江田五月 活動日誌 2001年3月(21〜25) >>日程表

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3月21日(水) NPO、常幹、予算委、役員会、合同会議、法務委、会見、憲法、千葉

今日は9時から、池田さん(共)、大脇さん(社)、戸田さん(由)と私(民)とで、野党4会派のNPO税制法案の話し合いです。幸い合意に達し、今日中に4会派共同案として提出することになりました。内容は衆議院で提出したものと実質的には同じで、関係委員会での審議を求めていきます。

10時から、常任幹事会。鳩山代表が森・ブッシュ会談に関し、「民主党の不良債権処理の主張には耳を貸さず、米側に言われると『はい、やります』というのは、解せないことです。彼らには実行できません。実行のためには、民主党提案の日本版ペコラ委員会などが必要です。」と強調。

総選挙公認候補の内定が2名追加され、全部で177名となりました。全員小選挙区候補です。参議院選挙政策として、「7つの改革・21の重点政策」が決定されました。「政官業癒着型選挙監視委員会」から、監視活動活性化の提案があり、私が予算委で関係大臣から、改めて文書で公務員らの地位利用禁止を徹底させるとの言質を取っていることを、発言しておきました。

10時から始まっている予算委員会に、遅れて出席。11時から、参議院の常任役員会。与党主張の26日の予算採決は、森首相がノルウェーの国賓接受のためその日の質疑に僅かしか出席できないため、さらに質疑を尽くすべきだと主張していきます。予算の野党共同修正案の提出も決めました。

12時から国対・理事合同会議。13時から法務理事懇談会。明日の委員会の持ち方を協議し、午前2時間を予算の委嘱審査、午後4時間を法相の所信に対する質疑とすることに決定しました。午前の部は私が質問します。

その後予算委に戻り、15時10分からNPO税制法案共同提出につき記者会見。16時から、憲法調査会運営検討委員会。4月4日の調査会の持ち方に付き協議し、方向を決定しました。

17時半のJRで京葉線五井駅へ。千葉県知事選の若井康彦候補の応援で、駅前で10分間ほど街頭演説。私は20数年前、千葉県松戸市と千葉市に住み、裁判所に通っていました。千葉県が若い新しい県になって欲しいと思っています。市原市議の皆さんらと夕食の後、22時前にやっと宿舎着。



3月22日(木) 法務部会、司法書士、法務委質問、国のかたち、NPO

今日は、8時から定例のNC法務部門会議。報告や法案審査のあと、8時半から民訴法改正案の説明聴取。公文書の提出命令の関係です。

9時から、司法制度改革WTで、司法書士の皆さんからの意見聴取。司法書士は、弁護士と比べると万遍なく各地域で活動しており、市民の法律的相談相手になっています。だから、司法書士に簡易裁判所での訴訟代理権を認めれば、市民にとって裁判所が使いやすくなるという主張です。一理あると思います。

9時50分から法務理事会。10時から昼食休憩を挟んで17時まで、法務委員会。予定どおり、午前は私が、午後は竹村泰子さんが、質問しました。

私の質問は、まず福岡事件のコピー問題。コピーしたのは、令状請求署のほか疎明資料すべて。捜査報告書など20数通、30数通という、膨大な捜査書類一式です。担当者がひとりでコピーし、後にシュレッダーにかけたというのですから、秘密漏洩に当たるという認識があったのではないでしょうか。

次ぎに、最高裁の調査報告書の取り扱い。最高裁関係者はひとりも聴取されていません。その上、マスコミや国会議員にはこれを配布したのに、最高裁のHPには載せられないと言うのです。理由は関係者のプライバシーへの配慮で、例えば子どもが学校でいじめられたりすると言うのです。法務省は調査結果をとっくにHPに載せており、著作権のことなど考えていないと言います。

詰めていくと、今朝は概要を作って載せると言い、質疑の中では仮名処理をして載せると変わってきました。理屈に自信が無くなってきたのでしょう。しかし、最高裁が「都合の悪い」ところの処理を済ませたものだけしか、国民はアクセスできないとすると、おかみ意識丸出しで、司法の信頼は回復できません。最高裁の調査報告書が、そのまま国民の検証に晒される過程を経ることが、不可欠だと思います。最高裁の情報処理が身勝手でないかどうかを検証し、また私の批判が的はずれかどうかを判断していただくため、このHPに、最高裁から入手した調査報告書を全文引用します。なお、最高裁判所規則で、司法行政の情報公開制度を作ることを提案しました。

最後に、公証人について。判検事の天下り先になっていないかとの疑問です。判検事OBばかりが10人も、税の申告漏れというのですから、驚きです。

12時から、国のかたち研究会で、弁当付き会議。菅幹事長から、自民党の抗争についての“菅流”の見方を披露。結構これが当たるのです。「小泉氏は、森支持により出来た守旧イメージを、野中氏の対極に位置づけるることにより、改革イメージに変えようとしている。思いのほか、抗争は深刻そう。」

