2003年7月18日 >>公述人意見

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156 参・外交防衛委員会公聴会−(2)イラク復興支援特別措置法案について

質問者=森元恒雄(自民)、若林秀樹(民主)、山本保(公明)、吉川春子(共産)、広野ただし(自由)、大田昌秀(社民)


平成十五年七月十八日(金曜日)

○理事(阿部正俊君) ありがとうございました。
 以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これから公述人に対します質疑に入らせていただきます。
 なお、公述人の方々にお願い申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得ていただくようにお願い申し上げます。また、各委員の質疑時間が大変限られておるものですから、御答弁はひとつ簡潔にお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。

○森元恒雄君 自由民主党の森元恒雄でございます。
 公述人の方々には、大変有意義なお話を今日はお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
 私は、石油エネルギーを始め中東地域において大変重要なポジションを占めておりますイラクの復興支援活動に日本が積極的に、その持てる権限、権能、力の範囲内ではありますけれども、参画していくということは、国際的な責任を果たすという意味でも、またあるいは日本の国益にかなうという観点からも大変望ましいことであるというふうに思っております。
 ただ、非戦闘地域での活動といえ、身の危険が全くないわけではない地域でありますし、また気象条件も日本とは全く違う非常に過酷な地域でございます。そういうところで活動される、国のあるいは国民の期待を担って活動される方々に対して、やっぱり国会がこぞって賛意を示し、この法案を通していただくということを是非願っておるものでございます。
 そういう観点から数点お聞きしたいと思いますが、まず上田公述人にお聞きしますが、先ほどのお話の中で、いわゆるこういう復興支援事業などに対する日本の国内と国外の意識に相当のギャップがあるというお話がございました。そしてまた、このレジュメにも、今回の派遣は国際的な常識的期待に沿うものだと、こういうように書かれておるわけですけれども、その辺のところについて、もう少し詳しくお話をいただければと思います。

○公述人(上田愛彦君) 申し上げます。
 私たちが今まで接触している人は、どちらかというと賛成の方に近い人だろうと思いますけれども、自分で考えてですね。反対の人もたくさんいらっしゃいますけれども。内外の差が相当あるというのは、これは避けられないことで、日本がこの五十年間、だれが悪いわけではありませんけれども、そういう安全保障、広がってしまった今の安全保障、防衛、そういうものについて、だれが悪いわけではありません、国会が悪いわけではありませんけれども、余り真剣に考えてこなかった結果、そういう差が生じているなというふうに思っております、ほかの国とですね。
 ですけれども、ほかの国にももちろん反対の方もたくさんいらっしゃいますしですね。だけれども、その平均的な、我々が接触した範囲で平均的なことを申し上げれば、どうも日本はそういうところから並外れて後れているのではないかなという気がしております。どの国とは申し上げません、ほとんどの国ですね。

○森元恒雄君 そういう現状の中で、今回の特措法が成立して従来の枠から一歩前に踏み込むということを行った場合に、そのギャップがどの程度埋まるのか。あるいはまた、こちらのレジュメ三番目に書いておられますように、将来に向かっては恒久的な法整備を図るべきだと書かれておりますが、しかしその際も、憲法を始めとした様々な制約が現存しておるわけで、そういう状況の中で恒久的措置を講じたとしても完璧にはこのギャップ差というものは解消しないおそれがあるんではないかという気もするんですけれども、その辺についての御見解をお聞かせいただければと思います。
   〔理事阿部正俊君退席、委員長着席〕
○公述人(上田愛彦君) これはもちろん憲法の制約がありますから、無限にそれが伸びていくということはもちろんありませんし、現在は憲法のもうぎりぎりのところに来ているのではございませんか。いろいろ苦労しながら、いろんな方がおやりになっていらっしゃいますけれども、じゃ憲法を直すにはどうすりゃいいかという別の問題になってまいりますけれども。憲法の許される範囲でぎりぎりのところで知恵を絞っていくと、それが今日の状況。
 それからさらに、もし十年あるいは二十年、長い目で見るんであれば、憲法を全然触らずにずっとやっているというのは非常にまたおかしいのではないかと思っております。ドイツなど、基本法は四十何回か直しておりますですね。日本だけがそういうずっと、情勢が相当変わっているのにそれでいいということはないというふうに思っております。
○森元恒雄君 この二番目のところで、万一危うくなったら、危なくなったらそのとき逃げろは全く成り立たないと、こう書いておられる。それは具体的なケース、その現場のケースがそういう事態に立ち至ったときというふうなことを前提として理解すればこれはそのとおりかと思いますが、しかし、日本政府が今回自衛隊を派遣するのは非戦闘地域、極力安全であるということを見極めた上でということを前提としているわけですし、情勢はいつどういうふうに地域的にも時期的にも変わるか分からないと。そうしたときに、しばらく前まではその地域全体が比較的安全だと思われたところも急に事態が変わる、変わりますよね。そういうときでもこういう、おっしゃっている逃げろは成り立たないということであれば、そもそも非戦闘地域ではなくて、そういうことの地域の限定をしないで派遣するということにつながるのではないかというふうにも読めるんですけれども、この辺のお考えはいかがでございましょうか。
○公述人(上田愛彦君) これは最悪の場合を言っているのでございまして、それ以前に尽くせる手は全部尽くしていくと。つまり、今でいえば戦闘地域には行かない。ですけれども、日本自身もそうなんでございますよ、どこでどういうことが起こるかなんてことはあらかじめだれも保証できないわけです。戦闘地域じゃないと思っても、ある日あるとき突然、戦闘という言葉がいいかどうか分かりませんけれども、そういう悪い人間が現れてくることは当然あり得ますから、その最悪の事態のことを申し上げたつもりでございます。
○森元恒雄君 もう一点、お聞きしたいと思いますが、世界の平均的水準並みの名誉を与えるべきではないかと、こういうふうにおっしゃったわけですけれども、この名誉ですね、具体的にもう少しその中身をお話しいただければと思います。
○公述人(上田愛彦君) 現在、日本にはそういう意味の栄典制度というものはないと思っております、公務員全部同じですから。ですから、そういうものから基本的にバランスを取って考えなければいけないことではございますけれども、具体的に申し上げれば、そういうところへ参加した全員には、勲章という言葉がいいかどうか分かりませんけれども、例えばそういうものです。旧ソ連などでは、平和が維持されたんだから全員に勲章をやろうよと、そういうようなことも言われていた時代がありましたけれども、勲章をもらってうれしいかどうか、それは分かりませんけれども、国民全体に支持されたというあかしでございます。
○森元恒雄君 次に、板垣公述人にお聞きしたいと思いますが、先ほどお話しいただいた中で、イラクの復興、平和の維持あるいは一体性の確保、こういう事柄について、一九二八年のサンレモ会議に日本も加わっておるわけだから主体的な立場で関与するにしても積極的な役割を果たす責務を、責任の一端を日本自体が負っているというお話だったかと思いますが、その上で、単に安全な場所であるかどうかというふうな観点から行動するのではなくて、より積極的な役割を果たすべきではなかったのか。例えば、バグダッド周辺で活動を展開するということが日本のそういう責任を果たすことにつながるのではないか、こういうお話であったように私は理解をしたわけでございますが、もう少しここのところをかみ砕いてお話しいただければ大変有り難いと思います。
○公述人(板垣雄三君) ただいまのお話の中で、サンレモ会議は二八年というふうに言われましたけれども、一九二〇年でありますので。
 私の方で申しましたことは、安全な場所というものを探すという、そういうところで、私の公述の最後のところでは十分な地域研究上の知識というものの裏付けにおいて調査が行われるべきであるという、そういうことも申しましたけれども、私の見るところでは、今、イラクの中で安全な場所はないと思います。
 それは別の、公述の別の場所で申しましたように、イラクの中の住民の様々な要素、この人々がそれぞれ自分自身のアイデンティティーというものについて様々な在り方というものを持っておりますが、そういう人々が、期せずして今、次第に自分たちはイラク人だという、そういう意識を固めつつある。この意識は、実は一九九一年以降、湾岸戦争後、次第に強められてきたところであると私は見ておりますが、そのためにサダム・フセイン政権も言わば生き延びることになったという、そういうことがありますけれども、現実にこのたびのイラク戦争を経まして、占領の下でイラク人という意識が広がり、そして、殊にアメリカの占領に対する抵抗運動というものが広がっている。これは、先ほど申しましたように、旧バース党の残存分子の活動というようなものでは必ずしもない、そういうものも確かにありますでしょうが、むしろ新しい局面を迎えている。
 そういう状況を見ますと、安全という場所探しではなしに、むしろ自ら安全を作り出していく努力というものが必要である。そしてまた、イラクの一体性というものを考えていく上では、今やその新しい局面の中でバグダードという地域のその都市と、その周辺の地域というものの意味が一層重要なものになってきている。したがって、北のクルド人が多く住んでいる地域とか南の方のシーア派の人々が多く住んでいる地域とか、そういうところで個別の問題に対処するというよりは、イラク全体というものをつかんでいくような、そういう主体的なアプローチと認識の深化という、深める深化というものが必要であるということを申したつもりであります。
○森元恒雄君 そうしますと、確認の意味でお聞きするんですけれども、先生の御見解ですと、安全ということを第一に行動基準を考えるんではなくて、あえて言えば、少々リスクがあっても、何が日本として果たすべき役割かということを第一に置いて具体的な行動方針、行動場所等を考えるべきであると、こういう理解でよろしいんでしょうか。
○公述人(板垣雄三君) 私が言っておりますのは、身の危険を冒してでも何でもやれというそういう意味ではございません。安全を自ら作り出していくということが必要であるという、そういうことを申しました。
 そして、さらに、私の公述の中で強調したつもりでありますけれども、この言わば武装活動と申しますか戦闘行為にかかわらないというこの原則といいますか、この点は、アメリカが考えている今やテロとの戦いというそういうところでは、至るところで対テロ戦争を展開する、言わば至るところに戦闘行為があり得るんだというそういう前提に立っている、それとは明らかに我が国の立場が違うのだということを明確にしていく必要があるという、そういうことも言いたいわけであります。
○森元恒雄君 それでは、次に小川公述人にお聞きしたいと思いますが、先ほどのお話の中で国会の議論始め、まだ専守防衛ということが十分理解されないままに議論が行われているというお話がございまして、その点でちょっとお聞きしていて私自身が理解がまだ十分いかないものですから、そこをもう少し具体的に、細かく、詳しくお話しいただきたいんですけれども、先生は、専守防衛の構造と、構造という言葉を使っておられますけれども、ここで言わんとしておられるこの構造というのはどういう意味なのかというのをまずお話しいただきたいと思います。
