2001/11 

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「司法試験改革について」 投稿集


コポガバとはなんだ!   一商法学者  
2001年11月20日(火)00時48分

 江田さんの書きこみに出てくる「コポガバ」。政治家として、元裁判官として恥ずかしくないですか。コポガバは役人が使う言葉で、学者で使っている人はいません。コーポレート・ガバナンスはいまや世界共通語ですが、コポガバといっている国はありません。私は、役人の口から聞いて、一瞬耳を疑いました。

 決して、言葉狩りではありません。議員立法の内容も問題です。金庫株の解禁も出来はよくありませんでした。実務は困っています。国会は国民に開かれた会議だというけれど、素人の集まりでは「休むに似たり」です。そもそも、法案提出前にパブリック・コメントに付しましたか?

 こういうことは、元法曹の江田さんの出番だと思うのですが。司法試験予備校を持ち上げていないで、働いてください。


一商法学者の方へ   一母  
2001年11月20日(火)14時49分

「コポガバ」なるものについてはよくわかりませんが、学者氏の最後の一行が気になりました。

「司法試験予備校を持ち上げていないで」とわざわざ付け加えておられるということは、その予備校というものに対して、あまり好印象をお持ちではないと想像してもよろしいのでしょうか・・・?

私は3人の子どもたちをそれぞれ大学受験させて、それなりに自分たちに合う大学に入学させた現在、今の高校、特に公立の普通科といわれる高校の先生方の、大学受験に対する実際的知識、情報力、などが、彼らの尽力にもかかわらず、現実的に不足していることを実感いたしました。

それと同じことが、司法試験受験にも言えるのではないか、と思っています。私はBコーポレーション関係の仕事もしておりまして、その学習会で最近の大学事情も伺うことがありました。そこで話されたことの一つには、法科大学院構想には司法試験に役に立たない法学部の存在がある、ということでした。実際、今やほとんどの司法試験合格者は専門の塾、または予備校出身者だとか・・・

このことに対して、現役の法学部の先生方はどう思っていらっしゃるのでしょうか?

高校の先生方はなかば自分たちの受験指導の限界を認めて、予備校や塾の存在を奨励しないまでも黙認していました。それと同じように、大学の先生方は、自分たちの指導の限界を認めて司法試験用の勉強はどうぞ塾や予備校へ、と思っていらっしゃるのでしょうか?

しかし、その塾では、憲法の理念がしっかりと熱意をもって語られ、未来の法曹たちにその平和理念を大切に持ち続け、日本の国に貢献してほしい、と指導されていることを知っております。このような熱意をもって今、法学を教え、誠実な法曹を作り出そうとしておられる法学の先生方がいらっしゃるのでしょうか。

また商法や刑法にしても、現実の法廷を体現しながら、複雑な人間関係の心理までも押さえて、授業しておられる先生がいらしたら教えてほしい。

それが塾や予備校では、法学の理念と共に、教えられている現在、法学部の先生方の存在は、どういうものなのでしょうか?

法学部出身の学生が、ほとんどは法曹関係ではなく、つぶしのきく学部出身ということで、就職していく現在だと思います。そこで教えておられる先生方は、学生たちになにを教え、伝えたいと思っておられるのでしょうか。

私自身、門外漢であり、何もわからないで勝手なことを極論として申し上げたかもしれません。いささか闘争的な文章になっておりましたら、お許し下さい。非難するつもりではございませんので。


司法試験改革   一商法学者  
2001年11月20日(火)15時48分

 江田氏のコメントを期待したいのですが、彼はレスしないようなので、一母さんへお答えしておきます。最後の一行は、江田氏が特定の司法試験予備校の名前を出したことへの批判です。日記ならともかく、公の掲示板ですべきことではありません。

 現在の司法改革は、司法試験合格者のレベルが下がっていることが、出発点にあります。司法の需要はあるが、現在の司法試験システムの下で合格者を増やすと、能力が低すぎて、社会に害を及ぼす法曹が出てきてしまいます。弁護士業務の競争で淘汰されればよいのですが、その過程で被害を被るのは国民です。そこで、合格者を増やす代わりにロー・スクールで鍛えようというのが改革の趣旨であると、私は理解しています。


「コポガバ」について  江田五月 
2001年11月20日(火)22時30分

私も「コポガバ」というような省略は嫌いです。しかし、当掲示板の見出しの枠が小さいので、ここに収まるように省略したのです。悪しからず。

ちなみに、私は、「レス」という省略も嫌いです。何だか分かりません。


一商法学者さんへ、初耳です   一母  
2001年11月21日(水)00時22分

「現在の司法改革は、司法試験合格者のレベルが下がっていることが、出発点にあります」とは、まったくもって初耳です。

どこにそういう根拠が、またデータがあるのでしょうか?
ぜひともお教え下さい。

合格者数が以前より2倍近く増えたり、特殊枠がもうけられたりしたからでしょうか?
それがレベルが下がった、という根拠には直接ならないでしょう?
受験者数も増えてきているわけですから。

また、「ロー・スクールで鍛えようというのが改革の趣旨である」とおっしゃいますが、そこで鍛えようとする方々は、従来からの、司法試験に対応できない授業をなさっている先生方ではないのですか?
そこで、訓練が期待できるのでしょうか?

