1980/02 五月会だより No.2 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


初心を忘れず ――五月君への期待

          元東京家裁判事・大学教授  森 田 宗 一

 私は最近「親と子の生き方つき合い方」という小著の中に、次のようなことを書きました。

 「私のある若い友人は、父親の死に当たって大きな衝撃をうけ、裁判官の生活をなげうって父親がいのちを賭けた政治の世界に転身し、“父は自分にとって人生の師であった”と公言しました。私はその言葉に感銘し、三十七歳にもなる息子からそう言われ、子の生涯に大きな転身の力を与え得たその父二郎氏は、うらやましいばかりの果報な人だと思いました。」

 その“若い友人”というのは江田五月君のことです。私は三郎氏のロマンと無念の想を抱いての壮絶な臨床に居合わせ、その場で五月君が“天命”と感じて転身を決意したことを知りました。その後の五月君の歩みはかなりきびしく大変のようだが、持ち前のねばりとバランス感覚をもって明るく頑張っている様子に、少しホッとしながらも、その前途のために祈っています。

 暗雲たちこめ、たつ巻も起こる政治の乱気流の中を、天命と感じた初心を貰いて行くには、つよい信念と勇気とそれ以上のものか必要であり、困難も多いことでしょう。ことに日本は今大変な危機にある。八○年代は大きな曲がり角になる予感がします。五月君が愈々つよく健康に、初心を忘れず一筋の道を貫いて邁進されることを期待するのです。

 そこで次の一句を、心から君にささげます。

 初心なほ忘るべからず梅真白


社会民主主義で大きな野党を

              江 田 五 月

 一九八○年代の慕開けを迎え、みなさまお忙しくお過ごしのことと思います。日ごろのご無沙汰をお詫びし、今年も変わらぬご支援をお願いいたします。

 昨年は、春の統一地方選挙、秋の総選挙と、社民連にとっては生死をかけた闘いの連続でした。いろいろご迷惑をおかけしたことと思います。本当にありがとうございました。

 明治維新以来の日本の近代化のコースは、その可能性の点でも妥当性の点でも、大きな壁に直面しています。昨年の各種の選挙を通じて、私たちは、このチャートのない曲がり角を曲がり切って二十一世紀へ至る道を探さなければならなかったのです。社民連は、「生き残る」ことはできましたが、選挙結果は、満足すべきものではありませんでした。

 総選挙の結果、おおかたの予想に反し、国民は自民党の大勝を許しませんでした。これまでの努力の成果としての現在の生活水準を維持していきたいという点では、国民の中に「保守回帰」はあったと思います。戦後三十四年間、無駄な苦労を重ねたわけではないのですから、これは当たり前のことです。しかし、そのことは、自民党支持とは別のことです。国民の努力の成果を構造汚職でむさぼり取る自民党の政治は、もう終わりにしたいというのが、選挙結果にあらわれた国民の願いです。同時に、それにもかかわらず、自民党に代わって政治をまかすことのできる勢力が育っていないと国民が見ていることをも、選挙結果は示しています。

 これまでの努力の成果を大切にし、これを着実に確実により良いものにしていきたいという国民の願いに応える努力を、野党は真剣に始めなければなりません。そして、資源のこと、環境のこと等、課題が山積している中で日本の進む道を、真剣に探らなければなりません。次代を荷う国民を育てる教育の課題。これまでの成果を作りあげてこられた人々にむくいるための高齢者対策。ますます狭くなってきた世界の中で、日本の果たすべき役割。その他、どれをとっても、今までの古い保守・革新の枠組みでは割り切れない問題だと思います。過去のいきさつにとらわれず、現実を謙虚に直視する勇気が必要です。そして、国民の期待に応え、与党になりうるだけの大きな野党の結集を作りあげることが、今必要だと思います。

 現実を素直にながめると、次のようなことはすぐに明らかになります。現存する「社会主義勢力が平和愛好勢力だとは、一概には言い切れません。また、国有化と計画化を柱にする「社会主義」体制は、公正の点でも効率の点でも、人々の期待を満足させるものではありません。自由の圧殺はなにをかいわんやです。

