1980年11月16日 第二回全国大会

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第一小委員会(政策、理論)の提案

 第一委員会は、理念、政策を中心に討論と作業を進め、「われわれのめざすもの」については“訂正の要なし”、数行の追加だけでよいという結論に達した。

 政策については、「外交・防衛」問題の項をかなり大幅に改定することになり、討論の時間も最も多く費やした。「経済政策」「エネルギー政策」は、今日の時点に合わせたものにする作業がほとんどであった。


「福祉社会」のための政策  これからの日本経済の進む道

一、「安心できる社会」をつくろう
(1) われわれは明日の自由な社会の実現のためにも、それへの手がかりとなる出発点を、八〇年代を迎えたいま築いていく責任がある。戦後三十年、もう少し長い歴史的流れをとらえれば、一八六八年の明治維新以来、「西欧に追いつき、追いこす」ことが大多数の国民にとって承認された目標であった。

 しかしこれからは、それとは異なる新しい内容をもったつぎの三十年、あるいは五十年の発展をめざさなければならない。これからは一人一人の国民にたいして、もっとバランスのとれた充実した生活を保障することのできる自由と公正と文化的創造を大切にする社会をつくることが、日本国民の大多数の共通の目標となるだろう。

 われわれは「福祉国家」をもこえて「福祉社会」をめざす一貫した政策を国民の合意のもとにつくりあげていくことこそが、そうした大転換を目的意識的に進めていくほとんど唯一の道と考える。

 われわれが「福祉国家」と「福祉社会」を区分けするのは、国家(政府)が福祉に関連するあらゆる施策を請け負うような「福祉国家」ではなく、より分権的な体制をつくり、「自治」を強め、市民の自発的参加と連帯の拡大による成熟した「福祉社会」を意識的に追求する必要があるからである。

 むろんわが国ではこれまで「福祉国家」と呼ばれる状態への移行も不完全なものであった。その不完全さをある程度補ってきたのは、高い経済成長による完全雇用と所得水準の上昇、個人的、私的な方法による保障の手段であった。

 しかしこれからは高度成長は望むべくもなく、また人口の高齢化も急速に進んでおり、そうした旧来の手段による保障は行き詰まっているばかりでなく、著しく公正さを欠いている。それゆえに、われわれは「福祉国家」への成熟を果たすという課題と「福祉国家」が達成した諸成果さえももう一度点検し、さらに先に進んでいかなければならないという二重の課題に直面している。

(2) 同時に、そうした福祉社会化への一貫した政策こそが、国民生活の先行き不安を解消するだけでなく、間接的に、しかし根本的に経済構造を変え、バランスのとれたゆるやかな成長を可能にする。

 日本経済はこれまで、社会保障、社会福祉、社会資本の充実という体系的な福祉社会化の思想が欠けていたため、過大な貯蓄を余儀なくされ、貯蓄超過、投資不足が生じやすい体質になっている。高貯蓄は高成長が目的であった時代には成長の原動力としてそれなりの正当性をもっていた。

 しかし成長のゆきすぎの是正が必要となり、よりバランスのとれた発展が求められるようになった今日では全く不当なものとなった。現在ではそれほど高水準の投資を行わなくとも経済の均衡が達成されるように、むしろ貯蓄率の低下を促すような政策選択によって、いいかえれば、国民生活向上に役立つ福祉社会型投資によるバランスのとれた経済発展が必要とされている。

 国民の貯蓄動機は、老後、病気、住宅、教育などへの不安だといわれている。もし年金制度が完備され、重病のときも心配のない保障が行われ、超長期の住宅ローンが開発され、教育費は被教育者自身が生涯所得から返済するような諸制度が一つのセットとして強力に推進され、将来の不安が除去されるならば、現在の国民の貯蓄と支出の配分も変わってくるだろう。われわれはそれを「安心できる社会」への「安心投資」と呼ぶ。

(3) 日本経済は高い成長をとげ、いまなお活力にみち、潜在的に高い成長力と強い国際競争力をもっている。しかし欧米諸国に比較すればストックの面や国民生活の面で改革すべき余地の大きい経済である。(注)

 国民生活向上の面で投資の不足している領域が多く存在していることは、そこへの投資によってまだ十分な成長余力を残していることを意味している。そうであればこそ、強い国際競争力に示されている潜在力や経済資源を輸出に廻すのではなく、国民生活の向上に役立てるという、このごく平凡な政策が、日本経済を現状のさまざまな困難から脱出させ、同時に国民の活力を長期にわたって維持していくことを可能にするだろう。

