1983/01 五月会だより No.15 ホーム主張目次たより目次前へ次へ




江田五月 岡山一区から衆院へ
11・28 立候補宣言集会 あふれる会場 高まる熱気

 社民連副代表の参院議員、江田五月が去る十一月二十八日に西大寺市民会館で開かれた立候補宣言集合で、衆院岡山一区に出馬する決意を公式に明らかにした。あいさつの中で、江田五月は不退転の決意で臨むと力強く宣言し、満場の参加者から割れんばかりの拍手を浴びた。

 宣言集会には、約千三百人の支援者らが参加し、会場は熱気にあふれた。シンポジウム「明日の政治を考える」(三面参照)に続き、江田五月が満場の拍手に迎えられて登壇。日本の政治を根本から変えるには、衆議院に議席を持たなければならないと、高らかに衆院岡山一区への出馬宣言をした(宣言挨拶は別掲)。

 江田五月の宣言に続き、大亀幸雄県社民連書記長が、江田五月はゼロから出発して七万票を超す票を獲得せねばならない。非常に厳しいが、これほど話題を提供している人はいない。ホームミーティングや資金の援助をみなさんにお願いしたいと、独特のユーモアたっぷりに参加者に呼びかけた。

 続いて民社党の林保夫氏(衆院岡山二区)、県同盟書記長の室山利幸氏、県教育界の長老高畑浅次郎氏、江田五月を支える女性の会を代表して小嶋由美子さんの四人が支援のあいさつに立った。

 林氏は五月さんは私の中学の後輩だが、政治の世界では先輩。五月さんこそ、政治の流れを正すことが出来る人と激励。室山氏は江田さんの必勝に向け、同盟、民社党が江田さんを推薦できるよう、取り組む決意と力強く励ました。

 また、九十五歳とは思えぬ元気さで登壇した高畑氏は、今の自民党に政治を任せていてはだめ。社民連などは小会派でも自己の信念を持っている。次の選挙では江田さんを必ず岡山一区から当選させようと元気に応援。紅一点の小嶋さんも江田さんは限りない平和を願う熱い心を持ち、安心して生活できる政治をめざしてがんばっている。江田さんのお手伝いをすることは、私たち自身のためと女性の立場から支援を訴えた。

 評論家秋山ちえ子さん、新自由ク代表河野洋平氏、落語家三遊亭円歌さんらの支援あいさつをスライドで上映。シンポジウムに参加した田英夫社民連代表らが力を込めて江田五月を激励した。

 最後に江田五月が一日も早く代議士のバッジをつけ、国会へなぐり込みたい。みなさんの大きな力をよろしくと、力強くあいさつ。必勝を期して参加者全員ががんばろう! とこぶしを突き上げた。

 シンポジウムをあわせ、二時間半余にわたる集会だったが、会場の零囲気は終始、盛り上がったまま。この力が、さらに大きく広がることを期待したい。


江田五月の当選に向け 情勢は厳しい

 岡山社民連の大亀書記長は岡山一区の選挙情勢について要旨つぎのような報告を行った。

 国会解散・総選挙はいつか
 誰にも判らぬことだが、衆・参ダブル選挙(本年七月)の可能性がいちばん強いと思う。その理由は、第一にロッキード事件の検事論告が二月前後になること。第二に、中曽根内閣が新しいイメージをつくるのに時間がかかること。第三に、政治日程からみて二月説には無理が多いこと。――などである。

 われわれとしては、ダブル選挙に標準をあわせて準備をするが、早期解散にも備える方針。

 江田立候補声明の波紋は
 江田声明は保守・革新の枠をこえて全候補に影響をあたえている。自民党では大村、逢沢、平沼の競合が激化しているが、平沼が一歩りード健斗している。社会党では柴田の出馬辞退により、断然、矢山が有利となる。公明党は山田が辞退して日笠(37才)となるが、基礎票があり有力。共産党の則武は、六万票前後で苦労すると思う。

 いずれにしても、当選ラインは七万票以上である。江田五月にとっては倹しい道になることは必至。

 地道な日常活動が大切
 二つのことが大切だ。第一は、あらゆるところで話題の焦点になること。第二は、地域、職場に、学区・町村に、江田後援会を網の目のように結成すること。そのためにも毎週月曜日の「おはよう七・三〇」の駅前演説、七六〇回の街頭演説、ホームミーティング、無料生活相談などを精力的に展開することが大切。