 逆に、「自由主義」体制をとる国の中で、社会民主主義をかかげる勢力が、西ドイツを初め西欧諸国で大きな働きをし、そこでは、自由と民主主義を基盤に、公正な競争を通じて、効率ある福祉社会を作ろうとしています。

 「体制」については、他の国のことはさておきわが国では、今の憲法が予定している体制が、国民のコンセンサスを得た、住みよい日本を作ることのできる体制だと思います。この体制の中で、自由、平等、連帯といった諸価値を大切にした政策の選択を行っていくべきです。この政策選択を方向づける理念を、社会民主主義といってもいいのではないでしょうか。

 海外旅行の経験のある人は、現在ではかなり多いと思います。いろんな国へ出かけています。ところが、「社会主義」の国々の旅行とアメリカ、西欧、東南アジアといった「自由主義」の国々の旅行と、旅をする人の意識は大分違うのではないでしょうか。「社会主義」諸国では、誰かのお世話で見物をさせていただく、よそ者としての旅です。「自由主義」諸国では、国内旅行の延長として、自分の住む世界のまだ見ぬ部分について、見聞を広める旅が多いのではないでしょうか。国際経済のしくみはいうまでもなく、こういう点を一つとってみても、わが国が「社会主義」諸国とは切れた関係、「自由主義」諸国とはつながった関係にあることは明らかです。この基本的枠組みを変えなければならない理由はありません。

 先行き不透明な時代だと言われます。「あちらを立てればこちらが立たず」という関係が、いろんなところにできており、困難な時代です。この困難は、国民の意識と価値観の多様化により倍化されます。しかし、人類の歴史は、いつも、世紀の終わりかと思うような絶望の壁を突き破って、進歩してきたのです。今日の困難を、明日の発展の素材にしなければなりません。できると思います。

 資源、エネルギー、環境といった制約要素は、私たちに、物的成長以外の場所に美しい花が咲き乱れることを教えるでしょう。そこでは、人々の多様性こそが、他の動物にない、人間ならではの特性と賞讃されるでしょう。私たちの未来は、私たちの主体的選択にかかっています。決定論でなく、一人ひとりの決断が、明日を大きく開いていくのです。

 今年も頑張ります。みなさまのご指導とご支援をお願いします。


江田光子さんから便り

 江田五月氏のお母さん、江田光子さんは、昨年秋の総選挙に岡山二区から立候補して、精一杯のたたかいを展開しましたが、惜しくも敗れました。そこで「あのときはたいへんお世話になりました」と、この度、本紙に次のような『挨拶』の一文を寄せられました。


 皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。昨年の私の選挙では、たいへんお世話になりながら、ご期待に応えられず、申し訳ございませんでした。紙上をお借りして、心からお礼とお詫びを申し上げます。

 選挙を通して、私はたくさんの心に残る経験をさせていただきました。いたるところで、思いもかけないたくさんの方々が熱烈な激励をして下さったこと、地元ばかりでなく、東京でも『激ます会』を開いていただいたのをはじめ、北海道や九州などからも泊り込みで応援に来て下さったこと……。とくに忘れられないのは、鴨方で演説会を開いたとき、暴風雨の真最中に、会場いっばいの人びとが私の話を聞きに足を運んで下さったこと。ああいう人たちの声を政治がどんどんとりあげていくようになれば、私たちのまわりもずいぶん変わってくるのにと思いました。

 私自身は、その後、地域で婦人の会をつくるなど、お陰さまで、相変わらず元気に活動していることをご報告しておきます。これからも、選挙のときに訴えました「家庭の声を政治に」生かすために、一市民として、私なりに微力をつくしていくつもりです。どうか、今後ともよろしくご指導下さるよう、お願いします。末尾ながら、みなさまのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

