江田五月 活動日誌 2000年10月(01〜10) >>日程表

ホーム総目次10月目次前へ次へ



10月1日(日) 運動会s、敬老会、県連臨時大会、石田みえさん公認申請

今日は、終日岡山でした。8時半から、地元旭操学区民大運動会で挨拶。「昨夜の大雨をこのすばらしい快晴に一変させたのですから、もうわが学区民には何も怖いものはありません。オリンピックに負けない好ゲームをしてください。」続いて西大寺学区運動会で挨拶。さらに豊小学校運動会を覗いて、政田学区民運動会でも挨拶。

その間10時から、雄神学区の敬老会で、市長に続いてその他の来賓全てを代表して挨拶。「今年で20世紀もおしまい。戦後50年余働き続けて、今日を築いてくださった皆さんに、心から感謝します。21世紀は必ず戦争のない時代にします。ますますお元気で、地域の皆さんにいろいろお知恵を貸して下さい。来年の敬老会にも、元気でご出席下さい。」

12時45分から、一井淳治さんを加えて民主党県連候補者選考委員会の最終協議。1時から常任幹事会。3時から臨時大会。臨時国会などの中央情勢と、特に参議院選挙制度の非拘束名簿制につき、詳しく報告しました。討議の結果、参議院選挙区には石田みえさん、衆議院第4区には熊谷裕人さん、同第5区にははたともこさんを、それぞれ公認申請する事を決定しました。一井さんについては、参議院比例区に公認申請することを決定しましたが、申請の時期については、常任幹事会に一任することになりました。選挙制度の帰趨などの状況変化を見極めることになります。組織検討委員会の設置と活動状況、役員の任務分担も了承されました。

夕食は、久しぶりに自宅で鍋。

第5回臨時大会 資料



10月2日(月) 駅前演説、選挙特強行開会、憲法調査会、少年法

今日は、激動でした。7時半からの恒例の駅前演説「おはよう!民主党です」に参加し、非拘束名簿方式の説明をしました。こみ入っていて、街頭演説向きのテーマではないですね。9時過ぎの新幹線で上京。東京駅に着くやいなや、12時半から議員総会。1時に公職選挙特別委の強行開会の動きということで、一気に緊張が高まりました。

いくら何でも、金曜日に前代未聞の議長職権で、しかも50音順で機械的に、委員を割り当てておいて、月曜日に強行開会という手はないでしょう。しかも選挙制度という、民主主義の土俵に関することですから、与党だけで決めるのは「暴挙」です。と言うわけで、「無茶をするな」と与党議員を説得しようと、委員会室に行きました。ところが力で押してきます。私も前面で説得に当たっていたら、テレビに顔が大写しにされたようです。

委員会は開会され、与党が多数の力で、委員長の互選と与党理事の指名まで進めました。私たちはこんな暴挙に加担するわけに行きません。見届けて委員会室を出ると、テレビカメラに取り囲まれ、「10月22日の補欠選挙(参議院滋賀県と衆議院東京21区)の争点にされるのが怖いから、こんなに焦っているのではないかな」と、感想を述べました。

2時から民主党憲法調査会役員会。私は事務局長で、司会役です。鳩山代表の「改憲」発言の真意を質しました。2年で憲法草案を作るということではなく、項目を定めて議論をまとめ、2年程度で項目ごとにある程度の結論を得られるようなペースで進めて欲しいとのこと。それなら了解です。

3時から来客応対。3時半から少年法の大詰めの協議。4時から知人を訪問。5時から両院議員総会。民主党は、衆参一丸となり、他の野党としっかり腕を組んで、選挙法改悪阻止のために全力を尽くすことを誓い合いました。5時半から参議院民主党の議員総会で同様の決意の確認。

6時15分から、日教組、自治労及び児童自立支援施設(元の教護院)職員の各代表の方々が見えられ、少年法につき要望を聞きました。7時過ぎから知人と会食。



10月3日(火) 私鉄議懇、少年法、常幹、役員会、弁護士祝賀会

今日は、8時半から私鉄交通政策議員懇談会。盛況の中を抜け出し、9時から法務部会で、少年法の大詰めの議論。これまで報告してきた方向でまとまってきたように思います。与党案に対する修正内容については意見一致なのですが、それが「原則逆送」や「厳罰化」に賛成と取られるのと、反対と取られるのと、民主党から国民へのメッセージとしてはどちらがいいのか、議論が分かれました。どう取られようと、これだと思った内容をそのまま言うほかありません。表現方法を工夫します。