もっとも、ロースクールには、実務経験者が多く採用され、従来からの先生方は失職の危険にある、とも聞きましたが・・・いかがなのでしょうか?


もう一つ   一母  
2001年11月21日(水)00時33分

「社会に害を及ぼす法曹」とは、いかなる法曹を言うのでしょうか、教え下さい。

「日独裁判官物語」などを見ますと、「被害を被るのは国民」という状況を作り出しているのは、若い法曹ではなくて、三権分立を形骸化し、権力と保身に汲々としている法曹界の重鎮であると思うのですが、いかがでしょうか?


一商法学者さんに賛同   長谷川 博  
2001年11月21日(水)01時47分

>私も「コポガバ」というような省略は嫌いです。
>しかし、当掲示板の見出しの枠が小さいので、
>ここに収まるように省略したのです。
 江田先生、これは言い訳にもなりませんよ。
でも、政治家はいろんな人と会い、意見を聞くことが仕事ですから、これ以上はいいません。

 一商法学者さんと一母さん、ごめんなさい。割って入ります。いい議論で拝聴しています。司法制度改革は司法試験制度改革が基本ですね。

 世界の法曹は、歴史学も学んでいます。日本の法曹はたとえば日本史を勉強していますか。外国語を勉強していますか。狭い世界で学んだということを意識していますか。

 政治家も同じです。働いて税金を払っていますか。Tax  payerですか。否、Tax eaterではないですか。税金ってなんでしょう。現代の租税国家では、納税者は、納税額に見合う反対給付を求めてもいいと思いますよ。

 司法制度は、税金で運営されているということ、しかし、これが必要であるといことが分からなければなりません。

 そうであっても、今の司法制度には満足できるものがほとんどないということも認識する必要があります。

 これについては、ある雑誌のインタビューで答えています。


一母さんへ   一商法学者  
2001年11月21日(水)02時40分

 分かる範囲でお答えします。
 合格者数が増えたという以上に司法試験合格者のレベルが下がっていることは、研修所教官や口述担当試験官(大学教員を含む)の実感です。

 「ロー・スクールで鍛える」というのは、論理的かつ柔軟な思考能力を付けるという意味です。「司法試験に対応できない」といいますが、昔は、大学の授業に出ているだけで司法試験に合格することができました。ちゃんと勉強すれば分かりますが、今でも、大学の期末試験の方が司法試験より難しいのです。今の司法試験の勉強は、暗記みたいなものです。予備校では、考えなくても合格答案が書けるように指導をしています。合格者、とくに若年合格者を増やすため、要領のよい子が合格するような試験にしてしまったことが、レベルの低下を招いていると思います。

 ロー・スクールには実務経験者も採用されるでしょうが、それにより従来の教官が失職することはないでしょう。今はロー・スクールの条件を整えるために実定法学者の取り合いが起こっており、学者の値段はインフレを起こしています。実務経験者は、アメリカのロー・スクールでも、それほど多くなく、かつ尊敬されていません。むしろ、ロー・スクールの授業ができる実務家がどれくらいいるか、心配です。

 「社会に害を及ぼす法曹」とは、マルプラクティス(専門家責任を問われるような過誤事例)が増えるだろうということです。専門家の能力の有無は、依頼人からは分かりにくいですからね。

 ついでに、長谷川さんへ。日本の法曹も大学の教養部時代に外国語や歴史を勉強する機会はあります(その機会がない人には、一次試験がある)。ただ、なにかの専門を勉強してから、ロー・スクールに受け入れるというアメリカ式がよいと、私も思いますが。

 ついでに、「レス」は失礼しました。


一商法学者さんへ   長谷川 博  
2001年11月21日(水)03時21分

>ついでに、長谷川さんへ。日本の法曹も大学の
>教養部時代に外国語や歴史を勉強する機会は
>あります(その機会がない人には、一次試験がある)。
>ただ、なにかの専門を勉強してから、ロー・スクールに
>受け入れるというアメリカ式がよいと、私も思いますが。

