の昭和23年の小学校入学ですから、現憲法と ほぼ同時代を生きてきました。いわば純粋の戦後憲法世代といえると思います。そこで私たちの世代には、現憲法が自分達の血であり肉であるという感覚があり、 憲法改正と聞くと本能的に身構えてしまう部分があると思います。しかし私は、憲法も決して不磨の大典ではなく、現憲法も当然これが制定された時代の制約を 受けており、その後の時代の変化によってより成熟していくべきものだと思っています。

 例えば平和主義でいえば、現憲法は前文で国際協調主義を、さらに第9条第1項で戦争の放棄を掲げ、さらにその具体的な行動規範として同条第2項に戦力の 放棄を規定しました。時代の制約を考えれば、ここに自衛力や国際貢献の規定がないことはよく理解できますが、その制約が大きな変化を遂げた現在、制定当時 の基本的原理が現在取るべき具体的行動の規範の姿が、当時のものと変わってくるのは当然です。

 私は今、私たちの世代こそが、制定当時の状況が私たちに課している心の制約を取り払って、現憲法をいわば棚卸しをして論憲から創憲へと向かっていいんだ よと、戒めを解いて次の世代の皆さんが憲法問題と真正面から向き合って自由な議論ができるようにする責務を負っているのだと思っています。

 憲法改正自体は当面する緊急の課題ではありませんが、非現実的な目標だというわけでもありません。そこでこの際、憲法改正の条件をいくつか考えてみま す。まず憲法第96条に規定する要件と現在の政治状況を考えれば、会派の垣根を越えて議論を進め、穏健で良識的な合意を形成する努力を積み重ねなければな りません。特に良識の府といわれる参議院は、これをしっかりと自覚すべきです。また、国会法第102条の8の合同審査会の活用も必要です。〔中略〕そして私 たちが憲法改正に取り組む場合には、その内容が地球憲法にしっかりと適合しこれを前進させるものである必要があり、諸外国に歓迎されるものであることが大 切だと思います。
 
 良識的で中庸を得た憲法論議によって、時代に適合して世界に歓迎される新しい憲法をつくること、このことができるようにと願ってやみません。地球憲法に 沿って憲法を改正するということを是非ともしたいと考えています。

【憲法改正の論点】
 私は、何でもいいから憲法改正をしろという立場には与しません。やはり、地球憲法にそって憲法を改正するという立場をきちんと明確にしたいと思 います。さて、憲法改正の案がいろいろ出ています。鳩山由紀夫さん、中曽根康弘さんや読売新聞などが改正試案を出しています。一つ一つを読み込んでいるわ けではありませんから、ここでは論評しません。それよりも、なにかの改正案が衆参総議員の3分の2に結びつくような改正原案になるのか、ということをきち んと考えたい。現実的には、どの案も憲法改正に結びつくような現実性があるようには思えないのです。ある政党の案が支持を得て、選挙で大勝し、議席の3分 の2になるということは考えられません。それでは、ということで改正要件を緩和して、憲法を楽に改正できるようにしようという憲法改正もあります。しか し、その改正要件緩和の憲法改正をするためにも3分の2が必要ですから、憲法改正というのは袋小路に入ってしまいます。そこで、きちんと考える必要があり ます。

 今の憲法を絶対に変えないという立場もあるでしょうが、やはり一つ一つを見てみますと、理屈を付けて現実的運用をしている、つまり憲法の条文通りの運用 がなされているとは言いがたい部分はあります。憲法を現実に合わせるのか、それとも現実に憲法を合わせるのかという発想は大切ですが、不磨の大典を前提に した議論はするべきではありません。具体的にいうと、私学助成は憲法違反かという議論があります。私立学校とはいえ、公教育の一部を担っているのだから、 税金を使うことには無理のないことです。しかし、その理由付けを見てみると、もってまわった理屈によって成り立っています。あとは、憲法で地方自治の本旨 という文言がありますが、これは何を指すのかについて憲法は何も指し示していません。また、内閣制度は旧憲法を引き継いでいるために首相がイニシアチブを 発揮しにくいという現実的な問題があります。