10時から常任幹事会。東海水害視察、参議院選挙制度を巡る動き、参議院選挙の取り組みなどの報告のほか、台湾との交流の仕方について議論しました。秘書問題について質問があり、菅幹事長から、(1)山本譲司君の件については、議員辞職と除名のほか、本人から国庫へ詐取金額と年5分の利息として2860万円強の支払いがあったことで、対処策は終了とする、(2)現状調査については、鋭意進めているところ、(3)再発防止策については、ガイドラインを検討中との報告がありました。

12時から参議院常任役員会。参議院の緊迫した状況と、これへの衆議院の連動状況の報告。与党は野党の抗議を無視して、議事を進めています。久世公尭さんの証人喚問要求を強める必要があります。1時から議員総会。

2時以降は来客の連続。記者の取材のほか、日弁連と全司法労組の方々が、少年法について要請に見えました。民主党の方針に理解を求めました。特に全司法の方は家裁調査官で、現場の実体を含め、貴重なお話を伺いました。

6時から、日本弁護士政治連盟の主催で、弁護士で総選挙で当選した方々の祝賀会。賑やかでした。



10月4日(水) 電力、教育改革、選挙制度、憲法、山岸さん、石塚君

今日は8時から、エネルギー問題についての有志議員の勉強会です。日本の太陽光発電の総量はアメリカに匹敵し、世界のトップクラスだということ、電力料金徴収の際、自然発電推進のため希望者から500円集め、同額を電力会社が拠出して、基金を作っていること、電力会社の事業税は外形標準課税になっていることを、初めて知りました。

10時から、民主党教育基本問題調査会。教育改革国民会議の中間報告の説明です。私は、途中退席して、議事堂内の国会図書館分室で資料読みです。

12時から国対・理事合同会議。1時から議員総会。昨日以来の衆参の状況は、報道のとおりです。審議拒否をすると、いつもはあちらも悪いがこちらも悪いと書くのに、今朝の各紙を見ると、いつもと異なり気持ち悪いほど野党に理解を示してくれています。久世問題の批判をかわすため、2月25日の協議会合意や6月2日の議長表明を反古にした与党に、厳しい目が向けられています。しかも非拘束名簿方式は、全国区制度の欠陥の復活、個人票の政党票への横流し、比例区の長所の没却、公費負担50億円増など、改悪そのもの。それでもマスコミ論調は、何時変わるか知れません。

4時半から、民主党憲法調査会総会。私は司会です。鳩山代表、鹿野会長の挨拶に続き、私から衆参と党の憲法調査会の経過報告。仙谷事務局次長から衆議院憲法調査会の訪欧報告。その後約40分間、参加者で意見交換。鳩山代表の「改憲」発言に厳しい批判の意見が相次ぎました。しかし今日は、一昨日の「真意」どおりの挨拶だったので、論憲で今後の調査を進めることになりました

6時から、山岸章さんの叙勲を祝う会。竪山さん(電機)が乾杯の音頭。塩路さん(自動車)、宇佐見さん(ゼンセン)、宮田さん(鉄鋼)、槙枝さん(教組)、星宮さん(全印刷)など、労働運動の大先輩が勢揃いでした。

7時半に、石塚聡君の出版記念会で挨拶。彼が本を書いたこと自体が、新鮮な驚きです。その上、「ベルギー・つくられた連邦国家」という本は、私の40年来の親友、石井昭男君が社長の明石書店の本だけあって、目次を見ただけで、意欲的な内容だと判ります。



10月5日(木) 人権擁護大会、「独立人権機関を創ろう」シンポ

今日は、岐阜市で開催された日弁連の第43回人権擁護大会に出席しました。シンポジウム第1分科会に、パネリストとして招かれたのです。「一人で悩んでいませんか?」というテーマで、副題は「21世紀をひらくために『独立した人権機関』を創ろう」というもの。9時前の新幹線で発ち、12時半から6時までのロングラン討論でした。

人権が侵害された場合に、どういう救済機関が必要か。国連は1993年、総会決議で「パリ原則」を定めました。国内救済機関は、政府から独立し、個別救済、政策提言、人権教育ができるものでなければならないというのです。わが国では、裁判所、人権擁護委員、弁護士会などがありますが、いずれも欠陥があり、「パリ原則」を満たせません。1998年には国連規約人権委員会で、改善勧告が採択されました。

