2003年7月18日 >>質疑

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156 参・外交防衛委員会公聴会−(1) イラク復興支援特別措置法案について


平成十五年七月十八日(金曜日)

公述人
財団法人ディフェンスリサーチセンター専務理事  上田 愛彦
東京大学名誉教授  板垣 雄三
国際政治・軍事アナリスト  小川 和久
千葉大学文学部助教授  栗田 禎子
東京造形大学造形学部教授  前田 朗

○委員長(松村龍二君) 本日は、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案につきまして、五名の公述人の方々から御意見を伺います。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の法案審査の参考にしたいと存じております。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、公述人の方々からお一人十五分以内で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 また、意見の陳述、委員の質疑及び公述人の答弁のいずれも発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず上田公述人にお願いいたします。上田公述人。

○公述人(上田愛彦君) トップバッターで意見を述べさせていただく機会をいただきました上田でございます。
 レジュメが一枚ございますが、最初にちょっと自分のことを申し上げるのは大変どうかと思っておりますが、現在やっていることと今日申し上げることが関係がありますので、お聞き苦しいかと思いますが、ちょっとあえて申し上げます。
 平成元年に陸上自衛隊を定年退官いたしました。十四年たっております。七十でございます。今日まで、ここに書いてありますように、財団法人ディフェンスリサーチセンターというところの専務理事をやっておりまして、そこには私と同じように陸海空の辞めた者が三十人おります。
 何をしているかといいますと、日本のために、いろんな外国へ参りまして、安全保障、防衛、このディスカッションを忌憚なくやっているものでございます。現在までに七十六回やっておりますが、一回は五人で参ります。一人で行くともうやり込められてしまうので、陸海空五人で行きまして、直接英語でやりますけれども。外国へ行きまして、その国の国防省あるいは民間の研究機関あるいは辞めた方、戦略研究所、そういうところとはばかりのない意見交換をしておりますが、日本のことももちろん説明をしております。ほとんど日本のことは分かっておりません、普通の場合ですね。
 それで、一年に七回ぐらい行っておりますから、過去十年でちょうど今七十六回終わったところでございます。二十一か国、百三十か所ぐらいのところへ行っております。その後、行かなくてもいいところもありますけれども。そうして、帰りには例えばゴラン高原であるとか東ティモールであるとか、そういうところへ寄ってまいりまして、どういうふうにやっているのかなということも一つの研究の糧にしているものであります。
 基本的な運営の資金、これは全く防衛庁からは出ておりません。いただいておりません、おかしいんですけれども。もちろん、防衛産業その他からもいただいておりません。経済団体連合会の一%運動の一環としてやらせていただいております。ほんのわずかでございます。ですから、三十人は私も含めて全員ボランティアであります。ですけれども、行くときの資金まで出せ、これはないですから、それに全部充てていると、そういう団体でございます。
 十年間の成果を一言で簡単に申し上げると、こういうことになります。
 防衛の実務を三十五、六年やってまいりました。そして、そういう国際的ないろんな意見を聞いております。その中で、大変残念なことなんですけれども、現在の我が国の、どなたが悪いと、そういうことじゃありませんけれども、現在の我が国の安全保障あるいは防衛、そういうものの考え方といいますか、あるいは国民的な支持といいますか、それから対応の基盤といいますか、そういうものはどうも、ほかの日本と同じような国々、フランスとかドイツとかオーストラリアとか、そういうところと比べてかなり低いのではないかと、そういう考えを持っております。
 今日もそういうことでお話をさせていただきたいと思っておりますが、これはだれが悪いとかそういうことではございません。日本全体の問題だろうというふうに思っておりますが、防衛庁だけしっかりやれと言われても多分全くこれは歯が立たない問題ではないかなというふうに思っているところでございます。
 それで、三点申し上げたいと思いますが、レジュメの方に入らせていただきます。一枚のものがございますけれども。
 三点ございますが、日本が今回イラクに自衛隊を派遣するその意義、それから二番目が、行った場合、じゃどうなるんですかということですね、三番目はこういう問題が次から次に起こってくる、それに対してどういうことが考えられるのかなと。もちろん先生方もお考えだと思いますけれども、私見を述べさせていただきます。
 日本が今回イラクに自衛隊を派遣するその意義でありますが、当然のことでありますが、戦争によって破壊されたイラクへの人道的見地からの復興支援活動、これは日本として積極的に参加をして、国連あるいは国際社会の普通、常識的に考えている期待にはこたえるべきであろうと。そして、非戦闘地域、これが難しいと思いますけれども、これを定めて取りあえず自衛隊を派遣することが最も理にかなっているなというふうに思っております。
 残存勢力による不測事態はなお続いております、散発的にですね。戦争というものではないと思いますけれども。安全確保支援活動、これは自分を含めて大変大事であります。最悪の事態を考えて対応していかなければいけないなと、そういうふうにしていただきたいなと思っております。
