2010年6月18日

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岡山を運命的ルーツに お互いを「戦友」と語る二人
初夏、参議院議長公邸にて

日本の総理大臣と、参議院を束ねる議長
この国の中心で奮闘する両議員に 故郷岡山と次代を担う若者への思いを訊いた

山本佑輔)お二人はかなり前から懇意にされているとお聞きしていますが、初めて出会われたのは。

菅直人)私は江田さんのお父さんである江田三郎さんが代表を務める社会市民連合に参画し国政選挙へ臨んでいました。初めて江田さんにお会いしたのは、選挙を目前に控え急逝した江田三郎さんの枕頭。江田さんとはその直後に行われた選挙を東京と全国に分かれて戦って以来の仲間です。

江田五月)父が命懸けで新しい政治の試みを始めた矢先、何かを示唆するように私の誕生日に急死しました。私は当時三六歳で千葉や横浜で地裁判事補をしている中、父の後を継ぎ、政治への転身を咄嗟に決断。菅さんとは、その時の選挙を一緒に戦って以来、正に戦友のような間柄です。もう三〇年来のお付き合いになりますが、お互いに何度も窮地の時にはそれぞれの選挙区に応援に駆けつけてきました。

菅)そうですね。六年前、参議院岡山選挙区が一名区となって現職二名が激突したときも江田さんの応援に行きました。

江)あの時は民主党の代表辞任後で傷心の菅さんに無理を言って来て貰い、無事に乗り切ることが出来ました。

菅)選挙以外でも、政党運営の仕方で大議論になった時も徹夜の議論に加わってもらったりしましたね。

山)なるほど。本当に戦友といった言葉がお二人の関係を表すのにピッタリですね。実は、今回のプラグでは故郷がテーマになっているのですが、先ほどのお話にも出てきた江田三郎さんは岡山市北区(旧御津郡)建部町のご出身ですよね。そして菅さんは山口県のご出身ですが本籍地は同じく建部町。私も建部町の出身なのですが、今回ご出演いただくにあたって勝手に何かのご縁を感じています。

江)私の父は建部町で生まれ育ちました。子どものときは家業のうどんの配達を手伝っていたそうです。建部町の妙福寺というお寺に父の墓があるのですが、参議院議長に就任したときにも報告に参りました。国政報告会などでも度々訪れますが、自分を見つめ直すことのできる大切な場所です。

菅)建部町下神目の小高い丘の中腹にある先祖の墓の前で、この地で生まれ育った亡き父が「小さい頃と家の数が変わらない」と言ったのを良く覚えています。時間の流れが緩やかに感じる自然豊かな町、私のルーツですね。

山)ありがとうございます。今回、故郷がテーマということで様々な方に「岡山で最も好きな場所」をご紹介いただいているのですが、江田さんが岡山で最も好きな場所といえば。

江)旭川下流の岡山城付近。小学校低学年時代から、神伝流の水泳教室に通い、中学三年で初段を許され、現在は九段で日本水泳連盟の範士となりました。夏は終日カッパ同然で、水泳場の整備も自分たちで行い、悪戯も含めて心も体も鍛えられましたね。岡山生まれで高三まで育ったので、本当に思い出だらけです。高校時代は、水泳と書道と生徒会に没頭していたのですが、現役で東大に入れたため、教師から後輩にしめしがつかないと嫌みを言われたのを覚えています。単に運が良かっただけだと思っているのですが。また、参院選全国区の運動の最中に帰岡した際、竹馬の友が駅まで迎えに来てくれたときは、百万の味方を得た思いでした。これも故郷ならではですね。

山)菅さんは岡山を訪れた時の一番印象的な場所といえばどこでしょうか。

菅)最近では真庭市です。林業再生とエネルギー革命につながる木質バイオマス発電の先端をいく真庭市の銘健工業で実験施設を視察したこと。木材を効率良く使っていく上で、いろいろな形でのエネルギーの転換・利用システムが必要です。意欲的な取組みが岡山で行われていることに大きな関心を抱きました。

山)故郷といえば二〇〇八年から始まった「ふるさと納税」の制度があります。お二人はどのようにお考えですか。

菅)個々人のふるさとへの想いを所得税における寄付税制の拡充で達成できないかと考えています。すでにNPOへの寄付金の税額控除は、「新しい公共」の一環として実現の方向となっています。

江)納税者が、自分の納めた税金がどこでどう使われているかに関心を持つことは、これからの国のかたちを変える鍵になる意識変革だと思います。この関心を形にする制度設計が強く求められています。ふるさと納税もそのひとつです。しかし、単なるノスタルジアでは物足りない。岡山県内での自治体の取組みは評価しますが、その税収の使い道も具体的に透明化したい。それには、「NPO優遇税制」の抜本的拡充など、官を通さない資金還流の仕組みが必要だと考えています。

山)国の政権運営を担当する民主党を代表するお二人として、今後岡山も含めた地方に対してどのようなことを期待されますか。

江)民主党は政権党であり、掲げた政策の実現可能性は、野党時代とは比較にならないほど高い。そのひとつに「地域主権」があり、これは実現する。岡山においても、地域のことは地域で決めることになり、それが実際に出来なければならない。岡山県の民主党が中心となり、地域住民が現実に地方政治を前に進めていくことの出来る発想や能力を鍛えなければならないと思っています。これは、一歩一歩、地道に努力を積み重ねるほかありません。

菅)東京の合計特殊出生率は二〇〇〇年に一・〇〇と全国最低を記録しました。これからは中山間地を含む地域で子どもを育てながら生活できる農業、林業、漁業などの再生がきわめて重要だと考えています。そういった意味でも、先に紹介した真庭市の銘健工業が取組む木質バイオマス発電の技術など、地方の現場から独自の技術や仕組みが生まれることが大切になってくるのではないでしょうか。

