新しい政治をめざして 目次次「社会主義的父親学」

開かれた政権こそ

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 ロッキードで揺れる自民党は、国会の終盤、与党として法案成立に全力投球しなければならぬ局面で、推名副総裁を仕掛人とする三木引きずりおろし工作を鳴物入りで繰りひろげ、国民を唖然とさせた。連日マスコミをにぎわす長老や実力者と称せられる諸公の言動は、国民不在の密室での談合を、政治家の本領とでも考えているように見受けられ、これが保守本流政治家の体質だと、あらためて考えさせられた。争いは目下のところ「三木のねばり勝ち」と言われているが、勝ったのは三木首相ではなく、「ロッキードかくし」を許さぬ国民世論であろう。日本の民主主義健在が強く感ぜられる。

 「ロッキード」がおきなくとも、保守本流政権の命脈はつきんとしていた。戦後三十年、政・財・官の三位一体に、右翼や政商までからんだこの政権は、ひたむきに走りつづけた高度成長路線が壁につきあたり、低成長必至となったにもかかわらず、状況の変化に対応した切りかえができない。危機や転換を口にしても、からだがついていかないのだ。膨大な赤字国債による景気刺激政策は、相変らず大企業中心の大型プロジェクトである。昨年、衆議院を全会一致で通過した独禁法は、簡単に棚上げされた。福祉は後退し、地方財政は矛盾のシワよせで身動きができない。旧来の路線からの転換は、所詮自民党ではできないことである。終幕の迫っているところへ、「ロッキード」の痛撃をくらい、まさにとどめを刺されようとしている。

 議会制民主主義のよさは、この場合、野党が代って政権につくことにある。だが、国民のなかから、その声が盛り上ってこない。世論調査によれば、「支持政党なし」だけがふえつづけ、国民の三分の一以上に達してしまった。議会制民主主義の形骸化であり、危機である。「椎名工作」に対する世論の反発は、わが国の民主主義が根なし草でないことを物語っている。にもかかわらず、こうした危機症状があらわれる直接の責任は、まさに政党にある。それも与党だけではなく、野党ともども、われわれ政治家の責任と言わなければならない。野党は明日の日本のための整合性と現実性のある政策体系を明示しないでいるだけでなく、強力な共闘も組めない。代って野党政権をという声がかからないのは、当然のことといわなければならない。価値観の多様化したこの時代に、野党が複数になっていること自体は、間違いとは言えないと私は思う。むしろ自民党が一つであることの方が正常でないといえるだろう。自民党は、さまざまの考え方をもつ流れが、ただ政権という一点において寄りあった「政権株式会社」と言える。野党の側の基本的問題点は、分れていること自体よりも、いずれの党派もが、時代おくれのイデオロギーにとらわれて有効な共闘をくめないでいることにある。

 もちろん、政党はつねに、広い意味でのイデオロギーを持つ。それが運動の統合を可能にし、大衆的な広がりと力を与えてくれる。しかし、このイデオロギーが教条化されると、外に排他性と独善がどぎつくなり、内部は「民主集中制」と称する集権と統制の論理で貫かれ、少数意見の抹殺、幹部独裁になる。そのことが最も強烈なのは共産党である。最近共産党は理論の柱である筈のマルクス・レーニン主義とプロレタリア独裁を修正するという。もっとも、それが表現上のことなのか、本質の転換なのか、発表文を読んでも、明確に理解できない。いずれであろうと、さらにまた、教帥聖職論から今回の「自由と民主主義宣言」にいたる一連の「柔軟路線」の表明があるものの、共産党のみが真の革新だという独善、いわゆる唯一前衛論と、中央集権・上意下達の組織、いわゆる一枚岩主義は、改められてはいない。この二点こそが、市民社会の論理とまっ向対立するのであり、また野党勢力結集に大きな障害となっている。