 これらの活動につきまして、日本が、外国から見れば、自分だけの事情によって非常に消極的な態度を取っている、取り続けるということは、日本人の国際的な信用はもう地に落ちております、もう既に。それは普通いろんなことで外交的なお話なんかで余り出ないと思いますけれども、向こうへ行ってもう十回も会った人に聞きますと、日本人は一体どうなったのと、一体、別に軍国主義になれとかそういうことを言っているわけじゃありませんけれども、そういうことを言って、非常に我々はもう悔しい思いをしております。何とか日本もやっているんだよということを取り繕って言っているわけですけれども、本当はじくじたるものがあるわけであります。それから、日本の経済の再生、これは今申し上げましたそういう日本の国際的な信用と実は相当関係があるのではないかなと、ちょっと証明はできませんけれども、急には、そういうふうに考えているものであります。
 内外における自らの安全、これは自分で自分のことは確保しなければならないわけでございますけれども、その余力をもって、後れているあるいは困っているところの国に貢献する、これは今の国際社会で強く求められていることでありますが、その意味で、今度は同盟国であるアメリカ、米国です、これに対しても日本独自の判断に基づいて協力体制を敷いていくということは、日本の安全保障の今日の現状から見てそれは大変大きな意義を持っているというふうに思うところであります。これが、一であります。
 それから、二でございますが、派遣される自衛隊、そして他の集団に関してはどうか。
 万一危なくなったら逃げろ、これはないと思いますね。そういうことはできません。後ろ向ければまた完全にやられてしまいますから。ですから、自力で自分の目の前の急迫な危険には対応するだけの武器あるいは装備、これは絶対必要であります。そして、その使用方法ですけれども、ある一定の枠を決めておいて、余り細かくこれは言ってもその都度違うわけです、状況が。決めることはできないと思います。ある範囲で現場に任せるしかないと。いや、それがいけないんだという御議論もあるかもしれませんけれども、任せるしかないだろうと思います。
 日本の国益のためにいざとなったら命を投げ出す覚悟で行くわけですから、そういう貢献をする人に国民あるいはこの国会の先生方、もう全面的な支持をいただいて実行する体制が必要だろうと思います。
 それから、その三番目ですけれども、これらの集団あるいはその個人、自衛隊だけとは限りませんけれども、それは世界的な平均的な水準から見て、ある名誉を与える必要があるだろうと思います。自衛隊自身は自分に名誉を下さいと、そういうことは絶対言わないと思いますけれども、普通の国でやっているようなことは考えていただかないとこれはもうおかしくなってしまうという気がしておりますが。さらに、何かあったときの補償でございますね。これは十分に考える必要があるというふうに思います。
 それから三番目でございますが、今後ともこういうことはどんどん起こる、起こり得るというふうに思っておりますが、世界的に、御承知のとおり、ハイテクの兵器あるいはそれを使った戦争の概念というのはどんどん拡大しております。非常に狭く考えると、宣戦布告をして戦争というのはこういうものだという法制的な考え方は当然あると思いますが、そうではなくて、いわゆる戦いというものの概念はテロまで含めてかなり拡大されております。
 それからさらに、嫌なことですけれども、大量破壊兵器あるいは非対称の争いですね、脅威。これは戦車は戦車、船は船という、そういう対称ではなくて非対称です。戦車が来たと思ったら急に化学兵器が使われたというような場合ですね。そういう脅威は増大し、情勢は大きく変わっております。ですから、速やかな対応が常に求められていると思います。
 それから、ちょっと変わりますが、国内外の危険あるいは危機、そういうものに際しては、警察庁あるいは海上保安庁、あるいは防衛庁その他、麻薬とかいろいろあるわけでございますけれども、その役割は当然これまでの規定された役割以外のものが入ってまいります。あるいは重複して、相互に重複しているものが相当出てくるかと思います。よって、そういうような情報につきましては、縦割りで、いや後でとかそういうことを言っていないで、すべて一元的に流すという、そういう体制。そして、主たる担当の部署があるわけですから、それがこれでは間に合わないから変わるよというようなときは、やはりはっきりこれは明示をして、いち早く転換していくというような管理体制がないと、いろんなことに対応できないのではないかなというふうに思っております。
 今後ともそうした国際貢献あるいは安全確保、そういうことにできるだけ速やかに対応するためには、今お考えいただいていると思いますが、包括的あるいは恒久的な法制の確立は絶対必要だと思います。そして、それなりにまた訓練なり装備の充実なり、ふだんからやっておかなければ、急に行くからといっても何もそろっていないという状態では大変困ることになるかなと思っています。今回の場合は、たまたまそれが急に行かなくてもいい、あるいは難しいという状況がありますけれども、場合によったら一日も早く行かなくちゃいけないというときに、どうも日本の対応は遅いねというのが多くの国の、多くの識者の、もし行くんなら、多くの識者の我々に言っていることであります。
 そして、国際情勢はますます複雑化しているわけでございますが、それぞれの地域があります。今回はイラクならイラク、それをふだんからずっと考えて研究している人たちが少なくとも本当は、世界を相手にするわけですから、百人ぐらいいなくちゃいけないんじゃないかなと思いますけれども、あるいはおやりになっているかもしれませんけれども、そういう常続的な研究体制を日本のどこかで戦略研究所として、あるいはシンクタンクとして持つべきであろうというふうに思っておりますが、それを官だけでやろうとするととかくうまくいかない。じゃ、民だけでやったらどうか、これもうまくいかないです。だから、官と民が一緒になって知恵を出し合って、日本のためにこれからやっていく必要があるのではないかなということが最後に申し上げたいことでございます。
 ありがとうございました。