○公述人(小川和久君) 大変重要な御質問、ありがとうございました。
 実は、それを説明するためにはパワーポイントの仕掛けを持ってきたりなんかしないと、多分、日本国民の大部分が軍事組織に所属したことがないから、理解なかなかされにくいんだと思います。
 ただ、私は、専守防衛の構造という表現ではなくて、自衛隊の構造という言い方を取ったんですが、海を渡って外国を席巻をするというのは、陸海空の、これは具体的に言いますと軍事力でありますが、それが可能なような組立てになっていなきゃ無理なんですね。単に航続距離が長い飛行機を何機か持ったから侵略になるというのは、これは幼稚園の議論であります。やっぱり海を渡ってどこかの国を攻めてその国の軍隊と戦って占領するためには、最終的には百万単位の地上戦力を送り込むことができるような構造になっていなきゃいけない。
 ところが、我が国とそれから旧西ドイツ、あるいは現在のドイツの軍事力というのは、再軍備の過程でとにかく自立できない形に規制をされました。特に海軍力が規制をされ、その流れの中で空軍あるいは陸軍についても、日本の場合、陸海空の自衛隊でありますが、規制をされ、海を渡って外国を攻撃するようなことはできない格好になったんですね。
 だから、旧西ドイツの場合は、例えばUボートの悪夢が第一次大戦、第二次大戦、アメリカにとってあるものですから、自国が使う潜水艦については五百トン未満しか認められない、そういった格好に規制された。その代わり、今、ソ連軍と対峙させるために、ドイツ人の非常に得意とする戦車部隊を中心とする陸軍などは突出した戦力を保有させる。
 あるいは我が海上自衛隊についても、帝国海軍の再現というのは絶対に認められないというのがアメリカのポリシーであります。ですから、アメリカと同盟関係を組みながら、その中で特に旧ソ連の潜水艦部隊を押さえ込んでいくためのASW、アンタイ・サブマリン・ウオーフェア、対潜水艦戦能力だけを突出させる、一部、機雷を取り除く能力をある程度持たせる、そういった格好にしてきたわけであります。
 この海上自衛隊の構造そのものを見ても、例えば海を渡って外国に百万単位の地上部隊を送り込むための揚陸艦艇があるのか、あるいはそのための、拠点を築くための例えば空挺部隊を、七万人とか十万人の単位で落としていくための輸送機の部隊、あるいはそれに見合う空挺部隊があるのか。全然ないに等しいわけであります。
 そういったことをきちっと一つ一つ押さえながら、我々は自らそのような構造の軍事力を持っているんだと、そのことを逆に世界にアピールし、これが日本の専守防衛の姿だということを言いながら、それを日本の原理原則である平和主義を実現するための一つのてこに使っていくような考え方があってもいいのかな、その中での議論というものをイラクの問題についても進めていただきたい、そういうことで申し上げたわけでございます。
 ちょっと舌足らずでございまして、御理解いただけたかどうか分かりませんが、重要な御質問、ありがとうございました。
○森元恒雄君 時間が来ましたので、終わります。

○若林秀樹君 民主党・新緑風会の若林と申します。
 民主党は、米国のイラク攻撃の正当性については疑義があるというふうに思っておりますけれども、イラク復興支援については積極的に参画すべきだという立場から、幾つかお伺いしたいなというふうに思っているところでございます。
 まず、上田公述人にお伺いしたいと思います。
 公述人が書かれましたセキュリタリアンの「自衛隊を斬る」というやつですね、この雑誌のコピーを見させていただきまして、これからの陸自の在り方を示唆されたのではないかなというふうに思いますが、私はここで読んでいても、この時点で海外で陸自が活躍するということまでは私は想定していなかったんではないかという、ちょっと読まさせていただいた感想なんですけれどもね。
 空とか海は、既に海外に行くということに対する接点を考えながらやっぱり行動していますけれども、陸自というのは、あくまで侵攻に対して自国の中で守るということがこれまで主務としてやっていたというときに、今回の対イラク復興支援で海外に行って、どれだけ能力があるのかということについてお伺いしたいなと思います。
 武器一つ取っても、あるいはコミュニケーション能力、コミュニケーション能力が単なる言葉だけではなくて、現地の風土、文化、様々なことをやっぱり理解した上で活動する等々を考えますと、非常に私は、まだまだ今の状況を見ると無理があるんではないか。やはり海外に貢献するというのはもちろん必要ですが、まずはやっぱり自らの能力をわきまえるということも重要ですから、今この時点で行って、あとは、じゃ、二、三か月で本当にそういうことは対応可能なのかどうかということについて、上田公述人にちょっとお伺いしたいと思います、まず。
○公述人(上田愛彦君) ありがとうございます。私の前のあれを読んでいただきまして感銘しておりますけれども。
 確かに陸自は、陸上自衛隊というものは、外へ出ていくことは全く考えておりませんでした。それは、旧陸軍が満州とか中国を考えたのと全く逆であります。日本の国内でやればいい、日本の国土、地形、日本人の体力と、それから温度差とか、そういうのに合えばいいという開発をしてきております、装備につきましてもですね。
 ですけれども、もし今度、じゃイラクへ行ったらどうなるのかと、ちょっと考えただけでも、じゃ砂嵐が来たらどうかな、使えなくなるんじゃないのかなとか、いろいろあると思います。現在、そういうことは詰めていると思いますけれども。
 これらは、ほかの国の今までの例を見ても少しは分かるんでございますね。アメリカの湾岸戦争、どうだったかとかですね。そういう研究はほんの少しですがやっておりますが、こういうことを契機に相当やらないと、これ、行けと言われても、全然、出ていったら全部駄目になっちゃうと。御指摘のとおりでありますから、これを契機にやる必要あると思います。
 それから、今回、今すぐ行けと言われれば、若干時間が要るかなと思いますけれども、一か月とか二か月は。そのくらいで今度の場合にはできるかなという気がしております。
 以上です。
○若林秀樹君 御認識としては、一、二か月準備期間があればと。行ってみないとまた分からないし、そういう能力もまた備わらないということだと思いますが、せっかくですから、小川公述人もこの辺は専門家だと思いますんで、ちょっと御認識を伺いたいなと思います。
○公述人(小川和久君) 大変重要な御質問ありがとうございました。
 今、上田公述人は私の自衛隊の十一年ほど大先輩でございますが、本当に自衛隊のトップまで行かれた方の正直な発言がありまして、そのとおりでございます。海を渡って陸上自衛隊を活動させるということは基本的に考えてこなかった。ですから、一九九二年のカンボジアPKO初参加の議論のときにも、もう本当に基礎の基礎から議論をしなければいけなかった。そういう実情でございます。
 ただ、そういう中で、私は、国連の平和維持活動の中の中心であるPKF、国連平和維持軍にしても、今回のような、戦争の後の治安を回復したりすることを支援する任務にしても、明確な位置付けというものを持たせれば、現在の陸上自衛隊であっても一定の能力を目的に向けて発揮し得るだろうと考えております。
 例えば、PKFにしても、今回の復興支援の中での安全の確保の活動にしても、例えば骨折をした場合、跡が癒着をしたりしないように一定期間必ずギプスをはめますね。そのような役割だと考えなければいけないと思います。そうであればこそ、イラクに対する戦争に反対した国も含めて軍事組織を持っていっているという側面がある。そこのところは、国益を意識して持っていっているかどうかの議論はその角度からすればいいんですが、やはり一つのギプスとしての役割は、これは軍事組織しかできないんだと。
 それは、通常の正規軍同士が直接対決をする、私のレジュメの中では連隊戦闘団、RCT、レジメンタル・コンバット・チームでありますが、そのような編成をしない状態、つまりレジメンタル・コンバット・チームは、歩兵連隊、普通科連隊に対して、戦車中隊、特科大隊、これは砲兵の大隊、それから対戦車ミサイル隊、対戦車ヘリコプター隊を付けて、リーチの長い打撃力を付けて、そういったものを三つないし四つ一個師団当たり作り替えて、そういったものを持った相手とぶつかるわけであります。こういったことは一切必要ない。とにかく、部隊装備火器の範囲内で武器を選びながら治安維持能力を持っているということを前提に、治安の回復をギプスとして果たしていく、そういった役割というのはどのぐらいの準備期間があればどうかというのは私もよく分からないところはありますけれども、今の陸上自衛隊でも十分に能力は持っているということを申し上げてよろしいのではないかと思います。
 どうもありがとうございました。
○若林秀樹君 今のお答えに関連してなんですが、上田公述人にお伺いしたいんですけれども、その上で、武器の使用基準について、今回提案されている内容で十分なのかどうか、これまでの御経験を踏まえてお聞かせいただければと思います。
○公述人(上田愛彦君) 現在までも議論されております武器の使用基準、ROEでございますね、普通の国で言っている。ですけれども、もっとやるべきことはあるのではないかなと私は思っておりますけれども、真剣に考えますと。
 それから、そういう経験がないために考えも出てこないという逆のこともありますから、いろんな経験を積みながらどの国もそういうことを考えているわけでございますね。日本はゼロからですから、いきなり理想的なものが急にできるとは思いませんけれども、最大限の努力はしているところであります、私の聞いている範囲では。
 ただ、今行ってすぐどうかなというと、いろんなことが出るのではないかなと思いますですね、実際に行けば。
○若林秀樹君 はい、分かりました。ありがとうございます。それ以上はもうお伺いしません。
 次に、板垣公述人にお伺いしたいなというふうに思います。
 まず、先ほど御発言の中で、イラク人の抵抗という言葉に少し自分自身は引っ掛かったところでございます。CPAが今、占領統治機構としてやって、これから暫定統治機構どんどん作られるわけですけれども、かつてのGHQのように日本がそれに乗っかって国が発展して、日本は親米にどちらかと言えばなっていったのではないか。
 今の御発言の趣旨を理解して聞きますと、やはり、じゃ今度新しい政権ができたからといって必ずしも親米にならない、必ずしも民主政権になるかどうかは分からない。今のやっぱりイラクという国の成り立ち、これまでの歴史的経緯からいえば、やっぱりちょっと違うんじゃないかというような部分があったと思うんですけれども、その辺はどんなふうにお考えでしょうか。これからの国づくりというところで。
○公述人(板垣雄三君) ただいまのお話で、既に統治機構なるものが、マジュリス・アルフクムという、そういうものが成立したことになっておりますけれども、イラクの人々の間ではその正統性については非常に強い疑問が抱かれていると思います。したがって、このたび立ち上げられた組織がそのまま言わば自動的に発展し、あるいは進化してイラク人自身の政府というものへつながっていくという、そういうふうな可能性というものは簡単に考えることができません。
 むしろ、先ほど私が申しましたように、現在新たに起こってきているイラク国民というそういう意識、これは明らかに今度設定されたような機構に対する反発というものとつながり合っております。したがいまして、今後の国づくりというのは決して一筋道では進まない、非常に紆余曲折のある困難な道のりということになると思います。
○若林秀樹君 その上で再度お伺いしたいんですが、じゃ、今を前提としたときに、本格的な国づくりへのやっぱり成功のかぎというんでしょうか、取りあえず今、現時点でCPA、暫定統治機構がいるという現実において、どういうことに配慮をしていったらいいのかということについてお伺いしたいと思います。
