民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 ホーム目次
第6章 新しい枠組みをめざして

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歓迎、市民のロビ一活動

 国会は、政党で成立している。しかし、政党と政党の関係ですべてが決まるわけではない。もし政党間だけですべて決まるのであれば、法案が出たら各党の賛否さえ聞けばよい。国会には各党の代表者だけが出ていればよい、ということになってしまう。

 全国民を代表する国会議員が、単に政党員としてだけでなく、個人の立場でもいろいろ相互に接触、交流し合って、国民の意思のよりよい統合をめざそうと、超党派の議員連盟という仕組みが生まれた。

 与野党の議員が委員会以外の場所で接触するのを嫌ったり、与野党が敵対していなければ「なれあい」とか「取引き」と言って眉をひそめる人もいる。だが、私はそうは思わない。

 何十億年という地球の歴史、何百万年もの人類の歴史の中で、同じ時代、同じ国に生きているだけでも大変な偶然なのに、何かの縁あって同じ立法府の一員として行動することになった者同士である。立場の違いを超えて相互に理解し合わなければならないと、痛感している。

 自民党と社会党と、本当の腹の中をぶつけ合ってみると、その差はごくわずかだ。それが自然であり、健全だと思う。ところが、いざ議会制度の公の場でぶつかり合うと、建前のぶつかり合いになって百八十度違う方向を向いてしまう。その点議員連盟なら、本音で話し合う可能性が高い。

 私が加盟している議員連盟は、「国際軍縮促進議員連盟」「日米議員連盟」「日英議員連盟」「自然保護議員連盟」「国連婦人の十年推進議員連盟」「日白(ベルギー)議員連盟」「日中友好議員連盟」等たくさんある。「米消費拡大純米酒推進議員連盟」では大いに日本酒を飲み、「国会コーラス愛好会」では蛮声をはりあげる。最近誕生した「地名保存国会議員連盟」では副会長になっている。

 歴史的な地名が消えて、その土地と何の関係もない非文化的な地名に改められるケースが、ずいぶん続いた。その地域が将来どうなっていくかも考えずに、今の時点の便利さだけで地名を決めてしまったら大変なことになる。私の高校の同級生、楠原君は「全国地名保存連盟」という市民団体の世話役として、おかしな地名変更をやめさせ、文化遺産としての地名を守ろうと、地道な運動を続けている。私と楠原君は意気投合し、私は楠原君らのロビー活動を助け、社会党、民社党、新自由クラブと接触をとるうちに、同調の声が盛り上がって、「地名保存国会議員連盟」 が発足したのだ。

 私は、楠原君のような市民のロビー活動を重要なことだと思う。国民の要求や要望は、遠慮せずにどんどん国会や議員にぶつけてみて欲しい。レコードレンタルの場合も、音楽好きの若者のロビー活動が効を奏した。

 一般に国会議員は、利権に対する反応は大変鋭いが、そうでない要求には冷淡だといわれる。しかし、そういう人ばかりではない。案外良い反応も得られるものだ。

 ただしその要求が、個人的な苦情ではなく、一つの市民運動になっていれば、ではあるが。そしてこのようなシステムが国会内に確立していけば、これが「イデオロギー政治」を乗りこえる仕組みになっていくのだ。


軍縮議連の役割

 超党派の議員連盟は多種多様で、スポーツや趣味で結ばれた親睦会的なものから、日本の政治全体に影響を及ぼす重要な議員連盟もある。略して「議連」と呼ばれる。

 「国際軍縮促進議員連盟」は、最も重要な議連の一つだ。会員数も多い。自民党から共産党まで幅広く加入していて、二百名を超える。だから規約はゆるやかで、立法をめざしているわけではないし、予算など国内問題についてもノータッチということになっている。

 「軍拡予算を組んでいる自民党議員が加盟している軍縮議連なんて、何も期待できない」とか「国内についてノータッチでは意味がない。まず自分の足元から軍縮をやらなければ」という批判も聞く。

 だがこの議連は、ある意味で「国際軍縮」という雰囲気づくり、世論喚起を目的としているのだ。「国際軍縮」の旗を掲げた議員が二百名を超えた事実が、「平和憲法」と相まって、日本の国際社会におけるイメージを、「軍拡国家」ではなく「軍縮国家」に色着けしているとは言えないだろうか。国内でも軍拡の嵐を吹き荒れさせるのでなく、軍縮の風が吹く中で平和をめざす方が、はるかに成果を上げやすい。

 こういう超党派の後ろ楯があればこそ、一九八二年の第二回国連軍縮特別総会で鈴木首相(当時)が提唱した「平和のための軍縮三原則」にも説得力が加味され、大拍手で迎えられたのだ。

