1980/10 五月会だより No.4 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


ダブル選挙後の政治状況  江田五月氏 大いに語る

 江田五月氏が主催する「21世紀サロン」の第一回例会は、七月三十一日タ、東京・平河町の都市センターで行われ、江田氏と「21世紀サロン」に期待して会員となった全国の方々のうち、三十余名が出席しました。この例会で江田氏は『ダブル選挙の結果と当面の政局』について講演し、たくさんの質問や意見が絶えないまま、盛会のうちに終わりました。これは、この講演のテープを起こしたものです。


 どうも皆様、きょうはこうしてお集まり下さいまして、ありがとうございます。

 参議院議員になりまして丁度三年、本来ならばこの時点で、これまでやってきたことの反省をきちんとして、これから先どのようにやって行くのかという方針をたてる必要がある訳ですが、何分にも私自身が十年問も裁判官生活をやってきたものですから、政治家としては、実は何をかくそう本当は素人でありまして、知らないことが沢山ある訳です。まあ知らないことだらけといってもいいかも知れません。ですから自分の今までやってきたことの総括というよりも、この辺で一つ何を知らないのか、どのくらい知らないのか、皆様から大いにいろいろなことをお教えいただく、そういう企画を少しずつたてていかなければいけないのではないかとの気が強く致しております。そして私を一つ勉強させてやろうじゃないか、いろいろ鍛えようじゃないかという人がお集まり下されば幸いだと思い、また、将来のことをお互いに勉強し合いながら啓発し合うような、そういう人のつながりができればしあわせだと思い、「21世紀サロン」というようなものを考えた次第です。

 また、きょうはお見え下さることのできなかった方が沢山いらっしゃいますが、大勢の方がこの催しにご協力下さいまして、本当にありがとうございます。

 私の大学の時のゼミの先生の丸山真男さんがいつもいわれていたことなんですが、とにかく、日本では人間のつながりというのが直ぐに郷土の関係の○○県人会とか、あるいは××同窓会とか、そういうようなものになって、なかなか、本当に横にずっとつながるようなものができていかない。タコツボ文化と簓(ささら)文化のタコツボ文化であって、簓型の文化になかなかならないというようなことをいわれておった訳ですが、そういうなかで、しかし現在、いろんなところで、この横のつながりというものができつつあると思います。

 「21世紀サロン」もまた、そうした横のつながり、いろいろ世代も違う、経験も違う人たちがお互いに考えを交流し合いながら啓発し合える、そうした組織になっていければ、そういう会になっていければしあわせだと思っています。

衆参同時選挙をふりかえって

 秦豊選挙では本当に皆様にご迷惑をおかけしました。まあ、危ない、危ないとは思っていたのですが、何とか五十一位で空席の五十番目の席に滑り込ませていただきまして、本当にありがとうございました。社民連もおかげさまで、秦豊氏があのような当選をさせてもらい、菅直人氏も東京七区で大勝、そして楢崎弥之助氏、阿部昭吾氏と、それぞれに当選させていただいて万々歳ということでありますが、しかし、日本の政治全体をみると、今度のダブル選挙というのは大変なことになったという気が致します。

 ダブル選挙の前まで与野党逆転という呼び声が高かった訳ですが……。そもそも衆議院選挙があるとは、だれも思っていなかったのです。参議院選挙を何とか与野党逆転にもっていかなければならない。あるいは、少なくとも与野党逆転の足がかりまでは作りたいもんだということで、選挙協力その他の動きが非常に高くなっていた訳で、与野党逆転しようという意気込みだけはあった選挙ですが、結局、自民党のこの大勝でありまして、恐らく、日本の政治が十年さかのぼったと、佐藤内閣の全盛時代に近い自民大勝になったということがいえると思います。

 公明党と共産党がその中で大敗し、社会党はまあそれなりにという成績、新自由クラブと社民連が程度の差はあるけれどもいずれも躍進したというのが今回の選挙結果という訳です。