○公述人(板垣雄三君) これは、本日、私の公述の中で繰り返し申しましたように、日本の主体的かつ積極的な寄与、そして法案第一条にあります「イラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする」、この後の「国際社会」という、これはいかなる国際社会であるかはまた解釈がいろいろあり得るかと思いますけれども、少なくとも我が国の立場として、このイラクの国民による自主的な努力を支援し促進するという、こういう立場を明確に追求するという、そういうことだと思っております。
○若林秀樹君 ありがとうございました。
 それでは、小川公述人にお伺いしたいなというふうに思っております。
 先ほど来の御説明の中で、日本の原理原則に基づいたイラク復興支援というお話がありまして、途中ちょっと自分自身も分からなかったのは、前半では国連中心主義とおっしゃられながらも、最後はやっぱり日本の原理原則と国家安全保障上の理由から選択すべきということに対する、ややそのギャップがあるんではないかという感じがします。
 国連主義というのはもちろん大事にすべきですが、一方、そういう選択を取ったときに必ずしも国連と同じような方向性には私はならないんではないかという意味では、私は両方の選択の中でやっぱり日本の取るべき道があるのかなというふうに思いますけれども、その辺についてもうちょっと分かりやすくお話しいただきたい。
○公述人(小川和久君) 大変重要な御質問をありがとうございます。
 私が日本の原理原則と言ったのは、平和主義と並んで国連中心主義、これも入っております。別に、国連に従うといったようなことよりも、むしろ国連を自らの平和、国際平和実現のためのシステムとして使いこなしていくんだというのが日本の国連中心主義の基本的な考え方であろうと私は思います。
 日本では、例えば平和主義ということについても、平和主義の中身をあなたはどういうふうに考えていますかと言うと、まずそういったことを議論しないですから、欧米人だったらすぐ答えるかもしれませんが、何でしょうか、ちょっと考えて、いや戦争しないことですとか言ってね、そんなのは当たり前だという話ですよね。
 やはり世界平和を実現するということは自らの安全と繁栄に直結することであるという考え方の下に平和主義を掲げる、そのために努力をする、そのための仕掛けとして国連を使っていくというのが国連中心主義であります。だから、その二つの原理原則に沿う形に国連を動かしていって、日本がイラクの復興支援、そういったものにかかわっていくというのが一番理想的な姿であり、それが日本の主体性だと思うんですね。
 ですから、その国連の今まで取ってきた行動とギャップがあるからといって、それはそのままそれを受け入れるか、そこから外れるかという議論ではなくて、自らその国連をもっと機能させるような働き掛けをしていくべき事柄ではないかなと思って、そういうお話をいたしました。
 どうも御質問ありがとうございました。
○若林秀樹君 関連でもう一回お伺いしたいと思いますけれども、その上で、専守防衛のための日本の国際貢献として自衛隊を派遣することは憲法に違反しないというお話がありまして、そのときに、やはりここは国連中心主義なのかというふうには思いますけれども、今の状況を考えますと、今回もそうですけれども、やっぱり米国を中心とした多国籍軍、一方、やっぱり国連を中心としたそういう勢力なり考えますと、これからの日本の集団的安全保障のかかわり方ということで、常に国連だけじゃない場合があったときに、こちらの米国との関係において、これは両方やはり憲法の精神に違反しないというふうにお考えでしょうか、そのときの派遣として。
○公述人(小川和久君) 御質問ありがとうございます。
 私は国連中心主義というものを、国連を一つのシステムとして機能させるべきだということを先ほど申し上げましたが、同時に、日本でややもすると動物行動学の刷り込みのような格好で、自動的にアメリカに協力する、アメリカを支援するという言葉が出てくるということを整理するということが日本の主体性の問題ではないかと思うんですね。
 ですから、やはり国連というものが絡むかどうかということは、そのときそのときで随分議論が分かれるかもしれません。しかし、アメリカとの同盟関係があるから自衛隊を国際貢献に出すという議論は絶対避けなきゃいけない。それは、アメリカとの同盟関係は大事だし重視しなきゃいけないけれども、まず自らの考えでどうやって自衛隊を国際貢献させるのかと、あるいはさせないのかという議論がまずなきゃいけないという話なんですね。そこのところをやはり今回のイラクに自衛隊を出す議論においてもきちんと整理をしていただきたいという思いが実はあるわけであります。
 どうもありがとうございます。
○若林秀樹君 全くそのとおりでございまして、そのためにやっぱりある意味での基本法、恒久法的な原理原則をきちっとやったものがやっぱり必要なのかなと。まずそっちをやっておいた上でやっぱりイラク特措法みたいなものが、支援法みたいなのがあるのかなという感じはしているわけで、我々としても、今の枠組みの中ではちょっとやっぱり無理があるのかなというのが民主党全体の意見ではないかなという感じはしているところでございます。
 次に、栗田公述人と前田公述人にちょっと簡単にお伺いしたいんですけれども、おっしゃっている意味合いは非常によく分かります。
 民主党としても、そこまでの、一四八三までの、六八七、六七八、一四四一までのものを取って攻撃が妥当だったというふうには立っておりません。ただし、現実問題として、一四八三というものが先ほど問題だとおっしゃいましたけれども、国際社会の現実として皆がやはりそこは一致団結して投票に投じたわけですね、一か国棄権したというのはありますけれども。その現実を基に置いたときに、日本としては何をしなきゃいけないかということについて積極的に関与するというのが私は必要なことではないかなというふうに思いますので。
 お伺いしたいのは、一四八三、適切ではないといっても、これは国際社会の現実ですから、その現実と、今治安維持というものが現実的にこれは求められている、これはイラク復興支援、イラク人そのものもやっぱり求めているわけですよね。だけれども、先ほど来、医療とか、何ですか、インフラ云々というのがありましたけれども、それはもちろん大事ですけれども、治安維持がまずなければそこにも達し得ないという状況から考えれば、この国際社会の現実、そして国づくりの現実に対してやっぱりどう対応していくかという視点が抜けているんじゃないかなという感じがしていますけれども、それについてのお答えがあれば、ちょっと簡潔にお聞かせください。
○公述人(栗田禎子君) まず、一四八三決議については、これは安保理決議で、安保理で全会一致で採決されていますので当然有効です。ただ、確認したいことは、単に占領を正当化しているのではなくて、占領が存在する事実を述べ、占領軍の義務を果たすよう米英に求めているものにすぎないということです。
 二番目の、しかし実際にイラクの現状に対して国際社会が支援していくべきではないか、特に治安というお話をされました。
 治安については、これを二通りに分ける必要があると思います。つまり、一つは、本当に強盗が出るとか、武器が何か流出してどこに行ってもホールドアップになってしまって夜歩けないとか、そういう治安が乱れているといういわゆる治安の問題があります。これは、イラク人は本当に庶民が困っていることだと思うんですね。
 ところが、今イラクで一番問題になっている安全、安定確保の問題としきりに国際社会で喧伝されるのは、これはイラクの市民の間に泥棒が出るとか強盗が出るという話ではなくて、米英占領軍とそれに対する市民の抵抗、あるいは米英占領軍による市民の弾圧なんですね。この二つのレベルの治安というのは分けるべきだと思います。
 前者の問題については、基本的にはそれはイラク人の手による行政が始まって、政府のレジティマシーというものが強まっていく中で回復されていくものだと思いますが、後半の占領軍と、占領軍が存在するがゆえの占領軍と国民、イラク国民の間の矛盾から起きる衝突というものは、これは占領軍が撤退しない限り基本的には解決しないものだというふうに思っております。
 以上です。
○公述人(前田朗君) ありがとうございます。
 私は決議一四八三が問題だという趣旨を申し述べたのではなくて、決議一四八三の解釈が、日本国内で議論されている解釈が正当ではないということを申し上げたわけです。
 それから二点目は、今、栗田公述人が述べたこととほとんど同じですけれども、それに付け加えて申し上げますならば、日本政府こそがアメリカ政府に提案をして、そして安保理事会に提案をして、国連の枠組みでのイラクの復興支援、そのシステムを作っていく積極的な役割を果たしていただきたいというふうに考えております。
○若林秀樹君 時間になりましたので、終わります。

○山本保君 公明党の山本保でございます。
 短い時間ですので、すべての先生、公述人の方にお聞きすることはできないかもしれませんが、その辺はお許しください。
 最初に、板垣先生にお伺いいたします。
 大変、私伺っておりまして、私もこの前、実は与党の一員としまして初めてイラクへ行ってまいりました。こういう国、日本と比べて全く違うこの国にどういう形で貢献ができるんだろうかということを感じまして、今、先生のお話を伺いながら、なるほど、これはきちんとした文化的な、また幅広い研究、そしてそういう知見をもってこれから進まなくちゃいけないんだなという気がいたしました。与党でございますので、法案成立後と言っちゃ失礼かもしれませんが、今後も是非アドバイスをいただきたいと思っております。
 それで、今日お話しの中で二、三お聞きいたします。
 最初は、今現在ですか、イラク人としての自覚というんですか、自覚という言い方ではなく意識でございますか、というのが出てきたんだというお話でしたが、この辺は、例えば先生、宗教とか相当の差があるとか、また少数民族というのもございますよね。そうしますと、このいわゆる外圧があるがゆえに一時的に固まっているだけではないのだろうか。
 先生おっしゃいましたように、確かに国自体をつくるのが、正に合理的な理由といいますか、そういうものではない、人工的なものだと。私も初めて行きまして、あのクウェートの、最後、クウェートまで走ったわけですが、あの国との、何というか、経済的な生活の格差、無理やりつくってしまった、なるほどフセインがクウェートを欲しがったというか、元々自分の国だと言うのも、なるほどな、まあ納得してしまったわけでありますけれども。
 そういう中にありまして、片方でそういう大変な人工的なものであったのが、今、イラク人としての民族意識というんですか、ナショナリティーというようなものが出てきているというお話だったんですが、ちょっと論争的に申し上げますと、それは外圧に対して一時的なものではないのだろうか、なぜならば文化も宗教も違うじゃないかと。こういうことについてはどういうふうに御説明いただけますでしょう。
○公述人(板垣雄三君) ありがとうございました。
 このイラク人意識というものが今新たに強まっていく、そういう新たな局面に入ったということを申しましたのは、それは一時のものではないかというのは、あるいはそうかもしれません。しかし、これはもうかねてから、長い私自身のもう半世紀にわたる研究者としての仕事の中で一生懸命取り組んできたことですけれども、中東の人々を考える場合、また中東の社会なり文化なりを考える場合に、そのアイデンティティー複合という、そういう言葉で私呼んでおりますが、一人の人間が自分は何者であるかということについて、一つの在り方しかないというのではなくて、もう非常に、気も遠くなるほどのたくさんの選択肢というものを持っている。例えばということで申しますと、様々な肩書の違う名刺というのを持っていて、そして、ある状況の中でどの肩書の名刺を自分は出そうかと、この状況の中ではですね、ということを絶えず考えている。これはもう、何といいましょうか、社会の中でどういう地位にある人間かとかいうようなこととは無関係にあらゆる人がそういう考え方を持っているという、そういうアイデンティティー選択という、そういうもののダイナミックな動きというものを考えなければならないと思います。