 今の憲法ではきちんと明確になっていない部分について、私は1995年に、安全保障基本法を提唱したことがありました。科学技術庁長官を退任し、衆議院 議員になっていたときです。現行憲法が制定された当時、国際社会の安全保障に対する共通理解は、不戦条約などの国際的な約束事が苦難の歴史をたどった後に たどり着いた国連憲章に集約されています。つまり、国連憲章では、個別的自衛権は各国に委ねられているものの、国際社会の平和と安定は、自衛権行使を超越 した普遍的安全保障の理念によって行われるべきであり、よって国連の集団安全保障措置によって執り行うとしたのです。国連軍はその具現化といえるでしょ う。現実には国連軍はいまだに設立されていませんが、そのかわりにPKOが姿を現したことで一定の前進がはかられています。国連憲章においても集団安全保 障の実現が困難であることは織り込まれており、それが実現するまでは、個別的自衛権が拡張された集団的自衛権を認めています。

 日本ではどのように考えられているかというと、内閣法制局の説明によれば、日本にも集団的自衛権がある、しかしそれを行使しないのが日本国憲法であるというこ とです。賛成反対以前に、法制局がどうやってこのような解を導き出したのか、困難であると思います。憲法制定当時の時代的制約があるために、前文における 国際協調主義の他に第9条の規定がありますが、個別的自衛権や集団安全保障に対する参加の規定を欠いているのが現状です。

 私は、個別的自衛権としての自衛隊の保持と集団安全保障への参加については、憲法典に書き込む時代的要請が確立してきていると考えました。文民統制や非 核三原則、専守防衛、防衛費のGDP比1%枠など、これまで積み重ねてきた原則をきちんとまとめた方がいい、そのために準憲法的法規をきちんとつくろう、 それが安全保障基本法なのです。きちんと法規にまとめることで、自衛隊の活動にたがをはめることが可能になります。そして将来的に憲法に書き込んではどう だろう、と考えたのです。現状を見ると、安全保障基本法を一足飛びにして、憲法改正論議が進められています。今は、9条に第3項を付け加えることが早道に なると考えています。

 皆さんの質問の中に、日米安全保障条約についてどう考えるかというものがありました。私は、安保条約を片務的集団的自衛権ではなくて、集団安全保障の地域版 として位置づけるという見方を持っています。歴史をたどると、個別的自衛権は、伝統的に国家の主権として理解されています。そして、普遍的安全保障の考え方 をもっと強固にすることで、安全保障の網の目を各地域に張り巡らせることができるのではないかと考えるのです。つまり、安保条約はそれ自体一つのものでは なくて、普遍的安全保障を下から支える、地域毎に結ばれたサブシステムのひとつとして考えるのです。軍事的対立の構造を、相互安全保障の複合的構造の構築 システムととらえることで、信頼関係の醸成措置などの意味づけが可能になります。

 さて、少し詳しく安全保障について考えてきました。憲法改正に話を戻します。

 憲法改正の原案はどのように作るのでしょうか。御承知の通り、憲法の改正原案は、衆参両院で総議員の3分の2の賛成がなければ、国民投票に発議すること はできません。日本では二院制をとっていますが、2つの院が同一の案を支持しなければならないのです。もともと、現行憲法は国会について、GHQが一院制を提案したが、日本側が二院制を求めたという歴史的経緯があります。だから一院制を二院制と変えただけで、憲法改正については一院制 の考え方で成り立っているのです。こういうことを前提にして憲法を改正するのであれば、やはりどこかで両院にかけるべき改正原案を作らなければなりませ ん。そこで、憲法改正手続法を制定した際、国会法の中に両院合同審査会の規定をつくりました。改正の原案をつくるという機運が高まってくれば、合同審査 会の頻度も高まってくると思います。また、両院に設置されている憲法審査会の関係を円滑に進めていくことを意識する必要があります。なんでもいいから憲法 改正に一足飛びをする、ということにはならないのです。憲法を改正するための一応の仕組みはできあがりました。やはり中身です。繰り返しますが、私は何と かして地球憲法にそった憲法の書き直しができればと思っています。