(注)例えば社会保障給付の国民所得に対する比率は、イギリス一四%、フランス一六%、西ドイツ一八%、スウェーデン二〇%に比して、日本は六〜七%である。文化の水準を示すという水洗便所つき住宅は、西ドイツ、アメリカ、イギリスがそれぞれ八〇%から九〇%を超えるのにくらべて、日本は一七%〜二〇%にすぎない。一人当たり都市公園の 面積は、アメリカ、西ドイツ、イギリスが二〇平方メートルをこえるのにくらべて、日本は二・四平方メートルである。

(4) われわれの以上の福祉社会化への提案は、ある水準の財政負担の上昇を伴うであろうことを否定すべくもない。われわれはある水準の高負担は、それが現代の社会生活の改善のために必要ならば、回避すべきでないと考える。われわれの社会は、老後、病気、教育のための個人的保障をもっと社会的保障に移しかえていく必要があるし、都市の改造や安全で快適な環境の創造のため、あるいは人命にかかわる多くの災害防止のためもっと費用をかける必要があるからである。

 わが国のこれまでの財政運営は、どちらかといえば「安価な政府」型に傾斜し、高度成長期における財政収入の伸びを年々、減税にまわすという対応をしてきたため、国民の公共部門にたいするニーズの高まりと財政の規模とのあいだにギャップが生じており、他の先進諸国とくらべても、公共財政負担の対GNP比率ははるかに低くなっている。(注)こうした事情を考慮すれば、長期的には財政の相対規模を高めることになる高負担を予定しなければならない。

 しかし、もちろん、われわれのいう「高負担」型財政は、医師の優遇税をはじめ、資本蓄積のため公正さを著しく損っている種々の租税特別措置法の整理を中心とする税負担の公平化、財政支出の合理化を前提としてのみ提起される。同時に、福祉社会のための財政の積極的な役割のプログラムの提示と組み合わされて提起されるべきことを強調したい。

 大蔵省をはじめとするこれまでの政府の「増税論」はこれらの前提を欠いており、「不況」の「あと始末」としての増税という消極的な姿勢に陥っているところに根本的な問題があることを指摘したい。

(注)公共財政負担の対GNP比率は、西ドイツ、フランス、スウェーデンはいずれも五〇%をこえ、イギリスも四五%であるのにくらべて、日本は二六〜二七%で約半分である。

ニ、経済発展のパターン(型)を変えよう
(1) 現在は長期の観点に立てば、資源、環境保全等の制約を考慮し、経済成長率を漸次的に低下させるべき「減速」の時代である。

 それは同時に、経済発展のパターンを根本的に変えていかなければならない「転換」の時代である。この「転換」はたんに戦後三十年の高度経済成長からの転換であるというだけでなく、おそらく過去一世紀にわたる近代化、工業化の歴史的趨勢からの大転換である。

 しかし同時に、短期的にはむしろ失業の増大をふせぐために、あるいはこれからの諸改革の実現のための必要な条件としても、安定した中程度の成長を実現すべき過渡期である。

(2) いずれにせよ、高度経済成長が必要とされ、許容された時代はすでに終わっている。長期的には成長の加速でなく、成長の制御がこれからの基本的課題である。

 しかし、たんに成長率を引き下げさえすればよいというものではない。これまで自由民主党政権のもとでしばしば試みられたような、その場しのぎの抑制政策によって成長率を低下させる方法は、問題の解決ではなく、かえって混乱を大きくさせることは、「一九七五年不況」の実例を見ても明らかであろう。

(3) 成長をめぐる革新的政策の基本戦略は、「抑制ではなく改革」を通じて、政策体系を変え、経済構造を変えることによって漸次的に成長率を低下させつつ、国民生活の安定と均衡をはかることである。その意味で、先にのべたような「福祉社会」をめざす一貫性をもった政策こそが、経済成長減速のための基本的課題とならなければならない。

 たとえば、社会保障、社会福祉の拡充は、国民の消費支出の構成を変え、消費と貯蓄の配分を変え、経済発展の型を変える大きな手がかりとなる。さらに福祉サービス・システムの拡充、改善のために必要な投資と新しい雇用の機会をつくりだすだろう。

 また保障感の定着を実現することによって、旧来の農業、中小企業を含むさまざまな産業における必要な転換を可能にし、複雑、ぼう大な補助金制度を克服する道も開かれる。さらに社会的保障の確立は、労働者を企業内福利による“企業の囲い込み”から解放し、企業管理民主化のための一つの基盤をつくることにもなるだろう。