政府は「人権擁護推進審議会」を設置し、諮問第1号で人権教育、第2号で人権救済機関を諮問しました。今年11月にも救済機関についての中間報告が出されようとしています。そこで日弁連としては、シンポ実行委員会の試案を世に問い、議論を巻き起こそうと考えたのです。

私はもちろん大賛成。30年前、イギリスに留学した時のオンブズマンとの出会いを引き、(1)人を得ること、(2)強い調査権限、(3)公表と市民の支えが大切なことを強調し、民主党の取り組みを紹介しました。

民主党は昨年の行革一括法の時、新設の内閣府に人権救済推進室を設け、ここが責任を持って独立救済機関を立ち上げることを内容とする対案を出しました。この構想を引き継ぎ、新しいNCに「人権政策調査会」を設置し、そこに独立機関の検討PTを作って具体化を図ります。座長は私になりそうです。

マスコミが注目したのは、この機関がマスコミによる人権侵害も扱うのかどうかでした。政府がマスコミ押さえ込みを虎視眈々と狙っているのに、それに加担するのかというわけです。注意は大切ですが、マスコミは聖域というわけにはいきません。ひどい事例もたくさんあります。自主規制の動きも、放送を除けばゆっくり過ぎます。地方自治体や自主組織の自立性は大切にし、国の機関はこれらと協力するように制度設計すべきだというのが、私の意見です。

パネリストは他に、公明党の魚住参議院議員、辛淑玉さん、山崎公士教授、弁護士の中村浩紹さんと藤原精吾さん。国会が今日だけエアポケットに入ったので、参加できました。終わって実行委員の皆さんと会食し、最終新幹線で上京。



10月6日(金) 議員総会、強行審議(議運、選挙特)、鳥取地震対策本部

今日は、9時から緊急議員総会。与党は、非拘束名簿方式の法案を、本会議の審議を省略して、直ちに選挙制度特別委員会で審議する方針を決めました。そのことを決める議院運営委員会を、10時から強行するというので、抗議行動です。実力阻止ではないのに、ものすごい数の衛視(国会の警備を担当する職員です)がスクラムを組み、抗議行動を規制し、委員長を抱えて突進して来て、多くの議員が将棋倒しとなり、2、3の議員が怪我をしました。無茶苦茶な過剰警備に、私たちは蹴散らされました。

12時から弁当付き会議。1時に再び議員総会。今度は、2時から選挙特委で法案の審議入り。抗議のため第1委員会室に詰めかけました。ところが1時30分、中国地方に大地震との一報。鳥取県西部が震源で、震度6強、マグニチュード7強。かなりの被害が予想されるのに、暫時休憩を申し入れても与党は素知らぬ顔。非拘束方式のほうが大切という与党の態度には、あきれました。これへの抗議も含めて、私たちは直ちに無言でその場を去りました。控室でテレビを見ると、野党との折衝責任者である自民党の国対委員長が、自ら提案理由を朗読していました。久保議員会長曰く、「長い議員生活でいろんなことを経験してきたけれど、自ら対決法案の筆頭提案者になるという、挑戦的な国対委員長に出会ったのは、初めてだ」。

民主党は、本部と岡山県連に地震災害対策本部を立ち上げ、3時から菅幹事長が定例会見で発表。陪席しました。その後、取材など来客応対。英国のインディペンデント紙の記者から、英語の電話取材。

佐藤敬夫さんのパーティーと新橋駅前の野党4党街頭演説に出て、羽田から空路帰岡。車中で新幹線復旧を聞きました。わが家は無事でした。



10月7日(土) 川鉄労組大会、鳥取地震現地調査

今日は、9時から倉敷市水島で川崎製鉄水島労組の定期大会に民主党岡山県連を代表して出席、挨拶。

「人類の文明は、鉄を使いこなすことによって大きく変化しました。今、21世紀を目前にし、IT革命と言われますが、鉄の重要性は、時代の前面に出ようが背景に退こうが、不変です。鉄に働く皆さんが、労働組合をしっかり支え、これにしっかり支えられていることが、私たちの社会の基本です。頑張ってください。」そのほか勿論、臨時国会の状況、構造改革の必要性などを強調しました。

