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10月4日(月) 駅前街宣、連合、取材、残留孤児訴訟、片山さん、美魚味、上京

駅前街宣「おはよう730、民主党です!」
 
中国残留孤児の皆さんと

今日は恒例の7時半からの駅前演説「おはよう730、民主党です!」に、8時前に参加し、津村啓介さんからマイクを受け、30分間話しました。テーマは、参院選の結果報告、直後の一億円小切手事件、参議院民主党の議員会長就任、代表選挙と岡田新体制、南ア報告、小泉改造内閣と臨時国会の見通しなどです。最後の5分間で姫井由美子さんが、倉敷・早島の県議補選の報告。終了後、喫茶店で朝食。

9時過ぎに、連合岡山の事務局に顔を出しました。その後、敬老会に1ヵ所立ち寄ろうとしたのですが、敬遠される様子だというので、こちらから敬遠して、事務所でデスクワークと来客応対。県知事選の告示に当たっての談話起案など。

昼食後、地元記者から県知事選と県議補選につき取材を受けました。14時から1時間弱、中国「残留孤児」岡山訴訟の原告団の今岡泰子さん、三島康夫さんと弁護団の弁護士さんたちから、要請を受けました。彼らは日本人でありながら、3度、国によって棄てられました。1度目は敗戦時に旧満州に置き去りにされたこと、2度目は1959年に「戦時死亡宣告」により死亡と見なされたこと、3度目は帰国後も自立支援策は無いに等しく「普通の日本人として人間らしく生きる道」を断たれたことです。

今岡さんは、国の施策である満州開拓団の家族として渡満し、敗戦時は8歳。三島さんは、軍人として中国大陸に渡った父と母の下に満州で生まれ、敗戦時は2歳。二人とも、帰国に向けた悲惨な逃避行の途中で中国人に託されました。現地でも過酷な生活を強いられ、1985年に帰国後も生活保護で糊口を凌いでいます。国の暖かい施策が求められます。私も、敗戦時に居た場所が華北だったから、孤児にならなかっただけで、同じ運命であっても何の不思議もありません。

16時、倉敷市に知人を訪ねました。倉敷での市民派の元祖のような人で、片山みかさんの支援を要請。17時、片山事務所に寄りました。貧乏所帯の小さな事務所ですが、みな、目を輝かせています。18時半から、妻と外食。「美魚味」と書いて「みなみ」と読ませます。HPは(http://www.geocities.jp/kimtaisa5724//)で、マスター自慢の一品が手軽な値段でいただけます。最終新幹線で上京。


片山みか事務所で 美魚味のマスターたちと
 

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