 これにたいし、わが社会党は、本来、階級的大衆政党として出発した。この規定は厳密性を欠いてはいるものの、異なる価値観の共存を認め、広く国民に開かれた党という特徴をよく示しており、事実、社会党はそのような党として、戦後日本で重要な役割を演じつづけてきた。だからこそ、五万の党員で一千万をこえる支持票をえて、これほど効率のよい政党はないともいわれたし、また、実際に、漸次的社会改革を志向する広範な国民の感情を素直に代表しつづけてきた。ところが、「マルクス・レーニン主義」と「プロレタリア独裁」を頑固に貫こうとする「社会主義協会」が、党内で勢力を強めてきた。もちろん、社会党はその内部にイデオロギーの多様性を含むべき政党であり、意見の異なるグループのあいだに公然たる討論がおこなわれてきているところに、共産党とは異なる、「自由を土台とする社会主義」を志向する本質が示されているといってよい。しかし、「社会主義協会」のイデオロギーと行動様式は、そうした社会党のなかに包摂されうる範囲をはるかに越えている。それは基本的には、日本におけるもう一つの共産党であり、いっそう硬直的で非現実的なスターリニズムの党である。このような「協会」のヘゲモニーが党内で確立されるなら、社会党は社会党でなくなり、大衆的支持基盤を失うとともに、独善によって、それ自身野党結集の対象外におかれることになる。これは日本社会党の危機であるのみならず、日本の社会主義的運動全体に、あらたな混乱と危機をもたらさずにはおかない。

 公明党は強烈な宗教団体によって、政教一致の理念で創られたことから、国民の間に拒否反応がつよい。そこに発展の限界があることは、同党自身において認識されており、広い国民の党となるために、政教分離が真剣に追求されている。そのことに真剣であるだけに、他党に対しても市民的自由の尊重をきびしく求め、この立場から共産党との政権共闘を拒否しているのが現状であろう。

 民社党は、民主社会主義を唱えて、社会党から分裂した党である。本来の民主社会主義あるいは社会民主主義が、複数の価値観の共存を認める市民社会の論理にたち、その発祥の地である西欧諸国において、政権党となっている。それが日本で何故発展しえないのか。一つには、戦前、戦後、マルクス・レーニン主義が怒濤のように押しよせたなかで、社会民主主義が正当に紹介されなかったという歴史的事情があるが、直接には、民社党とその支持層が、社会民主主義を反共の一点に矮小化し、反共を理由にして保守層との安易な妥協に走り、主体性に欠けることが、発展の妨げになったように思われる。それとともに、民社党の諸君の去ったあとの社会党が、ややもすれば硬直さを国民から批判されるに対し、社会党との差異を強調するあまりの勇み足もあろうし、少数党のあせりもあろう。スト権ストに対する処分の強調などその一例といえよう。

 野党各党がこのようであれば、現在の社会党の執行部の主流の意見として繰り返し唱えられている「全野党共闘」は、現実のものとなりえない、という見解を私はもっている。共産党と公明・民社両党との間に、越え難い溝があるばかりか、社会党も共産党との共闘において、度重なる苦汁をのまされてきたことから、共産党への不信感が党内につよいのである。当面、全野党共闘は「幻」の域を出ない。もちろん、この状況が固定するとは断定できない。共産党の「自由と民主主義宣言」が、同党の体質を本質的にかえないとは言えない。共産党が、社会主義の本義にたちかえり、過去の重大な誤りを自己批判して、全体主義的体質を根底から払拭することができるのであれば、日本の政治のために喜ぶべきことであり、私も政権共闘の成立のために努力することにやぶさかではない。しかし、共産党の方針はあまりにもめまぐるしく変更されており、しかもその変更の過程そのものが全体主義的で操作社会型の方法に満ちており、実践面では独善があまりにも強かった今日までの経過をみると、他党からの疑念、不信感を容易に解消させることができず、現在の段階では、共産党を除く政権共闘を選ばざるをえないと私は考える。政権以外の、個々の限定された課題での共闘は別である。目標が一致するかぎり、共闘を進め、その過程において、共産党の独善をおさえ、脱皮を求めるべきであることは、いうまでもない。

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 われわれが直面している問題は、いかにして多数派となり政権の交替を実現するかだけでなく、もっと深く、議会制民主主義と政党政治のあり方そのものが、改めて問題にされなければならない状況にあることだ。

 議会制民主主義のもとでは、イギリスの二大政党をモデルとする考え方が、これまでわが国で支配的であった。イギリスの保守、労働二党間の政権交替というモデルの延長線上に、保守、革新の対置が考えられ、マスコミの報道や論調もこの図式に支配されがちであった。しかし、私は先頃、議会制民主主義についての、日英議員のシンポジゥムに参加したとき、英国の議員の口から、二大政党制の再検討が提起されたことに、強い印象をうけた。その理由の一つは、激しく対決する与野党二党間の政権交替からおきる大幅な政策の変更による国民各層のとまどいであり、いま一つは、第三党への投票が議席数に正当に反映せず、得票率40パーセントの労働党が政権につくことへの国民の不満だと説明された。私はそれだけではないと思う。たとえは、労働党はEC加盟について自由投票をとらざるをえず、ウイルソン政権の公共事業費削減には左派の反乱をみた。価値観の多様化とともに、大政党の意志決定に、一つにしぼることの無理が表面化してきたといえるのである。米国では、議員の行動が党に拘束されないで行われている。