 自民党が衆議院で二八四議席、参議院で六九議席でありまして、得票率でも前回の四四・六%から衆議院で四七・九%という上昇、社会党は衆議院でこそ議席数は現状維持を保ちましたが、参議院では五議席を失っているのでありまして、それなりにとはいっても、ちょっとそれなりにでは済まない長期低落傾向が依然として続いているという状況です。

なぜ自民党が大勝したのか

 問題は一体何故、自民党大勝ということになったのかということであります。私は二つばかり考えておく必要があると思います。

 一つは、この選挙の中で国民が何を求めていたのかということ。私は国民の中に、非常に強く安定指向というものが今回はあったのではないかと思います。

 選挙前に、アフガニスタンの問題とか、あるいはイランの問題とかで、現実には日本がすぐにどうなるというようなことではないんですけれども、国際関係、今や風雲急を告げるという形の宣伝が非常に高かった。まあ確かにそれはそれなりに国際関係がゴタゴタしているということは事実ではありますが、ともかく、そういう国際的な要因というものが一つあって、あまりこういう時に日本がゴタゴタしたら困るんじゃないかという気持ちは確かに国民の中にあっただろうと思います。

 そして、大平内閣不信任案の可決ということ、そのこと自体が国民にとっては混乱の一つの証しのように思えたのではないでしょうか。自民党は去年の四十日抗争によって大きな亀裂が生じ、そうしてとうとう自民党が選んだこの内閣総理大臣を自民党の亀裂によって倒してしまうという思いがけないことから、衆・参両院のダブル選挙ということになった。さあ一体どうなるのか、国民の間に、非常なこの不安定に対する危機感みたいなものがあったところに、大平総理が病に倒れる。一体どういうことになるのかと思っていると、今度はその大平さんがお亡くなりになってしまった訳です。

 国民からみると、まあ、あれよ、あれよという間に日本が大変な混乱になってきている訳で、ここは一つ安定を求めようという感じが非常に強い状態になったと思います。国民は安定、安心を求めていた訳で、特別の事情のないかぎり、保守優位という状況がやはり選挙の中にあっただろうと思います。

 大平さんが亡くなられて、大平同情票で自民党が増えたというような見方も一部にありますし、そのことも必ずしも否定はできないと思います。確かに、山形二区の加藤さん、香川一区の森田さんとか、そういった特別のところは、これは同情票というのがあるでしょう。

 けれども、一般的には大平さんが亡くなられたから自民党の人に同情で票が集まるということはないんで、むしろそれよりも大平さんの死亡で不安定感が強まって、それが保守へと票が流れる結果につながったという事の方が強いんだろうと思います。

 もちろん、自民党はこのゴタゴタが相変わらず続いている状態でありまして、まあ、選挙の時に、挙党一致ということをみんないいましたが、しかし、恐らく国民は、すぐにこれで自民党がまとまると思っていた訳ではないと思います。また事実、自民党で安定するなどといえる筋合いではないんですが、国民の側に、まあ、いままでの続きをもうしばらくやっておいた方が、どちらかといえば無難ではないかという感じはあったと思います。

 一方、野党の方はといえば、それに輪をかけて、まあ無茶苦茶と、野党に任せておったら一体どういうことになるのかわからないという状況があって、結局、自民党への大敗につながったと思います。

 状況からして、常にもまして、野党は安心できるんだよ、今、野党に任せることが安定につながるんだよと、――そう国民に安心感を与えることを大きな戦術にしなければいけなかったはずなんです。しかし、そうではなくて、大平さん追悼でふさぎ込んでいる桜内自民党幹事長の口数の少ないこの坊さん面の前で、野党各党は口数ばかり多くて、口汚くののしり合うばかりで、さっぱりまとまりがないという、選挙運動に終始かかわっていた私達でさえ、顔を赤らめるようなことが続いた訳でありますから、国民の方からみると、野党の腕組みが本物でないとうつるのは当然でありまして、従って、野党の大敗になる。これはあたりまえのことだと思います。