 いずれにせよ、抑制によって成長率を下げたり、産業の側を助成することによって産業構造を変えるのではなく、むしろ国民の支出構成を変える「福祉社会」への一貫した政策によって、間接的に、経済構造を変え、成長率のゆるやかな低下をはかってゆかねばならない。

(4) われわれは、八〇年代前半の数年間は、安定成長への転換のための調整期として五〜六%の「中程度」の成長率を目標とする。それ以後、八〇年代と九〇年代を、経済の均衡と雇用の安定に配慮しつつ、物的消費の増加率を漸次的に低下させていく移行期として設定し、経済の発展のパターン、社会の構造、生活の質の全面的転換をはかっていく。

 このような観点から、たとえば、つぎのような具体的な政策が推進されなければならない。

(1) 分断されている年金制度、健康保険制度の整理・統合と公正化。ナショナルミニマム、シビルミニマムの確立をめざし、基礎年金の確立を軸とする給付水準の引き上げ、社会福祉施設やサービスの拡大、その際の自治体の役割の増大。医療制度と料金体系の根本的見直し。(この分野で大企業労働組合は、社会保障制度統合への指導力となることによって自らの社会的貢献を果たすべきである)。

(2) 生活の質的改善に直結する社会資本、例えば良好な環境を備えた住宅、下水道、都市、公園、教育文化施設、各種の防災施設などの整備拡充、公共交通体系の整備、これに伴う土地公有化の拡大を軸とする土地制度の改革と都市再改造のための都市計画。

(3) 環境の保全と創造のため廃棄物規制、安全基準の強化、環境アセスメント法の制定。それに伴う公害防止対策や安全対策のための投資の増加、クリーンエネルギー開発のための投資の大幅拡大。

(4) 資本蓄積、貯蓄奨均 その他の理由によって公正さを担っている租税特別措置法の整理を中心とする税制の改革、とくに医師の優遇税の改革は不可欠。租税負担の公正化と所得の捕捉の公正化を前提として、社会保障の充実と見合って、たとえば、公共輸送整備を目的とした自動車税やプラスチック製品等公害誘発物品の増税、長持ちする物品製造への課税の低減等選択的税負担の実施、税負担の漸次的増。

(5) 雇用安定基金の拡充、強化、雇用の保障に関する労使協定の確立。時間短縮と定年制の延長、高齢者などの雇用の保障と教育、文化および福祉社会建設に関連する領域での新しい雇用の創造。必要な職業転換を容易にするための教育、訓練システムの拡充、いわゆる生涯教育計画の推進。

(6) 徹底した分権と自治の確立を前提とした地方財政の確立。中央の税源の地方への大幅移譲、地方税の自立性の確立と地方債発行の自由裁量権の拡大、補助金の大幅削減、当面はメニュー方式による統合または交付金への移行。以上を前提として福祉施策等で住民の合意に基づく公正、合理的な住民負担。

(7) 産業構造の転換をおし進める際のエネルギー政策のあり方は、将来にエネルギー・ゼロ成長を実現することを目指し、弾性値の低い省エネルギー型産業構造につくりかえる。

(a) そのために、第一次石油ショック以降進められてきた省エネルギー・省石油政策をさらに継続的に進める。特に運輸部門と民生部門の省エネルギー策が強められなくてはならない。

(b) ソフト・エネルギー(太陽、風力、小型水力、潮力、地熱、廃棄物の再利用、バイオ・マス等)の研究開発の大幅投資と誘導策を強める。

(c) ソフト・エネルギーの大量供給が実現するまでの間、石炭をつなぎのエネルギーとして利用し、無公害化をはかる。

(d) 原子力発電は、既設のものは安全運転に徹し無理をしない。計画中のものは数年間モラトリアム(一時停止)として国民的討論に付してその是非を決める。

 これらの施策は、経済発展の型を変え、成長率を漸次低下させつつ、雇用の安定を保障する政策である。同時に、企業に対しては経済活動の方向を明示し、国民に対しては将来の生活の不安を少なくし、投資や消費の安定化に寄与し、不況からの脱出という短期の目標にとってもプラスの効果をもつことになるだろう。

三、新しい産業管理の体系を確立しよう
(1) 産業主義と資本主義は、物的生産力の拡大と効率化によって人々を貧苦から解放する基盤をつくり、人々の行動範囲を拡大した。しかし同時にこれに対する適切な制御の機構をつくりあげない限り、社会の混乱と人々に犠牲を強いることは明らかである。

 とくにあまりにも大きな力をもつようになった資本主義的企業が、現代の社会生活にたいする強力な規制者となり、人間性に対する新たな脅威を生みだすことが明かとなった今日、その効率的追求には社会的公正の原則に基づく社会的コントロールを確立する政策が必要となっている。