 コーヒー一杯分のご協力を
 “あなたと共同作業で、新しい政治をつくりたい”これが江田五月のねがいだ。知恵のある人、時間のある人、カンパ余力のある人、その他なんでも結構、あなたの能力を提供して欲しい。率直にいって財政活動は頭痛の種。「コーヒー1杯分の協力が救治を変える。」 この気持が大切。


江田五月の立候補宣言

 江田五月の立候補宣言挨拶は、何度も原稿に手を入れ、多くの人から意見を聞き、準備も大変だった。そのエキスを、紙上録音でまとめると、次のとおり。

 まず、感謝の言葉に続いて父、江田三郎の足跡にふれ、父の原点から政治を歩み始める決意、西大寺を選んだことを説明。次に、立候補の宣言。

 私も、一時は生涯の仕事と考えた裁判官をやめて政治を志したからには、中途半端なことでは終われません。生涯を政治改革のために捧げた父の情熱を思うと、私も私なりに困難覚悟で未来に挑戦しなければならないと、心の底から突き上げるものを感じます。日本の政治を根本から変えるには、やはり衆議院に議席を持たなければなりません。

 ここで、不退転の決意をもって、次の総選挙に、岡山一区から立候補することを宣言します。
(拍手、拍手)

 次いで、めざす政治の描写に入り、第一は清潔な政治、第二は私たちの生活、第三が世界の平和、そして第四が政界再編成としたうえ、政治腐敗の現状、中曽根内閣の汚染度にふれ、田中角栄は、来年早々にも懲役五年の求刑を受けようとしている刑事被告人だということ。これを忘れてはいけない。中曽根さんは、国民の運命を、刑事被告人の手に重ねようというのか。 と語気鋭く糾弾。

 政治家は、国民みんなのために働かなければならないのに、今は、利権につられて特定団体のご用聞き専門という人があまりにも多い。私は、こうした利権、金権の根を絶ちます。

 次に、国民生活に入り、一般の国民が、安定した安心できる生活を送ること。これが政治の基本です。だから「政治は生活なり」と言われるわけです。 ところが、深刻化する不況、物価高、増税等……。

 奥さん方は、亭主の晩酌はおろか、子供の学用品まで倹約しなければ、家計を守れない。これはもう深刻です。

 この国民の悲鳴をよそに、今自民党は、財政赤字を理由にして、これまで以上の負担を国民に押しつけようとしています。
 と人勧凍結、恩給年金から 財政経済に話をすすめた。

 心身に障害のある人、お年寄り、子供たち、家庭の奥さん方。あるいは又、農業や中小零細企業、小さな商店。(こうした)弱い者を大切にすることこそが、政治の最も重要な課題です。

 世界の平和について、第二次大戦と広島、長崎の原爆のことに触れれたあと、れまでの歴史をそのまま繰返してだんだん戦争の規模を大きくしていると、最後は人類全滅になるぞということを、第二次大戦は私たちに教えました。そこで私たちは、二度と人類がこんな愚かなことを繰返してはいけないと決意し、戦争の歴史を平和の歴史に変えようと、戦争放棄の憲法を作ったのです。決して忘れてはいけません。 と平和の大切さを強調。

 確かに世界の現実は厳しく乙女の夢のような平和論は役に立ちません。しかし同時に核戦争の恐怖は、私は錯覚や誇張ではないと思います。 と、世界の軍事競争の現実を、例をあげて説明し、

 私は、日本こそが、行きづまった世界に村し、もう一つの世界のあり方、戦争をしなくても国際紛争を解決できる世界の仕組みを提案し、軍縮の実現のためにねばり強い努力をしなければならないと確信します。日本はその能力を持っているのです。

 最後の政界再編成では、自民党がどんなに悪いことをしても、どんなに国民を困らせても、野党は手も足も出ない。自民党政治はぴくともしない。こんな政治の仕組みは、世界広しといえ、共産主義か軍事独裁の国でないと、なかなか見つからないのではありませんか。

 自民党のライバルといえるような野党を作る。そのために野党が、小さなことにこだわらず、もっと大人になって腕を組み合う。対立よりも協調を。喧嘩よりも提携を。

 政党の枠を絶対に変わらないものと考えず、いっそのこと、与党も野党もひっくるめて、政界を再編成しなければなりません。
と日ごろの主張を述べた。

 こうして最後に、
 金がなくても組織がなくても、庶民の良識があるんだ。庶民の良識が政治を変えるのだというのが、民主主義の大原則です。私は今、あえてこの大原則を信じます。「もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる。」父の愛した言葉です。みんなで政治改革の道を一緒に歩いて行こうではありませんか。

 私がこの地のために全力を傾けようと決意している岡山一区。みんなで、岡山一区を、日本の政治改革のための栄光ある選挙区にしようではありませんか。


 と呼びかけ、拍手の中、お礼の言葉で挨拶を終った。


シンポジウム「明日の政治を考える」
今こそ政治の変革を!