一九八○年正月

江田 光子


八○年代政治展望
新局面に備える構想カを 
    共同通信論説委員長 内田 健三

 一九八○年代の政治は「連合の時代」と予想されている。たしかに、自民党による一党支配はあらゆる兆候から見ても限界に来ており、何らかの形の連合政権時代の到来は、ごく近い将来に必至であろう。しかしその連合の時代が、真に国民のための新しい政治形態の創出となるためには、各政党それぞれの自己革新と、同時に政党エゴを脱却した連合の理論の確立が必要である。一言でいえば、野党各党の脱皮と成熟である。それがなければ、形は連合政権に移行したとしても、実は自民党の一党支配が若干の補完勢力を加えて生き延びるに過ぎないこととなろう。

 七〇年代にはいって三回の衆院総選挙は、自民党の単独支配が実質的にはすでに崩壊したことを実証した。角栄ブームと騒がれた七二年総選挙でも、自民党は二七一議席、得票率四六・八%にとどまり、七六年総選挙では二四九議席、四一・八%、七九年総選挙 二四八議席、四四・六%と、完全に過半数を割った。得票率ではすでに、六〇年代後半から四割台政党に転落している。

 参院でも同様である。七四年選挙で自民党と全野党は七議席差と接近し、七七年選挙で自民党は善戦したものの、与野党伯仲状況は変わらず、今回の八○年選挙で与野党逆転の成否が注目の的となっている。

 こうした自民党の後退と並行して社会党の党勢も衰弱し、一九五五年体制の崩壊は決定的となった。それと対照的に、公明、共産、民社の三党が伸長し、また、七六年に新自由クラブ、七八年に社会民主連合が結成されて、自社二大政党の衰退と多党化時代の出現を強く印象付けた。この情勢に力付けられて、社、公、共、民の各党は七三年から七四年にかけ相次いでそれぞれの「連合政権構想」を発表し、連合の時代へ身構え始めた。

 八○年初頭の「社公連合政権構想」の合意は、まさにこうした七〇年代の政治潮流を一歩前進させるとともに、新たな転機をもたらそうとするものである。しかし、真の転機となりうるかどうかは、(1)社会党が本当に「全野党共闘」の空論を清算できるか(2)民社党が金権腐敗体質のままの自民党との野合を拒否し通せるか(3)新自クと社民連が、連合時代への“触媒”の役割を果たせるか―などにかかっている。

 連合構想の成熟と、自民党の衰弱、党内亀裂の進行は、遅かれ早かれ八○年代の連合時代到来を告げている。この夏の参院選で自民党が過半数を割れば、一挙に与野党を横断する連合、再編成の動きの噴出もあり得ないことではない。また自民党がかろうじて過半数を維持し、現体制が小康を保ったとしても、おそらく八二年秋の自民党総裁選挙、八三年春の統一地方選挙、同年夏の参院選挙、そしてその前後に予想される衆院総選挙という一連の選挙を通じて、日本の政治の新局面が訪れることは間違いあるまい。八二−三年の政治決戦に備える努力と準備と構想力が、八○年代の政治潮流を決定付けるカギとなろう。


江田五月・国会活動レポート

倉石発言を追及
 ―― 11月20日

 江田五月議員は参議院法務委員会で、倉石法務大臣に対して「倉石発言」を追及しました。「倉石発言」とは、倉石新大臣が九日、初閣議後の記者会見で、「ロッキード事件関係者が青天白日となることを念願している」と述べたものです。

 江田議員の追及は、舌鋒も鋭く、しかも法務委員の中でも随一の法律実務経験者ですから、法律的にも的をつき、大臣のかたわらで補佐の役を務める法務省の前田刑事局長は、大臣の答弁が余りに厚顔無恥のためか、下を向きっ放しでした。

江田議員の話 検察と司法にとって一番大切なことは、その公正さについて国民の信頼を失わないことです。法務大臣の何よりの務めは、この信頼を守ることです。

 ロッキード事件は、国民の中からも、政治の圧力で無罪になるのではないかとの声が聞かれ、検察と司法にとっては、国民の信頼を守り切れるかどうか、試練の大事件です。大臣としては、この重大な試練を経験しつつある裁判関係者に、細心の心配りがなければならないのです。

