構造改革論の思想的意義と現実的課題 目次次へ

八、 『構造改革論』の現実的課題

― その論争点をめぐって ―


イタリアの土壌で生まれ、イタリアの土壌の上に築かれた『構造改革論』は、日本ではほとんど根を下ろすことができなかった。何故に日本では『構造改革論』が育たなかったのか。その理由はたくさんあるだろう。しかし、そのことは、『構造改革論』が日本にとっては無用なものだということにはならない。確かに、『構造改革論』にはまだ多くの疑問、難問が横たわっている。その上、これは何と言っても新しい理論である。思想体系といわれるところまで成熟しているとは到底思えない。しかも、もとよりイタリアという特殊な社会構造の中で形成された特殊イタリア的な理論であり、理論そのものにしても、又実践としての『構造改革路線』にしても、最後までイタリア的体質が色濃く反映している。しかし、『構造改革論』は特殊イタリア的でありながら、また同時に特殊イタリア的ではない普遍的性格を多くもっている。日本で『構造改革論』が導入され、一時的ではあったが、実践的プログラムとして採用されたのは、その普遍性に立脚した独自の『構造改革』−日本路線を形成しようとしたからに他ならない。

すでに見たとおり、イタリア『構造改革路線』の出発点には、トリアッティの言う「世界の客観的構造の変化」という新しい局面が大きく作用している。つまり、『構造改革路線』は何もイタリアという特殊な風土の枠の中だけで形成されたのではなく、そこには常に世界の中のイタリアという基本的な考え方があり、その構造的変化―新局面に適応しようとする積極的な姿勢がある。そして、この一定の国際的、歴史的条件から生まれる可能性を高く評価し、この可能性を最大限に押し進めようとするところに『構造改革路線』の大きな意義がある。平和共存や戦争の回避の可能性、或いは民主主義や議会主義の発達が、権力獲得の方向を単なる力や武力に頼ることを許さなくなっている情勢、従って資本主義を暴力によって変革することの困難性などを、積極的に受け入れて、そこから新しい革命への方向を探り出そうとしたところにイタリア『構造改革路線』の普遍的性格と言われるものがある。

『構造改革論』に対する疑問、或いは批判的見解の代表的なものは、「それは“修正主義”あるいは“改良主義”ではないか。」、「権力獲得は単に多数を擁しての『構造改革』の積み重ねによって実現されるであろうか。」、「『構造改革』の具体的方法はなにか。」といった問題である。こうした疑問ないし批判的見解に対して、イタリア自身、誰もが納得できるような明確な回答を与えている訳ではない。しかし、それは『構造改革』という路線が、なんといっても新しい試みであり、(それに似たものはあったが)歴史が経験しなかったものである(すでに見たロシア革命におけるレーニンの過渡的改革(「四月テーゼ」)は、これと同一視することはできない。)以上、結果は歴史の推移を待つ以外にはないということであり、したがって、『構造改革』の革命方式が単にマルクスやレーニンの古典的な教条や公式論から逸脱しているからと言って、それのみを基準として批判或いは評価しようとすることは決して正しいとはいえないであろう。