 イラクの人々が、今、イラク人だというそういう選択肢を選ぶ方向に大きく動いている、しかも、それは明らかにアメリカに対する抵抗という、そういう方向と結び付く格好でそれが進んでいるという、こういう状況について、これは一時かもしれませんけれども、現在、非常に注目すべき局面、状況であるということです。そういう意味で、イラクの中で、ある人間は、自分は十二イマーム派のシーア派の人間だというような形で自分自身の宗教的立場というものを強く意識する、そういう場面はもうそれは十分にあり得ます。スンナ派のイスラム教徒だという認識を持つ人もおりますでしょう。あるいはクルド人だというそういう意識でそれを大きく打ち出す人もおりますでしょう。しかし、そういう人々が、今、それぞれに違うような条件の下で違う動機付けもあるかもしれないけれども、ある一つの方向に向き始めたという、こういうことは非常に重要な特徴的な問題であります。
 元々イラク人という意識がなかったかといえば、そうではなくて、むしろこれは、以前におきましては上から植え付けるものだったわけです。一生懸命、そういうふうには思わない人々に、おまえたちはイラク人だというそういう教育を施してきた。そういうことが今度は、今や違う局面になっているという、そういうことであります。
○山本保君 ありがとうございます。
 なかなか難しい内容であって、すぐに理解できたわけではありませんけれども、また勉強したいと思いますが。
 その中で、今日お聞きしておりまして、私どもといいますか政府が出したあの法案が、言わばアメリカ型とは違う、日本的な、憲法に基づく支援というものをぎりぎり出したというふうに読めるのではないかというような御評価をいただいたのではないかなと思っておるんですけれども、ただ、それだけでは我々としてもまずいわけでございまして、今おっしゃったように、外から作られたものにせよ、できていく。この中で、アメリカとは違う、ちょっとこれ、話が観念的になって申し訳ございませんが、是非お聞きしたいんでございますが、覚悟ということをおっしゃいました。
 最初お聞きしたとき、覚悟というのは何かする覚悟かな、何かをそれで、何か表に出す又は派手なことをする覚悟かなと思ってお聞きしておりましたが、そうではなくて、血を流さないのも覚悟だというふうに、私、取ったわけでございまして、正にそういうものが日本として必要だというふうに、私も同感といいますか、そんな気がしましたので、ここで、アメリカのドクトリンとは違う、日本のものというのを持っていったときにイラクの人に受け入れられるものかどうか。私は楽観的に見たいと思っておるんですけれども、先生はその辺はどのようにお考えでございますか。
○公述人(板垣雄三君) ありがとうございます。
 私が、アメリカの新しい戦略概念として出してきている、そこでの戦争なり戦闘行為というものについての考え方、大ざっぱに言えばブッシュ・ドクトリンと言ってしまっても結構ですが、それとこの法案は違うという、そういうことを言っておりますのは、この第二条三項の戦闘行為に関する定義、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。」という、これは明らかにアメリカとは違う立場ですね。こういうところで恐らくこれからアメリカとの摩擦も生じると私は思います。そういう意味での覚悟ということを言っていたわけでありますが。
 現地のイラクの人々との間の関係の問題として、今の御質問の中心がそこにあるとしまして申しますと、これはイラク人ばかりではなくて、アラブあるいはもっと広くイスラム教徒一般、これはもう、東南アジアからインド亜大陸から中央アジアからアフリカから、すべての地域におけるイスラム教徒と付き合う場合の一番重要なことでありますけれども、あいさつとして、アッサラーム・アライクムというあいさつをする。これは、クルアーン、コーランの中で、言わば神様が人間に向かって、あいさつをするときにはこう言いなさいと教えてくれているという、そういうことになっている言葉でありますけれども、あなたの上に平和があるようにと。この軍隊風の敬礼ですね、手のひらを見せて、そして胸にその後手を当てる、アッサラームというところで、これは平和をという意味ですが、そこで敬礼をして、そしてアライクムというところで胸に手を当てる。そう言われたら、今度はワ・アライクム・アッサラームという返事を返す、あなたの上にも平和があるように。
 この敬礼というのは、これはイスラム世界から始まって、何とかしてイスラム世界のような文明国になりたいと考えたかつてのヨーロッパ諸国がこれを軍隊に取り入れたわけです。それが今日、日本でも、自衛隊を始め、消防署でも警察でも駅員さんでも、みんなこれをやっているわけです、この敬礼をやっているわけです。これは、私は武器を持っていない、あなたに対して危害を加える意図が全くないというそういうことで、あなたの上に平和があるようにという、そういうことですね。
 ですから、私は、仮に自衛隊が行かれるとすれば、それは非常に、そのこと自体大変な覚悟が日本の国として要ることでありますけれども、さらには、非武装でこのアッサラーム・アライクムという、こういう形で安全を作り出していく、そういう覚悟を持たなければ、この法案に盛られたこの精神、それは生きていかないというふうに思っております。
○山本保君 大変興味深いお話を伺いました。ありがとうございました。
 それでは、小川公述人にお伺いいたします。
 ちょっと話が、今度は具体的なことをお聞きしますが、今日のお話の中で、これも本当に、私も全くこういう経験がありませんのでお聞きしますが、普通科連隊の部隊装備火器の範囲内というふうにおっしゃいましたけれども、具体的には、武器というのはいずれにしましても相手を殺傷するものであり、同時にそれは自分を守るものでありますけれども、何か相手を、攻撃型の武器とか守る武器というようなものが何か定義若しくは実際上に、今までの運用上に明確になった上でこういうことになっているのかなという気もしたんですけれども、この辺はどういうふうに理解すればよろしいのか。
○公述人(小川和久君) 大変、私が若干御説明したい部分を御質問いただきましてありがとうございます。
 実は、武器は例えば何であっても人を殺傷する能力があれば駄目だという考え方に立てば、それは割りばし一本だって駄目なわけですね、目に突き刺せば死ぬわけですから。ただ、やはり軍事組織というものがそれなりの役割を、平和の維持であろうと実現であろうと果たすということを前提に国際社会は動いている面がある。
 その中でいいますと、やはり軍事組織を、いわゆる正規軍同士の戦闘に参加させるために必要な備えなければいけない武器と、元々、例えば平和維持活動のようなギプスとしての一定の強制力を発揮するだけの目的のために装備すべき武器あるいは装備している武器、あるいはその部隊そのものが自らを守るために装備している武器と本格的な戦闘を行うときに用いる武器、これはおのずと線引きができるというのが国際的な専門家の常識であります。
 ですから、普通科連隊、これは歩兵連隊でありますし、現地のニーズによっては別に施設科部隊、工兵とか通信科の部隊とか、いろんなものを出していけばいいんです。あるいは衛生科の部隊ですね、医療支援ですね。でも、基本的には一定の強制力がないと治安維持活動はできませんので、その普通科連隊を持っている武器を、元々部隊装備火器として備えているものを持っていき、その範囲でそれを使用するという部隊行動基準、ROEを定めるべきだというのが私の意見なんです。
 これは盾と矛の例えで言いますと、普通科連隊が備えているものは防御用の盾の性格が非常に強い。そして、それに対して、先ほど申し上げましたように、連隊戦闘団、RCT、レジメンタル・コンバット・チームを組む場合には、それでは敵を攻撃できない、撃破できないから、リーチの長い、つまり射程距離などが長いしかも打撃力を持った部隊をそこに配属をして、普通科連隊を中心に強力なチームを一個師団当たり三個あるいは四個作ってぶつけていくわけであります。
 今回も、イラク戦争において、アメリカの軍あるいはイギリスの軍は基本的にそういった能力を持った部隊を投入して、戦争終結宣言といいますか、そういったところまでは戦ってきた。ただ、その後の治安維持任務においてはそういったものは必要ないわけですから、イラクのサダム・フセイン政権の残党の掃討作戦などの場合を除いては、基本的には部隊装備火器的な装備で活動しているという面があるということは我々も忘れちゃいけないと思います。
 我々が憲法の範囲内で海外に自衛隊を派遣し得るのは、その部隊装備火器の範囲内であると。それを超えるRCTは、いかなる立場であろうとも、憲法をきちんと改正するといったような営みなしには現行憲法には抵触するだろうと考えるのが私の立場でございます。
 どうも御質問ありがとうございました。
○山本保君 ありがとうございます。
 もう一問、小川公述人にお伺いしますが、今日のお話の中で、今必要なのはイラクについての国家の再建全般への支援であると。
 この前、実は私も、テレビにもなっているんですが、小泉総理に国づくり支援ではないかと言いましたら、小泉さんも正にイラクの国づくり支援だと、こういうふうに答えてくださいまして、私自身も大変そういう点では意を強くしたんですが、そこの中で、自衛隊というのは、ここにありますように治安回復までの不可避の期間限定の任務だと、こういうふうにおっしゃっておられますが、これを、私もこのとおりで分かるんですが、もっとより積極的に、中身論で、ついて言いますと、自衛隊の仕事というのはどんなものなのかということについては、もう少し展開していただけますか。
○公述人(小川和久君) 御質問ありがとうございます。
 治安維持能力を持った軍事組織でなければ国づくりの最初の段階の任務を全うできないということを先ほど申し上げましたが、その能力を持った軍事組織が自衛隊であろうと各国の軍隊であろうと、同時に、その派遣される地域の、イラクの国民からニーズをくみ上げて、その治安維持能力とは別に任務を果たしていくということが相当程度可能であろうと思うんですね。
 これは、治安維持能力については、軍事組織でなければいけない段階が一年とか二年とか、長い場合には四年ぐらい掛かるかもしれないけれども、それぐらい経過して、その次は武装警察隊のような組織で治安維持をし、その期間が終わったら普通の警察で治安維持ができるようになっていくという流れだろうと思います。
 ただ、その中で、現状から見ても、例えば現地のニーズがインフラの整備といったようなことで出てきますと、そのインフラが何なのか。例えば、道造りなのか、橋を架けることなのか、あるいはダムの補修をすることなのか。これであれば、自衛隊の施設科部隊を投入すれば相当能力を持っている。あるいは、通信インフラが全然駄目であれば、やはり日本の通信職種の部隊を持っていく。あるいは、医療支援につきましては、やはり手術用の巨大な天幕まで持った衛生科の部隊を持っていく。あるいは、輸送の問題でいいますと航空自衛隊のC130持っていきましたけれども、同時に、我が陸上自衛隊の航空科部隊は五百機余りのヘリコプターを持っている。まあ、世界で三番目ぐらいの陸軍航空部隊であります。これをきちっとUNのマークの下に白く塗って活動させるような考え方も、これ、国連絡みの問題を整理しなきゃいけないですが、可能であろうと。これは幾らでも出てくるわけであります。
 ただ、あくまでも、軍事組織が行くのは、本当に軍事組織がそこにいなければ治安の維持ができない、それは安全な地域、そうでない地域とかいう分け方を現状でできるわけでありますが、やっぱり安全な地域であってもある期間はそういう能力を見せ付けないと、実際には、工兵部隊であれ通信科部隊であれ危機に直面する。あるいは、サダム・フセイン政権とは違う立場を取っているイラク国民を守ることすらできない。そういったものとして治安維持能力を持ったものがまずあり、その中で同時にできる自衛隊の任務というものをやはり現地のニーズに合わせて発揮していくという考え方を進めるべきではないかなと私は思っております。