(2) もちろん、これからも日本産業の効率的運営は、(a)順調な産業活動による雇用の維持、(b)国民の需要にこたえる必要な財・サービスの廉価な供給、(c)国際競争の維持、等のため必要なことはいうまでもない。そのためには産業管理の現状を改め、むしろ積極的な変革と転換を企業に受容させることによってこそ、産業の新しい発展も可能になる。

 たとえば、労働時間の短縮、労働者の経営参加の促進等が、他方での社会保障、社会資本の拡充、あるいは公害規制の実施等と合わせ行われれば、日本の対外競争が国内における十分な社会的公正の実現を前提として行われていることを外国にはっきり示すことになり、不必要な国際摩擦を少くすることになろう。

 また国内でも野放図な産業成長がさまざまな環境破壊をおこし、住民の側からの正当な抗議、抵抗によって、産業立地にも困難をきたしている現状をみるとき、むしろ産業に対する社会的コントロールの確立なしには、産業の新しい発展そのものが不可能になっていくとみるべきだろう。

(3) しかしわれわれは産業と企業の管理をもっぱら国家や政府による統制という集権的方法でなく、分権的な方法を進んで選んでいく。国有化や国家管理は、しばしば官僚主義を発生させ、民主主義を破壊し、ひいては近代社会が追求してきた個人の自由の保障という第一義的価値観を損うからである。

 われわれの産業管理の方法は、一つには、独禁法や環境規制等の社会的ルールを確立することによって、制御された市場の原理の活用をはかり、社会的公正と両立しうる範囲における企業活動の自由を保障することである。その二つは、企業そのものの内部の管理体系を変革し、決定、監査、人事等への労働者の有効な参加、管理や、住民、消費者などによるコントロールの可能性に道を開くことである。

 こうして資本主義的企業は、国民の生産的活動のための自律性をもった社会的協力の単位へと転換されねばならない。

 具体的な方法としては、つぎのような多元的システムを作りあげていかなければならない。
(1) 産業活動のルールを確立するような新しい法体系の整備とその運用の強化。独占禁止政策、環境保全政策、消費者政策などの強化。これらの領域の政策形成過程への住民、消費者などの代表の参加促進。

(2) 産業政策における地方自治体の役割を強化し、その自律化をはかる。とくに、環境行政、消費者行政などのはか、農業政策・中小企業政策などをはじめ、中央政府による画一的な指導をやめ、地方自治体による独自の政策を推進できるよう、分権化を促進し、自治体の能力を高める。

(3) 国民、住民が、産業側の不正を摘発し、被害にたいする賠償を求めやすいように法体系を変える。たとえば、独占や不公正な取引きを公正取引委員会に提訴する権利の確立、いわゆるクラス・アクションのシステムの導入、地方自治体による消費者・住民側への訴訟費用の援助(貸付け)の制度の導入などを推進する。

(4) 政府の行政や企業の活動にたいする情報公開制度の確立。国会の調査機能を改善・強化するため、委員会のあり方を見直し、国会独自の常勤・非常勤の専門調査スタッフを格段に強化する。

(5) 企業経営を民主化し、多元的な主体による企業活動の社会的監査を強化する。公共企業や公益企業の場合には、労働者代表、所有者(株主、または政府、その他)代表の三者構成による経営委員会をつくり、首脳人事、重要事項の決定、および監査をおこなう。また、料金改訂その他の過程を十分に公開化する。このことを前提にして、民間大企業については、当面、労使共同決定型の管理体制の確立を目標とする。

(6) エネルギー、資源、その他の大規模なプロジェクトについては、十分に公開された論議を経て、政府が指導性を発揮し、開発のための資金の合理的な配分を実現する。


  当面の外交政策

一、新しい国際緊張の時代―平和と民主主義の世界をめざして―

 日本国民の多数が希望している平和、人権および自由、公正の維持と実現は、外交政策を通じて新しい国際関係を創造しようと努力する過程において、日本の国家的国民的行動目標とならなくてはならない。

 一昨年の結成大会において、われわれは世界の大勢が緊張の緩和と平和的共存に向かっていると考えた。

 すなわち「今なお世界の、とりわけ第三世界におけるさまざまな矛盾は局地的な紛争と戦争を誘発してはいるが、べトナム戦争の終結を境に、緊張緩和は世界の大勢となっている。米ソ、米中を対抗軸とする東西冷戦は終わり、共存と交流がすすんでいる。未だ大国間平和の域を越えてはいないとはいえ、冷戦にかわる共存が八〇年代に向けて確かなものとなって来ている」と。

