第七章 英国留学

目次前へ次「ストに怒らぬ国民」


  盛んなパーティー

 十月から一学期が始まる。英国のオックスフォード、ケンブリッジといったユニバーシティーは、一つの観念的存在であり、現実に存在しているのは各カレッジである。学生も教師も皆どこかのカレッジに属さなければならない。カレッジは、従って大学関係者の居住区であり、それぞれに特色を持っていて、現実にカレッジの建物の中に居住することも義務付けられている場合がある。また一学期の間に、カレッジ内で何回以上夕食を取らなければならないと決め、かなり厳格に守らせているカレッジもある。私のいたリナカー・カレッジでは、大学院生ばかりのせいか居住はもとより夕食の義務付けも、ほとんど崩れてしまっていた。

 カレッジの夕食はお祈りから始まる。私のカレッジでも学期中週二回は、学長をはじめ会食者全員がガウンを着て出席、木槌の音を合図に全員起立して、学長がラテン語でお祈りする。それからおもむろにフルコースが出て来る。リナカーの学長のお祈りは短かいものだったが、これを学生が順番で長々とやるカレッジもある。講義の時にもガウンを着なければならないことになっているが、この方は、教師を除き、学生の方は崩れてしまっている。

 夕食の重要性は講義に勝るとも劣らない。英国の大学は、特にオックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジ)は、英国紳士を養成することが大目的なのだ。食事のさいの会話を楽しむことは、紳士の必要条件である。私にとって最初のうちは至難の業と思われたが、しだいに慣れて来た。時には、他のカレッジの友人に誘われてそのカレッジへ食べに行ったり、私の方で他のカレッジから友人を呼んだりするようになった。

 学生の家に呼んだり、呼ばれたりのパーティーも盛んだ。まったく気楽にパーティーに呼び、また来てくれる。洗濯はコインランドリーのような所でするのだが、そこで初めて出会った人と妻が世間話をしているうち 「今夜ディナーパーティーをやるから来てくれ」と誘われたという。さすがにこの場合はちょっと話がうますぎて冗談ではないかと疑ったが、約束どおり車で迎えに来てくれたのには驚いた。

 学期末が近づくと、行ったり来たり。パーティーづくめになる。御馳走をするわけではない。夕食が出る場合でも、普段の食事と全く変わらないものを出す。その他にワインパーティー、チーズパーティー、カレーライスパーティーなどというのもあった。午後のお茶に呼ばれる場合も多く、紅茶とクッキー程度である。とにかく中身は会話なのである。子どものこと、教育、医療の問題、ありとあらゆることが話題になった。私は日本人だから日英の比較みたいな話になることが多かった。三島由紀夫の割腹事件があった後には、それに関連したことをよくたずねられた。

 政治の話題はタブーとされていると聞いたが、実際にはそんなことはない。労働党から保守党への政権交替、EC加盟などについてよく話題になった。口角泡を飛はす議論になることもあるが、それで友人関係が壊れることはない。もう一つ驚いたのは、こんな議論でも、女性たちがしっかりした発言をすることであった。オックスフォードだから、ある程度の知識階級ではあるのだが、英国民の政治意識の高さを示しているといえるのではないか。パーティーによって、英国の市民社会というものをまのあたりに見たように思う。

 こういう交際の多い社会だから、真理子は、私たちが家庭内で話す日本語と、家庭外で使われている英語と両方で言葉を覚え始めた。近所の子どもたちが毎日、「マリコウ」というような調子で呼び出しては言葉や歌を教える。真理子の方もみるみる上手になって行くので、得意になって歌ったりしていた。帰国してからは、英語を使うと子供仲間でひやかされたりしたためか、あれよあれよという間に忘れてしまった。歌をテープにとっていなかったことが悔まれる。

 英国の生活のことを少し書いてみよう。マーケットに行くと、肉屋の店頭には皮のついたままのうさぎや鶏がつるしてあったり、皮をむいた赤ら顔の豚の頭がショーウインドウの上に飾ってあり、売り子の女の子が横に自分の顔を並べて「双子よ」と言ってニッコリ笑ったりする。よく見ると不思議にも仕合わせそうに見えるその豚の顔付きも、仲々かわいらしい。牛肉も豚肉も骨付きのままのものが多く、狩猟民族と農耕民族の違いなのだろうか、しはらくはギョッとすることが多かった。牛肉は、フィレ肉でも日本の半分から三分の一の値段だった。魚も、店頭に並んでいるのを見ればそれほど新鮮ではない。しかし、選んで買えばなんとか食べられる。ニシン、サバ、タラ、イワシに似た魚などよく食べた。

 野菜もだいたい揃う。日本より自然に近い形で売られている。トマトは小さいがよく熟している。青いまま出荷したりはしないのだろう。キュウリもかなり曲がった本来の姿で店頭に並んでいる。それと比較してみると、日本のスーパーの野菜売場など 「人工の産物」ばかりのような気がする。