 どうも御質問ありがとうございました。
○山本保君 ありがとうございます。
 じゃ、終わります。

○吉川春子君 日本共産党の吉川春子でございます。
 今日は、五人の公述人の皆さん、本当にありがとうございます。時間の範囲で順次質問をさせていただきたいと思います。
 まず、栗田公述人にお伺いいたします。
 現在イラクにいる米英軍は、占領軍として中東の人々、イラクの人々の反感を買っているということが伝えられておりますけれども、その背景について少しお話をしていただきたいと思います。
○公述人(栗田禎子君) 一番基本的には、これまで御説明しましたように、国際法に基づいた戦争というのはそもそもなかった。国際法のらち外で行われた戦争ということなので、イラク、中東の人々にとってみれば侵略です。なので、侵略軍に対して反感を持つのは当たり前ということがあるかと思います。
 ただ、それに加えてもう一つ重要なことを指摘したいと思いますのは、戦争が進められ、終わっていく過程で、だんだん大量破壊兵器疑惑というのが何かおかしく、怪しくなってきて、それに代わってイラクの民主化のためだったとブッシュ大統領言い始めましたが、だけれども、余り民主化も熱心に進めている様子がなくてと。そういうことが見えてくる中で、次第に、イラクの人にとっても中東の人にとっても、やっぱりこの戦争は正に石油目当てだったんではないかと、あるいは米国の石油産業のための戦争、あるいは戦争でいったん壊したインフラストラクチャーを米国等の企業が復興のために入札する、そういう何かゼネコンのための戦争だったんではないかと、そういうふうなことも、思惑、判断も出てきて、その中で、結局、その民主化のための戦争でもなく、大量破壊兵器の除去のための戦争でもなくて、結局、ある意味で植民地主義的な戦争だったんではないかという認識が中東には広く広がっております。
 御存じのように、中東というのは、十九世紀から二十世紀にかけてヨーロッパにとって非常に軍事的、地政学的に重要だということもありましたし、また二十世紀に入ると石油ですね、世界の埋蔵原油量の三分の二が中東に産するということもありまして、集中的に欧米による侵略と植民地化の対象になってきた国々です。なので、その中東の人々にとっては、また植民地主義が戻ってきたかと、これは一種の植民地主義の再来ではないかという認識が非常に強いということを押さえておくべきだと思います。
 植民地主義の長い歴史ゆえに、イラク、中東では外国占領に対する反感、外国占領に対する警戒心、センシティビティーというものが非常に強い、そのことを念頭に置いていただきたいと思います。
○吉川春子君 今も大分お話が出たんですけれども、戦闘地域、非戦闘地域の区別について、栗田参考人はどのようにお考えでしょうか。
○公述人(栗田禎子君) 法案の審議の過程でしきりに戦闘地域、非戦闘地域という区分が出てまいりまして、これは、素朴に日本国民の一員として見ていますと非常に、本当にそんな区別ができるんだろうかという印象を持つわけですね。戦闘地域、非戦闘地域の定義、いろいろあると思うんですが、一般に言われていることで、もし戦闘を行っているのが戦闘地域で、戦闘が行われていなくて比較的安全なのが非戦闘地域という分け方をするとすると、それはもうほとんど今のイラクでは分けられないんじゃないかと。昨日、戦闘なかったところも今日は戦闘が起きている、そういう状態なので、いつでもどこでも戦闘地域になり得るので、この区分はあり得ないのではないかという一般的な、常識的なことが言えると思います。
 二つ目の定義としまして、最近国会での審議等を伺っておりますと、別の定義があるようで、そこで出されますのは、戦闘地域、非戦闘地域というのは即物的に戦闘をやっているかどうかという定義の問題ではないと、その戦闘の質の問題であって、政府若しくは政府に、国家若しくは国家に準ずる組織を対象とする戦闘がある場合は戦闘地域で、それ以外の非組織的な戦闘がある場合には戦闘があっても戦闘地域ではないという、それは非戦闘地域だと、こういう判断があるように思うんですね。
 そうすると、素人判断で考えますと、ある意味では、正規軍とは戦っては駄目だけれども、民衆がデモをしたり、民衆が反乱しているのを鎮圧するのは構わないということになりまして、ある意味で非常にひきょうな議論なんではないかという気もいたすわけですね。
 さらに、中東の歴史ということで、専門が歴史ですので振り返って考えてみますと、ヨーロッパの先進国同士の戦闘、戦争というのは十八世紀ごろまでは正規軍同士の戦争だったと思うんですが、十九世紀以降、中東を含めるアジア、アフリカの圧倒的な地域が経験してきた植民地戦争においては、正規軍対正規軍ではないんですね。基本的には先進国の正規軍が現地の民衆、非政府的な組織の何か抵抗を押しつぶしていくと。先ほど上田公述人のお話の中で、対テロ戦争の中で非対称的な戦争になってきているとおっしゃいましたけれども、まさしく植民地主義の戦争って元々非対称的な戦争、正規軍対民衆の戦争であって、その場合には、その民衆を弾圧する側は、民衆のことをテロリストとか匪賊とか馬賊とか呼んできたわけですね。
 今、国会の審議でなさっておられます戦闘地域、非戦闘地域という分け方をやっていきますと、結局、今後先進資本主義諸国が何かアジア、アフリカ諸国に、こういうかつての植民地戦争に似たような戦争を行っていく場合の戦争には自衛隊はいつでもどこでも参加できるということになってしまいかねなくて、非常に危ういという印象を持っております。
○吉川春子君 栗田公述人に三つ目の質問なんですけれども、先ほど在日の中東諸国の大使館にアンケート調査をされたと、興味深いお話を伺いましたけれども、中東諸国の中にもイラクに軍隊を派遣している国があるようですけれども、その実情についてお話しいただきたいと思います。
○公述人(栗田禎子君) この点についてですが、結論から申しますと、確かに政府の方で御用意いただいています参考資料ですね、例えば「イラク人道復興支援等に関わる各国軍隊派遣の状況」という資料が各議員の皆さんのお手元にもあると思いますので後で確認していただきたいと思いますが、その中では、七月十一日判明分で軍隊派遣をしている国が十四か国挙げます。その中に確かにサウジアラビア、ヨルダン、アラブ首長国連邦の三国が含まれているんですね。ところが、この間調査して判明したことは、少なくともその三国は、アラブ三国の側はこれを軍隊派遣とはとらえていないということであります。
 その点に対しましては、そのアンケート調査の三枚目をごらんいただきたいと思いますが、三枚目の「アンケート調査結果要約」というものの右側のページ、三のところの真ん中のところに「参考」として、「中東諸国自体によるイラクへの支援」というところをごらんください。
 ここでまず、昨日サウジの大使館で一等書記官の方とお話ししたんですが、サウジは、私がこの表を示してサウジは軍隊を派遣していますねというふうに伺ったらば、医療援助をしていると。それはたまたま国防省の中の医療部門のスタッフが出向いてはいるが、基本的に非武装であるということをおっしゃいました。で、ゆえに軍隊派遣ではないということをおっしゃったんですね。
 私は、ただ、文民ではなくて軍人の身分である方が行かれる以上やはり武器は持っていかれるんでしょうということを確認したんですが、自分の知る限りそういうことはないと。むしろ向こうから問い返されまして、これは人道援助で病院をやっているのでそれを襲撃するイラク人なんていないと。人道援助なので襲撃されるおそれはないので非武装で行っているということをおっしゃいました。同時に、この援助はサウジが全く独立でやっておりまして、CPAの管轄下にはないということをおっしゃいました。
 より強く強調されていましたのはヨルダンでありまして、その下はヨルダンになりますが、国連の枠組みがなければ軍隊を派遣しないという立場から軍隊は派遣していないと。ファルージャというところに野戦病院を設営したけれども、これは機動性に優れているから野戦病院を送るということをいろんなところでやっていて、パレスチナとかシエラレオネとか東ティモールにも設営したが、その一環であると。緊急時に、急に文民のおじさんを何か呼び集めて、さあ行ってくれというわけにいかないので、野戦病院が行くだけだと。スタッフは基本的にやはり非武装であると。
 私は、やっぱり武装はしていらっしゃるんでしょうかということを確認したんですが、大使は、恐らくガードマンは略奪に備えるためにピストルぐらい持っているかもしれないけれども、基本的には医療スタッフは非武装であると。同時に、CPAの管轄下にないということをおっしゃいました。私が、しかし軍隊派遣というリストの十四か国に入っていますねということを申しましたらば、それは何かの間違いだろうと。我々の派遣は軍隊の派遣というカテゴリーには入らないということをおっしゃいました。
 以上です。
○吉川春子君 どうもありがとうございました。
 板垣雄三公述人にお伺いいたします。公述人は中東の歴史を大変詳しく研究されておりまして、この法案の見方についても非常に私としては大変触発される面がありました。
 それで、お伺いしたいんですけれども、私たち学校時代には、世界四大文明発祥の地、チグリス・ユーフラテス川の地ということで一生懸命教えられたわけなんですけれども、この地域でおよそ文明とは逆行するような事態が起こっているということについて、文化遺産も遺跡も失われるということについて本当に心が痛む思いがいたします。
 日本はこれまで中東に石油を依存してきたわけですけれども、今回、中東に自衛隊を派遣するということによってどういう意味を持つのか、日本の軍隊が中東に行くということはどういう意味を持つのか、今後の日本と中東諸国、イラクを含めてですね、そういう諸国との間にどういうことが起こるのかという点について御意見を伺いたいと思います。
○公述人(板垣雄三君) ただいまの御質問で言われたとおり、イラクという国に関しまして日本社会でのイメージというのは何となく後進国という、そういうイメージかもしれませんけれども、人類の文明の発祥の地であり、そして、例えばユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そのすべてにとって非常に、最も重要な人物であるアブラハムというのは、まあ今風に言えばイラク人です。ですから、日本社会におけるまずイラクという国に対するイメージという、そういうものをまず我々として考え直さなければならないと思いますが、同時に、ただいまお話にありましたように、我が国のエネルギーの問題として、殊に湾岸の地域、イラクを含む湾岸の地域というのは言わば死活的な場であることは言うまでもありません。
 そして、これまで、これは公共放送で「プロジェクトX」とかなんとかいうようなことで言われてきたような、この間の、第二次世界大戦後の日本人の中東における活動という、そういうものを通じても、例えばスエズ運河がイスラエル軍の爆撃下にあったときに、日本の会社が文字どおり命懸けでその爆撃の下でスエズ運河の拡幅工事というのをやったとか、あるいはイランが石油を国有化して、そして国際的な石油大資本によって痛め付けられている、そこへまた日本の石油会社が単独でその油を運び出す船を、日章丸という船でしたけれども、差し向けるとか、こういうたぐいのことが、この広島、長崎という、そういう経験とも重なり合って、中東の人々にとって日本に対する非常に重要な親愛の感情という、また共感の気持ちというものをはぐくんできたと思います。しかし、残念ながらこのところ、私が指摘しておりますのは、言わばこの数か月という、そういうことかもしれませんけれども、中東の人々の日本に対する見方というものはかなり大きく変わってしまいました。
 したがって、これもまた今日、私の話のキーワードである覚悟ということとつながりますけれども、日本の国としては、これから将来の日本というものの安全、安心というものを実現していくためには、中東の人々のそういう日本観というものの変化というものに対して、非常にこのことについて敏感に、また、かつ適切に対処していく、そういうことが必要だと思います。そういう意味で、情報能力というものが非常に重要だと思っております。