 だが、この二年来、国際情勢にはあらたな緊張の高まりが顕著なものとなって来ている。とりわけ中近東における緊張は、イラン革命において頂点に達した。圧政と貧困からの解放という民衆の革命と国家的独立の達成という民族独立運動の勢いがいイデオロギーと民族間対立などの諸要素、とりわけ石油資源をめぐる諸権益のからみ合いの故に、鋭く強い緊張を呼び起こしている。

 イエーメンをはじめとする中近東諸国における変動は、革命と民族独立、あるいはパレスチナ問題という問題設定だけで割り切ることはできず、米ソ二大国の石油資源をめぐる角逐、勢力圏争いによる緊張の高まりを次つぎに生みだしている。

 しかしここ二年来、世界の緊張の最大の要因は「社会主義」諸国の侵略にあったことは否定し得ない。すなわちべトナムのカンボジアヘの侵略とソ連の大規模なアフガニスタン侵攻作戦がそれである。

 ヘン・サムリン政権の要請に藉口したべトナムのカンボジア侵攻は、まぎれもないインドシナ半島における覇権行動であり、懲罰行動に出た中国とはもちろんのこと、ASEAN諸国との対立をつよめている。

 ソ連の侵攻は、ハンガリーやチェコスロバキアに対するケースとは異質の、新たな勢力圏拡大のための軍事的力量の増強と相まって、一挙に緊張の激化を招来させつつある。ソ連とその衛星諸国を除く世界の国々と世論が、挙げてこの侵略を非難したことは当然である。

 だが、われわれは、アメリカに見られるような過剰反応に陥ることなく、不毛で危険な冷戦の再現を避けなければならない。

 ただ今回のソ連のアフガニスタン侵攻がソ連にとって失うものがいかに大きいかを知らせることに、われわれは力をかさなければならない。

 だがその手段は、軍事的対抗であるよりも、世界の世論、政治的、経済的、文化的な諸手段を駆使するものでなければならず、中・長期的に見てソ連の閉鎖された社会の民主化と開放を促すことでなければならない。とりわけ民主主義体制をとる諸国家とのさまざまな交流のネットワークを定着させることである。

 ソ連による勢力圏の拡大は、主として民族解放闘争、とりわけ一国内における革命政権への支援と連帯という名分を通じて行われるものである以上、それに対する基本的な対策とは、発展途上国における搾取と抑圧、社会的不平等と貧困をいかにして緩和し、民主化を達成させるかにある。

 アメリカにおいてまたもや顕著に見られるような軍事的手段による対抗は、これらの要因と傾向を一段と悪化させる結果を招くものでしかないことは、戦後の歴史が余りにも多くの教訓を示している。多くの障害と長い道のりを要するとはいえ、人類と世界の未来は、米ソ二大国の相互軍縮を基軸とする全世界的な軍縮と非軍事化の達成以外にない。

二、非核外交の積極的推進

 二十世紀中に人類が“核”を追放し、核のない世界をつくることを展望し、次のような非核外交を展開する。

(1) 「日本非核武装宣言」の採択
 非核三原則を国家の意志として明確化するために「日本非核武装宣言」を採択し、これを各国政府に送付する。

(2) 「宣言」に依拠した外交活動の展開
(a) 地下核実験(平和利用も含め)の禁止を含む「包括的核実験禁止条約」の締結を提唱する。
(b) 核兵器不使用協定の蹄結

(3) 個別的非核外交
(a)「非核宣言」を発すると同時に、各核保有国と核攻撃を禁じる協定を結ぶ。
(b) 日本と南北朝鮮の「非核地帯化」を実現し、この非核地帯を漸次拡大してゆく。
(c)沖縄の基地を日米間の特別協議で点検し、核兵器有無を確かめる。非核三原則の沖縄への適用を実現する。
(d)核兵器搭載艦の領海内通過及び一時寄港することを禁止する。

(4) 核拡散防止の外交活動の展開
 原発の輸出競争はプルトニウムの世界的拡散をもたらし、核兵器の拡散を促そうとしている。一九八〇年代には、そうした核の新しい危機が噴出することが予測される。これを阻止することが、いまや焦眉の課題となっている。
(a) 核防条約未批准国への原発輸出を禁止する。
(b) 使用済み核燃料再処理工場の輸出を禁止する。
(c) プルトニウム経済の是正について、国際的討議を行える保障を国連がつくる。この国際的討議を経るまでは、プルトニウムの実用化を抑制する。

