新しい政治をめざして 目次次「花のいろいろ」

社会主義的父親学

      ―― 自民党総裁室乱入事件にみる“息子と私”

1 二人の息子への信頼

 ツルゲーネフの『父と子』が発表されてから、ちょうど百年たっている。その以前も、その後も、多種多様の父と子の問題がおきている。

 父と子の問題に共通するのは、「世代」であるが、それは単純に年齢の問題として割切ってすむことではない。若い人たちはエネルギーにみちあふれているが、人生経験は浅い。父と子の思想や生活態度にちがいがでてくるのは当然である。しかし、父と子の問題は、それだけのことではなく、もっと複雑である。いったい、世代とはどういうことなのだろうか。それは単に年齢だけのことではなく、人々が、どのような時代を体験してきたかということに、むしろ重点がおかれなければならないだろう。明治から大正に至る時代は、日本資本主義の天皇制のもとでの興隆期であり、時代の本質的な変動は見られなかった。このような時代には、世代は主として年齢の問題だといえようが、戦争、敗戦、新憲法という、われわれがくぐってきた時代の変動はあまりにも大きく、われわれが当面している世代の問題は、ここに重点がおかれなければならない。ここから戦前派・戦中派・戦後派の区別がなされるが、戦後にしても、終戦直後の混乱の時代を生きてきたものと、経済が安定し繁栄のなかに生きたものとはちがっている。「戦後は終った」といわれている。

 私がこうした世代の問題を取上げるとき、まず自民党総裁室乱入事件の長男五月のことからふれてゆかなければならないようである。

 私は旧制の神戸高商を経て、東京商科大学に学んだが、中途で退学した。両親は富裕ではなく、学資も一部しか出してくれなかったが、卒業をあきらめねはならぬほどのことではなかった。処分をくらったわけでもなかった。要するに、卒業証書をもらうことが馬鹿らしくなったので、自主的に退学し、ただちに農民運動に参加したのである。このとき両親はなにもいわなかった。間もなく、小作争議の指導で投獄されたが、このときも両親は小言一ついわなかった。母親は、私の健康を祈願して、八幡宮にお百度をふんでくれたと、後になってきいた。両親は、息子が間違ったことをするはずがないと、全面的に信じてくれたのである。

 私は、私の妻とともに、二人の息子たちに、私の両親と同じように、全面的な信頼をよせている。息子たちは、経験の不足の故に、いくつかの過失をするかも知れないが、必ずや、その一つ一つを成長の糧とするにちがいないと信じている。

 長男の五月は高校時代には政治への関心はうすかった。大学に入って安保闘争にぶっつかったことと、私と同居している関係も加わって、急に社会科学の勉強をするようになった。昨年、自治会の委員長に立候補したい、当選したら委員長任期の関係上、さらに一年教養学部に留年しなければならないだろうと、私の了解を求めた。私は一切を五月にまかした。安保以来、四分五裂している学生運動のリーダーになれば、いずれ、何かのつまずきをするであろうことを、私も観念していた。

 郷里の高等学校にいる二男の拓也も、昨年自治会委員長になった。私は拓也が、自治会新聞に投稿していた「裸の島」の映評に、息子としてよりも、対等な仲間として敬意を表していたので、一切を任しきっている。拓也はクラシックの音楽に一番関心をもっているようである。同じく、学生自治会の委員長になりながらも、戦後の混乱期に成長した兄と、繁栄期の弟とでは、世代のちがいがあるように見られる。

 私も妻も、二人の息子たちの、今後のたくましい成長に、何等の不安を感じていないのである。

2 若い世代の現実主義

 私は息子たちに、全幅の信頼をよせつつも世代の差を感ぜざるをえない。

 まずいえることは、誰に遠慮することもなく、自分の生活をもつという現実主義である。拓也は毎月定額のこづかいをほとんどレコードに費している。靴に穴があこうと、自転車が赤錆だろうと無関心である。レコードをきくには、畳の上では感じがでないからと、母親に椅子を買わせた。ステレオがほしくなると、毎日かわったカタログを持ち帰って、母親の部屋の真ん中に黙っておきつづけ、ついに陥落させた。

 五月は学生運動に参加しているなかで、ちゃんと自動車運転免許証をとった。私からの毎月の受取額をきめたうえで、アルバイトの口をさがしだし、自分の生活を楽しんでいる。

 私の息子たちだけではない。こういう生活態度は若い世代に共通している。私は党本部の書記諸君が、あまり高くもない給与のなかで、ちゃんと自分の家を建てているのにおどろく。私達の戦前の無産運動では、自分の家というようなことは考えてもみなかった。社会主義運動は自己犠牲であり、自分の個人生活はないものと思っていた。私の郷里の住居も、一昨年、どうにもならなくなって古家を買ったのである。

