江田五月活動日誌 2014年4月 >>日程表 ホーム総目次4月目次前へ次へ

4月30日(水) 草津町・栗生楽泉園へ、重監房資料館式典、献花、自治会懇談、重監房跡、帰京、帰岡

 今日は雨の中を、9時半前に議員宿舎を出て、東京駅でおにぎりを買い、10時前の新幹線で軽井沢へ。11時過ぎに送迎バスに乗り込み、12時半過ぎに国立療養所「栗生楽泉園」に着きました。全国に13カ所ある国立ハンセン病療養施設の一つで、私の訪問としては第9番目です。

東京駅でおにぎり

 ハンセン病の強制隔離政策への反抗に対処するため、全国の療養所に監房が作られましたが、特に楽泉園では極めて閉鎖性と孤立性の強い特別病室を作り、重監房と呼ばれて、1938年から47年まで93名が収容され、23人が死亡しました。全国で、反抗するものに対して「草津に行くか」と脅して抑圧したこともあったようです。このような過去の人権抑圧の「負の遺産」を記憶に留め、再発防止に資するために、「重監房資料館」が作られ、今日は「開館記念式典」が行われました。

 控室で関係者と懇談の後、事前に小渕優子さんらと若干の資料館見学。13時20分に式場に整列し、開会。まず関係者挨拶で、土屋品子厚生労働副大臣と資料館運営委員長の黒岩草津町長が挨拶。次いで来賓挨拶に入り、国会議員の冒頭に私が、さらに小渕さんらが挨拶をし、群馬県知事や全国ハンセン病療養所入所者協議会の代表らが続きました。全原協の谺会長は、病を押して移動式ベッドで参加されましたが、声になりませんでした。さらに来賓紹介があって閉会となり、テープカットに移りました。

重監房資料館 - 見学
同 - 式典全景
同 - 式典挨拶

 そこで私と小渕さんは、14時から近くの納骨堂に移って献花をしました。その後、資料館内覧会に参加して復元された重監房や展示された多くの資料や解説を見学しました。

同 - 納骨堂献花
同 - 復元監房見学
同 - 展示見学

 15時前にマイクロバスで園内を見ながら自治会事務所に移動し、30分弱、厚労省担当者にも同席いただいて、入園者自治会の藤田会長ら役員の皆さんと懇談し、施設整備や人員確保の要望を聞きました。ボイラー施設の改修には、予算が付いているのに応札者が決まらず、実施できていません。全国的な傾向がここにも現れています。

栗生楽泉園 - 自治会役員と懇談

 15時半ころから30分弱、熊笹に囲まれた重監房跡を見学しました。宿直室と医務室は作られましたが、ほとんど使われたことはなく、8室の4畳半程度の監房には複数名が収容されたこともあり、何重にもあるドアの奥に作られた木造モルタルの部屋には、明り取りと食事入れの小窓のほか、粗末なトイレがあるだけで、冬には−20℃にもなるそうです。今では、食事運びを経験した人のほかには生存者はなく、崩壊した跡を丹念に発掘して梅干しの種などを見付け出し、何が行われたかを探索しています。

重監房跡 - 碑
同 - 基礎

 16時にバスで軽井沢まで送っていただき、17時前の新幹線で、帰京。駅で夕食の後、19時過ぎの新幹線で、帰岡。今日は岡山に着くまで、ほぼ終日、雨でした。


2014年4月30日(水)

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