 三原則とは、(1)国家間の信頼関係促進による軍縮、特に人類の生存に最大の脅威である核兵器軍縮の最優先、(2)軍縮で生じた余力の活用による社会不安と貧困の除去、(3)軍縮のための国連平和維持機能の強化、拡充であり、軍事、経済、政治の三側面からその実現を訴えたものだ。

 それから三年経つ。いま日本の首相は、アメリカ国内でも慎重論の多い「スターウォーズ計画」を「原爆以来の兵器体系の革命」と高く評価し、積極的に支持している。しかし、中曽根首相の言うとおり「核軍縮へつながる道」と思う者よりは、「果てしない核軍拡へつながる道」と危惧する者の方がはるかに多いのが実情。世界で唯一の被爆国、日本の首相が、アメリカの、それもレーガン大統領個人の意見を、そう軽々に信じてもらっては困る。

 しかも中曽根首相は、今国会中に「防衛費のGNP一パーセント枠」を何とかしてはずそうと、虎視眈々。そうはさせじと野党各党は必死だが、自民党議員でも「軍縮議連」のメンバーは、堂々と軍縮論を展開して、首相の暴走にブレーキをかけている。

 中でも、三木元首相、鈴木前首相、赤城元防衛庁長官、鯨岡元環境庁長官等は、宇都宮徳馬参議院議員を座長とする「防衛費一パーセント枠の堅持を主張する二十二人委員会」にも名を連ね、一パーセントはずしにはあくまでも反対していく決意だ。

 こうした動きも、議員が政党の枠にとらわれていては、決して望めない。国会の機能を活性化するためにも、超党派の議連活動は大切だ。


平和憲法、非核三原則、GNP1%枠

 今、日本が平和国家の看板を降ろさずにすんでいるのは、「平和憲法」と「非核三原則」と「GNP一パーセント枠」があるからといっても過言ではない。だからアメリカ軍の艦船も、遠慮がちに寄港する。

 今時、「日本に核は持ち込まれていない」というのを言葉どおり信じる者は少ないだろう。「うちの夫は、浮気をする時は事前に私に相談すると言ったわ。まだ相談がないから浮気はしてないのよ」といって、シャツに口紅がべったりついていても平気でいられる奥さんは幸せだ。

 こういうと必ず、「だから非核三原則なんてナンセンスだ。『持ち込ませず』をカットして、『つくらず、持たず』 の二原則にしてしまえ」という意見が出てくる。だが、これほど愚かなことはない。なぜ、そうキッパリ割り切らなくては気がすまないのか。

 「日本の国是は非核三原則なのです。核を持ち込んでは困りますよ」と言い続けているのと、「一原則カットして二原則にしました。さあどんどん持ち込んで下さい」と言うのと、どちらが国益にかなうか。

 世の中、何事もきれいに割り切れているから正しいというわけではない。社会は動く生き物だ。今の米ソを中心とした世界情勢がおかしいから、アメリカの艦船が日本に来ているのだ。世界のあり方を変えていくことが、問題解決の方向なのだと思う。「二原則にせよ」というのも、ただヒステリックに「寄港阻止」を叫ぶだけというのも、大きな国際政治のあり方を是正しようという政治家としての視点を見失ったものだ。

 これは、「自衛隊」についての憲法論争にもあてはまる。

 憲法学者で自衛隊が合憲であるという説を支持する人は少ない。しかし、現実には自衛隊は存在している。自衛隊の存在に重きをおけば憲法を変えなくてはならず、憲法に重きをおけば自衛隊を直ちになくさなくてはならない。それは我々が生きている現実が持っている悩みなのだ。

 法律をちょっと変えるとか、事実を一ヵ所消しゴムで消すとかいうのでは、この悩みの解決にはならない。歴史が進んでいく中で変革していこうという考え方でなければ、正しい解決にはならず、政治も動かない。

 「違憲合法論」というのは成り立たない理屈だが、政治論としては納得できるのである。

 こう見てくると、「自衛隊違憲合法論」を提唱する社会党の石橋委員長と、「防衛費一パーセント枠堅持」の自民党長老議員とが共通の土俵に上っても、何もおかしくないことがわかる。

 教条的な日米安保条約破棄、自衛隊解散論に固執することによって、自民党の体質をますますタカ派的なものに追いやるのは、現実政治の中で賢いやり方とはいえない。戦後日本の保守・革新の対決の焦点となった平和の問題でも、国際政治や日本国内の政治の現実の上に立った現実的な選択が求められているのだ。しかも現実的な選択の方が、政治を変えていくという意味では力がある。

 教条的な姿勢を固守するのは、単なる「保守主義」にすぎない。社会党もようやくそのことに気づき始めたのであろう。


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