三、全面軍縮のために

 核大国を先頭にした世界の軍拡競争は、いまや極限状況に到達し、米ソ両大国は核を使うことも廃棄することもできない“核の手づまり”状態に陥っている。

 その軍事負担は経済的重圧となって、社会の発展を歪めている。そればかりか軍拡競争自体が、資源の浪費と環境破壊を深化させ、人類の生存を脅かそうとしている。

 さらに、最近の特徴的傾向は、開発途上国への兵器や核物質の輸出が増大していることである。現状を放置すれば、これらの地域の軍拡が進み、さらには核拡散が広まる危険性がある。新たな軍事紛争が打常的に発生する由々しい事態の到来さえ予測される。

 人類が平和共存と生態系の保護を全うするには、新しい国際秩序の形成が必要であり、このためにも、いまや軍縮が避けては通れない課題となっている。二十一世紀へ向けて、資源・エネルギー・食糧・環境問題といった至難な課題を地球的規模で調和させ、南北問題を解決し、世界的な所得の公正な分配を実現するためには、まず、軍縮という人類の最も合意可能な秩序づくりから着手すべきである。

 わが国は世界に誇る憲法第九条を持ち、核被害の体験をもつ国である。核軍縮に最も強力な発言と行動とをすべき立場にある。だがしかし、こうした条件はわが国の外交政策に生かされてこなかった。いまこそ、核軍縮実現のため、リーダーシップをとるべき時にきている。

四、人権外交の推進のために

 金大中事件をはじめとする韓国における深刻な人権抑圧にたいする対応において示されているように、日本の外交は人権問題についてきわめて消極的、ないし反動的でさえある。韓国問題にかぎらず、われわれは日本の外交に欠落している人権問題への積極的な取り組みのために、さし当たって日本が未だ批准していないいくつかの国際的な人権規約をすみやかに批准すべきである。

 例えばすでに参加国が六十カ国を超えた「難民の地位に関する条約」などがそれである。これに伴い政府は政治亡命を認める国内法の整備など急ぐべきである。また日本に在住する外国人の地位保全及び譜権利の保障についても同様である。

 個人はまず第一に人間であって、国家も国境も、その時代における必要によって、第二次的に人間がつくり出したものであることが、ゆっくりと、だが確実に世界の人々との間に認識され、さまざまな民間外交をつうじて国際民主主義の形成をうながしているのである。

五、南北問題と経済外交

 人口一人当たりの国民所得が先進国の五、〇〇〇〜九、〇〇〇ドルに対して、産油国を除けば開発途上国は二〇〇ドルから五〇〇ドルの間の国も少なくないという、いわゆる南北問題、北の工業先進国と南の開発途上国との経済的落差の拡大とそれによって起こるさまざまな政治的、経済的な対立や紛争は、今日の国際政治においてますます重要な位置をしめるようになった。

 「開発途上国の大部分が独立国家として存在さえしなかった時代に確立された制度」、先進国中心に作られた国際秩序から、新しい国際経済秩序、国際分業の公正な再編成がない限り、第三世界諸国の経済的独立も国民の人間らしい生活も望めない。アンクダットの「新国際経済秩序」の統一要求、OPECの石油戦略はそれへの挑戦であった。

 日本外交にはこうした認識は石油危機以前には乏しく、その「経済外交」と称せられたものは、輸出拡大、海外資源の低廉な輸入、魚の乱獲、多国籍企業の野放しの行動等、エコノミック・アニマルと呼ばれるそれであった。木村元外相が官僚の作文した国連の演説で南北問題に対する「無内容を恥じ」たのはその好例である。

 だが、七〇年代に入って、南北問題をはじめ、資源、食糧、環境、海の利用など「宇宙船地球号」的問題、相互依存の深化が国際関係に提起している新しい現代的課題は、これまでの自己中心の外交、力関係を軸とする国際構造、対立や排他的利益の追求よりは、協力によってすべての国が共通の利益を見出してゆく新しい国際秩序の創造でなければならない。

 そうした国際秩序の変化にいかにして創造的な対応をなし得るか、その試練についての認識を深める世論形成と、それに対応できる国内体制の改革こそ新しい日本外交の第一歩である。