10時に水島を発って、一路鳥取県西部へ。12時前に民主党災害対策本部の前原誠司事務局長(京都1区)、山内おさむ(鳥取2区比例)の両衆議院議員、民主党鳥取の鍵谷代表、福間幹事長らと合流し、鳥取県西部地震の現地調査を始めました。

先ず日野町役場で、生田町長から説明を聞き、一番ひどい地域、下榎地区、黒坂地区へ。崩落した家こそ見当たりませんが、軒並み屋根瓦が崩れ、柱が傾き、家の中はおもちゃ箱をひっくり返したよう。人々は呆然と立ちすくんでいます。高齢化地域で、お年寄りが大変です。お慰めの言葉もありません。

地震の激しさのわりに被害が少なかったのは、揺れ方や時間のこともありますが、災害対策のため緊急の通信網を整備し、直ちに火を消すことなどを徹底したこと、消防団の機敏な出動があったことなども大きかったようです。それでも大変な事態です。また、電話のパンクも今後の課題です。

溝口町を走って、会見町役場で三鴨町長からの説明。屋根の応急処置をしようにも、業者が足りず、余震が続いている中、素人では危険で、どうにもならないとのこと。さらに西伯町役場で町長からの説明。ここも日野町と同じ状況です。

米子市の安倍彦名団地から彦名干拓地へ。液状化です。畑に地下の塩分を含んだヘドロがクレーター状に上がってきて、にんじんや大根の被害が心配です。さらに境港市へ。蟹岸壁は、ぐちゃぐちゃ。べにずわいの陸揚げができません。竹内地区は埋め立ての工業団地ですが、地面は液状化のためでこぼこになっています。黒見市長から、「この2箇所だけは国の力を借りたい、市内は何とかするから」と強く要請されました。米子市役所に着いた時には、日はとっぷりと暮れていました。みんなで夕食をとり、帰宅は真夜中でした



10月8日(日) 運動会s、労組大会、結婚式、県北地震現地調査

今日は、8時半から可知学区民大運動会で挨拶。今にも雨が来そうな空模様でしたが、「鳥取県西部は、運動会どころじゃないんだから、今日を大いに楽しんで」と、大勢のチビッコ高橋尚子選手たちを激励しました。次いで雄神学区体育大会へ。結局、やるとの決断はいずれも正解だったようです。

10時から、JAM岡山の定期大会で挨拶。機械金属産業の中堅、中小組合が総結集した産業別組織です。国会情勢などを説明し、「いつの時代にも、『もの作り』は人間社会の基本。そこに働く皆さんで、しっかりした労働運動を築いてください」と激励しました。

11時から、知人のご長男の結婚式に、妻と一緒に出席して挨拶。若いカップルの誕生は、いつも楽しいことです。つい嬉しくなって、カラオケまで披露。

1時前に途中退席して、地震の現地調査のため県北へ出発。新見市では、市役所で助役さんから説明を聞きました。対策本部は、引き続き活動中。北部の千屋地区は、国道の峠を越えれば鳥取県日野町。被害状況も日野町と同じで、道路は亀裂が入り、家は瓦が飛び、大変です。最北部の第三セクター、千屋温泉は、建屋は大丈夫でしたが、敷地が陥没し、配管が折れて営業不能。市民センターに避難している老夫婦も激励しました。さらに神郷町役場と哲多町役場へ。いずれも震度ほどの被害はなく、ホッとしました。以上は備中。

次いで美作へ。落合町役場と勝山町役場へ。どちらも大丈夫で、6日夜8時には、対策本部を解散したそうです。揺れのひどかった美甘村役場でも、大丈夫とのこと。最後は峠を越えて蒜山、八束村役場へ。塩釜冷泉の湧き水が白濁し、これを使っている水道を給水停止としましたが、昨日午後には直り、5時には対策本部も解散。

まだ余震が続いていますが、今までのところ、岡山県北部では千屋地区以外は大きな心配はなさそうで、一安心しています。



10月9日(月) 休日、非拘束名簿方式の狙い

今日は、体育の日。選挙で頑張っている人々には申し訳なく、催し物のご案内を頂いた人々には失礼だったのですが、終日休日とさせて貰いました。

ゆっくり起きて、遅い朝食。新聞を丹念に読んで、遅めの昼食。朝からの雨が3時過ぎに上がり、庭に出て草取り。木にからまりついたニガウリを、やっと取りはずしました。暗くなってシャワーを浴び、夕食。引退後の老夫婦のようで、何となく落ち着きません。最終の新幹線で上京。