 11・28立候補宣言集会に先立ち、江田五月をはじめ、田英夫(社民連代表)楢崎弥之助(同書記長)山口敏夫(新自由ク幹事長)白鳥令(独協大教授)の五氏が明日の政治を考えるをテーマに、シンポジウムを開いた。会場からも熱っぽい意見が出されるなど、日本の政治と将来について大いに論議を深めた。

 まず、田氏が政治の主役は市民。民主主義社会で、政治はプロにお任せというのではいけない。市民の多数が願うこと、人類普遍の願望が、政治の方向づけをしなければならない。次いで山口氏が自民党は完全に行き詰まり、財政再建、行革、どれも解決できない状態。今こそ自民党の長期一党支配を突き崩さなければならない。新しい政治力を結集しようと意見を述べた。

 さらに楢崎氏が中曽根内閣が延生したが、それは、田中曽根内閣だ。“風見鶏”といわれるように、信念がなく無節操だ。今こそ政治倫理の確立が求められている。また、白鳥氏が自民党は多数に対するおごりの姿勢がある。我々に大切なのは、多数を考える政治でなく、少数を大事にする政治。権力を持つ人間はその危険性を認識しなければならないと強調した。

 四氏に続き江田五月が平和・軍縮の問題などで、世界が行き詰まっている。日本がその行き詰まりを打破すべく、新しい世界のあり方を提言しなければならない。ところが、日本の政治、財政、経済もだめになっている。それを乗り越えていくことが、今、求められていること。政界再編への大きな動きを作らねばならない。それは私たち社民連をはじめ、良識ある人たちの役目。私は、その中に立って進めていきたいと力強く訴えた。

 岡山でのシンポジウムでこれだけのメンバーが集まることはめったにない。会場は静まり返ってパネラーの意見に耳を傾けていたが、司会の大亀氏が何かご意見はとマイクを会場に向けると、待ちかねていたようにあちこちから意見、質問がとぴ出した。

 私は年金生活を送っているが、年金をはじめとする福祉の現実を各野党が積極的に結束して自民党を倒せなど、続々と熱の込もった意見が出、パネラーたちの答えも勢い長くなりがちで、司会の大亀氏も時計を気にするほど議論がわいた。

 最後に、田氏ら四氏が江田氏に熱い応援の言葉を贈り、シンポジウムの幕を閉じ、立候補宣言集合ヘバトンタッチした。


東京 江田五月を励ます パーティーとシンポにご参加を!

 江田五月は、参議院議員としての任期切れを半年後にひかえ、昨年十一月には、郷里岡山一区から次期衆議院選挙に出馬することを表明しました。

 これを機に、江田五月のこれまでの活躍をふり返るとともに、今後への期待を込めて、“江田五月を励ます集い”を東京で開くことになりました。秋山ちえ子、秋山長造、永野重雄、岡崎嘉平太、宇佐美忠信、堅山利文、富塚三夫の各氏らをはじめ、各界の名士九十名の呼びかけで行われるものです。

 当日はパーティーのほか、シンポジウムも企画いたしました。東京周辺にお住まいの方は、ぜひご参考下さるよう、左記の通りご案内いたします。

 なお、参加ご希望の方は、励ます集い実行委員会までご連絡下さい。

江田五月を励ます集い実行委員会

日時/二月十八日(金)
場所/東京プリンスホテル


五月の新春対談 英知で猪突猛進を

 新春を迎え編集部では、岡山県教育界の最長老で名誉県民でもあられる高畑浅次郎翁(九十五歳)=元岡山一中校長、県教育長=と江田五月の対談を企画しました。

江田 明けましておめでとうございます。
高畑 おめでとうございます。

 老いて盛ん

江田 本当にお元気そうで…。先生は今年でお幾つになられるんですか。

高畑 ちょうど満九十五歳になります。明治二十一年、一八八八年生まれだから。

江田 先生が滋賀県の方から岡山県へ来られたのは何年ですか。

高畑 昭和十七年の暮。満五十五歳で定年になり、それから勧められて岡山一中に校長として来たんですよ。だから岡山から言えば「彼は老後になって来たんだ」ということになりますね。

江田 老後というと、まあ後は余りの人生だからのんびりと、ということですが、先生の場合はそれから大活躍で、いまもなおかくしゃくと世の中のために尽くしていらっしやる。

 先日も、私の立候補宣言集会にお出かけ下さいましてありがとうございました。

 一中の後、関高の校長先生ですか。

高畑 二十四年に一中の校長をやめて教育長になった。二十九年に関高の校長になった。六十五歳じゃった。満八十歳まで関高にいた。

江田 振り返ってごらんになって、今の先生方に何かおっしゃりたいことは?