○委員長(松村龍二君) ありがとうございました。
 次に、板垣公述人にお願いいたします。板垣公述人。

○公述人(板垣雄三君) ここで公述を行う機会を与えられましてありがとうございました。
 私は、長らく国際関係というような次元で中東研究、イスラーム研究をやってまいりました。そういうことから、どういう方角の方からも意見、助言を求められる場合には、私の方から積極的に私の考えるところを申し述べてきたつもりであります。今回、このような形で非常に公の場でその機会を与えられましたことをうれしく思っております。
 本日、私がお話ししたいと思っておりますのは、この法案、私はこれまで、このイラク特殊事態と申しますか、イラク戦争に関しましていろいろな意見を申し述べておりますが、本日はこの特措法案に問題を集中して考えてみたいと思っております。
 私が本日問題にしたいと思いますのは、この「主体的かつ積極的」という、そこの点であります。この主体的、また積極的という、そういうことについて私が考えるところを述べるに当たりまして、七〇年代以降、一九七〇年代以降、私はしばしば覚悟ということを申してまいりました。その前においては、日本の社会は中東やイスラームの問題についての勉強が必要であるということで、勉強ということを盛んに言っておったのでありますけれども、ある段階から覚悟という言葉を意図的に日本社会に向かって発信するように努めました。
 先ほど、上田公述人のお話にも覚悟という言葉が出ましたけれども、この覚悟というそういう問題で、私は湾岸戦争の直後に、クウェート解放のその直後でありますが、ある出版社から本を出すように言われて急いで本を作ったのですが、その題名は「日本人よ、覚悟はできているか」という、何かそれは出版社が決めてくれたので非常にどぎつい題でありましたが、そのような本も既に出したことがございます。
 私は、この法案が、特措法が実際に行われるというそういう場合、そして厳密に言えば、この法案の審議が行われるという、そういうそれ自体が、そのこと自体がもう既に、すべての日本人と申しますか、日本国民への覚悟を問う、そういうふうな意味を持っていると思います。
 これは、言うまでもなく、政治家の方々、ローメーカーズといいますか、立法機関の方々もそのことについて、このことについて覚悟を固めておられるわけだと思いますが、あらゆる立場において、それぞれ。しかし、この法に基づいて派遣されることになるとすれば、その自衛隊員も、それからまたイラクで働いている日本人のNGOの関係者も、すべて直面すべき様々な考えられ得る事態というものに対しての覚悟を固めなければならないというふうに思っております。
 この法案が可決成立するといたしまして、私がこの法案に関して評価したいと思います点は、全体として血を流すまいというそういう決意、つまり戦闘行為にかかわらないという、こういう決意であります。それは、憲法の定めるところといいますか、憲法上の要請として、そのことが非常に重大なこの法案を支える決意として言わば貫かれているという、そういう点であります。
 戦闘行為にかかわらないというこの問題は、明らかに、私の見るところ、アメリカの例えばブッシュ・ドクトリンと言われているような国家安全保障戦略で考えられている問題、あるいは現実に九・一一の事件後展開され、今日に至り、また今後も引き続き展開するであろう対テロ戦争というそういう状況の中で、アメリカが考えております新しい戦争といいましょうか、そういう物の考え方に対しては、これは、この法案は明らかにある重要な一線を画す、それとは違う立場というものを前提にしているという、そういうところがあると思います。
 したがいまして、その覚悟ということのある局面においては、今後、アメリカの対テロ戦争というものの進め方というものに対して我が国がしかるべき我が国の独自の主体的な立場に立ってそれに対応していかなければならないという、そういう問題にもつながっていくわけであります。
 この主体的という、そういうことの、この法案に盛られている主体的ということの意味合いを、こちらのこの委員会での御審議を通じて日本国民全体にもそういうことの意味を明らかにしていくという、そういうことが大事ではないかと思いますし、さらには、この法案において考えられている日本の主体性という、そういうものがいかなるものであるか、我が国の立場というものがどういうものであるかということをアジアの近隣諸国に対しても、そしてまた中東の、広く中東の国々の国民に対してもそのことを明らかに説明していくという、そういうことが必要であると思います。
 イラクという国でありますけれども、我が国はイラクという国の枠組みを決めるところで非常に重要な主体的役割、かかわりを持っておりました。そのことは、今回、日本全体の中で、我が国のこの問題に関しての議論全体の中で必ずしも十分に顧みられていないと思います。
 一九二〇年のサンレモ会議という第一次大戦における連合国の会議において、イラクという国の枠組みが定められました。そして、それは同時に、パレスチナという範囲をイギリス政府がシス・ジョルダンという、ヨルダン川の西側という形で定めていく。そういう中東の国分けのシステムを定める一環としてイラクという国もつくられたわけであります。
 非常に人工的につくられたことは確かでありますけれども、そのサンレモ会議に日本は参加しておりました。当時、我が国は南洋群島、ミクロネシアにおける国際連盟の委任統治という、そういうものを実現していくという、そういう企てにおいても、このサンレモ会議においてある役割を演じたわけでありますけれども、イギリスとフランスが中東の国分けのシステムを作るという、そのことに協力したわけであります。
 したがいまして、その後、イラクという国、非常に人工的な、もろい、もろさを持ったそういう国というものの一体性というものをいかにして確保するかということが国際政治の中で問題になってきたところで、例えば湾岸戦争の過程におきましても、お父さんの方のブッシュ大統領でありますが、が踏みとどまった、バグダッドの攻撃などは踏みとどまったというようなところにもイラクという非常にフラジャイルな国というものの一体性をいかに守るか、そしてそのことによって中東諸国体制全体への影響が及ぶことをいかに食い止めるかという、そういう考慮が強く働いていたわけでありますけれども、このイラクの一体性というものを守るということにおいては、我が国は一九二〇年のサンレモ会議以来の言わば責任を負っているという、そういう面があると思います。
 したがいまして、主体的かつ積極的という、そういう寄与というものを考える場合に、我が国としては、ただ単に安全な場所を探すというそういうことだけでよいのかという、そういう問題が出てくると思います。
 つまり、イラクという国を一つのものとして枠を崩さない、そしてその影響が周辺に及ばないようにする、そういう中東の安定ということを考える上で、またイラクの国民というものの将来を考えていく上で一体どこでどういうふうに働くのかという、そういうことが主体的かつ積極的に考えられるべきであります。
 つまり、ここでまた改めて覚悟ということが問われるということになると思います。他の国々との調整も必要でありますし、そしてまた安全という基準だけで働く場所が決まるというようなことではない。
 そして今、非常に明らかなことは、ここではイラクの国内の状況というものを詳しく御説明することはできませんけれども、日本はやはりバグダードというそういう場所にかかわる協力をするという、そういうことがイラクという国の一体性を守り、中東諸国体制というものを崩していかない、そういうところで国際的にも貢献する、その主体的かつ積極的な寄与ということを追求すべきでありまして、ただ単に犠牲者を出さないというような、そういうふうな姿勢だけでよろしいのかということが国際的に問われることになるだろうというふうに思います。
 さて、そこで、このイラクの中の情勢でありますけれども、私の見るところでは、これは決してバース党の残党とかサダム・フセインの手足になっているような人間が、これが今なお蠢動しているという、そういうようなことではなく、現在、この五月以降でありますけれども、イラクの中の様々な要素の人々、つまりそれがイラクというものの一体性のもろさということを構成している要因でもあるわけですけれども、その様々な要素の人々が自分たちはイラク人だというそういう意識をこの段階で選び取りつつあるという、そういう状況があると思います。
 つまり、今起こりつつある状況というのは、これから先を見通しますと、イラク人の占領に対する抵抗という、そういうふうなことが起こってくるという、そういう可能性があるということを我々としては覚悟を決めて観察し、それに対応していかなければならないということであります。決して、物取りとか泥棒とか野盗とかいう、そういうような人々や、それからかつて日本が中国東北などで言っておりましたような馬賊だとか匪賊だとか、そういうような要素の人々が今うごめいているということではないということです。そして、湾岸戦争後、アメリカがこのイラク人というそういう意識をむしろ強めてきた、そういう結果を生んできているという、そういうことを考えてみる必要があると思います。
 そこで、安全な場所を見付ける、そういうことについての判断が可能であるということですけれども、その判断を確実なものにするためには、先ほどの上田公述人のお話にありましたような、このイラクないしは中東に関する研究というものが、そこでの地域研究というものの知識が有効に働かされなければならないと思います。政府が様々な調査団を派遣しておりますけれども、もっと地に着いた日本における知識というものを有効に活用すべきであると考えます。
 これで終わります。