 ところが大臣は、自分の部下がロッキード事件の追及に全精力を傾けているとき、これに水をさすように、無罪を念願するという旨を公に発言したのです。大臣は、裁判を左右できない立場だから実害ないと言い、今後とも検察と司法を信頼するといいますが、現実には、大臣は裁判を左右できます。制度上もそのことは検察庁法十四条等によりはっきりしているのです。例えば、大臣の命令により、検察官が、法廷で、有罪の証拠を出すのをやめてしまうと、被告人は無罪になります。

 問題は、大臣が検察と司法を信頼するかどうかではなく、国民がこれを信頼するかどうかなのですから、今回の大臣の発言は致命的というべきでしょう。大臣として不通格といわざるをえないのであって、国民の検察と司法に対する信頼を取り戻すには、大臣に辞めてもらうしか方法がなかったのではないでしょうか。


「元号」問題は国民の英知に

 「元号」問題については、とかく、イデオロギー過剰の議論がなされますが、昨年の五月、連合審査会で江田五月議員は、「国民生活上、元号も西暦もいずれも事実たる慣習として用いられており、そのいずれを選択するかは国民の英知に任せるべきである」と、元号法制化に反対しました。

江田議員の見解は次の通りです。

 「文化の一つの要素である紀年法は、国民の毎日の生活で次第につくっていく歴史の中で定着するものであり、それを法律で固定しなければならないというものではない。むしろ歴史をつくっていく国民にこそ、もっと信頼をおき、それに任せるべきである。」


ふたたび沖縄を犠牲にするな ―― 12月5日

 沖縄が復帰をしてから既に七年有余になりますが、いまだに本土との格差は著しいものがあります。この件に開し、江田五月議員は十二月五日の「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」で種々の観点から小渕大臣に質問しました。

 質問の要旨=沖縄が甘やかされているという議論が一部にあるが、長い間本土が沖縄を犠牲にして発展してきたわけだから、逆に本土の方が甘えているのではないか。また沖縄には現在、日本国籍を持たない混血の国際児が三千五百人もいながら、そのままである。こうした犠牲を二度と許すことなく、沖縄開発庁長官として、沖縄に温かい目で臨んでもらいたい。


行政の惰性を追及 ―― 12月11日

 裁判官や検察官と弁護士との間で、司法修習後の初任給に格差が生じている問題に関して初任給調整手当制度がありますが、その額が九年間据え置かれたことに関し、江田五月議員は十二月十一日の法務委員会で、行政の惰性を鋭く追及しました。

 さらに江田議員は、同委員会で、民法及び民法施行法の一部を改正する法律案に開し、また将来起こるべき問題について、政府委員に検討を約束させました。


犯罪被害者補償制度の実現を重ねて要求

 昨年五月三十一日、法務委員会で犯罪被害者補償法について再度質問し、法の制定と予算措置を急ぐよう強く要望しました。なお、犯罪被害者補償法の制定について、江田議員が先頭にたって努力していることはご承知のとおりですが、この件については、次号で特集します。


江田議員が奔走 参議院クラブを結成

 昨年十二月二十日、通常国会召集の前日、参議院に「参議院クラブ」という名称の新会派が生まれました。これは江田五月議員などの努力で、社民連の三名と有田一寿、円山雅也、八代英太の六人で作った会派です。これによって、参加各議員は国会における活動の場をさらに広げることになったのです。(ただし、これによって政党としての社会民主連合の存在に何ら支障はありません。)

 国会は大きい政党、大きい会派がより有利になっているため、どんな立派な議員でも、二、三人の小政党、小会派では、本会議の代表質問もさせてもらえず、また、予算委員会など、比較的重要な委員会に属することも困難なのが実態です。

 今回の会派結成で、すでにご存知の通り、一月三十日、八代英太さんの代表質問が実現し、わが国憲政史上初めて、車椅子が本会議の演壇に登ったのです。また、秦豊さんの予算委員会質問も実現することになったのです。