 日本の対外援助や貿易構造の改革は、根本的な理念や考え方にかかわる根の深い問題であるが、少なくとも次の諸点は改められなければならない。

(1) GNP一%の公約にも拘わらず分母のGNPの肥大にくらべて低下する一方の援助比率を高める。

(2) 冷戦陣営にかたよった冷戦型の政治援助を改める。

(3) 相手国の腐敗政権を援助する腐敗増幅型援助をやめて、相手国の生産力に役立つもの、国民生活向上のための援助に改める。

(4) 本当は対外援助でなく日本企業の進出を助ける対内援助型をやめ、政府援助とくに無償援助の比重を高める。

(5) 野放しになっている海外進出企業の国際的投資のルールや行動基準をつくる。

(6) 技術・文化協力の比重を高める。

(7) 輸入は資源のみ、加工製品は一切輸入しないといった垂直分業型貿易構造を互恵共存型に切りかえ、それに対応する一国内産業構造の改革をめざす。

六、平和共存とアジアの平和のために

(1) 日ソ間の懸案の平和的解決
 日本とアメリカ、日本と中国との提携は現実のものとなっているが、積極的な平和外交に欠けているものは、日ソと日朝の正常な関係である。

 ソ連に対しては、過剰な軍事的な対抗政策や仮想敵国的対応をとることは、平和的な関係をとり結ぶことを無限の彼方に押しやるものであり、ソ連の侵略行動が改められない限り、あるいは領土問題が解決しない限り何もしないという外交的怠惰に陥ることになろう。

 われわれは、最近のソ連のアフガン侵略には厳しく対処しつつ、シベリア開発その他の経済協力や各種多様な文化的人的交流を促進することによって両国間の関係を正常化し、ソ連社会の民主的開放的な展開に寄与すべきである。

(2) 朝鮮の統一問題については、「七二共同声明」の基本線を支持する。
 韓国との問に公然、非公然に結ばれている“運命共同体”的な軍事的、経済的なさまざまな関係について民主的、合理的な連帯関係にするため民主的闘争を支持し、南北の自主平和統一に寄与するものとしなければならない。朝鮮民主主義人民共和国との間には、人的、経済的、文化的交流を急ぎ強めていく。

七、日本の安全保障のために

 われわれは日本の安全保障は積極的な平和戦略なくしては確保し得ないと考えるものである。

 現代における本格的な戦争には勝者もなければ敗者もなく、確実にいえることは、人類の大量殺戟と文明の破滅である。日本の安全を現代戦にたえ得る軍備の保有に求める選択は、国民にたえ難い負担を強い、経済構造を歪め、民主的な政治を圧迫するだけではなく、未曽有の破局に国を直面させる愚かな選択である。

 日本の安全は、資源・エネルギー・食糧などどれ一つをとってみても、諸外国からの供給なくしては成り立ち得ないという事実からみても、世界の平和的共存と交流にかかっている。平和的交易なくしては日本国民の生存はあり得ない。

 経済大国としての日本の地位と力量は、軍事大国へと肥大化させる条件、手段としてではなく、アジアと世界に対する積極的な援助を本格的に展開することに向けられなければならない。

(1) 平和への投資
 南北問題における先進諸国の責任が問われ、紛争と戦争の主要な要因が発展途上国の深刻な経済的諸困難に根ざしていることを考えるならば、わが国が国際的平和と安全に寄与する手段、方法は、こうした不当要因を内包している発展途上国――第三世界への経済、文化、技術交流に大きく貢献することでなければならない。この選択こそ、平和憲法をもつわが国にふさわしい独自の安全保障政策といえるし、日本の国際的地位を高め、信頼をかちとる最善の道でもあると確信する。

 例えば、スイスやオーストリアが、赤十字その他多くの国際協力機関を自国に置くことによって、大国の侵略に対する抑止力の役割を果たしているように、日本も現に存在する国連大学をより拡充することや、新たな国際平和機関の創設と積極的誘致といった「平和投資」にもっと力を入れるべきである。

 また、カンボジア難民の救援活動、評判のよくない留学生に対する施策の抜本的改革等も「平和投資」の一環となる。

 さらに、七〇年代以降、世界がますます「一つの世界」に向かって動き、それとともに、世界環境会議、国際海洋会議、国際婦人年、世界軍縮会議、国際居住会議、食糧会議、人口会議、水会議、難民会議など、政府ならびに非政府(NGO)レベルでの国際活動が活発に展開され、それらの各種の交流が世界の緊張緩和と共存に果たしている役割を重視すべきである。

 こうした地球規模における協力と交流に、日本がその経済大国の力を活用して積極的に参加し、あるいはそのための場を提供して主導的役割を果たすことも、日本が平和国家としての威信を高める道につながろう。こうした倦むことを知らない平和、人権外交、国際協力こそが、経済大国日本の平和と安全のための真の課題である。

(2) 日米安保条約について
 朝鮮戦争という東西冷戦の所産としてつくられた日米安保条約は、明らかに軍事同盟条約であり、非同盟中立の原則に照らして、将来これは解消、廃棄すべきである。