○委員長(松村龍二君) ありがとうございました。
 次に、小川公述人にお願いいたします。小川公述人。

○公述人(小川和久君) 本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。
 私は、どこの組織にも属していない軍事専門家として、日本国政府のセキュリティーと名の付く分野のほとんどすべてに末端からかかわり、お手伝いをさせていただいている立場でございます。もちろん、与野党を超えて、政党ともあるいは政治家個人とも勉強をしていこうという形でかかわりを持っている立場でございます。
 そういう立場から、本日は、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関して、自衛隊をきちんとした形で派遣すべきという立場から、若干の意見を述べさせていただきたいと思っております。
 お手元の一枚紙の順序でお話を申し上げていきたいと思うわけでございますが、まず、現在の議論というのは、日本の原理原則に基づいたイラクの復興支援というものに集約されていない、議論されていないという点で大いに疑問があるということを申し上げざるを得ない。
 これまで議論されてきたのは、大部分が自衛隊の派遣に関する事柄であった。当然ながら、目の前にあるテーマというのは自衛隊の派遣でございますけれども、やはり我々は考えなければならないのは、やはりイラクの復興支援、もっと言いますとイラクの国づくりをどう日本が原理原則に基づいてお手伝いをするかという話でなければなりません。その中における自衛隊の派遣の位置付けが明確ではないという、議論としても大きな欠点を持ったものだと言わざるを得ない。
 その辺をやはり踏まえまして、日本国が掲げてきた平和主義と国連中心主義にのっとったものであるということをまず明確にする必要があるのではないかなと私は思います。
 提出されている法案も、一応は、もってイラク国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資するとはあります。しかし、やはり日本が掲げてきた平和主義が、日本が、できることとできないことはありますが、できることを精一杯やって国際社会の平和の実現に努力をし、その日本の姿に対して世界の評価と信頼が生まれてくる、それが日本の安全や繁栄の基盤として戻ってくるという意味で平和主義を掲げていること。また、国際社会の平和の実現のための一つのシステムとして国連を使おうという考え方が国連中心主義であるということがより明確に示されるべきではないかと私は思います。
 また、法案では、一応は、国連安保理決議六七八、六八七、一四四一、一四八三号に基づくとはしているけれども、やはりそういった我々が掲げてきた原理原則の中の国連中心主義というものに沿ってもっと明確な位置付けがなされるべきではないかと思います。
 そういったことを考えますと、日本が担うべきはイラク国家の再建全般への支援でなければならないはずです。必要であれば、あるいは可能であるなら、国連の新たな決議を求めて、そこに取り組んでいくということも考えなければいけない状態にあるのではないかなと思います。
 そういう中で、自衛隊の派遣というものでございますけれども、例えば大災害の直後に消防、警察あるいは軍事組織である自衛隊を投入しなければならないという時期がやはり大災害においてもあるわけでありますが、それと同じように、戦争の直後にも軍事組織が中心とならなければ様々な役割を果たせない時期があるということを意識しながら自衛隊を派遣すべきだろうと思います。ですから、自衛隊の派遣は、イラクの復興初期の治安が回復するまでの避け難い、不可避の、しかも期間が一定程度限定された任務だと位置付けるべきではないかと私は思っております。
 そういうことからいいますと、自衛隊につきましては、この不可避かつ期間限定の任務を達成できるだけの能力を備えさせて派遣しなければ、派遣をする意味がないとすら言えるのではないかなと私は思っております。
 ただ、私自身、そういった議論をする上で、皆さん方と一緒に考えていきたいと思っているのは、この黒丸の二番目の点でございます。とにかく、特に軍事問題に関する日本の議論は、自ら掲げてきた専守防衛を理解していない点で極めて無責任な空理空論に終わっているような印象がしてなりません。
 例えば、反対する立場の方は、特に国際貢献任務を突破口に自衛隊の海外派兵が本格化するということをおっしゃるわけでございます。
 しかし、軍事専門家の末席を汚す者として申し上げますと、自衛隊、そして現在のドイツ軍、あるいは旧西ドイツ国防軍は海を渡って外国を侵攻できない構造になっているということを知らなければ、この問題を語ったことにはならないわけであります。自衛隊も、それから旧西ドイツ国防軍も発足のとき、言葉を換えますと、再軍備のときに米国が日独両国の軍事的自立を阻止するために規制した結果でございます。
 ですから、アメリカとの同盟関係においてのみ一定の高い能力を発揮し得るけれども、自ら自立した形で海を渡って外国を席巻するような構造にまずなっていない。これは税金の使い道を普通にチェックしている国であれば一目瞭然のはずなのに、我が国の国会はそういった議論に踏み込んだことがほとんどないような印象を持っております。現在の構造である限り、例えば百倍の防衛費を投入しても外国を侵攻することは不可能なんです。それは世界の先進国の軍事専門家であれば常識であります。そういった常識の議論がなぜできないのか。これがまず私が不思議に思っている点でございます。
 この外国を侵攻できない構造に自衛隊を維持することこそ、専守防衛という言葉で表現されている日本のポリシーの具体的な姿であるということも言えるのではないか。そういったことを踏まえながら、例えばアメリカとの関係もきちんと維持していかなければいけないわけであります。日本がこの専守防衛の構造を捨てることを特に米国は望んでいない。これは日本の軍事的自立の問題につながるからでございます。この専守防衛というのは、当然ながら日本の原理原則である平和主義に含まれてくるものと理解されるべきではないか。そういった日本の専守防衛の構造の自衛隊であります。
 この自衛隊の国際貢献への派遣は憲法の精神とも矛盾しないものだと考えて、このイラクの復興支援あるいは安全確保支援活動への派遣というものを明確に打ち出すべきである。単なるその海外派兵といった幼稚な表現は避けるべきだと私は思っております。
 そういう中で、今衆議院でも、今日かなり活発な論戦が行われているのをラジオで聞きましたけれども、まず、イラク戦争への日本国としての支持は日本の原理原則を根拠にすべきであったろうと。あるいは、イラク戦争への支持を打ち出す前に、私自身は、日本の原理原則から支持をするかしないかということを明確にすべきだということを言ってきた立場であります。