 野党の大敗の原因は、野党の連合がまさしく、まったく未熟であったというところにあると思います。

 まあ、野党の連合が未熟なのは初めからわかりきったことでありまして、まず、参議院選挙に備えて、手の組めるところから組む、そして、三年後の(と皆が思っていた)衆議院選挙を目指して少しずつ前へ進めて行こうという段階であった訳ですから、まだ連合ができあがっていなかったのは当然なのです。

 ですから、そういう時機をみはからって、野党の連合を一つこの際、一挙に潰してしまおうという目論見が自民党の側になかったとはいえないという気もいたしますが、基本的にはやはり偶然といいますか、ハプニングの要素が強かったのではないかと思います。

 しかし、いずれにしろ、野党の連合の未熟さはあまりにもひどく、目を覆いたくなるほどでありました。

社会党は脱皮できるか

 今回の選挙は投票率が非常に高くなった。このことの背景にも、先程の不安ということがあっただろうと思いますが、浮動票が非常に多く投票に向かって、投票率が押し上げられました。

 大部分は自民党に流れた訳です。ふだんよりも、およそ五百万人多くの人が投票したといわれておりますが、そのうち、恐らく四百万人位は自民党に行った。

 残り百万人位が社会党に、あるいは新自由クラブに、そして社民連もそのうちのいくらかをいただいたのではありますが、やはりまあ、百万票近く社会党が取った訳です。ですから社会党は、まあそれなりにという成績に終わった訳です。そこで、公明党、共産党、民社党は浮動票に見放されたということがいえると思います。

 ここで一つ考えなければならないことは、公明党にしても、あるいは共産党にしても、民社党もそうかも知れませんが、今回の投票率を、まあいってみれば恨んだ訳でありますが、投票率の上昇を嘆く政党というのはそれだけで民主主義を語る資格がないんじゃないかという気が致します。

 投票率の上昇はやっぱり喜ばなければいけないことなんです。固定した組織というものはもちろん大切なことですけれども、こういう固定した組織にたよっている政党、固定した組織からだけしか票がとれない政党というのは投票率があがると冷汗をかく訳であります。そういう政党はどうしてももう一つ脱皮が求められているのではないかという気がしてなりません。

 政党のあり方についての基本的な問題がまずそこにあると思いますが、社会党の場合には、今も申しました通り、五百万の浮動票のうち百万票位は社会党が吸収した訳であります。私はここに社会党が考えなければならない非常に大きな問題が、問題といいますか可能性があると思います。

 社会党は浮動票を吸収し得る性格を、それでもまだ持っている訳であります。例えば、選挙中に、軍備増強というような方向がいろいろなところでささやかれてくる。それに反撥して、というような浮動票が社会党へ向かったということは十分考えられるところであります。この浮動票を吸収し得る性格をまだ社会党は持っているんだということを、社会党が本当に大切に考えるのかどうか、もし社会党が大切に考えるのならば、今後この党は大きく、その国民とか市民とかというものに支持される政党へと脱皮していかなければならない訳ですが……。

十年あともどりの鈴木内閣

 さて、こういう選挙結果を得て、これから先の話ですが、自民党は政策不在の総選挙で、とにかく、委任事項も受任者も空白、しかも圧倒的大勝という、かなり強力な白紙委任状を手に入れた訳でありまして、今や怖いものなしという権力の構造になっていると思います。

 長期の政治空白の後に、七月十七日、鈴木内閣が誕生致しました。この鈴木総理は調整者タイプとして知られる人でありまして、進んで人をひっぱったりせず、体制の赴くところを見極めて、無理のないようにまとまりをつくっていく、そういう、とくに中身のない真空の人ということで知られでいる。

 そして、何よりも自民党の内部からの要請に基づいて、その調整者としての役割を 果たすことを期待されて登場してきた訳でありますから、勢い、顔は国民よりも党内に向かざるを得ず、その政策も自民党の体質むき出しのものになってくるような気が致します。

 反動イデオロギーが勢いを増してきて、靖国神社とか、教育勅語とか、というようなものが非常に強い声で語られるというような状況が出てくるんじゃないかということが案じられます。そして日本の政治が十年さかのぼったという感じが致します。

 七〇年代初めの、当時の佐藤内閣の強引なやり方を、そうならないことを祈りながら、思い出しておかなければならないと思 います。

信頼される野党連合を!