 教育と管理と

高畑 現在の校長の在り方は私はあまり感心せんな。

江田 それはどういう点?

高畑 校長は管理職ですね。しかし、同時に教育者なんだ。ところが、校長になるとどうも管理職のみに流れて教育をせんのですわ。

 私はね、まず生徒の写真を持った。それから、先生が欠けると教室へ行って生徒に教えたね。それからね。先生の授業を見に行くんです。あるいは、放課後のクラブ活動を全部回る。そういうことをしたから、生徒との接触は濃厚でした。お互いに知るんです。

江田 校長かくあるべしという校長学ですね。

高畑 そう。当時はうるさいと思われとったでしょう。先生が教えておる所を校長が見に行くというのは先生はいやがる。

江田 なるほど。

高畑 自信のない先生はね。けどそんなことは構やせんから、ずっと十四年間やったな。

江田 一般の先生方も仕確の管理者になっているところがある。

 歴史の進歩とは

 ところで、一世紀にわたって生きてこられて、世の中は一体よくなっているのか悪くなっているのか。大きな目で見てどのようにお感じですか。

高畑 私の感じでは実際、文明というか文化というか、そういう物質的な進歩は著しいな。その方はいくらでも発展する。ところが、それに伴う人の触れ合いとか、あるいは心だとかはどうかな。言葉は氾濫していますが、実際には心の進歩や心の豊かさは足らんですわな。技術の進歩に心の問題が追いついていない。そんなふうに感じますな。

江田 なるほど。それともう一つは、大変科学技術が発達して人間の可能性が広がったが、その一方で、危険性もとてつもなく大きくなった。たとえば以前ならば満州で戦争の火花が吹いても日本の国内ではカフェでダンスを踊ってりやよかった。いまは、イラン、イラク、中近東で戦争が起こったら日本の生活にまで影響が出てくる。下手したら人類全滅の戦争になる可能性がある…。

高畑 そういう状態じゃな。大体、核戦争というのは起こるかな。

 日本こそ平和を

江田 これは起こしちゃいかんということ。起こったらもうおしまいですからね。

高畑 核兵器を日本は持たない、作らないと。いわゆる平和的な外交をせにゃならん。

 最近はどうもこの点が心配ですなあ。

江田 若い、後に続く者のために大いに心配をしていただきたいと思いますね。

高畑 アメリカは日本の防衛力をどんどんやれやれというておる。ソ連との関係と日米共同の関係から、日本も大統領の強要について何ぼかそれに応じにゃならんというんだな。そうすると、防衛費が国民総生産の一パーセント以内じゃ済まんというときが来るわな。そうなったら一体、日本はどうしたもんか私は心配しますな。

江田 そうなんです。軍事力の競争をどんどんやっていったらきりがない。むしろ日本はアメリカにもソ連にももうちょっと頭を冷やして話し合いをしようじやないかと、仲介の役を引き受けないといかんと思うんですね。

高畑 そうそう。日本の力でソ連とアメリカが衝突しないようにしなきゃあ。武力を使わずに。

江田 そうそう。

 ところで、どうも今年は選挙になりそうです。何か苦言をいただきたいんですが。

 猪突猛進を

高畑 総選挙が行われても、いまの自民党と各野党の勢力分野が変わらないといけないな。いままでと違って、野党が連合すればかなりの力になるというぐらいになれば、非常にいい。何度やっても自民党が絶対多数で、横暴を続けさせたんじゃだめなんだ。

江田 はい、そうですね。

高畑 あなたはお父さんの遺志も継いでるし、いままでの在り方から考えても国政に有力な存在者になると思うし、そうならなきゃだめだ。しかし、新人だから、いままでよその党を支持しておった選挙民から新たに支持を受けにゃならん。

江田 無からの挑戦です。しかし、いまは時代の転換期ですから、歴史が挑戦者を必要としていると思っているんです。

高畑 その意気その意気…。

 今年はイノシシの年や。緒突猛進の年や。ただし、英知が要る。英知による猪突猛進が必要な年なんだ。君の英知によって猪突猛進ですわ。

江田 先生も健康に注意し、大いに僕ら若手にはっぱをかけてください。

 新年早々ありがとうございました。


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