○吉川春子君 ありがとうございました。
 前田公述人にお伺いいたします。
 公述人は、日本のかつての侵略戦争の戦後処理問題にも取り組まれておりまして、国連の人権委員会でのロビー活動も活発におやりになっていらっしゃいますし、今お話にもありましたように、ブッシュ大統領の戦争犯罪を問うアフガニスタンの国際戦犯民衆法廷の活動もされているわけです。慰安婦制度を裁く女性戦犯法廷なども東京、そしてハーグで開かれて、私はこういう活動を大変重要な活動だと思っているわけですけれども、国際政治上、こういうNGOの戦争犯罪人を裁くといいますか、女性法廷のときは天皇も裁かれたわけですけれども、こういう活動にどういう意味があるとお考えでしょうか。
 それは、やっぱり日本が戦争に、反省して、九条を持って、しかしその九条がなし崩しにされて、今度、イラクにまで行くと交戦権も行使するのかという時点に立たされたときに、やっぱり非常に私はこのことを強く思うわけですけれども、公述人の御意見を伺いたいと思います。
○公述人(前田朗君) ありがとうございます。
 今御指摘いただいた日本の戦後補償問題に関しましては、私も国連の人権委員会及び人権促進保護小委員会におきまして十年ほどいわゆるNGOのロビー活動を続けてまいりました。本年の春にも行きましたし、この夏にも行く予定であります。
 その中で痛感いたしますのは、日本のNGOあるいは国際的なNGO、そして人権を尊重するということを表明している幾つもの国々が十分御理解いただけているにもかかわらず、私どもの主張が日本政府にはなかなか通らないという、いつも痛感することなんですけれども、そのときにNGOが、例えば国連の中でどのような活動をするのかとか、あるいはそういう活動を通じて自分たちの国の更なる教育の発展とか民主化の発展とか権利の擁護とか、そういうことをやることの意味がなかなか御理解いただけていないのではないかというふうに痛感してまいりました。
 戦後補償問題においても、いわゆる日本軍慰安婦の問題につきまして、日本が何をやったのかという事実自体が問われているのに、それを様々な形で問題点をずらすということが行われてきて、当時の国際法あるいは今日の国際法から見てどのような評価であるのかということがいつも見忘れてしまう、そういうことが起きてまいります。その中でNGOの活動が空回りしていくということが起きてきたのかなというふうに思っております。
 私どもがやっている民衆法廷につきましても、NGOが、あるいは市民がという言い方になりますけれども、国家が国際法を守らないときに、NGOや市民がこのように守るべきであるということを提案をしていく、あるいは新しい国際法の在り方を提案をしていく、そういう努力をNGO自身が、まあ私も長年やってまいりましたけれども、まだまだ力不足でありまして、この部分をもっと強力に発展をさせて、政府や国際機関が担っている役割に対してどのようにNGOが協力し、あるいは補完し、あるいは提言をできていくのか、そのことが私たち自身にも問われているし、また政府の側にもNGOの役割について更に十分な御理解をいただきたいというふうに考えております。
○吉川春子君 済みません、ほとんど時間がなくなったんですが、一言、上田公述人にお伺いしたいんですが、ほかの論文で、ドイツとの比較で日本の自衛隊、軍隊を考えるということをされておりますが、私は、ドイツはやっぱりあの戦争についての反省をきっちりとしていると、それでEUの中でもああいう地位を占めていると思うんですが、その点、日本はなかなかやっていないという批判を受けています。
 そのことについて、今度のイラク支援との関係でどうお考えでしょうか。済みません、時間が短くて。
○公述人(上田愛彦君) ドイツには何回も行っておりますが、私は法律学者ではありませんからそれほど詳しくは分からないんですけれども、いろんな軍人辞めた人、そういうあれをお聞きしますと、この過去十年間に、湾岸戦争以降ですね、相当ドイツはいろんなことを考えて、だけれども、まだ縛りは相当あります、反省もしております。ですけれども、日本とは比較にならないほど変わったんだよということを言ってくれるんですね。
 そうすると、逆に言うと、日本はもう全然、考えないと言うとおかしいですけれども、そのままでいて、その都度議論をしていることでいいのかなという思いがあるんですけれども、それはドイツ人自身が非常に合理的に考える民族ですから、もう自分たちのやれる範囲で最大のことをやるように、国内で変えるものはどんどん変える、基本法をどんどん変えているということを相当目の前で認識をしております。
○吉川春子君 時間なので、委員長、終わります。

○広野ただし君 国会改革連絡会(自由党・無所属の会)の広野ただしです。
 今日は本当に、五人の公述人の皆様に本当に参考になる御意見をいただきまして、ありがとうございます。もう二時間以上たっていますから大変お疲れだとは思いますが、是非、重要なことですので、よろしくお願いをしたいと思います。
 まず、板垣先生にお伺いしたいんですが、非常に歴史的な経緯ですとか文化的な観点からすばらしい参考になる御意見をいただいたんですが、私は特に、日本人よ覚悟ができているのかという、私も正にそういう思いでおります。覚悟のないところで、ただお付き合いでとか、それこそアメリカとの関係、イギリスとの関係というのは非常に大切だとは思っておりますが、そういう覚悟のないところでふらっと出ていきますと、どういう被害、どういう犠牲が出るかも分かりませんし、また相手国民に対しても、どういう犠牲あるいは被害を及ぼすかも分からない。
 特に、言語も違いますし、民族も宗教も歴史も風土も全く違うところでありますから、そういうところをよく分かって行くならば、本当に大変な準備の下に行かなきゃ、出ていかなきゃいけないし、先ほどおっしゃいました地域研究あるいはそういう専門家の御意見を本当に大切にしながらやらなきゃいけないんじゃないかと、こう思っておるわけですが、実際、私も昨年、イラク周辺国ということで、トルコ、シリア、レバノン、エジプトへ参りまして、本当に戦争になるかどうかというそういうことも視察に行ったわけですが、そしてゴラン高原へ行きまして、UNの旗の下に兵力引き離しのことをやっているところもつぶさに見てまいりましたけれども、やはりこれからはもう灼熱のところでやるわけで、しかも今度は十一月ですか、十月の二十六日からはラマダンに入るということですね。そしてまた、イラク国民は、特にアラブの中でも非常にプライドが高くて、ちょっとチップですとかお礼をするときでも、今度は大変な侮辱をしたふうに思われることだってあるというふうに伺っておりますし、やはり昼寝といいますか、シエスタというんですか、そういうようなことも全くそれはもう日本と違うわけですね。
 そういう中で出ていくと、特に陸上自衛隊ということになりますと、これは国民との、イラク国民との間の接触というものがいろいろと出てくると思いますので、そういうときに誤解とか、理解が十分ではなくて思わぬことが起こるんではないかということを懸念をしておるんですが、その点もう少し何かいろんな具体例がありましたらお教えいただきたいなと思いまして。
○公述人(板垣雄三君) 広野議員のお尋ねにどれだけ短い時間でうまくお答えできるか自信がありませんが、確かにお話のとおり、これからどういう形にせよ日本がイラクの復興のために貢献する、協力するということのためには、その土地の文化について十分な理解を持たなければならない。まず何よりもアラビア語ができなければ全然話にもならないという、そういうことです。通訳を介して、それは確かにコミュニケーションは成り立つでしょう。しかし、心が通うそういうコミュニケーションにはなりません。
 そして、お話のとおり、宗教というものについての認識も非常に重要であります。例えば、後ろから車で追突しておいて、追突した人がマレーシュと、気にするなという、そういうことを言う、そういう文化、これは実は宗教に非常に深く根差しているものであります。そういうもう片々たることから誤解という、そういうものが生じる危険性がある。
 それから、先ほどは非武装というのが最も理想的なんだということを申しましたけれども、そういうことともどこかでつながるかもしれませんが、やはり女性というものの役割が非常に重要です。ジェンダーという視点がなければ人道復興支援も安全確保も十分できません。男は入っていくことのできる範囲が非常に限られております。女はどこへでも入っていくことができます。そういう意味で、活動の範囲からして全く女性の方がより広い効果的な活動をすることもできるという、そういう問題もあります。
 そういう式の、その土地についての認識、先ほど情報能力ということを申しましたけれども、それは非常に重要です。私は、一九七〇年代の半ば以降、レバノン内戦のときにしばしばレバノンにも参りましたが、ベイルートの町でもう非常に激しい市街戦をやっている、そのワンブロック隣の通りではお茶を飲んで冗談を言ってゲームをやって楽しんでいるという、そういうふうな状況、これはその土地の人々としっかりと結び付いたそういう知識、そしてその文化に対する理解、それに支えられた情報能力という、こういうことがなければどこが安全かということも見極めることはできないという、そういうことです。
 一九七八年に、日本の総理として初めて、当時、福田総理が中東諸国訪問をされましたときに、その後、梅棹忠夫さんが団長になりまして、私もそれに加わって、あと京都大学に当時おられた上田さんという、上田篤さんという方ですが、その三人が政府派遣の中東文化ミッションということで、ちょうど福田総理の訪ねられた跡をたどる形で訪問いたしました。
 そして、帰ってきて、官邸に、日本として、国として中東研究の研究所を持つべきであるということを申し上げた、そういう文書をお届けしたわけですが、そのときにはもう既に大平内閣に替わることにちょうどなっちゃっていたということもありましたが、そういう式で、もう既に四半世紀前からもうこの課題というのはずっと持ち越してきているわけです。それを今ここで何とかしなければならないという、かなりせっぱ詰まったぎりぎりの状況に来ているのではないかと思っております。
○広野ただし君 私も、七八年ですか、レバノンに参りまして同じ経験をしたことがございます。ですから、市街戦なんですが、ビルごとに取り合いをするわけなんですが、全くこちらは安全なところという場所があるわけですね。そういう経験があるわけですが、そういうことで全くの同感であります。
 ところで、国連はある意味でいろんな欠陥も持っておりますけれども、やはり人類の歴史の中で国連というものをしっかりとやっていきませんと、これはもう紛争解決をすることにもいろいろと問題が出てきて、アメリカ一国主義の平和維持ということでは大変な問題が起こると私は思っております。ですから、国連中心主義というのは、もちろん国連改革ですとか安保理改革をしっかりとやっていくということがまずあって、しかる後に国連の下にいろんなことをやるということが非常に大切だと思っておりますが。
 小川参考人にお伺いしたいんですが、やはり日本が主体的に、主体性を持ってイラクの復興等に協力をすると、これは正にそうだと思うんですね。そのときに私は国連の旗の下に行くと。国連が明確に、例えば治安に対する協力、あるいは人道支援ですとか復興支援についてはオールメンバーにもう明確にコール・アポンしているんですね。ところが、治安については、占領軍、連合占領軍の方には任せる、それに対して出てくるのにウエルカムだというような表現を使っていまして、必ずしもUNの旗の下に行くということにちょっとなっていないんじゃないかなと思うんですね。
 そこのところは、ちょっと見解の相違はあるかもしれませんが、そういうところで、治安のところで日本が入ってまいりますと、占領軍への協力をしているんじゃないかというように受け止められて反感を買うというおそれがやっぱりあるんじゃないかなと思うんですが、その点はいかがでしょうか。
○公述人(小川和久君) 大変重要な御質問、ありがとうございました。