 野党がこれにどう対応して行くかですが、今まで野党のなかにも、かなり自民党に擦り寄る傾向がありましたが、自民党からおこぼれをもらうことも、もうできない状態になっている。自民党の方がおこぼれを出す必要がない訳ですから。

 従って、今は野党の連合に対して非常に冷たい空気が支配しておりますけれども、野党各党とも自分のところだけで自民党を倒すことは不可能なんで、いずれ野党の連合というものを真剣に考えようという方向は出てくるし、そうならなければならんだろうと思います。そこがおそらく日本の政治が十年さかのぼったとはいいますが、七〇年代初めと較べて時代が一廻りしたという点だろうと思います。

 いずれにしても、次の衆議院選挙まで三年はあるというのが常識だろうと思いますので、まあ、今回のように非常識が通ることもある訳でどうなるかわかりませんが、この三年間に野党の側からすると、野党の連合を一からきちんと積みあげて、本当に国民から信頼される路線と政策を野党が連合してつくりあげることが必要だと思います。

戦後の集積のうえに不合理正す政策を

 どういう路線と政策が本当に国民から信頼されるものになるか、これが大変ですけれども、私は、今はもうそろそろ、これまでの戦後三十五年間の国民の努力の集積というものを、野党はもっと正面から評価すべきではないかと思います。ここまで日本経済を大きくしてきた日本の経済体制のもつプラス面をはっきりと認め、評価すべきは正しく評価して、その上に立って、この経済体制のもつマイナス面、さまざまな不合理、矛盾を、政策でもって正して行くべきだと思います。

 それから、国際的にも、日本がこれまで築きあげてきた様ざまな国際的なつながりというものをもっと大切にして行く、つまり、西欧近代の唱える基本的な自由、平等とか、基本的人権とか、そういう基本的な諸価値を共有する国々と密接に結びついた国際関係をつくっていくんだということを、その辺をはっきりさせて、その上で、しかし、アメリカとの関係は今のようなもたれあいでいいのか、ソ連との関係はこういうこのギクシャクしたものでいいのか、あるいは東南アジアとの関係はいつも何か猜疑心にさいなまれる関係でいいのか、というこの正すべきものはきちんと正して行く、そうした政策の勝負をして行かなければならないのではないかという気がしております。

 三年、時間が与えられた訳でありまして、野党はこれから本当に一から出直しで頑張っていかなければいけないと思います。いずれにしても、大きな転換の時代であることは確かで、しかも、これまでの政治の惰性を続けていたのではこの転換ができない訳ですから、私達、野党の課題は、責任は非常に大きいと思います。


有難うございました  五月会のみなさんのお力に支えられ……

           参議院議員 秦 豊

 どなたもが一様に「いやぁ、あの大詰めの十二時間は胃にこたえたよ」「心臓に悪かった」とおっしゃる。「しかし良かったねえ、本当に良かった」 と口々に励まして下さる。だが、ドラマを超えたあの終幕の余韻は、永田町界隈にまだ残っている。

 私自身いまだに、この議席についてのずっしりした実感より「お預かりしている」という思いの方がはるかに大きい訳だから無理もあるまい。

 “江田五月会”の皆様には、とりわけ温かいお力添えを賜わりました。光子夫人や五月さん、大亀さんらを先頭にしたあの体制には、文字通りぬくもりと誠が溢れており、それが私をすっぽりと包んで下すった。いま改めて、皆様のあの大きな友情とお力を、くり返し反芻している昨今です。

 本当に有難うございました。


1980/10 五月会だより No.4 ホーム主張目次たより目次前へ次へ