 こうした効果もさることながら、もっと参議院改革の根本に触れる大きな意義があるのです。この点について江田五月議員は次のように言っています。

――かねてから参議院の政党化が強まって、小型衆議院になってしまっているため、参議院の意義が薄れているとの世論が強まっていました。憲法が二院制をとっているのは、同じような議院を積み重ねるためではなく、質の違った二つの議院を設けることによって、立法府の機能に多面性と多様性をもたせるためなのです。

 衆議院が国民を数において代表し、直接政権をつくる責任を負うのに対し、参議院は国民を質において代表し、時々に移り変わる政権から一歩距離を置いて、広く長い視野で立法府としての活動を行うことが求められています。

 しかし現状は、委員会の構成、議論の仕方、案件に対する各党の対応の仕方、その他、参議院が衆議院のカーボンコピーとなってしまっているのです。これでは批判が出るのは当たり前です。

 参議院改革の根本は、各政党が党議で議員をしばることをやめて、一人ひとりの議員の良識と識見を尊重するところから始まらなければならないし、また、少数意見の尊重などをすすめなければなりません。これらの考え方はすべて、参議院クラブ結成に当たっての四つの「趣旨」に盛り込まれています。


江田議員、地方行政委員会へ

 江田議員はこれまで、法務委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会で活躍してきましたが、今国会から、地方行政委員会、物価対策特別委員会に変わりました。また、新しくできた「参議院クラブ」では、国会対策の担当となりました。


江田五月会の新たな発展を
会員の再登録と新しい事業計画

会員名簿の充実

 江田五月会は、お陰さまで多数のみなさまの入会を得、さまざまなお力添えをいただいてきましたが、早いもので、間もなく満三年を迎えようとしています。

 この機会に、後に記すような諸事業を新たに計画して、今後いっそうの発展を期したいと思います。そのために、あらためて新会員の募集を行うとともに、本年三月中にこれまでの全員の再登録を行って、いっそう充実した名簿づくりをすすめていく所存です。三月中旬に用紙を配布いたしますので、よろしくお願いします。

会則の一部改訂を

 ★特別会員制の採用を
 内外ともに激しく移り変わる政治情勢のなかで、常に時代を先取りした政治家として、国民に指針を示していくためには、たゆまぬ政策・研究活動とともに、最小限の財政的保障が不可欠の条件です。そこで、財政活動の方法として、なるべく広範な支持者の方々から、一定額の浄財を会費としていただくのが明朗でよいのではないかと考えております。そのために、月額一口一万円(五口以内)を納めていただける方々(個人、会社、団体など)に「特別会員」になっていただき、これを財政の基礎にしたいと思います。

 ★普通会員の会費について
 これまで、普通全員のみなさまには年間千円の会費で、入会時から向こう一ヵ年としてお願いしてきましたが、今後はたいへん恐縮ですが、一年を前期・後期の二期に分け、各千円(年間二千円)ということに改めさせていただけないかと思っております。今後は、活動量が増えるに従って会報(五月会だより)の発行頻度が増し、印刷代、郵送料、その他の経費がかさんできますので、ご協力をお願いする次第です。また、会費事務の都合上、一年を二期に分け、四月から九月までを前期、十月から翌年三月までを後期としてお願いしたいと思っています。


『21世紀サロン』などを創設

 江田五月会が江田五月氏を支援する中心的な母体であるとともに、社会的にも内部的にも“何かがある”“何かを生み出す”ことのできる有意義なものであるために、会員相互の交流の場を設けることにしたいと思います。そこで次の三つの『サロン』を考えています。それぞれ仮称として提案しますので、アイディアをお寄せ下さい。