【憲法改正をめぐる議論の現状】
 かつて1960年代に、時の政権与党が憲法改正の意図を持って、内閣の中に憲法調査会を設置したことがありました。私の学生時代のことで、各地 で行われる憲法調査会の地方公聴会粉砕闘争を展開したこともありました。学生運動が下火になっていた頃でしたから、結局は挫折しました。そして内閣の憲法 改正の動きも挫折しました。議席の3分の2を衆参で得ることを目的として、自民党が小選挙区の導入を企みましたが、有名なハトマンダーという批判を巻き起 こし、これも結局挫折します。

 その後2000年になり、衆参両院に国会としての憲法調査会ができました。ここでは緊張した議論をしてきたことは既に述べた通りです。5年程度の 議論の後に、衆参それぞれ最終報告をとりまとめました。衆議院の憲法調査会では中山太郎さんが会長、参議院では村上さんら4人の方が会長を務められまし た。調査会に関わった者として報告書を見てみますと、参議院の報告書は衆議院のものとは違う特徴があります。すなわち、委員の意見を政党別に分類し、政党 間で合意を得ているものをまとめて、それを明示したのです。調査会としてはこれで仕事納めとなり、その後に憲法改正手続法が立法されました。つまり国会 法改正により両院に憲法審査会を立ち上げ、国民投票法の制定です。衆議院では順調に審議が進んでいましたが、最後の段階で当時の安倍内閣が内閣の重要事項 という位置づけをしてしまい、事態が一変して荒れ模様になりました。

 もともと憲法改正というものは、国会でこそ議論すべきもので、そこに内閣が入り込んでくるべきではありません。衆議院では強行採決というかたちで成立させ てしまいます。当時は、枝野幸男さんが筆頭理事で、このときにかなり暴れました。参議院では強行採決の代わりに18項目にも及ぶ附帯決議をつけましたが、 これほどの附帯決議をつけたのは異常というほかありません。

 前回でもお話ししましたが、国民投票法では3つの宿題があります。投票権を18歳にすると規定されているものの18歳にはなっていないという問題です。 他の法律で成年年齢が20歳になっている、これをどうにかせよというものです。まだこの宿題が片付けられていないので、国民投票でも20歳ということにな るのでしょうが、果たしてどちらになるのでしょうか。いずれにせよ、来年に入ると憲法審査会の議論が進んでいくと思います。

 余談ですが、共産党と社民党は、憲法の議論をすること自体にあまり乗り気ではありません。両党ともその理由として、大震災があって復旧復興をやらなけれ ばならず、憲法改正の議論をしている場合ではないということですが、じゃあ復興だけをやっていればいいのか、そういう反対論は当たらないと思います。繰り 返しいっていますが、憲法の議論は落ち着いた環境の中でやるべきです。功名争いをするのではなく、良識を持って成熟した実のある議論をして、結果を出すこ とが求められてきます。そして、そろそろ結果を出すことが必要な時代になってきているとも言えます。

 これで本日の講義を終わります。質問はありますか。

(質)教育の場で憲法論議をもっとすべきと考えますが、江田先生のご意見は。

(答)まず、日本の教育の一番の欠陥はディベートができないということです。議論の中から自分の意見を高めていくことができません。その点で、憲法の議論 は絶好のテーマになると思っています。どちらの主張に賛成するのかということもありますが、基本的人権についての考え方、住みやすい世の中をどのように実 現していくのか。内容はたくさんあります。

 授業で頭から基本的人権を教えたとしても、なぜ基本的人権が必要なのかということが分からないから、知識は右から左に流れていくだけとなってしまいま す。「なぜ」ということを大切にする教育であってほしい。憲法議論については、私たちの世代の責任でもあります。

(質)ぜひ江田先生には文部大臣をして頂き、このような問題を取り上げて欲しいのですが。

(答)大臣はもう、疲れました。それではまた来週。


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