山)それでは、これからの時代を担っていく二〇代、三〇代の若者にどんなことを期待されますか。

江)いつの時代でもそうかも知れませんが、私の若いときと比べると、今はずいぶん大人しくなってしまったように感じます。こじんまりとまとまって、したり顔で老成するのでなく、もっともっと冒険をして欲しい。失敗が出来るのが、若者の特権なのだから。

菅)私が二〇代の頃は「Don't trust over 30」(三〇代以上を信用しない)とよく言っていました。いつの時代も若い世代は社会に異議申し立てするものです。私たち「団塊の世代」も若い世代にツケだけを残さないよう努力するので、皆さんも就職や結婚や生活の不安を一人で抱えないで欲しいと思いますね。

山)最後に岡山のプラグ読者にメッセージをお願いします。

菅)私の尊敬する高杉晋作が「人生唯一度」という言葉を残していますが、その言葉を生き方としての信条にしています。政治信条としては「最小不幸社会」の実現です。政治は権力を使って一人ひとりの「不幸」を最小化する仕事と考えています。個人としての幸福はそれぞれ異なりますから、仕事でも芸術でも恋愛でも、自分にとっての「幸福」を見つけてほしいと思います。

江)政治状況は混迷を極めていますが、有権者が政権を選択するという本物の民主主義を前に進めることが出来るかどうか、日本の有権者の成熟度が問われている時だと思っています。この夏の参院選は、この意味でも極めて重要です。今の瞬間のテーマだけでなく、歴史的視野を持って、賢い有権者の判断力を鍛えて欲しい。私は、自分が生まれ育ち、私をここまで鍛え上げてくれた岡山の皆さんを、絶対的に信頼しています。しかし、岡山も若い人の投票率は決して高いとは言えません。二〇代、三〇代の若者にこそ、これからの時代を築いていくという気概を持って政治への積極的な参加を期待したいと思っています。

山)同じルーツを持つ人間として、岡山に所縁ある「戦友」お二人の更なるご活躍を期待しています。


こじんまりとまとまり、したり顔で老成するのではなく、失敗を恐れずもっともっと冒険を
大人しくしているよりも、好んで多少の無茶苦茶をやってのける。
若いうちはそんな気概を大切に。
By 江田五月

「Don't trust over 30」(30代以上を信用しない)
いつの時代も若い世代は社会に異議を唱えなければ
私が20代の頃言っていたキーワード。自分より上の世代も意識した挑戦をしていって欲しい。
By 菅直人


菅直人 かん なおと
衆議院議員 内閣総理大臣 
民主党代表

1946年10月10日山口県宇部市生まれ(本籍地は岡山市建部町)。東京工業大学理学部応用物理学科卒業後、弁理士試験に合格。1976年衆院選に東京7区より無所属で立候補するも落選。以後の参院選、衆院選と続けて落選。1980年の衆院選にて衆議院議員に初当選以来10期連続当選。1993年連立与党に参画し、衆議院外務委員長に就任。1996年橋本内閣で厚生大臣に就任し、同年9月民主党を結成し党の初代代表に就任。2009年8月民主党代表代行として臨んだ衆院選で同党が歴史的大勝、政権交代を実現する。同年9月鳩山内閣にて副総理・国家戦略担当・内閣府特命担当大臣に就任。2010年1月副総理・財務大臣・内閣府特命担当大臣に就任。2010年6月2日鳩山首相の退陣表明を受け民主党代表選挙へ出馬、6月4日同選挙にて代表に選出。同日の首班指名選挙によって第94代内閣総理大臣に指名された。


江田五月 えだ さつき
参議院議員 参議院議長
民主党岡山県総支部連合会顧問

1941年5月22日岡山市長岡生まれ。東京大学法学部政治コースを卒業後、地方裁判所で判事補を務める。その間英国へ留学しオックスフォード大学法学部法律証書科修了。1977年社会市民連合代表として参議院議員に初当選。1983年社会民主連合から旧岡山1区にて衆議院議員に初当選以来連続4回トップ当選を果たし、細川内閣では国務大臣・科学技術庁長官を務める。1994年には日本新党副代表に就任し、同年新進党結党に参画。1996年新進党を離党し岡山県知事選挙に立候補するも5700票差で惜敗。その後弁護士事務所を開設するとともに政治活動を再開する。1998年民主党へ参加表明し同年の参議院選挙にて再選。民主党副代表の他、参議院国家基本政策委員長、参議院「民主党・新緑風会」議員会長、参議院懲罰委員長などを歴任し、2007年から第27代参議院議長を務める。


山本佑輔 やまもと ゆうすけ
やまもん
Serv.Inc PLUG事業部・編集部

1985年5月31日岡山市建部町生まれ。NHKの番組「真剣十代しゃべり場」への出演やシンポジウムでのパネラー、音楽イベントの開催など学生時より様々な活動を行う。SERV.incの立上げとプラグ創刊にあたり立命館大学を中退し帰岡。岡山選出の国会議員、県知事、市長など政治家、著名人への対談インタビューやコラムを通じて、社会問題、政治、自分達の住む街への意識喚起を目的とした企画「社研部」を創刊時より本誌で連載。今までにTOSHI(X JAPAN)、逢沢一郎、平沼赳夫、萩原誠司、片山虎之助、小沢一郎、津村啓介、柚木道義、高井崇志、花咲宏基、姫井由美子、石井正弘、高谷茂男、伊東香織、秋葉忠利(順不同・敬称略)が出演。また、昨年3500人を動員したファッションイベント「PLUG NIGHT」の総合制作指揮を執るなど、PLUG事業全般に携わる。

Plug 2010年7月号(6月18日発行)掲載


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