 私もその辺は大変懸念しておりまして、CPAともきちんと話をしながら、やはり占領軍の指揮下にあるのではないと。日本独自の原理原則の下に、戦後の治安維持の段階では、その能力を持った自衛隊を出すのだということをきちんとイラクの国民に伝えていくことがまず大事だろうと。ですから、アラビア語で新聞を毎日出す、これはタブロイド判でもいいんですが、あるいはラジオの放送をする、テレビを使う場合もあるだろう、そういったことを特に任務が与えられた地域でやっていくことが日本の意図を伝える意味では重要であろうということをずっと言ってきたわけであります。
 ただ、同時に、押さえておかなきゃいけないのは、今お話の中にもありましたように、日本はやはり、より国連を機能させ、国連のやはり旗の下に戦後復興を手伝うということを明確にすべきだと。これは、もういろんな国がいろんな意見を言う中で、アメリカ自身もやはり国連の新しい決議を少し考えてもいいという方向に動き始めていますから、やはり日本はそれをもっと強く打ち出すべきだと思います。
 ただ、同時に、治安維持という話とか、あるいは戦争犯罪の話、大変勉強になるお話がこれまで出ておりましたけれども、同時に私たち視野に入れなきゃいけないのは、例えばイラクだってサダム・フセイン政権の残党もいます。この人たちがいわゆるゲリラ戦闘をやっているという現状なんですが、同時にその人たちからねらわれているイラク国民もやはりたくさんいるということです。恐らく半分はいる。だから、自衛隊の任務区域はどこであろうとも、そこの地域のイラク国民をやはり守る能力を持ったものがまず治安維持ということで、あるいは治安の回復ということで能力を持っていかないことには、やはりこれは絵にかいたもちになるということなんですね。
 あるいは、戦争犯罪ということでいいますと、同時にやはり我々が議論しなきゃいけないのは、常にアメリカが悪者になっている、これはアメリカが大変専横という格好で目に映ることは事実なんですが、同時に、じゃサダム・フセインの犯罪はどうなったのか、あるいはタリバンの犯罪はどうなったのか、そういった問題も視野に入れながら我々は独自の理想を実現すべく行動すべきじゃないかと思うんですね。
 治安維持能力の中で部隊装備火器などの話が、先ほど来御質問の中で御説明申し上げたんですが、例えばその地域の住民、イラクの国民を守らなければいけない場合、二つの行動を可能とする武器、あるいはその武器の使用を可能とするようなROE、部隊行動基準というのは最低必要になるだろうと。
 その行動の一つは遅滞行動です。つまり、学校に遅刻するの遅に、税金の滞納の滞。つまり、押し寄せてくる敵、これは正規軍、米軍のような部隊が来たら自衛隊が持っていく能力では対処できませんが、ゲリラ戦闘などしかできないようなレベルの、サダム・フセインの残党や何かがこちらに迫っているといったような情報があったとき、彼らに足止めを食わせながら、イラクの国民も同時に守って退避するだけの武器は持っていかなきゃいけないだろう、そのための部隊行動基準も必要だろう。
 あるいは、それはあるとき、向こうのホームグラウンドで活動するわけですから、かなり近いところで攻撃が掛けられる場合もある。そのときはこちらも防御する態勢にはなきゃいけないし、一定の陣地は築いてその拠点の中には入らなきゃいけないんですが、やはり、突撃破砕射撃というんですが、一定の方向に向けて各小銃であるとか機関銃であるとか、そういったものの射手が撃ちまくりながら、十字砲火を浴びせながら敵の突撃を防ぐという、一番ベーシックなやり方がどこの国でもあるわけですね。そういったことが可能なだけの武器あるいは部隊行動基準というものをやはり与えなければ、これは現地の人の生命も守ることができないということになってしまいかねない、そういう感じがいたしております。
 どうもありがとうございました。
○広野ただし君 そういうことの中で、上田公述人にお伺いしますけれども、私も、単なる積み上げ方式とか特別措置法でやっていくということではなくて、基本法というものをしっかりと定めて、私たち自由党では、国連中心、国連の旗の下に、極めて抑制的ではあるけれども、安全保障基本法というものを作って、そういう中で国際協力をするという考え方を持っておりますが、積み上げ方式ですと、どういう事態に発展、予想せざることになるおそれがあって、私はやはりまず基本法を作ってからと、こう思っておりますが、その点について、先ほどもおっしゃいましたが、再度お伺いしたいと思います。
○公述人(上田愛彦君) 今までは積み上げざるを得なかったのではないかなというふうに思っております。そういう基本法を作るのはもちろん大事なことで、やらなくちゃいけないことだと思っておりますけれども、従来まで何回かそういうことがありまして、先生がおっしゃったように。それを同時にやる時期が必要なのではございませんか。つまり今のことですね。イラクの方どうするのという、そのことをやりながら、そういう経験を踏まえながら基本的なことをこれから五年なり十年なり考えていかなくちゃいけないという気がしておりますけれども、つまり、二つの路線で走るという時期が必ず必要になってまいりますですね。
 そのときに、実は世界情勢なりそういう軍事的なこともどんどん変わっているわけです。もう私も古い人間かもしれませんけれども、そういうことをある程度研究しながらいかないと、古いやり方だけでいいのかよというふうになってしまいますから、それは先ほど申し上げました軍事に関する、軍事という言葉がいいかどうか分かりませんけれども、そういうことに関するシンクタンクなり戦略研究機関でございますね、これはもういち早く立ち上げて、相当長くやりませんと、くるくる替わってしまう、人が替わったんじゃもう駄目ですね、これ。十年ぐらいやらないと、一人の人が、駄目なのではないかなという気がしております。そして、できればそのときに、辞めた人間、私みたいな、私という意味ではありませんけれども、私のような人間も何%か入っていなければ、現実の問題は全くこれは出てこないということを申し上げたいと思います。
○広野ただし君 最後に小川公述人、もう一度お伺いしたいんですが、今度の場合、タイム誌も、ザ・ポストウオー・ウオーというようなこととかザ・ウオー・ザット・ネバー・エンズということで、終わりのない戦争というようなことが言われておって、私どももその懸念を非常に強く持っているんですね。本当にどれくらいたてば治安が維持されるのか、また、非戦闘地域と言っておりますが、そういうようなところというのは想定されることになるのか、最後にお伺いしたいと思います。
○公述人(小川和久君) これは、具体的に何年ぐらいたてば治安が回復するかとかいう話は、私どもこれは予測すらできませんし、恐らくアメリカだってイギリスだって、あるいはイラクの国民だってその辺は予測できないんでしょう。
 ただ、テロとの戦いというのが同時に今行われておりますね、日本も参加しておりますが。ただ、テロとの戦いにつきましては、私はよく医学に例えて話をする。つまり、三段構えをちゃんとやっていかないとテロを根絶することはできないだろうということを言っております。
 まず、それは医学に例えると、公衆衛生学的なアプローチがまず必要だ。これはエンドレスである。千年単位、二千年単位の話である。つまり、テロはどこから生まれてくるのか。貧困であり、差別であり、民族対立であり、宗教対立である。そういったものをなくすために、例えば、そのときそのときで、世界の平和に責任を持たなきゃいけない国がどうやってかかわっていくかということがずっと行われなきゃいけない。その上で予防医学的アプローチであり、対症療法的アプローチがなければいけない。
 予防医学的アプローチということは、個別の地域において、テロであり、それの温床である問題は何なのか、あるいはその組織はどういったものなのか、それに対する一つの特効薬的な対策はあるのか、そういったものを調査研究をし、講じていくというプロセスであります。
 そして同時に、目の前にあるテロ、これは個別のテロの問題、そういったものに対してどうやって封じ込めていって実際に無辜の民の命が失われないようにしていくのか、そういったことをやっていく。そういった考え方でやらないとテロはなくならないわけですよ。
 そういう発想をやっぱり個別、イラクの問題についても導入しながら、やはり軍事力というむき出しの、対症療法的なアプローチができるだけ早く終わるように、そういった努力をする以外に処方せんというのはないのではないか。
 ですから、時間を明確にお示しすることが私どもはできないわけでありますが、まず日本人は、やはり一番苦手とする目に見えないような息の長い営み、公衆衛生学的アプローチからやらなければイラクの問題についても我々は答えを出したことにならないんだということを自覚をすることがまず必要ではないかなということを考えております。
 どうもありがとうございました。
○広野ただし君 どうもありがとうございました。

○大田昌秀君 社民党・護憲連合の大田でございます。
 先生方には大変お疲れだと思いますが、最後でございますので、いましばらく御辛抱いただきたいと思います。
 まず、前田公述人にお伺いしますけれども、国際戦犯民衆法廷で何らかの結論が出たとしますね。そうすると、その後、その結論をどうなさるおつもりですか。どのような、例えば国連に持っていくとか、そういうお考えですか。そして、もし国連に持っていかれたときに、何らかの効果を上げ得るという、これまでの御経験から、ありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○公述人(前田朗君) ありがとうございます。
 これは私が決めることではないんですけれども、私たちの法廷運動の中で議論している内容を申し上げますと、もちろん民衆法廷運動というのは実際に刑罰を科すことはできませんから、刑罰という形で考えているのではなくて、このような実際に行われた戦争とその下における犯罪をいかに解決するべきなのかという問題提起を国際社会にしていくということであります。
 それは、一つには、戦争犯罪の解釈論、法解釈、国際法の解釈の在り方を具体的に事実と論理に基づいて提示をする。それからもう一つは、被害者救済のための補償の論理を明確に出していく。それからさらに、新たな国際法の内容作りを問題提起をしていく。例えば侵略の罪の定義というのは今日国際社会に存在しませんので、侵略の罪の定義を作る。あるいは、個別の問題でいいますと、例えば劣化ウラン弾の問題が今日も問題になっておりますけれども、劣化ウラン弾の製造、所有、使用について一定の規制を掛けるような国際条約の提案をするとか、そういうもろもろの判決を書き上げて、それを国際社会に提案をするということを考えております。
 二〇〇〇年十二月に行われた女性国際戦犯法廷の判決も、国連の人権委員会及び人権小委員会に持っていきまして委員に配付をするということをこれまで行ってきております。同じように、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷についても、国際社会に問題提起をしていこうというふうに考えております。
○大田昌秀君 先ほども似たような御質問がありましたけれども、日本の現状を踏まえまして、今後我々が取るべき何か具体的な最善の方法といいますか、望ましい方法というのはどのようにお考えでございますか。
○公述人(前田朗君) かなり抽象的な御質問になりましたのでなかなか難しいんですが、私は、基本的には軍隊による平和という考え方は採用できないと考えております。したがって、表現を変えますと、例えば、治安維持能力を持った軍事組織というのはかなり限られた限定的な範囲でのみ採用し得る考え方であって、基本的には採用できないというふうに考えております。もちろん、全面否定するわけではございません。一定の局面において有効な場合があり得るであろうという限度付きです。