 こうみてゆくとき、「一枚岩」の大政党は、公的生活の領域において反映される多様な利害を調整するという、成熟した民主主義的社会の政治の、基本的機能を遂行するのに適さないものとなりつつあるのかも知れない。それならば、小党分立も現実に即している一つの型態と考えることができるのではないかと思われる。小党分立は当然小党連立になり、不安定だと言われるが、もし、連立する諸党のあいだにいくつかの基本的方向についての合意があり、調整の努力がおこなわれ、それが広範囲の国民の支持を獲得することを保証するものであれは、相当の安定性のもとでの、現実的な進歩、改良も可能になると考えてもよいのではないか。

 自民党は、すでに一党であることが不自然といえる状況を露呈しつつある。しかし、「政権株式会社」の性格をもつこの党は、容易に分裂はしないであろう。同時に、この腐臭に耐え切れなくなっている議員のいることも事実であり、連立による新しい改革的な政権の成立が現実的に可能だという条件が創り出されるなら、決然と脱党して、この新しい流れに身を投ずる議員がでるであろう。すでにその徴候はあらわれつつある。西独社民党の大連合の経験、イタリア共産党の最近の動向にもかかわらず、日本においては、保守本流との連立は、断じて選んではならぬ道である。三十年間の一党支配により権力機構が固定化し、腐敗が体質化した自民党を、政権の座から追放することこそ、日本の民主政治前進の大前提であり、その補修に手をかし、延命させてならないことはあまりにもあきらかなのである。

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 連合政権樹立のためには、そこに参加する諸政党と支持勢力のあいだに、主要な政策についての合意が成立しなければならない。もちろん、容易なことではない。しかも、わが国は内外両面において重大な転機に直面しており、山積する難問の解決が求められている。しかし私は、近年において、専門家の意見がおどろくほど共通の方向を示し、またそれにはおどろくほど広範囲の支持がよせられているという経験をすることが少なくない。

 今日、きわめて多数の国民が、筋道の通った改革的な政策の採用を望んでいることは疑問の余地がない。改革の気運は高まっているといってよい。しかし、他方、多くの人々が現状の急激な変化を望まず、不用意な政策によって事態を混乱させ、悪化させることにたいして強い警戒を抱いていることも事実である。多くの人々が、粍後の改革以来、ともかく定着してきた円山と民主主義の根底が払われることのないよう切望している。まだ多くの人々は、われわれの選択が、さまざまなきびしい制約のなかで行われなければならないことを知っている。したがって、「根底的な意味をもち、長期的な展望をもった有効な改革の、慎重な検討にもとづく漸次的な遂行」という其本路線こそが、日本国民の多数意見であり、これこそが革新的な連立政権とその安定性を保証するであろう。

 この基本路線にたっての、政策の基本的な課題は、いうまでもなく、旧来の高度成長の路線、工業化中心の政策からの脱却をはかることである。過去二十年、がむしゃらに進めてきた経済成長は、資源、インフレ、発展途上国の発言権強化などにより、世界的に低成長への転換を必要とする状況につきあたっている。高成長に伴う各種の深刻なひずみは、私的資本の気ままな行動を、これ以上許してはおけないことをあきらかにし、国民福祉という公的原理にたった経済の計画的運営の必要を提起している。しかし、この場合の「計画」は、ソ連型国有経済にみるような、市民的自由を大きく制約する官僚中心の統制経済であってはならない。ルールの確立を前提とする競争と創造と多様性を保障する新しい制度の組合せが求められるのである。

 計画の内容は、完全雇用、インフレ抑制、国際収支の均衡など国民経済のマクロ的調整である。そしてルールは、労働基本権、独占禁止、環境保全、消費者保護などについて、明確な基準の設定であり、この上にたって分権制とマーケット・メカニズムを生かしてゆくことである。さらに、世界的に資源が有限であり、食糧も人口増に伴った供給に不安があるという大きな問題がある。そのなかで日本は無資源であり食糧自給率が四割というのが現状である。この状態にあって、われわれはいたずらに経済の拡大を求めず、分配の公正による生活の均衡と安定を主眼としなければならない。この観点から、国民生活のミニマムについては、公的に保障される制度が必要であり、ここに優先的に資源と資金が配分され、社会保障、社会福祉充実の大きな柱としなければならない。