21世紀サロン

 特別会員の方々を中心とした集まり。経済界、官界、司法界のリーダー的立場におられる方々や学者・文化人の方々などで構成し、二ヵ月に一度、各界から優れた講師を招いて、江田五月氏も出席する例会を開催します。(講師のお話の要旨は「五月会だより」に掲載します。)全員の方々の社会的活動に役立つ情報交換や、全員相互の交流の場としても、大いに活用してほしいと思います。

若者サロン

 次代を担うべき若者たち(十代から三十代まで)が江田五月氏を囲んで意見をぶつけ合う集まり。自主的な運営で活動をすすめていただければと思います。

同世代サロン

 これは江田五月氏と同世代の方々、すなわち昭和十年代生まれの方々が集い、ざっくばらんに話し合う集まりです。当面、年に二度ぐらいは寄り合いたいと思います。


入会のお願い
 三年前、江田五月君の政界入りを機に、彼の政治活動を支えるとともに、江田五月君を中心とした政治参加の輪を広げるために、江田五月会が結成されました。江田五月会は、それ以来、江田五月君の選挙を応援し、政治活動を支援してきました。

 江田五月君は、参議院議員当選以来、社会民主連合を結成、副代表として、日本の政治を変えるために活躍し、また国会においては、法務委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会、地方行政委員会、物価等対策特別委員会などで地道な活動を積み重ねてきました。

 いま、資源・エネルギー問題、環境問題など、日本ばかりでなく、世界中が大きな曲がり角にさしかかっているとき、八○年代から二十一世紀に向かって、確固とした展望を切り開くことのできる政治家が強く求められています。このときに、こうした“可能性をもった”政治家として、江田五月君を盛り立て、支えていただくために、一人でも多くの方が江田五月会に入会して下さいますょう、心からお願いします。


  会則改正

江田五月会会則(案)

第一条(名称)本会は「江田五月会」と称する。

第二条(所在)本会は事務所を東京都内におく。

筍三条(目的)本会は江田五月の政策研究およぴ政治的諸活動を支援することを目的とする。

第四条(事業)本会は前条の目的を達成するために左記の事業を行う。
一、江田五月の政治活動報告。
二、政治、経済、社会、文化問題等の講演会、研究会等の開催。
三、全員相互の理解と親睦をはかるための諸事業。
四、その他本会の目的達成に必要な事業。

第五条(会員)本会の会員は、個人及び団体による普通会員およぴ特別会員とし、入会は会費をそえて入会届を提出する。

第六条(役員)本会は理事若干名、合計一名、監事二名をおき、理事の互選により会長一名を選任する。

第七条(会計)本会の経費は普通会費、特別会費、寄附金およぴ事業収入でまかなう。普通会費は 年額一口2000円(前期1000円、後期1000円)、特別会費は月額一口10000円とする。

第八条(附則)本会則は昭和五十五年四月一日より効力を発する。

 以上の会則改正案と事業計画について、今後一ヵ月、みなさまにご検討いただく期間を設けますので、ご意見があれば、ぜひお寄せいただきたいと思います(連絡は、石井まで)。この間に特に問題がなければ、四月一日から実行に移し、新会則を発効させたいと思いますので、よろしくお願いします。


岡山五月会が土佐の旅

 岡山五月会では、以前より親睦を兼ねての旅行の話がもちあがっていた。そこで今回、昔から損得ぬきで旅人をもてなすことで知られている高知の旅となった。

 一月十九日、午前十時に岡山を出発した。宇野港より高松へ、琴平で昼食をすませ、大歩危経油で高知についたのが午後五時。

 さっそく宴会が始まる。料理も土佐独特の新鮮な材料を、九谷焼の錦絵に山ほど盛り合わせた皿鉢料理である。箸もすすみ、洒も入るにしたがって、民謡・演歌と踊りも出る。参加した議員の中には、立候補の決意表明やら、演説までもとびだし、江田五月議員を囲んでの楽しい一夜を過ごした。

 翌朝は高知名物の日曜市と、山内一豊が築城した五層白亜の天守閣を見せる高知城を見学し、記念写真をとった。

 再びバスに乗り、月の名所で知られる桂浜をたずねた。太平洋の黒潮がよせる丘に、坂本龍馬の像がたてられている。この姿を見て、歴史の重みを感じ、明日の五月会の発展を思いつつ、桂浜を後にした。