 しかし現状では、これにかわりうる友好条約をもたず、いま性急にこれを廃棄するということは、日米両国間の友好、交易状況からみても、またアジアにおけるバランスの激変を避けるためにもとるべきではない。

 さし当たってわれわれは、この日米安保の危険な側面である軍事的機能の拡大をチェックしつつ、将来にむかって政治、経済、文化中心の非軍事的日米友好条約締結への条件を成熟させることに努力する。

 なお日米防衛分担、肩がわり路線等に対しては厳しい点検と監視を怠らず、在日米軍基地、施設区域の整理統合、不要基地の縮小返還、特に沖縄の現状変更を強力に求めつづける。

(3) 自衛隊について
 非武装中立は、平和憲法の精神として不断に追求すべき人類の崇高な目標であり、世界の恒久平和をねがう日本国民の先見的理想である。確かに平和憲法といえども、独立国家固有の自衛権を否定するものではない。しかし自衛権、即軍備とする考え方は誤っている。もともと軍備は綜合安全保障の一手段にすぎないものであり、積極的平和の確保と創造の諸政策に附随するものである。

 現在わが国には憲法とのかかわりをアイマイにしながらも、現実に二十数万の武力集団―自衛隊が存在する。われわれはこの現実を無視することはできない。また国民の八割が憲法改正に反対しながらも、現状程度の自衛隊は必要ではないかと漠然と肯定している。これは大いなる矛盾ではあるが、またいつわらざる国民多数の心情でもあろう。したがってわれわれの自衛隊に対する態度と方針は、まず現状凍結を基点として、結成大会で承認した三段階改組構想を今後とも継承するものとする。

 ただ最近の防衛力増強にかかわる鈴木内閣及び防衛庁の一連の動向は、シビリアン・コントロールを無視して、なしくずし的に既成事実を積み重ね、憲法上の限界がどこにあるかを疑わしめる独立状態にある。

 われわれは憲法前文の精神に鑑み、少なくとも左の事項は憲法上最低限の歯止めとして厳重な監視をつづけ、軍事大国化を阻止する。即ち、

(1)非核三原則の堅持
(2)海外派兵の禁止
(3)徴兵令及びこれに類する一切の行動の禁止
(4)武器輸出禁止三原則の堅持
(5)専守防衛の能力と範囲を超える攻撃専用兵器の不保持
(6)核兵器を含む国際的軍縮の推進
(7)シビリアン・コントロールの厳守

 さらに現状の自衛隊及び国会について次のことを要求する。
(1)現在の自衛隊を憲法的制約の中に近づけるため、国民を敵とする治安出動については、自衛隊法からの削減を求める。
 また、陸、海、空の各部隊、防衛大学校を頂点とする各種、各級教育機関での民主的教育を、格段に強化しなければならない。自衛隊の民主化については、言論、結社の自由、地域社会との交流が必要であり、自衛隊の民主化を推進する一つの手段として、自衛隊内に曹及び士による協議会を設置し、具体的な運営に反映させる。

(2)わが国の安全を脅かすのは、単に外部からする武力攻撃ばかりではない。災害、公害等の脅威や実害から国民生活を守ることも、安全保障の重要な部分である。
 自衛隊の任務のうち、災害派遣任務を格上げすると共に、それに必要な装備の充実を優先し、災害、公害等に迅速に対処するため、専門的技能を持つ専任部隊を編成する。また、現行の部隊編成の中でも這の役割を果たせるよう、訓練された部隊を予め指定すると共に、非常救難や災害予知等の対応能力を強化する。

(3)自衛隊の新規の装備については、周辺諸国の対抗手段や不信を助長するものは、厳しく抑制しなければならない。
 例えば、航空自衛隊のFX(次期戦闘機)として採用が内定しているF15は、攻撃行動半径の延伸を避けるために、空中給油装置の取り外しを強く要求する。また、海上自衛隊の次期対潜哨戒機、P3Cについても、米軍との共同作戦や任務の肩がわり等の誤解を与えないよう、最低限、探知や識別機能の独自性を求めるべきだ。

(4)現状では、国会も、国防会議も、防衛庁内局も含めて、シビリアン・コントロールは殆んど機能していない。国会は機密の壁に阻まれ、国防会議と内局は、陸、海、空、三幕、つまり制服組の立案した構想、計画の追認機関に堕している。

 当面は、まず国防会議の改組によって、独自の調査、企画、立案機能を持たせ、国会内に設置された防衛・安全保障に関する特別委員会は各党専門家を構成員とし、シビリアン・コントロールの強化とわが国の安全保障に関する国民的合意をめざす。

(小委員長・安東仁兵衛)


1980年

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