 あえていいましょう。勉強する機会はあっても、勉強していないんですよ。もっといえば、私の時代より勉強していないとおもいます。

 自国の歴史をしらない法曹なんて世界では考えられない。高校までの歴史勉強では本当の勉強にはなっていないと思うんですが。

 外国語も同じです。司法試験合格者で英語をしゃべれる人はほとんどいません。司法試験を受からなくても、日本史や外国語をよく勉強している人が多いと思います。このような人は一般的に柔軟に議論ができるというのが私の経験です。
(感想まで)


司法改革と法曹教育  河田英正 
2001年11月21日(水)10時24分

今の憲法が施行されて半世紀を経過しました。最高裁判所を頂点とした司法の現場で「違憲」判決がだされたのは数えるばかりしかありません。ドイツとの相違は(一母)さんご指摘のとおりです。行政裁判は,ほとんど行政側の勝訴です。違憲判決を書いた裁判官の末路はあわれとしかいいようのない処遇を受けています。「犬になれなかった裁判官」(NHK出版)の例をみるまでもありません。死刑の確定した人が再審無罪となるような実態があります。これが病める司法改革であり,司法改革の原点でなければなりません。このことが忘れられてなされている司法改革です。司法の人権擁護の機能には触れない司法改革です。

裁判官,検察官の数は圧倒的に不足しています。しかし,これをどの程度増加させるかは全く不明のままの議論です。にも関わらず,現在の3倍,私たちの頃の6倍の人数の合格者をつくろうとしています。バランスのとれた法曹人口の増加を考えなければ司法の機能は低下します。「人権擁護」が語られない司法改革となっています。

法科大学院による法曹育成は,法科大学院にいける余裕と財力のある者にしか法曹の道が歩めないことを意味します。現在の医学部と同様に大学院間でランク付けが行われるようになるでしょう。現在の合格者のレベルを確保できるかは極めて難しい問題でしょう。30000人の人が1000人の枠をめざして平均5年以上頑張って合格している現状よりも落ち込むことが予想されるのは当然でしょう。今の司法試験は,誰でも何歳でも受験できるという平等があります。記憶力の極めて乏しい私が合格したのだから決して記憶力の問題ではないとは思いますが,即決即断力を要求されて事務処理能力に重点を置いて評価されているきらいはあるとは思います。司法試験の内容をどのようにするかの問題でしょう。

私は,法科大学院による法曹教育には反対の立場です。司法改革の視点からではなく法学部の生き残りとしての大学改革の視点から考えられているからです。しかし,法科大学院の設置の方向が決まったのですから,ここで法曹が育っていくことになるわけです。そうであれば,未来の司法を担っていくことになる後輩たちに司法の役割をきちんと果たしていただくことができる法学教育がなされる法科大学院となるようその設置にむけて積極的に協力をしていきたいと思っています。


しつこいようですが   一母  
2001年11月21日(水)11時00分

「合格者数が増えたという以上に司法試験合格者のレベルが下がっていることは、研修所教官や口述担当試験官(大学教員を含む)の実感です。」

これでは、今の若い者は・・・という、いつの時代の大人も口にする実感でしかありません。つまり、確実なデータに基づいたことではないということです。いったい、研修所教官や、口述試験担当官が、何年続けて同じ職務を担当しておられるのでしょうか・・・

こういう実感は続けて担当して、同じ設問に対して正答率が低いというようなデータを把握していないと、軽率に口にはできないことではないでしょうか?

またどういうレベルが下がっているのか?
抽象的でよくわかりません。

たとえば弁護士業務を担当するようになった近年の合格者が、それ以前の、という線引きをするのも困難なことと思いますが、「専門家責任を問われるような過誤事例」を引き起こしている割合が多くなったのでしょうか?

それも具体的なデータをお示し下さらないと、確定できえないでしょう。推測の域を出ないからです。

法曹は何よりもデータを確実に読みとり、実務にいかさなければならない厳しい業務だと思います。そんな実感だとか、推論で物事を判断していくようでは、先が思いやられます。

少なくとも、実務を経験していない学者が実務を含む法律を教えて、司法試験に対応させていこうとする、ロースクール構想には疑念を持ちます。メスをもったことのない医者が、手術の方法を教えるようなものではないでしょうか?