ところで先日、自民党が比例区の公認候補を発表しました。17人中8人が官僚出身です。厚生と農水が二人ずつ。建設、郵政、自治、防衛が一人ずつ。その他は、遺族会、医師会、歯科医師会、JR、宗教団体から一人ずつと、運動選手3人とタレント一人。

参議院選挙に全国区があったころ、自民党はこの制度を利用し、中央集権と省庁縦割りの仕組みに張り付いた業界構造を集票マシーンにして、票をかっさらいました。全国津々浦々まで張り巡らされた中央省庁の地方組織にハッパをかけ、関係業界や企業を総動員して票を集めます。その結果は、各候補者の市町村ごとの得票数で、一目瞭然となります。官庁以外の全国組織も同じです。票の出方が補助金の額に響くので、市町村長さんたちも震え上がります。そして当選した議員は、出身官庁の代弁者となります。利権構造そのものです。

比例区で多数をとれなくなったと見るや、もう一度全国区型の集票構造を復活させようと、非拘束名簿方式の導入に躍起になっているのです。そのことをはっきり証明しているのが、今回の自民党の比例区候補の顔ぶれです。中央省庁と全国組織に見事に割り振られています。選挙が役所ぐるみ、業界ぐるみ、企業ぐるみになるのは、目に見えています。

明日からも、国会は異常事態が続きそうです。まずは与党が、2月25日のところまで戻ることが必要です。



10月10日(火) 国会対策、役員会、NPO税制、東京21区補選

今日は、10時に参議院民主党の国対会議をのぞいて、雑談をしながら雰囲気を確認。審議拒否は世論の批判を浴びるのが常で、週末地元に帰ったら支持者に批判されて、がっくり来るものなのです。ところが今回は、世論も比較的温かい雰囲気だと、みな意気軒昂です。非拘束方式というややこしいものがまだよく分らず、何で揉めてるのかもいまいちはっきりしないから、世論もまだ沸騰しておらず、それでもどうやら与党の方が強引すぎるぞとの印象があるのでしょう。この程度では、世論が何時がらっと変わるか判りません。注意が肝心です。

12時から常任役員会。世論の動きを見逃さないようにすること、党首討論は行うべきこと、本会議でのせめぎ合いを考えたら、この段階での腰砕けは得策でないことなどが話し合われました。

3時から、NPO委員会と税制調査会とで、NPO税制について役員間の協議。民主党は8月に、NPO委員会としての方針を取りまとめていたのですが、税制調査会からさらに詰める点を数カ所指摘され、その検討です。

  1. NPO法人の行う介護事業についての課税は、社会福祉法人に準ずることとします。

  2. 税制支援措置の適用は、社会に支えられた活動であることを要件とするのですが、その仕分けの基準(パブリック・サポート・テスト)を、その趣旨に従ってもっとはっきりさせます。

  3. 審査機関は、現実論に立って課税庁とすべきとの有力意見もありますが、NPO委員会としては、NPO支援策の適用を徴税機関に委ねるのは利益相反法理から見ても好ましくないので、第三者機関とするとの原案を維持します。但し調査は、課税庁に協力を求めます。

  4. 寄付金控除の枠組みは、特定寄付金の枠組みの中とします。従って、特定公益増進法人その他の、この枠組みの中で優遇される寄付金とは、競合関係になり、当然上限も、NPOとその他の団体とで変わることはありません。

  5. 個人の場合の所得控除も当然、特増と同じく25%とします。税額控除は原案どおり。1万円の足切りは廃止。法人の場合も特増と同じ扱いとします。

  6. みなし寄付金控除をどうするか の議論の途中で、私は退席。

JRで日野市へ。6時から豊田駅前で、今日から始まった衆議院東京21区補欠選挙の応援。民主党公認の長島昭久候補と一緒に選挙カーの上から訴えましたが、まだちょっと関心薄いかな。次いで立川市に移り、曙橋で訴え。長島君は、さすが38歳で若々しく、論旨明快に元気いっぱい訴えています。


江田五月 活動日誌 2000年10月(01〜10) >>日程表

ホーム総目次10月目次前へ次へ