 浅沼さんは、書記長時代に、書記局のベースアップ要求に対し、いつでも納得できない顔つきをされたが、私も、素直に受入れにくい感じをもつ。しかし、若い世代にとっては、何等ためらう必要のない、当然のことになっているのである。

 かつての警職法反対闘争にあたって、その先頭にたったのは、戦前派の議員と若い世代であり、中間のエネルギーはどちらかといえば低調であった。ところが、この急先鋒の両者の立場はちがっていた。戦前派は、再び戦前同様の弾圧が始まると起ち上ったが、若い世代は、デイトもできなくなるという訴えに共鳴した。若い世代にとっては、民主主義は考えてみる必要のない当然のことであり、民主的権利は、何人にもこれを犯すことを許さないという考え方が、徹底しているのである。

 一面、こうした考え方は、視野が狭く、自己中心に終始し、社会全体を見わたすことを忘れることになりやすい。その極端はカミナリ族であり、ツイストのグループである。そこまでゆかなくとも、学生の多くは、就職第一主義になり、就職後のためのゴルフさえ練習している。現代社会の矛盾と、根気よく取組むということになってこないのである。

 かつて私は、ラジオ放送からの依頼で、深夜喫茶に出向き、集まっている若い諸君と話しあったことがある。私は、深夜喫茶は、手のつけられない頽廃的なところと予想してでかけた。案外、そうでなかった。深夜、一杯のコーヒーで、何時間もレコード音楽にききいることが、健康とはいえない。しかし、決して頽廃的ではなく、モダンジャズを心の底から愛し、楽しくききいっていたのである。

 私は大人たちが、この若い世代の、自己中心の現実主義を非難することだけで足りるとは決して思わない。それよりも、この諸君に、いかにして社会的関心をもたすようにするか、行動に正しい目標を与えるかを、私達指導の座にあるものが反省しなければならないと思う。若いエネルギーに正しいはけ場が与えられなければ、カミナリ族にもツイスト族にもなるのは当然のことである。

3 責任は誰にある?

 私は、若い世代が自己犠牲の観念に乏しいことにふれたが、いったい戦前の自己犠牲とはどういうものだったろうか。いうまでもなく天皇制を中軸にした自己犠牲が一般的であった。天皇のため、国のため、家のためである。いま、保守党政治家は、若い世代の現実主義を、戦後教育のせいにし、旧道徳を復活しようとしている。しかし、これは不可能である。民主主義は進歩の方向であり、一度民主主義の洗礼をうけたものを、どのように抑えつけてみても、歴史の逆の方向に顔をむけさせることはできない。いま必要なことは、この現実の上にたって、高い理想を与え、若い世代がよろこびをもって進むことのできる方向を示すことである。

 東京の街角にただの十分間でもたったとき、何かの理想が生まれるであろうか。政治の現実をみつめたとき、若い世代が自己を犠牲にする感激が生まれる条件がどこにあるだろうか。誰しも、自分自身を守ることに専念し、自分を楽しむことに没入せざるをえなくなるのではないか。

 いまさらふれるまでもなく、青年は進歩の原動力である。青年のエネルギーを動員することなくして、進歩も革新もありえない。私は若い世代の現実をみるとき、寒々としたものを感じるのである。

 私はこのようなことを、保守党政治家だけの責任であるとはいわない。一番責められなければならないのは、戦後政権をにぎりつづけてきた保守党であるが、革新陣営のわれわれも、青年のエネルギーを十分につかみえていないことを反省しなければならない。

 われわれの側では、青年はほっておいても、われわれの側にくるという考え方が強かった。そのため、戦後十五年間、真剣に青年対策と取組んだといえない面がある。青年のいない組織は、亡びゆく組織であるといわれるが、ひとり日本のわれわれが真剣さを欠いていただけでなく、イギリス労働党も、ドイツ社会民主党もそうであった。この二つの社会民主主義政党は、かえって保守党に青年を奪われているのである。