 これについては若干考え方について整理をし、御説明を申し上げなければならないんですが、私は、一昨年九月十一日の同時多発テロの直後の日本の政府、つまり対米協力あるいは対米支援というものが先行している状態について、修正すべきだという意見を述べ、また一昨年十月十三日のテロ特別委員会においても、与党側の参考人としてそういう修正を求める発言をしたわけであります。
 当時の日本としての立場を考えれば、同時多発テロを日本の平和主義への重大な挑戦と位置付けて対テロ戦争に参加すべきという選択肢が目の前にあったということが言えるわけであります。反対する立場であればまた反対すればいいと。そういう立場を明らかにすれば、日本は、テロの容疑者や容疑組織が国際的な裁きの場に立たされるまで国際共同行動を取るべき立場であるということが明確になったわけであります。
 そういう立場に立てば、自衛隊の派遣にしても、憲法の枠内という制約は当然伴いますけれども、地球上のどこへでも派遣できなければならない立場であった。また、それを実行しなければ、自ら掲げてきた平和主義とか国連中心主義を否定することになりかねない自家撞着に陥るような立場であったわけであります。こういった形で議論を整理して、対テロ戦争に参加をすれば、望んでもいない集団的自衛権の議論に頭を突っ込むこともなく自らの国際的な役割を果たすことはできるだろうという話を、当時、テロ特別委員会でしたわけであります。
 これと同じように、イラク戦争への支持についても、大量破壊兵器の有無を根拠にすべきではないということを私は申し上げた。それは、アメリカやイギリスが大量破壊兵器があるということを理由に開戦に踏み切ったとしても、日本はそれを検証する能力がないわけですから、ただそれに引きずられて開戦を支持するというのは自ら墓穴を掘る行動になりかねないという危惧があったからであります。
 日本は、やはりこれは小泉総理も言ってこられたことではありますけれども、大量破壊兵器開発疑惑国とテロ支援国家、あるいはテロリストの結合を世界平和への脅威と考えなければならない立場だと。これは平和主義の問題であります。そして、これは同時に日本の国家安全保障上の問題、すなわち個別的自衛権の問題として考えなければならない立場だということを当時も申し上げていた。
 とにかく、日本は、大量破壊兵器開発疑惑国とテロリストを結合した場合、三つの立場からテロの標的となることを考えなければいけない国である。それは、サミットを構成する主要国の一つである、あるいは米国の最大の同盟国である、又は対テロ戦争を遂行している国であるという立場からテロのターゲットになりかねない。
 そういう日本は、イラクに大量破壊兵器開発の疑惑を晴らすように働き掛けたけれども拒否された立場である。イラクは国連の査察を妨害したなどのかどで国際的な軍事制裁の対象となった面があるわけであります。そういったことを前提とした場合、日本は自国の原理原則と国家安全保障上の理由から軍事制裁を支持するという選択をしたのだということを言えばそれなりの筋は通る。もちろんこれに反対するという立場を打ち出しても構わなかったわけであります。
 場合によっては、軍事制裁を支持するというだけじゃなくて、個別的自衛権の問題から自衛隊を、これは当然ながら補助的な作戦に限定されるわけでありますが、参戦させられる立場であるということも明らかにしてよかったわけであります。これは理屈の上では成り立つわけであります。この考え方であれば、大量破壊兵器の有無と開戦を支持した日本政府の立場が関係付けられることはなかったと。この考え方を示しておくことは、同様に、北朝鮮に核兵器の開発や保有を断念させる上でも有効な圧力となったであろうと私は考えております。
 そういったことをきちっと明確にした上で、軍事組織、具体的には自衛隊でありますが、その派遣についての位置付けは、治安が回復されるまでの期間限定の復興支援とすべきであるということで送り出していくことが必要だろうと思ったわけであります。
 とにかく、送り出していく場合、担当地域にかかわらず、当初は治安維持能力が必要になります。ほかの地域を担当しているほかの国の組織に対する応援もあり得るわけであります。そんなことを考えますと、例えば武器弾薬の輸送についても、これはこん包そのものが外見で実は判別できるわけでありますが、輸送任務はきちっと果たすべきである。こういったことを考えないと、やはり治安維持の回復までの任務を全うすることはできないだろうという話なんです。
 そういう流れの中で、持たせてやる武器というものは、普通科連隊、つまり歩兵連隊の部隊が元々装備している重迫撃砲以下の部隊装備火器の範囲内で選ぶ。そして、本当に先進国の軍隊同士が戦うために編成を組み直すことが、実はRCT、連隊戦闘団という考え方があるんですが、これは絶対にやらない。これはいわゆる憲法が禁じている武力行使に当たりますので、これはやらないということで一線を画さなきゃいけない。
 しかも、どんな武器を持っていくかということよりも重要となるのは、部隊行動基準、ROEを事細かに任務を遂行できる内容に定めることであろうと。どんな破壊力の大きな重装備を持っていたとしても、先に攻撃されるようなROEであれば何ら意味をなさないからであります。そういった議論をきちんと整理していただきたい。
 それから、安全についていろいろ議論がありますけれども、イラクにおいてはやはり基本的に米国だけが、米軍だけが攻撃されている。イギリスは慣習を無視した結果、トラブルを起こして六人亡くなりましたが、若干違うとらえ方をしなきゃいけない。また、ほかの国の部隊が余り攻撃されていない理由については早急に調査をする必要があるだろう。
 最も重要となるのは、イラク国民とひざ詰めでニーズの発掘を行わなきゃいけない。各階層の指導者たちと話をし、本当にアラビア語の堪能な人間をそこに投入をしてニーズを掘り出していく。そのニーズに合った形で自衛隊が活動をすれば、当然ながらその地域のイラクの住民が自衛隊の安全を守ってくれるぐらいの立場になることは可能である。自ら安全を確保することがここで可能になってくるという話なんです。
 そういったニーズの発掘を基に、日本は、CPA、暫定占領当局と調整した上、任務を遂行する。どんな服装をして行った方がいいかなという選択も、そのニーズがはっきりした上で決めていくということが大事であります。
 そして、日本がやらなきゃいけないのは、単なる米国の下部組織ではなく、自国の原理原則で行動していることを現地の言葉でイラク国民に伝える努力が必要だろう。そして、日本が担うべきは、日本の戦後復興のノウハウなどによるイラクの国家建設を手助けすることだということを忘れてはならない。その辺のことをもう一回整理をして自衛隊の派遣を議論していただきたい、決めていただきたいというのが私の立場であります。
 どうもありがとうございました。

