2011年6月11日

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民主党岡山県総支部連合会第16回定期大会
江田法務大臣挨拶


 法務大臣の江田五月でございます。引き続き県連顧問を務めることになりました。

 今日は、皆さんほんとにご苦労さまでした。私も時間を気にしながらハラハラ運営を見守っていたのですが、だいぶん時間が食い込んでいますので、短くご挨拶をさせていただきます。昨年の参議院選挙で、本当に皆さんにお世話になりました。大変な選挙でしたが、しかも議長の現職のまま、まあ、選挙が終わってすぐに議長の任期が切れるという前提でありましたが、民主党の公認で選挙を戦わせていただきました。アゲンストの中でしたが、全国の開票速報が始まってすぐに当確とさせていただき、また比例区では、難波奨二さんが事務所を岡山に持っておられましたが、当選して岡山県連に所属していただくということになりました、本当に皆さんありがとうございました。

 その難波さんの選挙の標語が「絆の再生」というわけですね。そして私は今、本当にこの日本国すべてが、いやそれだけではなく世界中が、もう一度真に絆を再生できるかどうかという、大変に重要な歴史的な時代にきていると思っています。私はやはり今、私たちが立っている歴史的な地点、どういう地点にいるのか、これを考えたい。選挙のときにもその後も言っていることですが、それでも長く議長をやって、平議員に戻ってまたこの一月から菅改造内閣の法務大臣ということになり、県連運営にずっと関わらず大会にもずっと、ちょっと挨拶だけという具合で、失礼をしていましたので、こういう話を聞いていただいていない方がおられるかと思います。

 私はやはり民主主義というものがどう発展してきたか、これをどうしても考えたい。明治維新から戦後改革を経て今に至るまで、私たちの国は、江戸時代からこの国を牛耳っていた人たちが、ずうーっと、どこかで、権力を握ってきた、あるいは権力に影響を与えてきた。そして今、それが次第に変わって、ごくごく普通の庶民がだんだんと自分たちで自分たちのことを決めるという、そういう民主主義に近づいてきた。

 今震災の中で、野党の協力も頂かなきゃならん、柚木代表に言わせるとその野党から総理大臣もという。私はそうならない方が良いと思うけど、そんなことだって敢えて覚悟しながら与野党の垣根を越えて、政治を動かしていかなきゃならん、そのことはそうだと思います。しかし、やはり私は自民党というのは、今までの支配権力階層の尻尾を引きずって、次第に弱くなってゆく政党なのだろう。自民党が新しい政党に生まれ変わるなら、それは大いに結構ですが、簡単ではない。それに対して民主党の方は、やはり新しい、やはりごくごく普通の庶民が、庶民の息子、娘たちが自分たちの国を動かす、そういう政党として生まれてきて、今育ちつつあるんだ、そのことをぜひ皆さんともう一度お互いに再確認しておきたいと思います。

 私は菅政権というのは、ほんとに大切な政権だと思っているのです。総理大臣のDNAをもって生まれたものしか総理大臣に近づいて行けないという政治が、民主党政権になったら残ってなかったというと嘘になりますが、これを乗り越えて、本当にサラリーマンの息子で、転勤族の息子で、ごく庶民のDNAしか持ってない人が総理大臣として頑張っている。これが、今の歴史的な地点じゃないかと、本当にそう思うのです。

 菅政権にもいろんな失敗があったでしょう。思い上がっているという声もありました。上から目線という指摘もありました。しかし私は、日頃、裃(かみしも)脱いで菅さんと話すると、それはもう庶民ですよ。だからひょいと私と菅さんと、銀座に飲みに行った、いや銀座といっても場末の安い飲み屋に一緒に行っただけなのですが、そういうことができる総理大臣というのは、今までいなかったと思いますよ。今大変な状況ですが、この菅内閣をぜひ、私は何としても支えなきゃならんと思っているところです。いつまでもとは言いません。菅さんが言っているじゃないですか、「一定のメド」というのは自分が常識的な判断をちゃんとする、しかし、それまでは、まだやる事があると。

 今やらなきゃならん事、それはやはり何といってもこの震災にどう立ち向かってゆくのか。日本中が被災地に心を寄せている。世界中が今のこの日本を襲った悲劇に心を寄せているのです。ここで皆の気持ちを一つにして、これを乗り越えることで、日本も世界も新しい時代に入っていける、私たちは新しい絆を作ることができる。そういう確信のもとに今、私たちは政権運営をやっているわけで、そこはぜひ皆さん、街に出ると罵声を浴びせられることもあると思います。大変ご迷惑もかけますが、頑張らせていただきたいと思っているところです。

 3月11日に地震が発生し、その晩は私は法務省の大臣室で、もう暖房を切っていましたから、夜はほんとに冷え込んでくる、そんな中で、仮設のベッドで寝て、テレビを見ていました。ほんとに大変な事態、大地震、巨大津波、そして、今まで経験したことのない原子力事故ですよね。いろいろ批判されるけれど、私たちのチームは一生懸命やっているということを、皆さんに是非ご理解いただきたい。

