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9月16日(木) 南ア着、事務総長、全ア議会、ムベキ大統領、ソウェト蜂起、マンデラ、ムベテ議長、邦人

ヨハネスブルグ空港で、女性事務総長さんの出迎え
会場は、民族舞踊などでにぎやか
モンゲラ議長の演説
ムベキ大統領と
 
ピーターソン記念碑に献花
 
ムベテ議長らと会談

今日は、英国航空の機内で朝を迎えました。昨夜19時過ぎの便が、1時間以上遅れ、11時間の飛行で、7時着が8時を過ぎてしまい、11時からの全アフリカ議会の開会式典に間に合うかどうか、みなやきもきしました。

ヨハネスブルグ空港には、南アの上院の事務総長さんが迎えに来てくれました。堂々たる体格の女性で、南アのエネルギーを実感します。これから、式典に出発です。今日は、公式行事が満載で、長い一日になりそうです。


一服する暇もなく、10時前にホテルを発ち、10時半過ぎに、ギャラガー・エステートという会議場に到着。11時から始まる全アフリカ議会の開会式に、参加するのです。大変な警戒の中を、やっと会場に着くと、はるか遠方の舞台では、ジャズの演奏。

アフリカ大陸の54カ国のうち、53カ国がアフリカ連合(AU)に加入していますが、そのうち46カ国がこの議会の条約を批准しており、各国から5名ずつの議員を送ってきます。1名は女性と決まっているのですが、南アは、野党の男性議員の発議で、3名を女性にしたそうです。

11時を若干過ぎて、開会。合間に民族舞踊などを挟みながら、参加国を代表する人が演説をします。「人権確立の運動が、反逆と言われなくなった。」という歌詞が印象的でした。4人の宗教関係者のお祈りもありました。ところが、イスラム教を加えておらず、一悶着。最後に南アのムベキ大統領が、ご自身の演説の冒頭に機会を作って、事なきを得ました。

タンザニア出身で全アフリカ議会議長のモンゲラ女史の演説は、人権確立とアフリカの結束を強調するなかなか格調の高い演説で、日本からの扇議長の参加にも言及がありました。インドのカラム大統領も、来賓として演説。

最後に、これから5年間この議会の開催地を受け持つ南アを代表して、ムベキ大統領が、アパルトヘイトの克服や西サハラ独立の闘いにも触れた、本当に感動的な演説をしました。日本の代表団については、3回も言及があり、期待の大きさを感じさせます。

終了は13時のはずが、14時近くになってしまいました。終了後、扇団長、矢野議員、魚住議員と私とで、ムベキ大統領と会談。20分ほど時間を割いてくれたでしょうか、私も、アパルトヘイトに対する闘いの支援の話などをしました。その後、会議場で昼食。

15時近くになって、ソウェトのタウンシップの視察に出発。黒人居住区で、極貧の地域です。まず、ピーターソン記念碑に献花。1976年6月16日のソウェトの蜂起で、13歳で死んだヘクター・ピーターソン君の記念碑で、この日は「青少年の日」という祝日になっています。写真館にも寄り、彼のお姉さんにも会いました。

次に、マンデラさんが1963年に逮捕されるまで住んでいた住居へ。記念館になっています。その後、最極貧の地区の一番奥にあるクリップタウン職業訓練組合へ。日本の草の根無償協力が行われています。と言っても、今年1月に、時価約160万円でミシン15台を贈ったというもの。女性の自立支援で、一層のミシンの供与を約束したら、みな喜んで踊り出しました。極貧でも子供たちは目を輝かせており、この子たちのために自立支援を誓いました。

18時から40分ほど、ムベテ下院議長とマシュラング上院副議長との会談。議長は女性で、女性の政治参加がどんどん進んでいます。19時過ぎから、在留邦人との懇談会。例えばトヨタは、5000人ほどを雇用していますが、そのうち日本人は数十人で、他は南ア。その内の7、8割は黒人というイメージです。治安は、本当に悪いようで、古い中心部は、寄りつけないとのこと。新しい地域が発展しており、たたずまいは最新の大都市なのですが、そこでも道路は安心して歩けないと言われました。もっとも、ヨハネスブルグだけのことのようです。それでもエイズは、全人口の1割です。貧困、犯罪、エイズの克服は、まさに難問です。

この地域は広大な大地に広がっており、車で走り回って予定をこなし、いささか疲れました。


マンデラさんの元住居 ソウェトの極貧地域
子供たちの目は輝いて
 

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