○委員長(松村龍二君) ありがとうございました。
 次に、栗田公述人にお願いいたします。栗田公述人。

○公述人(栗田禎子君) 栗田と申します。中東の近現代史を勉強しております。
 最初に資料を御確認ください。A4の資料がありまして、三枚目に大きいB4のが付いております。この資料であります。
 まず最初に、今審議されておりますいわゆるイラク特措法、審議するに当たって我々が検討すべき問題が大きく言って二つほどあると考えられます。一つは、自衛隊という武装部隊、武装集団を海外に派遣するということ自体が、それ自体がそもそも憲法の平和主義の原則と矛盾するのではないかという問題です。第二点として、実際に自衛隊をイラクに派遣するということがイラクの状況を考えたときにどのような意味を持つのか、あるいは、これがまた更に重要なことですが、イラクのみならず、日本・中東関係全般にどういう影響を与えるかという問題がございます。
 この間、この法案を推進される立場の方々からも、イラクの復興に貢献することは中東の安定に寄与することであると、なので日本は復興に参加しなければいけないという御議論がありました。正にそれはそのとおりであります。イラクに対応することは中東全体に対応することであります。ですので、単に自衛隊の海外派遣それ自体が憲法に矛盾するということ以外に、それが日本・中東関係全体にどういう影響を及ぼすのかということを是非考える必要がある。
 以下では、その問題について主にお話ししていきたいと思います。
 第一番目ですが、一番目はイラク戦争の正当性をめぐる問題であります。
 この法案の第一条では、イラクに対する米国等の武力行使は一連の国連決議に基づくものであったということが明記されております。ところが、この戦争を国連決議に基づく戦争だったという理解は実は必ずしも国際社会の一致を見ていないという現実がございます。
 御承知のように、戦争に至る前、多くの国が問題を国連中心で平和的に解決することを求め、戦争に反対してまいりました。戦争が始まった後も、あるいは戦争が一段落した後も、戦争が国連決議に基づくものではなかったという立場を取っております。実はこの中に中東諸国の大半が含まれるのであります。記憶をたどっていただければ、戦争に至る、戦争前の時期に、イスラム諸国会議、あるいはアラブ連盟、あるいは中東諸国のほとんどが加入しております非同盟諸国がいずれも戦争に対して反対の姿勢を示したということは御記憶に新しいことと思います。
 ですので、イラク戦争が国際的に正当な戦争だったということについて国際社会の一致が見られていない、その状況で戦争は正当だったという前提に立つ、しかもそれを第一条に明記した法案を通すということの問題性をよくお考えいただきたいと思います。
 第二点目です。これは戦争の結果成立した現在のイラクの米英占領体制の正当性をめぐる問題であります。
 本法案は、国連決議一四八三は占領体制を正当化しているという理解に基づいて作られております。ところが、実は、この国連決議一四八三が占領体制を正当化しているか否かについても実は多くの議論、疑義が出されております。例えば、一四八三は確かに全会一致で通ったわけですが、それは占領を正当化するものではないんだと、占領が存在すると事実を確認し、米英は占領軍なので占領軍としての義務を果たすよう求めたものにすぎないという理解がございます。
 さらにまた、その一四八三の適切性自体についても、これは戦争が終わった後いつまでもイラクの人々を何の国際的枠組みもなしに米英の占領下にほっておくわけにはいかないので、一応一四八三という決議を国連の場で通したけれども、しかしその一四八三の決議が完全に、内容が完全に適切あるいは公正ではないだろうと、そういう議論もございます。
 例えば、現在の体制、イラクにおける占領体制というのはあくまで米英占領軍中心で取り仕切っていく体制であって、そこでは復興プロセスあるいは今後のイラクの国づくりのプロセスから、そこに国連やイラク人が果たす役割を極力排除していこうとするような構図に実はなっているんだと、その意味で一四八三の内容というのは実は完全に適切あるいは公正なものではないので、ある段階に至ったらば、今後、国連やイラク国民が中心的役割を果たすべき体制に作り直していくべきだという議論がございます。
 これは、御承知のように、フランス等はこういう議論を最近しきりに行っておりますし、あるいはアジアの大国でも、インドは例えばやはり同じような理解に立って、国連決議に基づいては、国連決議の一四八三の枠内では派兵ができないという考え方に基づいて、軍隊派遣を見送るといった決定を行っております。実は、中東諸国の多くもこれと同じ理解を取っているということが重要であります。
 こうなってきますと、一四八三は占領体制を正当化しているという理解に基づき、かつ米英占領体制への協力を中心に据えた法案を日本が成立させるということの重要な問題点が明らかになると思います。これが三番目につながっていきます。
 と申しますのは、本法案の内容は、イラクに対する人道支援もうたわれておりますが、あくまで主眼は米英占領軍が行うイラク国内の安全・安定確保活動を支援することであることは明白であります。ところが、その米英占領軍がイラクで行う安全・安定確保活動というのは何かというと、結局はこれは占領体制に対するイラク国民の抵抗を弾圧する、あるいは抵抗を排除するための軍事行動であるというところがあからさまな真実であろうと考えられます。
 その際に、イラク国民の抵抗、米英軍に対して抵抗を行う人々の、これは多様、様々であり得ます。先ほど板垣公述人からのお話にも触れられましたが、中には確かに旧体制支持者、旧サダム・フセイン政権支持者によるものもあると思いますが、一方には、一般の市民が、当初は抵抗していなかったのが、占領体制下で生活状況が一向に改善されない、むしろ悪化していく、あるいは米英占領軍がいかにも外国占領軍であることを丸出しにするような非常に横暴な行動を取るといったことに対して抗議をして、それに対して、その結果衝突が起きると。場合によっては、非暴力の抵抗であったものに対して米英軍が武力で対処して流血の事態に至ってしまう、そういったこともございます。
 要は、米英軍に対するイラク国民の抵抗、様々なイデオロギーに基づく様々な立場の人が行うかもしれませんが、基本は米英占領軍がいるということによって起きている問題ですね。外国占領が存在するということによってもたらされる占領軍とイラク国民の間に生じる矛盾の問題であるということでございます。
 そこに、米英占領軍とイラク国民の激しい矛盾が存在するイラクに占領軍の側に完全に立つということを明らかにした形で自衛隊が出ていくということの問題点が考えられます。占領体制の国際的疑義が出されている状況下で、占領軍の側に完全に身を置き、占領軍の安全・安定確保活動、具体的に軍事行動であるわけですが、それを間接的にせよ支援するということの重要な問題点が明らかになると思います。
 まとめに入りますが、最初に述べましたように、イラク問題は中東全体にとって重要な、大変な重要性を持つ問題であります。文字どおりイラクの復興にかかわることは中東全体の安定に寄与することであります。ですので、長い目線で日本・中東関係を見据えてイラクに関与していくというならば、イラクに関与するに当たっては是非とも中東諸国、中東の人々の意見を踏まえるべきであると考えられます。
 中東の多くの国々、国民によってイラク戦争が国際法上の根拠を欠いたものと考えられ、かつその後の占領体制の正当性も疑われている状況で占領軍の軍事行動への協力を中心に据えた法案を成立させることには大きな問題があると考えられます。
 欧米諸国が中東に対して軍事侵略や植民地支配の過去を持つのに対して、日本は幸いに、これまでは中東に対して直接的には軍隊を送ったことも占領したこともないという幸運に恵まれております。もちろん、先ほど板垣公述人がおっしゃったように、実際は第一次大戦後の中東分割にかかわった過去は実はありますが、直接軍隊を送っただの植民地支配をしたということは幸いにもなかったんですね。そのために、日本は中東では非常に良いイメージを享受してきたと言うことができます。今後、日本がすべきことは、このイメージを大切にして、中東の人々が望むような形の支援を考えていくべきだということだと思います。
 ここで、中東の諸国、中東の人々の意見を踏まえるべきだということに関連して資料を紹介させていただきたいのですが、中東の人々は具体的に日本に何を望んでいるか。これは通り一辺倒の調査ではもちろん済みません。草の根の民衆から聞き取り調査をする、あるいは実際にイラクに行って一般の市民とお話をするといったことも必要で、NGOの方々などは実際もうかなりそういう作業を進めておられると思います。
 そこまでは私今回できなかったのですが、それに代わり得る一番手っ取り早いといいますか、無味乾燥かもしれませんが、簡単な方法として、在京中東諸国の大使館にアンケートを送って、中東は日本に何してほしいですかと聞くということがあり得ます。
 添付した資料の二番目がそのアンケート原文になっておりまして、それを簡単にまとめたものが三枚目の資料になっております。
 これは後でお時間があるときに見ていただきたいんですが、基本的に四点聞きました。法案自体への意見は聞かないということを前提にした上で、日本・中東関係に関して以下の四点について一般的参考意見を伺う。一、イラク戦争に対する貴国政府の立場はどのようなものでしたか。二、戦争の結果、イラクにもたらされた現在の状況に対する貴国政府の立場はどのようなものでしたか。三点目、イラク復興に関して、日本に最もふさわしく、期待される支援の在り方はどのようなものと考えますか。四番、日本は中東で一般にどのような役割を期待されているのでしょうか。
 これは実は、おとつい、昨日と二日間で全アラブ諸国とイラン、トルコ、それからイスラエル、それから中東ではありませんが関係深いということでパキスタンの諸国に、大使館にメールとファクスでお送りしまして、二日間で、火曜日に送って水曜の午後までに返事を返せという大変乱暴なことをやったわけですが、その中でも、文書回答、トルコ、シリア、スーダン、パキスタン、カタールですね、大使が直接、大使若しくは一等書記官に直接面接いただいたのがチュニジア、ヨルダン、サウジアラビア、三国、計八か国からの回答がありまして、大変な関心の強さを逆にうかがわせました。
 詳しい内容の検討は省きますが、これを読みますと、後で見ていただきますと、中東の人々が日本に望んでいる支援は圧倒的に医療、人道及びインフラ再建等の平和的支援であるということが確認できると思います。
 本国会がイラク支援の在り方を決定されるに当たりましては、是非とも中東諸国、中東の人々の意見を踏まえる形で、中東の人々の感情を決して踏みにじるようなことがない形で決定を下されることを切に希望いたします。
 ありがとうございました。