 社会主義運動において、古い世代と若い世代とをつなぐ帯は、いったい何であろうか。階級意識の昂揚ということだけでできるであろうか。

 私は階級意識が中軸になることは疑わない。だが、階級意識だけを、ただ一つの柱にして、自己犠牲を要求しても、豊かなみのりは望みえないだろう。

 この配慮を欠いたラジカリズムは決して成功しない。五月たちのこんどの行動は、ここにおちこんでいるのであり、暴走であったが、直接行動だけで革新運動ができるものではない。こうした方向は、しばしば焦燥感におちこみ、ヒロイズムやニヒリズムの危険を伴うのである。

 私は五月を責めようとは思わない。五月は現代の学生運動がもつそのような欠陥を十分に意識していた。社会党の支持団体である社会主義青年同盟に籍をおき、これまで共産党やトロツキストに牛耳られていた学生運動に、新しいいぶきを送ろうとして、委員長になった。

 だが、あまりにも混乱している現代の学生運動のなかで、押し流されたのである。責任はわれわれの陣営全体にある。少数のラジカリスト、大部分の無関心層の中で、正しい学生運動が、幾人かの献身で実を結ぶことはありえないことである。

4 必要な若がえり

 こんどの事件、それ自体は、大きなことではないが、このことを通じて、私は政党の責任をあらためて痛感している。

 私は先頃郷里岡山県の水島工業地帯を視察した。昨日までの海が、工場にかわりつつある。やがて十五万トン級のタンカーを横づけできる工業地帯が、二千万坪生まれるというのである。資源の乏しい日本が、はげしい国際競争の中でたちゆくためには、このような工業地帯の建設が必須の条件である。われわれは窮乏の中に暴力革命を行うのでなく、繁栄の中に社会主義を建設しなければならないのである。その繁栄が、独占資本の繁栄ではなく、国民の繁栄でなければならないことはいうまでもない。

 このような工業地帯建設が、国政を担当する者の頭の中から生まれ、住民福祉を十分に考慮した総合計画として進められるのでなく、巨大資本の立場を中心に押しすすめられていることに責任を感じたし私は率直にいって、政治が大変おくれていることを痛感した。そうした政治のおくれの中で、最大のものが、若い世代対策である。次の時代をにぎるわれわれの陣営自身が立ちおくれているのである。われわれの陣営が、青年に高い理想と正しい行動力を与えるようになるためには、まず若がえりが必要だと思う。

 政党でも組合でも、つねに官僚化、動脈硬化の危険をもっており、いつの間にか、若い世代と血のつながりが絶たれるのである。イギリス労働党が保守党におされている原因の一つに、保守党よりも労働党が若がえり化に立ちおくれていることがあるように思われる。あえてケネディ四十二歳をまつまでもなく、この大きな変動期をへた今日、一切が若がえってこなければならないだろうか。最近銀行を先頭に財界人事の若がえりが行われているが、この点政党が一番おくれている。

 人事の若がえりは、そのこと自体が目的なのではなく、これによる古い発想からの脱皮が目的なのである。年をとりながらも、新鮮な発想力をもつもののあることを否定するのではないが、こえてきた変動のあまりにも大きかったことを思うと、やはり年齢による断層は否定できない.。

 それでは社会主義運動における新しい発想とは何か。私はこれを「構造改革」に求めた。暴力革命でなく、平和的、民主的な革命の具体的なプロセスである。最近共産党系の民青の拡大が、しばしば取上げられるが、民青の拡大の基礎は「うたとおどり」だといわれている。

 私はこのゆき方に全面的に賛成するものではないが、そこに見逃しえない一つの鍵がひそんでいるように思われる。

 若い人達の投書雑誌の売れゆきのよい話を聞かされたことがある。自分の意思を、とらわれることなく、自由に発表したいという欲求を組織するだけで、いくつかの雑誌経営がなりたつということ、ここにも一つの鍵がある。こうしたことが、その次元にとどまっていたのでは、その歴史的役割は低い。ここから脱皮し飛躍しなければならない。

 社会主義運動の骨が階級意識であることはいうまでもないが、階級意識だけを直線的に求めたのでは、少数精鋭の運動にとどまらざるをえない。若い世代の現実主義と階級意識の昂揚との間のかけ橋が必要なのである。

 私は、われわれの構造改革が、なお末熱であることを知っている。運動論、組織論としても、これからその中身を豊かにしなければならない。それよりも、一つの哲学としての組みたてが大きな問題なのである。若い世代の魂をゆるがす新鮮な体系につくりあげなければならない。容易なことではないが、これなくして日本の社会主義運動の発展はありえないし、日本民族の興隆は望みえないと思っている。


(文芸春秋、昭和37年7月号) 目次次「花のいろいろ」