もともとグラムシやトリアッティが『構造改革』を提起するに至ったのは、「社会主義とは、単なる公式的理論の問題、或いは単なる教条的実践の問題ではなく、現実そのものにおいて、理論を実践的に実現していく一体的な運動に他ならない。」という基本的は考え方があったからである。ここから、「社会主義へ到達するための方法はさまざまであって、それは何もロシアの十月革命を模範としなければならないものでも、中国の人民民主主義革命を模範としなければならないものでもなく、又、実際、歴史的、社会的条件の異なる国家が全く同じ型の革命を経験するものでもない。イタリアにはイタリアの異なった革命の型があってもよいはずである。」という定式が生まれ、この定式から「社会主義へのイタリアの道」という方向が設定される。こうして、マルクスやレーニンの公式論を充分に受け入れながらも、決して、その教条や公式論のみにとらわれず、“各国における社会主義への道は多種多様でありうる。”という基本的見解に基づいて、イタリアという特殊な土壌の上に独自の性格をもつ革命の方針を打ち出したものが『構造改革路線』に他ならない。したがって、それは、マルクスやエンゲルスやレーニンの公式論だけをより所にしているマルクス主義者から見れば、明らかに「修正主義」のレッテルを貼るに値するものである。しかし、実際には、歴史上すでに経験されたいかなる革命(ロシア革命にしても、中国革命にしても)も、それらがすべてマルクスやレーニンの理論を忠実に実行に移したことによって始めて成ったのではない。確かに、一方ではそれらの理論なり思想なりが、指導上の大きな精神的武器となり、他方では、実際に社会主義革命への具体的な戦略・戦術としての重要な役割を果たし、革命の方向を規定する上での主要な指標となった。その意味でマルクスやレーニンの業績は偉大である。だが、革命を最終的に方向づけるものは、その国の歴史的、社会的条件であり、より以上にそのような客観的条件を革命へと転換させていくだけの階級的力関係、即ち革命の主体的条件に力と勇気を与える点ではきわめて大きな役割を果すが、客観的条件と主体的条件により多くの作用を受ける社会主義への実際段階においては、理論はあくまで理論であって、そこにマルクス=レーニン主義の訂正或いは修正が行われることは、むしろやむを得ないことであり、それを「修正主義」という悪名の一句で簡単にかたずけようとすることは、マルクス=レーニン主義の創造的発展にとって、大きなマイナスであると言わなければならない。社会主義思想を形成したマルクスやレーニンの本懐も、おそらくは、後世において彼らが形成した理論なり思想なりを、歴史的発展の中で創造的、発展的に修正し、訂正して、新しい歴史的段階に見合った新しい強固な社会主義思想を創り出していくことにあったのではないかと思われる。

イタリア『構造改革路線』を評価する時、常に問題となるのは、革命の具体的方向、即ち『構造改革』による権力獲得の問題である。つまり、憲法に依拠する闘争、多数派による経済改革要求などを通じて、独占の支配力を弱め、こうした積み重ねによって次第に労働者と農民が民主政府の主軸にのし上がる――そうしたことが果して可能であるかどうかということである。しかし、これについては、先に述べたと同様、『構造改革』という路線がかつて歴史が経験しなかった新しい試みであり、しかも、イタリアの歴史的、社会的な客観的条件、そしてより以上に革命の主体的条件が決定することであって、『構造改革』による権力獲得がいつどのように達成されるかは誰も予言することはできない。ここで、問題となるのは、そのような権力獲得が果して可能かどうかということではなく、イタリア路線が、すでに述べた"世界の客観的構造の変化"から生まれる戦争回避―平和共存の可能性、民主主義議会主義の発展に基づく革命平和的移行の可能性等を、これまで以上に増大してきたものと解釈している点である。しかも、同時にこの路線が、このような可能性を有利な展望と見なし、一方で、反ファシズム闘争の勝利と新憲法の獲得という、同様に有利な主体的条件とを組み合わせて、新しい可能性と展望の中から、独自の革命の方向を確立したということである。

『構造改革路線』はもとより、いかなる革命もその究極的目標は、社会主義権力の獲得にあることはいうまでもない。その権力獲得を平和的に行うか、或いは暴力に基づいて行うかというところに、革命方式の多様な道が開かれる。そこで、『構造改革路線』は、最終的、形式的には社会主義への平和的移行を目的とするものであるが、その平和的移行は、トリアッティ自ら述べているように、あくまで絶対的義務として提示されている訳ではない。それは、平和的移行の「可能性」に導かれて必然的且つ相対的に提起されたものである。トリアッティは、「社会主義への道が平和によるか暴力によるかは、労働者階級ではなく、支配階級の意志によって決まる。」と何度も繰り返し述べている。要するに、『構造改革路線』は、「構造改革」という言葉どうりに、『反独占―構造改革』だけを、革命、即ち権力獲得の絶対的方向としているのではなく、そうした衝突の情勢にも対応する準備を整えながら、他方では平和的移行の可能性に向って革命への有利な主体的条件を拡大し強化してゆこうとすることなのである。従って、『構造改革路線』が暴力革命を否定していると見るのは大きな誤りであるといわなければならない。