終わって20時まで、NPO税制法案の趣旨説明をパソコンで打ちました。



3月23日(金) 情報公開、議員総会、本会議、ハンセン病議懇、国のかたち

今日は、10時過ぎに議員会館に出て、情報公開審議会の委員につき、関係方面を走り回りました。この人事は、国会承認を要するのですが、情報公開制度の要に位置するのに、あまり意識されていません。そこで、この人はふさわしくないという人につき、野党揃って反対しようと根回しを試みたのです。私は、情報公開法案の審議の際の理事で、修正の努力をしたので、無関心ではいられません。

11時過ぎから、議員総会。民主党の広報作戦の説明など。

12時から本会議。まず、森首相の訪米報告につき、斎藤つよしさんが質問。次いで、住宅金融公庫法につき寺崎昭久さんが質問。国会図書館法などにつき、採決がありました。

2時から予算委員会。冒頭千葉さんから、民主党など3党で提出した予算の修正案の趣旨説明。総額72億円の報償費の内、40億円を削減するという内容です。次いで質疑。

中座して2時半から、「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の世話人会。自民党から野中広務さんが参加を了承してくれ、超党派の実力懇談会が出来そうです。4月5日に、設立総会を開けるよう、準備を進めます。

予算委員会に戻って、18時15分まで、峰崎さんと櫻井さんの質疑を聞きました。立派なものでした。

19時から、「国のかたち研究会」の年度末懇親会。新人も登場で、賑やかでした。勢いをつけなければなりません。 



3月24日(土) 千葉県知事選応援(若井さん)、広島地震

今日は、快晴で暖かな土曜日。10時過ぎのJRで新浦安へ。11時前、駅前広場で千葉県知事選候補の若井康彦さんと合流し、19時過ぎまで本隊車に乗りました。昼食は車中でおにぎり、夕食は千葉駅の弁当。なにしろ明日が投票日なのです。

街はすっかり春。こぶしやもくれんが満開で、桜もほころびかけています。私たちが何もしなくても、季節は確実に変わります。しかし、私たちの社会は、放っておいたのでは春は来ません。私たちが変えなければなりません。その機会が選挙です。

全国民が、この選挙結果を、固唾を飲んで見守っています。それは、今の国政に対する有権者の審判にもなるからです。私個人は、1971年から4年間、千葉県民として家族で暮らしました。だから千葉県に思い出も多く、関心も愛着もあります。

そこで、マイクも握り、街頭演説も6ヶ所で行いました。最後の千葉駅前の大集会で挨拶した後、JRで東京駅へ駆けつけ、最終新幹線で帰岡。

広島の大地震のニュースが途中で飛び込んできて、心配しました。わが家は幸い、何事もありませでした。岡山駅についたら、ホームも階段も広場も、くたびれ果てた表情の人々で一杯でした。新幹線の車両で泊まれるようにするようですが、ほんとうに大変です。現代社会の弱さを垣間見ました。被害に遇われた方々に、お見舞い申しあげます。



3月25日(日) スポ少、書道、華・茶道(田淵さん)、国政報告(堂さん)、千葉

今日は久し振りの岡山です。9時から、地元、旭操学区のスポーツ少年団の卒団・入団式で挨拶。小学生を団員として、ボランティアの皆さんが、ソフトボール、サッカー、卓球、剣道、少林寺拳法の指導をしてくれます。6年生になると、なかなか立派なチームに育ちます。今年の旭操小学校の卒業生は99名で、その内約30名がスポ少のメンバーです。地域の教育力のひとつですが、課題もあります。

10時過ぎ、仮名書道の大家、高木聖鶴先生門下の「聖雲書道会展」へ。高木先生の作品は、生徒を乗せて沈没した船を深海で発見したことを唄った天皇の歌で、現代的で素朴な、分かち書き風の作品です。碑に刻まれ、横須賀の海洋科学技術研究所に据えられているそうです。

12時から、華道・池坊の作品展と茶道・裏千家のお点前の会。そぼ降る春雨に煙る後楽園の中の鶴鳴館で行われ、心豊かなひとときでした。生け花の競演では、ご近所の田淵雅子さんが最高位でした。

14時半から、美作町で街頭演説。突然なのに、何人も足を止めてくれ、関心の強さを伺わせます。15時から、石田みえさん、美作町議の堂良行さんと、国政報告会。50人を超える人が集まってくれ、密度の濃い1時間半でした。

17時、4月に選挙が始まる堂さんの事務所へ。色紙の揮毫を頼まれ、大慌てで仕上げて、岡山駅へ。妻と待ち合わせ、一日早い結婚記念日の食事をして、最終新幹線で上京、と思ったら、またまた地震でダイヤが乱れ、一苦労でした。

千葉県知事選挙は、堂本さんが当選。若井さんは3位。自公保政権への有権者の強い批判の結果ですが、民主党も、受け皿になり得ていません。もっとも2月初旬の立候補表明から1ヶ月半で、全く無名の新人がここまで来たのですから、期待は大きいとも言えます。堂本さんに、エールを送ります。


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