江田五月 活動日誌 2001年7月(16〜20) >>日程表 ホーム総目次7月目次前へ次へ


7月16日(月) 街頭演説(栃木、谷さん、簗瀬さん)、ポスター

今日は、7時半過ぎのJR赤穂線で大多羅駅から岡山駅へ。8時過ぎの新幹線で東京経由宇都宮へ。参院選の栃木県選挙区、民主党公認の谷博之候補の応援です。2名区ですが、自民党が、公認候補のほかに、本部主導で2人目の推薦を決め、独占を狙って来ました。

水島広子さんが切迫早産で動けず、急遽私に応援依頼が来ました。5日間は県外応援の予定だったので、その内の1日を当てることにしました。

駅についたら、簗瀬進さんが待ち構えていて、早速駅前で街頭演説。その後市内を回って全部で7ヶ所。さらに壬生町を通過し、栃木市で2ヶ所、ちょっと長めの演説。すべて簗瀬さんと一緒でした。小山市で夕食を取り、新幹線で東京へ。久し振りに宿舎帰還です。

宇都宮では、ポスター掲示がノールール状態です。ローカルルールなのでしょうか。公営掲示板以外に、比例区の政党ポスター、比例区の個人ポスター、事前ポスターの残留分が入り乱れ、証紙を張ったものも張らないものもあり、大混乱。その上、県議補選の事前ポスターまで参戦。よく見ないと合法と違法の区別がつきません。張る場所も、ガードレールでも植え込みでも、何でもあり。民主党は愚直に、ナショナルルールを守っていますが、特に自民党の推薦候補は破廉恥。

岡山は、政党ポスター以外の残留事前ポスターや公共物利用は認めない方針が、おおむね貫かれています。それでも6ヶ月前までしか認められないものが、今も散見されますが。



7月17日(火) 街宣(岐阜・平田さん)、演説会(三重・高橋さん)、湯原へ

今日は、9時の新幹線で名古屋経由岐阜へ。岐阜県選挙区の民主党公認、平田健二さんの応援です。2名区に自民、民主が1名ずつで、他は共産と自由連合ですから、無風扱いで平田陣営はやきもきしています。

各務原市で候補者カーに乗り込み、市役所前で平田さんと合流して街頭演説。平田さんはその後は別行動。私は候補者カーでさらに2ヶ所街宣。いずれも10分強ですが、大変な酷暑。とても長い話はできません。聞く人も大変です。

15時半、岐阜から名古屋経由で、近鉄線で鳥羽へ。三重県選挙区の無所属、高橋千秋さんの個人演説会です。彼は、現四日市市長、井上哲夫さんの参議院時代の秘書で、私の弟みたいなものです。3年で3回の参院選。昨年の補選で当選。今回は1議席を巡る熾烈な 攻防です。

聴衆は、若い皆さんを中心に400人かな。夕刊トップがハンセン病訴訟の和解のことだったので、補償立法のことに触れ、みんなの参加で暖かい社会を作ることの大切さを訴えました。

19時半の近鉄で上本町へ。岡山からの車で県北、湯原町へ。やっと25時に到着。明朝は8時から行動開始で、温泉に入る元気はありません。



7月18日(水) 街頭宣伝(石田さん)、演説会s(小宮山さん)、株価急落
国民宿舎「桃李荘」を出発
石田みえさんの応援街頭演説

今日は終日、参院選岡山県選挙区の石田みえさんの応援。8時に国民宿舎「桃李荘」を出発し、18時まで、湯原町、中和村、八束村、川上村、美甘村、新庄村、勝山町、久世町、落合町、旭町、久米町、中央町、久米南町、鏡野町、奥津町、津山市、加茂町、勝北町、奈義町、勝田町、勝央町を、超高速で走り回りました。作州の1市5郡の内、英田郡を除く地域ですが、それでも富村、上斎原村、阿波村、柵原町は全然入れず、また街頭演説は5ヶ所しかできませんでした。とにかく広いのです。

朝から曇天。しかも中国山地で、緑が広がる中、気温も昨日よりぐっと下がり、快適でしたが、夕方は夕立でどしゃ降り。被害がなければいいのですが。

17時半頃、小宮山洋子さんが応援に駆けつけてくれ、バトンタッチで私たちは美作町の個人演説会へ。その後、津山市の個人演説会では、聴衆350人。小宮山さんも参加してくれ、大いに盛り上がりました。私はハンセン病の谺さんの話をし、社会生活のあり方を決める政治の大切さを訴えました。

構造改革には、細かなことに目をつぶる勇気も大切ですが、国民の痛みを最少にするためのきめ細かな政策配慮も必要です。今日、遂に日経平均株価が1万2000円を切りました。こんな景気悪化の中でも、私たちも構造改革が必要だと思います。しかし政治が、庶民の生活の不安に目をつぶったのでは、庶民はたまったものではありません。きめの細かなセーフティーネットの構築を伴った民主党の改革政策でなければ、この状況を乗り切ることは出来ません。



7月19日(木) 街頭宣伝(石田さん)、小泉批判、演説会s、取材s

今日も終日、石田みえさんの本隊車で街頭宣伝をしました。酷暑に戻り、左の座席に乗りっ放しなので、日焼けで左腕に水泡が出来てしまいました。初めての経験です。

7時45分から、備前市の通勤者に挨拶。朝立ちといいます。8時から、備前市全域、吉永町、和気町、佐伯町、吉井町、赤坂町、山陽町、熊山町、瀬戸町で昼食。午後は、岡山市の北東部。街頭演説は19ヶ所となりました。

小泉内閣の超高支持率を前に、おっかなびっくりでスタートした選挙戦でしたが、このところ私の演説も、小泉批判を強めています。今日も株価は1万2000円台に戻りませんでした。不況の中の改革ですから、民主党が提案しているような配慮の行き届いた政策が必要なのに、小泉さんは痛みを分かち合うと言いながら、高級官僚の天下り禁止も出来ません。アジアとの関係は日に日に悪化。京都議定書は風前の灯。経済を生活に生かし、アジアと仲良くし、地球環境を守ることが大切です。

夜は、個人演説会2ヶ所。いずれも盛況でした。終わって、取材2件。さらに電話取材。夕食は22時半からで、休む間がありません。



7月20日(金) 街頭宣伝(邑久、岡山、玉野)、メダカ、演説会

今日は「海の日」で祝日。おとなは3連休、子どもは夏休み。住宅街を回っても、どの家も車庫は空っぽ。それでも選挙運動は続きます。

8時、牛窓町から出発し、邑久町、長船町を回って昼食。午後は、岡山市の南東部から玉野市。相変わらずの酷暑です。街頭演説は17ヶ所。

牛窓港での釣り客と話しながら、海を見ると、あちこちにポリ袋風のものが浮き、ずいぶん汚れていました。聞くと、雨の後はひどいとのこと。15時頃からは渋川海水浴場。ハンドマイクで訴えながら、たぶち雅子さんをはじめ若い応援団の皆さんとゴミを分別収集して歩きました。数カ所での短い訴えに、海水浴客も耳を傾けてくれ、茶髪にピアスの男性たちから大激励も受けました。心配した反発はゼロ。若者の政治離れと言いますが、どうしてどうして。

街頭演説の合間に、注意して見るのですが、昨日は瀬戸町、今日は邑久町で、用水でメダカを見かけました。絶滅が心配されており、見つかるといとおしくなります。さぎやかわうは、数が増えていると思います。

19時からは児島で個人演説会。過去2回の選挙ポスターも張られ、石田みえさんも感激一入の様子。気持ちの通い合った、良い演説会となりました。


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