江田五月活動日誌 2014年4月 >>日程表 ホーム総目次4月目次前へ次へ

4月20日(日) 雨の指宿、打越事務所まわり(山川、開聞、頴娃、喜入)、最南端、太平洋、演説会s

 今日は、指宿のホテルで起床。雨がかなり強く降っており、窓外の太平洋は霞んでいました。10時過ぎに出て、まず私の元秘書の実家へ。ご尊父はお亡くなりになり、ご母堂がお一人で、高台にある手入れの行き届いた庭の広がるお宅に住んでおられました。お部屋にお邪魔し、まず仏壇に線香を手向け、お茶をいただきお話をしながら見上げると、私の揮毫の「龍翔鳳舞」の額が掛かっており、恐縮しました。

雨の指宿
私の揮毫の額が

 その後、11時半ころに衆院鹿児島2区補選の打越明司候補の山川事務所に寄って、激励。次の行程の途中で、日本最南端の駅という看板があり、行って見ると、JR最南端のプラットホームだけの西大山駅で、たまたま神奈川県からお客が来ておられ、記念写真を撮りました。遠景には開聞岳が見えましたが、山裾だけで、中腹から上は雲の中でした。12時前に、打越候補の開聞事務所に着き、激励。手作りのカレーうどんをいただき、こちらが激励されました。そこから、南九州市に入り、観光スポットがあったので覗いてみると、開聞岳の裾野から太平洋が広がっていましたが、見えるのは寄せて砕ける波だけで、海は雲の中に消えていました。12時半には、打越候補の頴娃事務所に寄り、激励。

打越候補山川事務所で
JR最南端の駅
開聞事務所で
開聞岳と太平洋
頴娃事務所で

 折角ここまで来たので、13時から1時間ほど、「知覧特攻平和会館」を見学しました。車椅子の高齢者あり、高校の修学旅行をもう一度とクラスメートで来た還暦過ぎのグループありで、大勢の見学者が詰めかけていました。痛ましい遺書や遺品、そしてまだあどけなさの残る遺影ばかりで、このようなむごい人生の最後を若者に強いた政治の責任は重大です。二度とふたたびこのような政治に席を譲ってはならないと、覚悟を新たにしながら、館外の「平和の鐘」を撞きました。

知覧特攻平和会館 - 入口
同 - 平和の鐘

 14時半に、打越候補の喜入事務所に着くと、100人を優に超える皆さんがお集まりで、生活の党の小沢一郎さんがお話の最中でした。同党の樋高剛さんが当地の出身とのことで、同道しておられ、最後に小沢さんと交代して私も挨拶し、知覧のことにも触れながら打越候補支援のお願いをしました。その後、出口で皆さんと握手をしながらお見送りしました。

喜入事務所で―小沢さんと
同 - 私も挨拶

 16時前に、鹿児島駅前のホテルにチェックインし、デスクワークと一休み。18時前に出て打越候補の個人演説会場へ。18時半から谷山北公民館で、さらに19時から清和小学校で、結の党の田中朝子都議、民主党の青木寛鹿児島県議、日本維新の会の山之内毅議員と私とで、順次それぞれ10分間ほど応援演説をし、打越候補につなぎました。いずれもご近所の皆さんが大勢集まってくれ、私からは、買収に起因する補選だからこそ金権選挙を根絶する必要があること、反骨精神の薩摩だからこそ安倍政治に真っ向勝負を挑めること、知覧で若者たちを見送った悲劇の道を絶たなければならないことなどを訴え、しっかりと受け止めていただきました。20時半から夕食を取り、鹿児島泊。

打越候補演説会 - 谷山北
同 - 清和小

2014年4月20日(日)

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