「大学の期末試験の方が司法試験より難しいのです」
これには、現役の受験生でかつ法学部の学生の回答を待つしかありません。現在の司法試験がどの程度の難しさなのか、体験したことのない者が言っても無意味でしょうから。

「予備校では、考えなくても合格答案が書けるように指導をしています。」
これは、予備校の勉強を体験した方の回答を待つしかありません。

なんだか、最初の書き込みで申し上げたように、高校の先生方の一部が、自分の授業の工夫や技術の足りなさを棚にあげて、予備校の授業をけなしているようにしか聞こえないのですが・・・

レベルの低下を嘆かれるなら、どういうレベルが下がったのか、確実な事例を過去と比較してお教え下さい。

「論理的かつ柔軟な思考能力を付けるという意味です」
とおっしゃるのは、どういう授業を計画しておられるのでしょうか?
そして、今の法学部では、そのような授業はできないのでしょうか?
論理的かつ柔軟な思考能力を身につけるのは、とても大切なことだと思いますので、お教え下さい。

ついでに、私も長谷川さんへ。
「司法試験を受からなくても、日本史や外国語をよく勉強している人が多いと思います。このような人は一般的に柔軟に議論ができるというのが私の経験です。」
これも、私見でしかありませんね。もちろん、司法試験合格者がオールマイティであるはずがありません。また日本史や外国語に堪能な人がすべて柔軟な議論ができるか、というと、それも非常に偏った感想ではないでしょうか。


一母さんへ   一商法学者  
2001年11月21日(水)13時50分

 答えられるものだけ、お答えします。
 レベルが下がっているというのは、たとえば自分の書いている(または言っている)ことが論理的に矛盾していることに気づかない(論理性の欠如)、すこし応用が必要な問題を出すと答えられない(柔軟性の欠如)等です。

 学者(研究者)は、論文を公表したり、意見書を出すことを通じて実務を経験しています。裁判実務と手術とは大違いです。裁判は、テクニックで決まるものではありません。

 論理的かつ柔軟な思考能力を付ける方法については、いろいろ議論がありますが、私は法律学そのものがそのような能力を要求しているので(たとえば学説の対立を理解する、あたらしい解釈論・立法論を立てる等)、授業方法には依存しないと考えています。今の法学部でもやっています。今の司法試験受験生にそれが欠如しているのは、今の司法試験に合格するためには、そのような能力が求められておらず、かえって邪魔になる(時間の無駄と考えられている)からです。

 これ以上、この掲示板で議論することは迷惑になると思うのですが・・・


百様を知って一様をしらず!では?  タクシードライバー 
2001年11月21日(水)14時27分

私は、今回の論争自体良く理解できません。法曹のこと学者のこと全てですが。論理の矛盾なんて一般のひとの使わぬ言葉、嫌ですね毎日色んな人と話すのも”商売”だから。相手のわかることばを選んでないと、”会話”成り立ちませんよ。私が一番レベル下がっています(自覚)


確かに無駄な議論   一母  
2001年11月22日(木)00時00分

一向にまともに答えてくださらない一商法学者さんとの議論は、時間の無駄かと思います。きっとご身分を証せないほどの有名な学者さんなのでしょう、具体的なことをお聞きしても、お答えになることができないのでしょうね。

司法改革が今、最も必要なのは、何度目かの書き込みで申し上げたように、三権分立を形骸化し、司法の独立を阻んでいる法曹界一部の重鎮、並びに立法府の政府であろうと思うことを、もう一度喚起して、終わります。

タクシードライバーさん、私たち最もレベルが低いと自覚している者たちの(ごめんなさい。私と同列にして)人権が、いつのまにかないがしろにされてしまう裁判のあり方に、よーく注目していきたいと思っています。

最高裁判所の裁判官の可否を決める権利は我々一人一人にあるということも、一寸の虫ににも五分の魂で、しっかり行使していきましょう。


私も一言  江田五月 
2001年11月22日(木)00時46分

私はどちらかといえば、一母さんのご意見に共感を覚えます。


さいごに  一商法学者 
2001年11月22日(木)01時15分

 最初から順を追って読んでいただければ分かると思いますが、そもそも司法改革について話していないのに、言葉尻を捉えて議論を吹きかけ、親切心を出して大学の現場の状況を説明すると、特定の予備校に好印象を持っていないと憶測したり、マルプラクティスが増える「だろう」と言っているのに、今増えている証拠を示せなどの揚げ足取り、果ては、司法試験に対応した授業をしていないとか、失職の危険があるなど(私に対するものでないにせよ)、憶測に基づく侮蔑的言辞を弄するなど、少々腹に据えかねるところがあります。

 私が質問に答えているだけで、一母さんの意見に反対しているわけでないことも、よく読めば分かると思います。私は「分かる範囲で」質問に答えていますが(まともに答えています)、議論するつもりはありませんし、議論していません。「身分を証せない」云々も、前後の文脈からは侮蔑的です。一母さんには、猛省を促したいと思います。掲示板は公の場であることをお忘れにならないように。メールしようと思いましたが明らかにされていないので、一回だけこの掲示板に書かせてもらいました。


2001/11

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