しかし、こうした革命方式が可能なのかどうかはなかなか疑問のあるところである。そこに『構造改革』が今なお批判の的になっている理由がある。即ち、「『構造改革』は“改良主義”ではないのか。」という批判である。もとより、“改良主義”とは、資本主義制度の枠内で漸進的に社会主義社会の実現を図ろうとし、またそれが可能であるとする思想であり、いわゆる部分的改良を積み重ねることによって、社会の変革を実現しようとする考え方である。そして、その根底には、暴力革命を否定し、部分的改良を量的に積み上げて、体制変革を行おうという、いわば「なしくずし的革命」の考え方がある。そこで、『構造改革』を、単に資本主義経済構造の改革と言う点だけでとらえて、このような一般的な“改良主義”の概念を当てはめようとするならば、それは確かに“改良主義”に陥るという結論も出てくるかもしれない。しかし、すでに見た通り、『構造改革路線』が最終的に目標としているのは、経済のみならず、政治、社会構造全体に亘って、広範な大衆組織による「下から」の変革を行うことであって、それによる階級的力関係の修正であり、それを土台として社会主義への接近を意味するものである。そして、この闘争が勝利を得るためには、あらゆる分野における日常闘争の積み重ねが必要であり、この積み重ねられる闘争の有機的結合が必要であり、この有機的結合をより効果的にするために広範な統一的大衆行動が必要となってくる。したがって、もし、『構造改革』がそれ自身一つの独立した事項として提起されるならば、そして、とりわけイタリア路線が重視している統一戦線、階級的同盟、新しい多数派の結成といった問題を、これとの有機的な連関としてとらえないならば、『構造改革路線』そのものの有効性は著しく弱められ、結局"改良主義"への道を歩むことになるであろう。

そこで、『構造改革路線』に与えられている現実的課題は、何よりも、それ自身を自己目的化することではなく、あくまで社会主義への前進の道を切り開く闘争の“手段”として、広範な大衆運動を組織し、指導することに成功しなければならない、ということである。『構造改革』だけを単独の方針としてとらえ、単に労働者階級の生活改善への闘争を積み重ねていくことではなく、『構造改革』を部分的、量的変革から、根本的、質的変革へと発展させ、一貫した政治指導方針のもとに大衆の組織化をはかり、社会主義への「闘いの意識」を固く保持することである。次のように述べたトリアッティの言葉はこのような『構造改革路線』の現実的課題に自ら明確に答えたものである。「構造改革の闘争の先頭に立つものは、革命前衛に導かれる労働者階級でなければならない。そして、この闘争そのものの進行の過程で、社会主義への前進の戦線は次々と新しい社会層に広がってゆかなければならず、この闘争から労働者階級と国民全体の中にますます強力となっていく社会主義的意識が生まれてこなければならない。こうしたことが残らず成し遂げられるのでなければ、それは単なる大言壮語に終わるだろう。我々が一切の中心においているのは、大衆運動であり、労働者階級と農民と中小生産者階級の、つまり人口の大部分の経済と自由と平和の諸要求の為の闘争である。勤労者の統一は、この運動とこれらの闘争を組織し、成功させるための最も効果的な手段である。まさしくそれだからこそ、我々は構造改革の闘争を勝利させるためにも統一を要求し、統一を擁護し、統一を拡大しなければならないのである。」 ―と。


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