 南の国高知は、みどころの多いところである。土佐の旅情を心ゆくまで楽しんだわれわれは一路岡山へ向かった。(=岡山発)


江田議員が行政改革で意見発表

 昨年十一月十六日、東京・大久保の東京海洋会館で、「行政改革シンポジウム」が開かれました。主催は、民間の二十一単産一組織、五百万人で組織されている政策推進労組会議。参加者は、自民党・金井前行管庁長官、社会党・武藤政審会長、公明党・鈴切行政委員長、民社党・河村副書記長、それに社民連の江田五月副代表でした。

 各党の代表がそれぞれ行政改革への取り組みを説明する中で、江田議員は、次のような意見を述べ、およそ五百人の会場参加者とタイムリーな企画に注目して取材に集まった報道関係者の共感を呼びました。

 江田議員の意見要旨――
 昨今の綱紀紊乱は目を覆うばかりです。また、高度成長時代に肥大化した行政組織を整理し、国民生活への行政の過剰介入を抑止しなければなりません。そのうえ、財政危機の乗り切り策の一つとして、行政改革は焦眉の課題です。

 これまで、行革が叫ばれながら進まなかった原因は、程度の差こそあれ、自・社両党とも、特殊法人等を含み既にでき上がった行政機構とそれに付随した補助金に、利害関係を大きく持ちすぎ、選挙のことを考えると、総論賛成でも実際には身動きとれなくなっているところにあります。

 行革実行のための具体的な方法は、政策推進労組会議の提案を有力なたたき台とし、既成の政党や機構に頼らず、いわゆる中道四党閥での政策連合、国会内での特別委員会設置、政府の外に行革推進のための独在した機関の設置などが必要です。

 さらに大切なことは、今、行政改革が叫ばれているのは、単に行政機構に無駄が多いという理由からだけではなく、明治以来の行政機構が、八○年代から二十一世紀への大きな曲がり角にあたって、時代おくれになってきたからだということです。上命下服の大臣−局長−課長−係長−ヒラという行政機構(ハードウェア)の考え方を硬直的に守っていくのではなく、行政の手法(ソフトウェア)にもっと工夫をこらすべきです。同じ積み木で重ね方を費えるだけでなく、違った積み木を考え出そうということです。

 具体的には、上下の関係にこだわらない主管制やプロジェクト・チーム制をとり入れたり、フルタイム公務員だけでなく、パートタイムの人やボランティアなどによる行政を考えたりすることです。新しい時代にふさわしく、自主的に地域を作っていくために住民の創意を生かす行政手法が必要です。

 また、行政機構のぜい肉落としといっても、医療、教育、福祉というような分野では、行政需要は高まっています。そこで、こういう部門の行政を思い切って地方自治体に移し、『国の行政はスリムに、地方の行政はきめ細かく』ということを考えるべきです。それが、「地方の時代」の行政改革です。


はた豊さんフル回転 今夏参院選に向けて

 社会民主連合は、今年七月に行われる参議院議員選挙(全国区)に、はた豊さんを立ててたたかうことになりました。

 はた豊さんは、テレビ朝日時代に『行動するニュースキャスター』と異名をとった通り、この五年半の間、国会の内外で、そして広く世界を駆け回って、文字通り疾風迅雷の活躍をされてきました。

 はた豊さんは、現在全国津々浦々で、「行財政の改革による公正の実現、第三世界外交の抜本的転換、選挙制度・政治資金規正法の大幅改革等々が緊急な課題である」と訴え、もはやエンジンはフル回転。

 今回の選挙は、既に史上空前の金権・物量の選挙になるであろうといわれておりますが、はた豊さんは、「乏しいことや無いことを武器に新しい戦いを敢えて挑みたい」と言われております。私たち一人ひとりの手で、はた豊さんを再び国会に送り出しましょう。


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