 われわれの目指すところは、真の人間の自由であり、自主性の尊重である。これには、権力が抑制され分権されなければならない。巨大企業の独占禁止とともに、政治権力についても、富国強兵の明治以来の中央集権を改め、地方分権とすることが必須である。同時に、あらゆる決定に国民の参加が制度化されることが重要である。議会制民主主義をいきいきとしたものにするため、直接民主主義的参加の拡充、住民主体の地方自治、今一つ、企業経営への労働者、地域住民、消費者の代表の参加である。かくしてこそ、ルールが広く市民の監視のなかで、正しく貫かれることになる。

 高度工業社会において現実性をもちうる経済体制は、一口で言うなら混合体制である。それはいわば、私的原理・産業社会の論理と公的原理・市民社会の論理の混合体制であり、革新とはその比重を後者にうつすことである。それは長期的な過程を通じて、工業化の論理そのものを、やがては超克しようとする壮大な人間主義のたたかいである。もちろんこのたたかいは、経済や政治の分野においてのみすすめられるのではない。商業主義に毒された文化、自由な人格と創造とに逆行し、企業メカニズムに組込まれるための人間選別に堕した教育、さらには大量消費を強いられる空虚な生活様式などが、広く取上げられねばならず、いうならば、日本特有の方法による文化革命を必要としているのだ。

 高度成長一筋の日本外交は、発展途上国からだけでなく、広くエゴイズムの非難をうけており、ここにも転換が迫られている。元来、外交は内政の延長であり、反映である。内にあって、底辺層に冷たい国が、発展途上国に理解ある対応のできるはずがない。今や世界は、国際民主主義の時代であり、これに処するためにも、内政の改革が求められるのである。他方、米国との安保条約の問題がある。われわれは、いかなる国とも軍事同盟を結ぶことに反対であるが、既存の国際条約の廃止には、慎重に対応しなければ、意外な混乱を生むおそれがある。われわれのアプローチは、朝鮮半島の平和的統一の実現など、アジアにおいて安保条約を必要としない国際環境をつくることに努力を傾注することである。総じて、われわれが国内において、独自の認識にもとづいて「自由を土台とする社会主義」の運動前進による漸進的改革の路線を定着させることは、「反共か親共か」という不毛の二者択一からわが国の外交政策を解放し、中立政策の内在的基盤を確立することになるであろう。

 問題は以上のほかにもあるし、煮詰めてゆかねはならぬ点も多い。しかし、狭いイデオロギーにとらわれないで話合うことができるなら、コンセンサスは生まれうるのではなかろうか。今や、イデオロギーの権威は凋落し、具体的政策の時代である。

 松前東海大学総長の提唱による「新しい日本を考える会」に、私が参加しているのは、こうしたコンセンサスを生み出す努力を行う一つの場としてである。政党には歴史があり、建前があり、政党間の率直な話しあいは、容易に進まない。だからこそ、支持政党なし層が年とともにふえるのだ。私は、六年前に長期低落のフランス社会党に参加し、党外各層から四百人の人々の参加をえて、新しい綱領づくりをなしとげ、フランス社会党の奇蹟のカムバックに成功したミッテランのことを想起する。「考える会」は、直接に政党結成につながるものではなく、新しい日本のビジョン、そこに到る政策体系のコンセンサスをつくるのが目的であるが、その果す役割は大きいと思う。いまや、革新の保守化ともいわれ、革新と称する側が、現代に適応した政策づくりに、はなはだ怠慢の状態にあることは否定できない。現代における真の革新とは、旧時代に固定化されてしまった左翼的なイデオロギーや公式をふりかざすことではなく、内外の制約条件を無視した大言壮語に酔うことでもなく、現実を一歩ずつ改革して遠きに到る道を見出すことなのだ。

 かつて私は、「構造改革論」を提起したが、社会主義の歌を忘れた改良主義だとレッテルをはられ、手も足もしばられた。しかし、現在の状況は、葬られたはずの私の提起を、共産党にいたるまで、「構造改革」という言葉こそ使わないが、実質的には取りいれているのではないかと思われる。今回の「考える会」への私の参加についても、一方的な解釈もまじえて、さまざまな批判がある。はっきりさせておきたいことは、私にとっての最大課題は、新しい党をつくることではなく、社会党を本来の路線にたち返らせることである。社会党が国民にとって、わけの分らぬ党であっては、ひとり社会党の不幸というだけでなく、日本の社会主義運動全体に、とりかえしのきかない低迷をもたらす。社会党を改革することが、日本の政治を革新することだとの私の信念を明確にしておきたい。


(中央公論、1976年8月号) 目次次「社会主義的父親学」