 したがいまして、軍事力による平和でありますとか軍事組織による治安維持ということを最初に考えるのではなくて、そのようなことが必要のない手だてを考えていかなければいけない。もちろん、今のイラクの現状からいきますと、そのようなことが全く不要であるということは言えませんので、そのようなことが必要であるとすれば、実際に必要視されているわけですけれども、そのようなことが必要であるならば、やはり国連、少なくとも今日の国際社会を規律している国連による、国連の名の下における対処でなければいけないであろうと。それ以外の形で行うということは、まず当初から行うべきことではない。それがまず第一歩であろうというふうに考えております。
○大田昌秀君 栗田公述人にお願いいたします。
 今回のイラク特措法が成立して自衛隊がイラクに派遣されるようになりますと、イラクを始め中東諸国に対して具体的にどのような影響があるとお考えでしょうか。
○公述人(栗田禎子君) イラク及び中東諸国に対して具体的な影響があるというよりも、日本の中東における国益が長期的に見て損なわれることになると思います。
 つまり、これまでは、経済大国であるけれども一切軍事的手段を用いない、植民地主義の経験もなくて、非常に不偏不党の立場で中東にかかわってきてくれたということでいいイメージを持っていた中東諸国が、今回、米英占領軍とほとんど一体化するような形でイラクに行くということになれば決定的に日本に対するイメージを変えるでしょうから、これからは昔の旧宗主国と同じような、旧植民地主義国と同じような目で見られるようになると。あるいは経済パートナーなんか選ぶ場合にも、イラクや中東に対する戦争を支援しなかった国の方、例えばフランスを選ぶかもしれませんし、ドイツを選ぶかもしれませんし、ほかの国の方にシフトしていくということだってあり得ますので、中東、イラクにどういう影響を及ぼすかというより、日本に対する影響を心配した方がいいんではないかと思います。
○大田昌秀君 板垣先生にお伺いします。
 御専門の立場から、自衛隊をイラクに派遣して得られる国益と自衛隊を派遣することによって失う点と比較してみますと、先生はどちらの方が大きいと御判断なさいますか。
○公述人(板垣雄三君) この問題は、余り一律に比較してこちらの方がいいというふうなことを、抽象的な議論としては簡単にできますけれども、現在の現実的なある社会的また国際的状況の中で簡単に一律の議論がしにくいと思います。
 しかし、私としては、先ほど申しましたように、確かに自衛隊を派遣することによって生じるであろう様々なマイナス要因という、そういうものは十分に考えられますので、それをいかにして小さくするかという、あるいはその問題をもっと積極的なものに変えて転換していくことができるかという、そういう考え方をしたいというふうに思っております。
 そういう点から、私は、アメリカの最近の世界戦略といいましょうか、そういうセキュリティーストラテジーという、そういうものとはそのまま一致しない、日本には日本の自主的な立場があるという、そういうこと、そのことはこの法案の中に私は、これは運用の仕方にもよると思いますけれども、あり得るというふうに今日は公述の中で述べさせていただいたわけですけれども、そのことを何とかして実現し、確保していくということが必要ではないかと。
 そして、この安全確保の支援というようなところでも、実際には今、今日の、最近のイラクの中の状況というものについての様々な情報を解析いたしますと、かなり非常に顕著に地区ごとの自衛組織といいますか、住民が自ら秩序を回復し、維持するという、そういう活動を自主的にそういう組織を作ってやっている。これは、実はイラクもそうでありますけれども、中東の各地でもう歴史を通じてずっと言わばそういう地区の自治という、そういうふうなことを作り出してきた、そういう伝統というものがあり、それが今生きている、そういう面があるわけです。
 簡単に言ってしまえば、自警団というものがどんどんどんどんできている。そういうところで、何か外側から行って、そして治安を作り出そうというか、何か我々がそういうものを、そういう状況を作り出してやろうという、そういう考え方が果たして正しいのかと。むしろ、そういう住民自身の自主的な努力という、そういうものを支援する、これこそがこの安全確保支援活動であるという、そういうふうな精神もこの際、大いに見直す必要があると思います。
 したがって、御質問をちょっとずれた格好になってしまったかもしれませんけれども、機械的に数字でどっちが何%、より、何といいますか、利益が大きいかとかいう、そういうふうな計算はちょっとできませんが、今申しましたような形で、いずれの場合でもその進むべき道筋を何とか積極的に発見していくべきではないかというふうに言いたいと存じます。
○大田昌秀君 ありがとうございます。
 小川公述人にお願いいたします。
 先ほど、元々、陸上自衛隊を海外に派遣することは考えていなかったという趣旨の御発言がありました。自衛隊法、よく御承知のように、自衛隊法三条は、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。」とあります。
 それから、第三十九条に服務宣誓がありますけれども、服務の宣誓がありますが、その服務の宣誓でも、「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」とあります。
 そうしますと、この規定が今回のように国外に自衛隊が派遣された場合にどのように合理的に適用されるのか、お聞かせください。
○公述人(小川和久君) 大変重要な御質問ありがとうございました。
 私も、昭和三十六年、十五歳で陸上自衛隊に生徒として入りまして、自衛官宣誓をやった立場でございます。その翌年には、キューバ危機のときに、訓練名目であったけれども、三日間、完全武装で待機した人間でございます。ですから、この自衛官宣誓でうたわれている中身というのは、任務地域がどこであろうとも、恐らく文言をほとんど変えることなく適用され得るものだと思います。
 ただ、自衛隊法七十六条については、やはりそのものを国際貢献任務に当てはめるということが可能であるかどうか、それは恐らく国を挙げて議論をしなきゃいけない話ですね。ただ、カンボジアPKOから始まった、日本の自衛隊を国際貢献活動に出していくという動きの中では、それなりの整合性を持つものとして認めているという議論も、国会で半分を超える皆さん方の考え方になっていると。
 その中で、今回のイラクに対する自衛隊の派遣というものがあるわけでありますから、その辺は、不十分なところは一杯あると思いますが、よりその辺を厳密に詰めていく中で、やはり日本が、先ほどの板垣公述人に対する御質問にもあったように、自衛隊を派遣することによってメリットがどれぐらいあるのか、デメリットがどれぐらいあるのか、どっちが大きいのかというような話まで視野に入れながら、デメリットができるだけなくなるような格好で審議あるいは議論を進めなきゃいけないものだと思います。
 それから、自衛隊を中東に派遣することによって、中東諸国のイメージというのは随分変わるだろうと。これはもう既にイラク戦争が始まる前に、イラクの当時のラマダン副大統領が民主党の首藤さんに対して、アメリカ、イギリスに次いで第三の敵国だなんて言っているわけですから、それなりのイメージの変化はあったんでしょう。ただ、これは日本側がやはりどれぐらい自分たちの理想を実現するためにやっているのか、つまり、イラクの国のために、中東のためにやっているのかということをきちっと発信していくという努力の中で相当緩和されるものだと思うんですよ。
 例えば、今回のイラク戦争に反対したフランスにしても、サダム・フセイン大統領が核の開発をやった原子炉を、ほかの国と比べて十倍の値段で売っているということは世界じゅうがよく知っているわけであります。中東諸国もよく知っている。あるいは、生物化学兵器の製造プラントについてはドイツがかなりの部分を出しているというのはみんな知っているわけであります。
 だから、今回、戦争に反対したから手が汚れていないとか、そういった議論というのは、ちゃんと整理をすれば理解してもらえる話だと思いますので、やはり我々が独自の立場で世界平和の実現のために本当に努力しているということを発信していく努力がまず一番問われるのではないかなという感じがしております。
 どうもありがとうございました。
○大田昌秀君 ありがとうございました。
 上田公述人にお願いいたします。
 先ほど読ませていただいた自衛隊の任務ですね、それは国を守るということを規定していて、国民の生命、財産を守るとはなっていないんですね。自衛隊のOBの偉い方が、自衛隊の任務というのは国家の独立と安全を守ることであって、国民の生命、財産を守るのは二の次だということをお書きになっている方がおられるわけですが、戦争の御専門家としてどういうふうにお考えでしょうか。
○公述人(上田愛彦君) 大変ありがとうございます。
 これは、我々は国民の支持の上にすべてをやっているというふうに思っております、今は。
 ところが、昔、それも半世紀以上昔ですけれども、それは全然違いますですね、大田委員御承知のように。今のもうほとんど一〇〇%の人は、国民の支持なくして何やっているんだろうかという気持ちが多いわけです。国の何かを守るとか、そういうことは考えておりませんから、そういう御心配は今のものには要らないと思いますけれども、ただ、それをどういうふうに言っていくか、やっていくかということになりますと、いろんな制約なりまだまだ直さなくちゃいけない点はもうたくさん無限にあると思うんでございますね、あの法律は。
○大田昌秀君 端的な質問で失礼でございますが、参考人は国というのをどういうふうにお考えですか。ごく簡単で結構ですから。
○公述人(上田愛彦君) 国はやはり国民の上に成り立っているんじゃございませんか。国民があって、それから国と思っております。
○大田昌秀君 この間、有事法制を作るときに人権の保護ということを殊更に言っているわけですが、戦争になった場合に人権が保護されるとお考えですか。
○公述人(上田愛彦君) 戦争という非常事態になれば、人権の一部は制限がありまして、それで全体の利益のために一番いいポイントに持っていくと、そういう考えを持っておりますから、すべて何でも人権人権では成り立たないと思っております。
○大田昌秀君 最後の質問になりますけれども、自衛隊のOBの方々がお書きになったものの中に、いざ有事になった場合、つまり戦争状態になった場合に超法規的にならざるを得ないと。つまり、法律を守っていて戦争に勝てるかという、そういう意見がありますけれども、この点についてどうお考えですか。
 つまり、戦争になった場合には超法規的にならざるを得ないというふうにお考えですか。それとも、法律を守って戦争ができるとお考えですか。
○公述人(上田愛彦君) これは、超法規という言葉は大分前に出た言葉なんでございますが、良くないと思っています、我々は。
 決めていないから超法規になってしまうと、そういう逆の面もあります。それから、できればそれをはっきり決めていただきたいわけですけれども、決めるといっても最後のところはどうしても幅がありますですね、この軍事というのは。相手が来て何をやるか分からないわけですから、一々それを法律で決めるなんてことは到底不可能なんです。
 その小さい部分につきましては、それを超法規と言うかは別なんですけれども、許される範囲があって、それで後でそれはちゃんと、まずければ下がるなりなんなりやらないといけないと。軍事なり危機管理というのはそういうものではないかと思っております。
○大田昌秀君 ありがとうございました。
 終わります。
○委員長(松村龍二君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言御礼を申し上げます。
 公述人の方々には、長時間にわたり大変有益な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 これをもって公聴会を散会いたします。


2003/07/18 >>公述人意見

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