○委員長(松村龍二君) ありがとうございました。
 次に、前田公述人にお願いいたします。前田公述人。

○公述人(前田朗君) このような機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。
 私の意見陳述は原稿の形でお手元に配られていると思いますので、それを読み上げる形で陳述させていただきます。ただし、やや長めですので、あちこち省略をしながら進めさせていただきます。
 戦争犯罪論を研究する者として意見陳述をさせていただきます。
 最初に、米英軍のイラク占領とは何であるのかを検討いたします。ここでは原則論、特に国際刑法の観点から見た原則論を再考したいということでございます。その後、イラク特別事態に対処しようとする本法案への疑問を述べていくということ、及びアフガニスタン国際戦犯民衆法廷というNGOの試みについて御紹介をした上で、本法案への疑問点を述べさせていただきます。
 一番ですが、本法案はイラクに自衛隊を派遣しようとする法案ですから、米英のイラク占領統治の法的性格、その正当性について検討することから始めます。国際法上、他国の領土にその国家の同意なしに軍隊を派遣することは違法な武力行使に該当し、侵略行為を構成することは言うまでもありません。
 十行ほど飛ばしますが、さて、法案二条三項は、国連安保理事会決議一四八三その他政令で定める国連総会又は安保理決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができるとして、その国の同意なしに対応措置を実施するものと定めています。ここに言う「イラクにおいて施政を行う機関」としての米英が、その国の同意なしに軍隊を派遣する法的権限を有していたか、侵略行為に当たらないような権限を有しているかが問題になります。
 決議一四八三本文パラグラフ四は、当局に対し、国連憲章及びその他の関連国際法に従い、特に安全で安定した状態の回復及びイラク国民が自らの政治的将来を自由に決定できる状態の創出に向けて努力することを含む領土の実効的な統治を通じてイラク国民の福祉を増進することを要請するとしています。
 決議一四八三前文パラグラフ十三は、統合された司令部の下にある占領国としてのこれらの諸国の関連国際法の下での特定の権限、責任及び義務を認識し、としています。すなわち、決議本文パラグラフ四も、決議前文パラグラフ十三も、米英両国に対して関連国際法の遵守を求めているものです。関連国際法とあるのは、具体的には国連憲章及び国際人道法を構成する国際法が念頭に置かれています。
 決議一四八三から明らかなことは、米英両国が事実上の占領国として、既存の関連国際法によって認められた特定の権限、責任、義務を果たす必要があること、つまり占領統治が国際法に従って行われるべきことであります。
 決議一四八三は、米英両国に占領を行う権限を与えたものではなく、事実上占領している米英両国に占領国としての既存国際法上の権限、責任、義務を果たすように求めたものです。決議一四八三は新たな権限、責任、義務を米英両国に付与するものではありません。
 そもそも現代国際法は戦争の違法化の歴史の上に成立していますから、国連憲章一条は、国際紛争の平和的手段による解決を国連の最も重要な目的として掲げております。今日、武力行使を行わないという武力行使禁止の原則、これが現代国際法の基本となっております。
 もちろん、現実には、今日の国際社会において、なお各地で多数の武力行使が実際に発生しています。それらの武力行使について合法性の有無が常に的確に判断されているか否か、これにも疑問が残ります。現代国際法が戦争や武力行使を違法化しているとはいっても、現実に現代国際法が十分遵守されているわけではありません。
 そこで、ハーグ条約やジュネーブ条約等の発展の上に国際人道法が形成されてきました。現代国際法は、戦争や武力行使を違法化しつつ、現実に生じている戦争や武力行使に対応して、すべての当事者が遵守しなければならない人道的な規則を発展させてきました。国際的性格の武力紛争であれ、非国際的性格の武力紛争であれ、現実に発生した武力紛争において、捕虜の虐待や民間人に対する攻撃など、いかなる場合にも違法とされるべき行為を禁止することによって、戦争に伴う残虐性や無用の攻撃を抑制しようとしたものです。したがって、国際人道法は、当該武力行使が合法なものであるか違法なものであるかにかかわりなく、すべての当事者に人道的な規則の遵守を求めたものです。そのような責任、義務が米英両国にあるにすぎません。
 三枚目に移ります、若干飛ばして三枚目ですが。
 法案一条は、イラク特別事態なる概念を、安保理決議六七八等三決議、これらに基づいた、及びそれに対して引き続き行われている事態という形で特徴付けております。ここでは少なくとも二つの問題を指摘できます。
 最初に、米英によるイラク攻撃がこれら三決議に基づく正当な武力攻撃であったという解釈の問題点です。米英のイラク攻撃が安保理決議に基づいた行動だという主張には非常に無理があります。この点は、しかし既に何度も議論されてきたことでありますので繰り返しはいたしません。ただ、二点だけ別途指摘しておきたいと思います。
 第一に、これら三決議が米英に武力行使を認めたという解釈をするとすれば、これらの三決議が武力行使の程度や範囲や時期について何ら言及していない事実に照らすと、そのような解釈をしてしまえば、安保理が米英にほとんど無条件に権限を付与した白紙委任の決議であるということになってしまいます。そのような解釈は到底採用できません。
 第二に、安保理における新決議をめぐる経過及びその後の各国の対応から見ても、これら三決議がイラク攻撃を授権したという解釈は国際社会においておよそ共通認識となっていないことであります。このような事態では、政府が行うべきことは、決議はこう解釈できるとか、このような解釈も可能であると主張することではなく、決議の意味内容を安保理において直接明白にするように努力すること、及びイラク復興支援を一刻も早く国連の枠組みに戻すように努力することであります。このことが最も重要なことであると考えております。
 次に、法案一条の「これに引き続く」というさりげない表現であります。この文言は、イラク攻撃のみならず、軍事占領もまた三決議によって正当化されるかのような解釈を取っております。
 しかし、ここには大きな飛躍があります。三決議が米英によるイラク攻撃を認めた決議であるという解釈自体が無理であることをいったん差しおいて、仮に米英のイラク攻撃が三決議に基づいた行動であったとしても、その場合、その武力行使の目的や程度は三決議から当然に引き出される範囲のものでなければなりません。したがって、米英によるイラク攻撃は、大量破壊兵器及び長距離ミサイルの拡散の防止に必要な範囲に限られなくてはなりません。この目的と程度から必要な範囲を超えて、イラクの民主化等の名目でイラク全土を長期にわたって軍事占領することは明らかに必要な限度を超えていますから、むしろ三決議に違反することになります。三決議が大量破壊兵器の拡散の防止だけではなく、イラクの民主化等をも含んで米英に授権しているという解釈はおよそ採用できません。
 第一に、三決議にはそのような解釈を許す文言がありません。第二に、そもそも安保理にはそのような授権を行う権限がありません。国連憲章三十九条等には、そのような権限は一切書かれておりません。
 三番目として、戦闘地域と武器使用の部分に移らせていただきます。この部分も既に多く議論されている部分ですので、私は簡単に述べるにとどめさせていただきます。
 本法案三条三項における安全確保支援活動とは、具体的には米英軍によるイラク敵対勢力に対する軍事作戦を支援するものです。それは、仮に武器弾薬ではなく水や食料を輸送するものであったとしても、また自衛隊自身の武力行使を伴わないものであったとしても、米英軍の軍事作戦と地理的にも時間的にも一体不可分の武力行使に当たることは明白です。
 また、戦闘地域と非戦闘地域の区別の問題も既に十分御議論されていると思いますので、ここでは省略いたします。