 EC加入前だったので、バター、チーズなど酪農製品が非常に安く、また、果物が豊富でうまかった。高級リンゴばかり生産されるため日本では味わえなくなった国光の味を、英国のリンゴで思い出した。その他イチゴ、グースべリー、野ブドウ、サクランボ、さらに輸入されたブドウ、オレンジ、ハニーデューメロンなど安くてうまかった。果物をちょっぴり買うと紙の袋に入れてくれる。公園やテムズ川の川べりで寝ころんで食べていると、子供時代にかえったような気分になった。

 もっともそういう贅沢は思わぬ臨時収入が入ったような時しか許されなかった。ちょっと生活費で足を出したら帰国できなくなる可能性もあるので、普段は厳しい予算生活を送っていた。一日にオレンジを半分とか、ブドウ三粒とかしか食べられない日もあった。家族持ち学生用の寮が空いて入居できたのは留学した翌年の九月だった。これは日本の2DKよりちょっと広いぐらいだが、近代的アパートで、電気による床暖房と温水装置があって、なかなか快適だった。

 貧乏生活の中で助かったのは、子供の衣類が極めて安いことだ。私も妻もたまに買う下着は十五、六歳の子供用のサイズで間にあった。これが大人用の半値ぐらいで買える。ひょっとしたら税金などの面で、子供用の物品を優遇する政策を取っていたのかもしれない。

 英国人は生活の中で、古いもの、伝統をあくまで大切にする。例えばストーブである。ストーブが不要なのは六、七月ぐらいだ。冬には朝九時すぎようやく明るくなり、夕方四時には真っ暗になる。その間も太陽は南の空を低く横切るだけだから、一日中ストーブが離せない。今ではガスや電気のストーブが多くなっているのだが、これが日本のような機能的な設計でない。必ずといっていいほど、マキが燃えているように見える装置を下につけているのだ。壁には必ず切り込みがあり、そこにストーブを入れて置く。暖炉の時代と室内の構造を全く変えないわけだ。

 家具でも古いものを大切にする。「この椅子は私のお爺さんが子供のころ使っていた」などというのが自慢なのだ。真理子を連れてパーティーに行くと、子供のない家でぬいぐるみや積木が出て来る。「私が赤ん坊のころ使っていたんだ」というわけだ。

 日本とは逆に新しい家よりも古い家の方が家賃が高い。古い家に手入れをする必要が出て来ても、外装も内装もできるだけ以前のまま残そうとする。郊外ではわら屋根の十三世紀から続いている家が残っていたりする。都市農村計画法で、古い家の外観を変えるには許可がいるという法的規制もあるが、古いものをこよなく愛するという精神によって、英国の街並みは落ち着いた姿で残っているのだろう。

 石造りの建物ばかりが並んでいるオックスフォードでも、改築工事は行われている。しかしこの工事は建物の一部の石を、できるだけ同じ石を持って来て取り替えるというだけだ。建物全体の石が入れ替わるには何十年もかかるというゆっくりした工事だ。そしておそらくは、工事期間中に来た人でなければ、改築されたということがわからないだろう。工事によって建物全体の姿はほとんど変わらない。

 どんな話の場合でも、何百年も前のことがすぐに出てくる。当時は北アイルランドでカトリック過激派による爆弾事件が相次いでいた。宗教問題が話題になると必ず十六世紀の宗教戦争から説き起こすわけである。私は「イギリス法における自然的正義の原則」という論文を書いたが、そこでは、「十八世紀初めケンブリッジ大学のベントレー先生が大学から一切の学位を剥奪された時、彼は何ら告知も聴問も受けなかったが……」という一七二三年の判決が、今も通用する原則として生きている。綿々として続く歴史、伝統が今も現実の生活の中に生き生きと存在している中で暮らしているのが英国人である。

 英国留学中、口述試験を終えて

 血塗られた歴史もある。例えばロンドン塔には、幽閉された囚人たちが指から血をしたたらせながら書いた落書がある。エジンバラに行くとヴィクトリア女王と王族のメリーとの血で血を洗う闘争の跡が残っている。こういう忌わしい記念碑を残して置くところに英国人の歴史意識の深さがある。民主主義は単純にきれい事で出来上がったのではなく、血を代償に勝ち取って来たものであることが、彼らの心の中に刻み込まれているのである。

 当時から英国は物質的にあまり豊かではなかった。ボールペン一本買うためにも、インクのにじまないものを買おうと思えば、いつでも文房具屋の店頭をのぞいている必要がある。入荷したらすぐに買わなければ、売り切れてしまう。このように何かを買うために苦労するということが珍しいことではない。「何でも買えるのが当然」ということに慣れ切って、石油ショックの時にパニックを起こした日本とは大きな違いだ。

 消費生活に関して言えば、商店は休日には完全に閉ってしまう。平日でも午後五時には閉店する。慣れてしまえば不便は感じない。英国人はもとよりそれを不便とは思っていない。おそらくにじまないボールペンがいつでも文房具屋にあるわけではないといったことについても、それほど不満を抱いていないのではなかろうか。ただれるような消費社会の中にどっぷりつかっている日本人は、こういう生活態度を持っている国民もあるということを、少なくとも知る必要があろう。


第七章 英国留学

目次前へ次「ストに怒らぬ国民」