1983年10月

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ロッキード事件判決(1983/10/12)

社民連、10・12街頭キャンペーン  政治倫理確立を

 10・12ロッキード裁判判決の日、社民連は国会内控室で緊急三役議員団会議を開き、判決後の諸情勢に対応するため協議した。

 十時三分すぎテレビが速報で「田中懲役四年、追徴金五億円」の実刑判決を流すと、楢崎書記長は手にしていた党声明に最後の手を加えた。この後直ちに田代表、楢崎書記長が緊急記者会見し党声明(別項)を発表。阿部国対委員長は野党国対委員長会談へ、菅副代表は早速、「もう一つの反角」運動で街頭行動へ。

 十一時、田、楢崎、阿部の三議員は高田馬場駅前で街頭演説。
 田代表は「今日は日本の憲政史上まことに残念な日である。元総理の受託収賄罪を裁判所が認めた。その規模といい、やり方といい、最大の犯罪である。国民はこぞって田中元総理は辞職すべきだと思っている。自ら判断して辞職することこそ、日本の政治のために期待する」と町行く人々に訴えた。

 「辞職しない場合には私たちは良識ある政治家として議員辞職勧告決議案を本会議に上程、可決させて辞職に追い込む」と決意を語った。

 そして「田中一人を政界から追放しても政治はよくならない。浄化する第一歩にはなるが、それだけでは永年にわたる自民党の一党支配の構造汚職はなくならない」として、(1)選挙にあまりにも金がか心りすぎる。選挙法を改正し、公営選挙を拡大して金のかからない選挙を実現する、(2)政治倫理の確立と政治家の資産公開、(3)情報公開法を制定して政治を公開する――の三点を実現するよう強調した。

 楢崎書記長は「今回の事件は民間機導入をめぐる汚職事件だが氷山の一角にすぎない。これと表裏一体している海上自衛隊P3Cの導入をめぐる疑惑は国民の眼から隠されてしまっている。一民間機とは桁違いな輸入額となるP3Cの黒い霧を、徹底的に解明しなければならない」と、構造汚職の底知れぬ深さを追及した。

 野党国対委員会談から駆けつけた阿部国対委員長は、「政治倫理の確立こそ何よりも優先させなければならない。国民生活に密着した法案があるが、敢えて辞職勧告に決着がつくまで一歩も退かない」と国会闘争に臨む固い決意を述べた。

 夕刻五時からは新宿駅西口で街頭行動の第二弾。有権者の並々ならぬ関心を示すように、宣伝カーの前は参院選挙最終日と同様に聴衆でうずまった。

 新宿駅西口の街宣には田、楢崎、阿部、菅議員、そして東京社民連議員団も参加した。

 また江田副代表は、地元岡山で十カ所にわたる街頭演説を行い政治倫理の確立を訴えた。

(東京社民連)


 10・12京都街頭キャンペーン

 社民連・民社・新自クの三党で統一行動
 ロッキード事件で田中元首相に対する有罪判決のあった去る十月十二日の午後、京都市内でも各野党、各団体が街頭に出てデモ、集会などの反角キャンペーンを行った。

 京都府社民連(三上隆代表)もこの日、民社党京都府連、新自ク京都とともに午後六時から三党が揃って四条河原町に結集、三党の宣伝カーを連ねて街頭演説会を開いた。

 判決直後とあって、市民の田中有罪についての関心は強く、三党と地方同盟会員など百名余のビラ配り部隊の配る抗議ビラはほとんどの通行人が受け取り、また立ち止まって演説に聞き入る人も多く見られた。

 京都社民連からはこの集会に約三十名が参加、田中元首相の即時議員辞職、金権一掃をアピールした。

 街頭宣伝カーのマイクを握った三上隆京都府社民連代表も「有罪判決の下った田中元首相に対して、政治的道義的責任を追及することは当然のことだが、こで一番大切なことは、ロッキード事件のような構造汚職を生んだのは、自民党の腐敗しきった体質にある。それは終極、自民党の長期単独政権にあることは明白である。そのためにも一日も早く政権交代可能な体制を築くことが必要だ。これはわれわれ野党の責任であることはもちろんだが、国民の一人一人の使命でもあると考えている」と訴えた。

(京都府社連)


1983年

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