 現在、イラク国民は、旧政権に反対していた勢力も一致団結して、イラク国民自身の政権樹立、米英占領軍の早期撤退を要求しています。このような状況下で日本が自衛隊を派遣し、軍事占領体制に加わることは、イラク国民に対する侵害であり、結果として挑発行為となってしまいます。これは重大な過ちを犯すものであります。
 占領が長引き、イラク国民の手に政権を返すのが遅れれば、抵抗は更に広範に広がっていく可能性があります。このような状況下で自衛隊を派遣するということは、自衛隊員が状況の中で思わず知らず戦争犯罪を犯してしまいかねない、そのような状況に送り出されることを意味しています。そうなれば、自衛隊員にも犠牲が生じるおそれが高く、自衛隊員をそのような危険に身をさらす地域に送るべきではありません。
 続きまして、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷というNGOの活動について若干御紹介いたします。
 お手元にブックレット、チラシ等の資料が配付されていると思います。後ほどお読みいただけると幸いです。
 私たちは、今月二十一日に東京千代田区の日本教育会館におきまして、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷第一回公判を開廷いたします。イギリス、アメリカ、インド及び日本から五名の民衆法廷判事、日本から十一名及びアメリカから一名の民衆法廷検事が参集します。これは国際社会において空洞化され、形骸化されつつある武力行使禁止原則、戦争と武力行使の違法化という現代国際法の基本原則を復権させるために、民衆のイニシアチブによって開催する民衆法廷です。
 民衆法廷検事団が作成し、アメリカ大使館及びホワイトハウスに送付した起訴状によれば、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ米大統領は、アフガニスタン空爆に関して、侵略の罪、人道に対する罪、民間人虐殺、捕虜虐殺、捕虜虐待の戦争犯罪で訴追されるものとなっております。
 民衆法廷の歴史は、ベトナム戦争におけるラッセル・アインシュタイン法廷、あるいは湾岸戦争におけるラムゼイ・クラーク法廷、さらには、二〇〇〇年十二月に東京で開催された女性国際戦犯法廷などが知られております。
 これらに基づいて私どもも開催いたしますが、民衆法廷には国内法上も国際法上も根拠が与えられてはいません。そのような法廷を開くのは、国家や国際社会が国際法を守らないときであります。国家や国際社会に対して国際法をきちんと守るべきであるという提案をしていく、そのようなNGO活動であるということになります。
 次のページに移りますが、私どもは、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷は、これまで六次にわたるアフガニスタン戦争被害調査団を派遣して、アフガニスタンにおける難民や民間人爆撃の被害者を調査してきました。カブールでも、カラバーでも、クンドゥズやマザリシャリフでも、被害者は一般市民です。一瞬にして二十名もの村人が殺害された現場を訪れ、クラスター爆弾によって足にけがをした少年、失明した少年に会ってきました。破壊されたモスクの跡で、村人は悲痛に耐えながらモスクの再建をしていました。アフガニスタン各地を回ると、アメリカの戦争犯罪がよく見えてきます。
 私たちは、日本各地、先週は沖縄でも開催いたしましたが、十二回にわたって公聴会を積み重ねて、アフガニスタンを取材したジャーナリスト、NGO、国際政治学者、国際法学者に証言をいただき、多数の証拠を積み上げてきました。そのうちの一部は、お手元の公聴会記録集に掲載しております。その成果の上に第一回公判を迎えようとしております。
 問答無用で大量破壊兵器を投下し、破壊を続ける帝国の軍事戦略が世界を混乱させている現状に民衆自身が向き合い、反戦平和の思想と運動を紡ぎ直す取組、日本国憲法の平和主義を世界に宣伝をする、そういう取組でもあります。
 私どもの法廷は、七月二十一日に続いて、本年十二月にも公判を開き、判決を目指します。
 同時に、私たちは現在、イラク国際戦犯民衆法廷を立ち上げるべく準備を始めております。何の罪もない数千人のイラク市民を殺害し、劣化ウラン弾をまき散らして国際平和に脅威をもたらしているブッシュ大統領らを被告人とする民衆法廷運動は本年夏には立ち上げたいと思います。
 最後に、NGOの立場としてまとめの言葉を述べさせていただきます。
 私たちは、ペシャワール付近の四つの難民キャンプで、多数のアフガニスタン難民への取材を繰り返してきました。また、アフガニスタン各地で多数の民間人犠牲者や遺族に取材し、彼らの生活再建のために努力をしてきました。
 四半世紀にわたる戦争や内戦、そして米軍による爆撃によって、アフガニスタンは正に歴史の廃墟と化していました。古くから文明の十字路と呼ばれたアフガニスタンの都市は破壊され、人々は傷付き、おびえて暮らしています。貴重な文化が破壊され、一つの世代が丸ごと破壊されてしまった悲劇を目の当たりにしてきました。
 いわゆる北部同盟が横滑りした現政権は首都カブールを支配しているだけで、アフガニスタンには責任ある政府が欠落したままです。今なおアフガニスタンには治安が回復していません。米英軍はいまだに軍事作戦を展開し、殺りくを続けています。国連も治安回復には無力です。国際赤十字さえも攻撃の対象とされて虐殺されております。そして、アフガニスタンは再び世界最大の麻薬大国になっています。国際社会はアフガニスタンをきちんと復興させる努力をまだ十分行っておりません。
   〔委員長退席、理事阿部正俊君着席〕
 アフガニスタンには北部同盟という受皿があってもなおこのような有様です。イラクには北部同盟に比肩すべき受皿もありませんでした。そのために、秩序が回復されず、無法な占領が継続する中で人民の抵抗が続いております。治安が回復する兆しもないままに、人々は危険や貧困や病気に脅かされ、米英軍の横暴に悩まされております。
 欧米諸国による植民地支配に苦しんだ過去を持つ中東において日本が果たすべき役割は、むしろイラク人民自身の生活再建、国家の復興に努力することであり、協力することでありまして、軍事占領に協力することではございません。日本が果たすべきイラク国民への復興の努力というのは、中立、公平性、非武装が原則の復興支援でなければなりません。武装した部隊による、米軍への、復興というのは、これとは全く異なるものであるということであります。
 これまでアフガニスタンでもイラクでも、多くのNGOが懸命になって活動を続けてきました。私はイラクでは活動しておりませんが、アフガニスタンでこれまで多数の人々の生活再建に努力をしてまいりました。その立場からはっきり申し上げますと、自衛隊派遣は、自衛隊だけではなく、日本のNGOに対する反感を生み出すおそれがあります。アフガニスタンの民衆の間にも、日本の自衛隊が給油をしたことが徐々に知られ始めております。今までは知られておりませんでしたから、私どもはカブールで活動できますが、このことが知られると、カブールで私どもが活動すること自体が危険になっていくということであります。
 イラクの人民は既に、日本が米英による戦争を支持したことを十分に承知しております。そして、米英軍が軍事占領を続けているその現場に自衛隊が派遣されるということは、自衛隊員がイラクの民衆から反感を招いてしまう、それだけではなくて、イラクで活躍をするNGOやジャーナリストなど日本社会構成員もまた、残念ながら反感と敵意と憎悪の対象にされてしまうということになります。このようなことではNGOの活動は非常に危険であり、できないことになってしまいます。自衛隊派遣は、その意味で、NGOが取り組んでいる復興支援に対する妨害にしかなりません。
 大変厳しい言い方で恐縮ですが、NGOの活動にとっても大変妨げになるおそれが極めて高いという懸念を申し上げて、私の意見陳述を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。


2003/07/18 >>質疑

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