江田五月活動日誌 2012年4月 >>日程表 ホーム総目次4月目次前へ次へ

4月1日(日) 航空史料館、志布志、医師ら、敬愛園、山口さん、内之浦観測所、噴煙、帰岡

今日は、鹿屋市のホテルで起床。9時過ぎから、海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館を見学しました。案内してくれた第一航空群司令の出口海将補は、岡山大出身ということで、びっくり。まず、訪問の記帳をし、平山郁夫画伯の原画による「夕映桜島」のステンドグラス前で記念撮影。旧海軍時代から現在に至るまでの展示を駆け足で拝見し、復元されたゼロ戦の操縦席を覗きこみ、この基地から特攻隊として出撃し、右後方に桜島、左前方に開聞岳を見ながら南方洋上に飛び去って亡くなった、実に多くの若人たちの数多くの遺書や遺品を拝見。文字も文章もしっかりしているのに感嘆しました。戦争末期の突撃ロケットの展示もありました。さらに献花をして、この皆さんの名前と写真などを拝見。改めて鎮魂と不戦の思いを強くしました。屋外展示では、二式大艇を拝見しました。現存する唯一のものですが、雨ざらしで傷んでいました。

鹿屋航空基地史料館−記帳 同−記念写真
同−ゼロ戦 同−遺書
同−献花 同−二式大艇

11時から30分ほど、網谷信介さんとともに志布志事件の被害者の皆さんとお会いし、当事者でなければ語れない苦悩と捜査の可視化の要望を直接に伺いました。その後、国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」の皆さんがお世話になっている小林医師と大山薬剤師を訪ねてご挨拶し、栄楽寿司で昼食。

志布志事件の皆さん 小林医師ら
大山薬剤師ら 栄楽寿司
星塚敬愛園−納骨堂献花

13時過ぎから1時間ほど、網谷さんとともに敬愛園を訪問しました。まず納骨堂に献花して、数多くのご遺骨の壺を拝見。開園に初期は若い人たちが多いようでした。さらに隣に建立された子どもたちの碑に手を合わせました。続いて、後藤園長をはじめ職員と自治会の皆さんらと、暫時意見交換。岩川自治会長の司会で、私、網谷さんと嶋田市長が順次園内放送をして、入所者の皆さんにご挨拶をしました。その後、頼まれて半切に「敬天愛人」と揮毫。さらに、卒寿を迎えられた山口トキさんを訪ね、お祝いを申し上げて懇談。全盲のうえに右足切断で不自由ですが、意気軒昂です。私たちが社会市民連合を立ち上げたとき、長島愛生園の大山堯さんからのご連絡で支援下さったそうで、そのお手紙も拝見しました。さらに、快晴の陽光を浴びながら、短時間の取材を受けました。

15時から1時間ほど、内之浦宇宙空間観測所を見学しました。小惑星「いとかわ」から帰還した「はやぶさ」の打ち上げ基地として有名になった宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設で、峯杉所長が東京から駆けつけて案内してくれました。まず、衛星観測システムを遠くに眺めながら、さらにかなり老朽化した建屋で、説明を聞きました。機材をすべてビニールで覆ってあるのは、雨漏りがするからとのこと。政治の責任重大です。次いで、ロケット組み立て施設と最後の仕上げと打ち上げ施設を拝見。最後に、実物大のロケットの前で記念写真撮影し、皆さんのご健闘をお願いしました。

同−子どもたちの碑 同−後藤園長らと
同−園内放送 同−岩川会長と
同−山口トキさんと 同−トキさんを囲んで
同−取材 内之浦観測所−衛星観測システム
同−ロケット組立て施設 同−打上げ台
同−実物大模型で 遠くの開聞岳

16時に出て、車で一路鹿児島中央へ。途中で遥かに開聞岳が見え、やがて桜島のフェリー乗り場へ。すると突然、大きな音とともに桜島が噴煙を吹き上げ、その威容にびっくりしました。最後までご案内いただいた竪山さんご夫妻にお礼を言って別れを告げ、駅で夕食の後、20時前の新幹線で帰岡。

桜島−沈む夕日 同−突然の噴煙

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