 たとえば瓦礫がまだ片付いていないと言われる。今日は確かに3ヶ月目で、まだ片付いていない、遅いといえば確かに遅いです。しかし皆さん、現場がどうなっているか。私は法務大臣としてあえて背中を押すような指針を出しました。瓦礫の中に思い出のアルバムもあります、あるいは1本の柱に小さな傷がついている、これは単なる傷じゃないんだ、おととし、孫がこれだけ大きくなったといって、背比べをして柱につけた傷が残っている、そんな思いがいっぱいあそこに詰まっている。その思いを大切にしながら被災地の皆さんにしっかり寄り添って、私たちは、復旧、復興を果さなければならん。そこで、どうかその思いはもう捨ててくれ、これは瓦礫だと、こう言わせてくれ。心を鬼にして、瓦礫として処理をしなきゃいけない。そういう判断を私たちはしてきたのです。

 そして皆さん、自衛隊員の皆さん10万人をあそこに投入したのです。自衛隊は24万人なのです。そのうちの10万人をあそこに投入しているのですよ。それで、国の守りはどうなるのだ。そんなことを言う向きもある。それでも敢えて、国際社会がこれだけ心を寄せているときに、日本に戦争を仕掛けてくる国はない。敢えてここは決断をして、菅さんが政治的に非常に重い決断をして、行っていることなのです。自衛隊の皆さんは、ほんとに一所懸命やっている。皆若くて筋骨隆々でも、くたくたになっているのです。遅いといえば遅い、しかし、事態がそれだけ深刻だということなので、是非そこは分かってほしい。

 たとえば皆さん、昨日も議論がありました。原発で、ベントというのをやった。ベントをやれば、その原発の中にある放射性物質が飛び散る、分かっているのです。だけど私は、こんなことを言うと誤解されるかもしれないし、ここのところだけ切り取られて報道されると困るんですが、私は本当にホッとしたんですよ、実は。ベントをやって、そして爆発した時です。うわぁーこれは圧力容器、格納容器がドーンといって、ほんとにもう放射性物質が猛烈な勢いで飛び散った、と思ったら、それが水素爆発。水素爆発も大変なのですが、これなら何とかまだ、まだ頑張れる、こう言って頑張ってきました。それは遅いかもしれないけど、そういう原発の事態を押さえ込み、押さえ込み、押さえ込みしながらやっているのです。

 後からいろんな知恵は出てくるでしょう。メルトダウンが何で分からなかったのだと言われる。それは、だって、交流外部電源が全部喪失しても、そんなことはリスクとしてカウントするに足りないから、対策はなくてよろしいという、そういうマニュアルが自民党政権から私たちのところへ残されていた。そんな中でやっているのです。是非ここは、ご理解を頂きたい。そのほかいろいろ申し上げたいことがありますが、ほんとに必死なって取り組んでるのが、今の菅政権なんです。

 私の法務大臣の職責で言っても、例えば児童虐待防止のための親権の制限というようなこともやりました。あるいは明治時代以来の非訟事件法の大改正もやりました。まだまだいろんな事を手がけている最中です。

 そんな中で菅さんは、社会保障と税の事、あるいは特例公債の事、復興の基本法の事、これはまもなく通ると思いますが、そして第2次補正の事、こういう課題に何とかメドはつけていきたい、そしてその後は、ちゃんと自分が常識的に決断をして、若い人たちに責任を引き継いでいくということをやりたい、こう言っているわけです。若い人というのは歳のことを言っているのではありません。今までのような、自分たちが支配者だといって業界団体を牛耳り、官僚と一緒になって、長く日本の政治を押さえてきた、政治を使って金儲けをするというのもいっぱいあった、そういう古い政治ではなくて、若々しい政治に引き継いで行きたい。その事を言っているのです。

 私は、その若々しい政治に引き継いで行くには、「菅さんあんたいつ辞めるんだ」「菅さんあんた早く言え」と言ってる時じゃない、ここはやはり、とにかく皆で菅内閣総理大臣を信頼して、その判断は菅さんに任せる、そして常識的な判断は菅さんがちゃんとする。そのうえで、菅さんに思い切って、今やらなきゃならん事はしっかりやっていただく。それが今の日本の政治の一番の根本だと思うんですね。

 そこのところを忘れて、党の外からも或いは党内でも、「菅さんいつ辞めるんだ」「辞めると言った」と迫る。言っていないんだけど、「辞めると言った総理大臣はもう何にもできるものか」と切り捨てる。そんなことやったらほんとに日本の民主主義が、日本の政治の大きな柱が、おかしくなってしまうのです。そこを私はどうしても皆さんに訴えたいし、また、皆さんと一緒に菅内閣の仕事をやり遂げたいと思っております。

 今日ここへ来る前にある人がメールをくれました。「ここは一つ思い切って、話してください」と言うのです。「君子は本(もと)を務む。本(もと)立ち て道生ず。」これで行けと。菅さんは君子ではなく、まあごく普通の庶民です。だけど大きな志を持って一番根本のところをしっかりと務める。根本のところがすっくと立つと道はおのずから生まれてくる。是非、皆さんそういう思いで、危機的な状況の中を前へ進ませて欲しい。

 統一地方選挙の間、私は80日以上岡山に帰ることができませんでした。被災地には行きました。法務省の施設が戸籍の副本をやっと守っていました。しかし岡山には帰れず、選挙がなかなか厳しい結果になった。私の努力不足も含めて、お詫びをいたします。しかし、ここで踏ん張る、これが民主党精神だと思います。皆さんのお力添えをこの若い執行部に賜りますよう心からお願いして、法務大臣としてのご挨拶といたします。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


2011年6月11日

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