1982/11 五月会だより No.14 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


江田五月さん 衆院岡山一区出馬へ
「選挙を考えるつどい」開く  大勢の人が熱い支援

 去る九月十九日、岡山市津島の労金会館大会議室で、「江田五月の次期選挙を考える集い」が催された。

 江田五月さんは、かねてより、会う人ごとに、「次期衆議院議員選挙にはうって出る」と公言していたわけだから、「考える会」」というよりも衆議院議員選挙出馬を前提とした言わば市民による公認の集会という性格のものだった。当然のことだが、出席者も、岡山一区全域から、江田五月さんの支持者の代表的な人々が集った。

 二百席の定員を超える参加者は、立席や、廊下のソファまであふれ、熱気ムンムンの中で、江田五月さんへのラブコールの集会となった。

 自民党独裁の汚れきった現在の政治に対する不満が、国民の中にうっ積している昨今の世情を反映し、十余名の発言者の言葉の中に、厳しい政治批判と、清潔、公正、知性、若さをイメージさせる江田五月さんへの大きな期待が語られていた。

 江田五月さんを支持する税理士のグループの北山さんは「私は元来自民党支持者だ。しかし、現在の自民党政治は汚れきっている。清潔で、自分の息子の様に若い五月君に思い切った世直しをしてもらいたい。その為には、自分としても、どんな協力もおしまない」とはりのある声で声援を送っていた。

 朝日高校時代の恩師で書道の師でもある河田さんは、古希を迎えたとは思えない程の情熱をこめて、現在の政界には革命が必要、これを江田君にやってもらいたい。自分も、書道界の革命をめざしている現役だ。援後射撃はまだまだできる。大いに頑張って欲しいと檄をとばしていた。

 江田さんは女性に人気があるというのが巷間の評価であるが、それにたがわず、「江田五月を支える女性の会」という、ユニークな後援グループを持っている。本誌前号で伝えた秋山ちえ子さんの講演会でも六百人の動員力を示した会であるが、この「支える会」を代表して紅一点のあいさつに立った小嶋さんは、「自分たちも非力ではあるが、力一ぱい江田五月さんの為に頑張っている。皆さんのお知恵を借りて一層努力したい。今から皆さんと共に仲間として働かせて欲しい」と訴えて出席者を奮いたたせた。

 母校朝日高の一年後輩の尾崎さんは、「朝日高から是非代議士を!」と訴えた。

 最後に地元山崎の黒田さんが立ち、「地元に江田五月をかかえる責任の重さを痛感すると同時に、このやりがいある仕事を、必らず成功させてみせるというたかぶりで、緊張している。いつ解散があってもあわてない準備をしておこう。兎に角頑張る」と若さいっぱいの発言であった。

 二時間半の集会が、十余名の発言一色であったにも拘らず、全域の雰囲気は少しのダレもなく、この集団が、県下各地でフル回転しだしたら… と、岡山県下ではかつてなかった市民運動型の衆議院議員誕生が現実のものとなる胎動を感じた。


11・28西大寺市民会館で立候補宣言集会

 江田五月さんがいよいよ、衆院岡山一区で立候補する決意を明らかにすることになりました。立候補宣言は十一月二十八日(日)午後二時から西大寺市民会館で行います。また「明日の政治を考える」をテーマにシンポジウムをあわせて開きます。お誘い合わせのうえ、多数ご参加下さい。

 父江田三郎の急逝で、裁判官をやめて政治家の道を選んで五年半。江田五月さんは今、政治の表舞台である衆院選に、岡山一区から出場する決意を固めました。立候補宣言集会では、新しい政治をめざす江田五月さんの決意と、情勢報告、支援の方々による激励など行います。

 また、シンポジウムでは、田英夫(社民連代表)、楢崎弥之助(同書記長)、山口敏夫(新自由ク幹事長)、白鳥令(独協大教授)の四氏と江田五月さんが、明日の政治と日本の将来について語り合います。

 なお、この集会につきましては、お人一千円の会費をお願い致します。みなさまご存知のように、清潔な政党である社民連は活動費をみなさまのカンパに頼っております。この日の会費は、江田五月さんがみなさまと一緒に新しい政治をめざすための政治活動資金として、活用させて頂きます。ご理解のうえ、ご協力をよろしくお願い致します。

 西大寺市民会館への交通の便は、バスなら岡山駅(午後零時二十五分、同五十分発)天満屋(十分毎)で西大寺行きに乗り、終点下車、徒歩十分又汽車なら赤穂線で岡山駅発午後零時十四分発、西大寺駅下車、徒歩十分−が便利です。



 自民党の総裁盤レースがいよいよ大詰めを迎えている。善幸さんの突然の退陣の後、風見鶏・中曽根、プリンス安倍、笑わん河本、ヒグマ中川の四人が総裁のイスを目指し、熾烈な(醜い)争いを展開している。この五月会だよりが出て間もなく決まるだろう。

 だが、だれが後継者になったところで、今の自民党政治で日本が良くなるとは思えない。当面する問題として、公務員ベアの凍結、裁入欠陥の処理、予算編成、国鉄など三公社改革をはじめとする行政改革…など、自民党が政権を担当してきたことで生じた難問題が山積している。さらに来年は、元首相田中角栄に対するロッキード判決、統一地方選、参院選…と続く。

 こうした政治的状況の中で、真に清潔な政党に対する期待は大きい。今は“小政党”ではあっても、腐敗した自民党に飽きた人たちが結集すれば、やがては政治を変えていく力になるからだ。もちろん、そうした状況を作り出していくことが大切で、その推進力となるべき社民連の占める役割は大きい。

 その社民連の副代表、江田五月さんが衆院岡山一区で立候補することを決意した。正式には十一月二十八日に西大寺市民会館で開かれる立候補宣言集会で発表される。現在、五月会などを中心に、その集会へ向けて“全力投球”で準備を進めているところだ。

 「出たい人より出したい人」とは、よく言ったもの。今の政治に必要なのは、江田さんのようなニューパワーだ。支援の輪を、みなさんの手で広げてもらいたい。


江田議員 東奔西走 
県総評、同盟大会などで熱い連帯のあいさつ

 最近の江田議員の行動は、東奔西走、日ましに活発になっている。日本全国を飛び回るほか、岡山県下でも、労働団体なとの大会で挨拶する機会も増えている。最近のいくつかの例を、次に紹介しよう。

 わが国の労働運動の全国的な連合組織としては、総評と同盟が著名だが、その県内の 組織である岡山県総評は十月十四日、岡山県同盟は九月二十五日、それぞれ大会(同盟は評議会)を開いた。いずれも、来春の岡山市長選挙への態度などで注目を集めたが、江田議員は、鈴木内閣が、通常国会で、全国区廃止などやってはならないことをやり、ロッキード事件の解明や不況対策などやらなければならないことをせず、国会が機能麻痺していると指摘し、刑事被告人に牛耳られている自民党政治の不当性を糾弾して、一日も早く政権交替を実現するために、健全野党を総結集する必要を説いた。

 八月二十五日には総評系の全電通岡山県支部の大会が湯郷で、十月三日には同盟系のゼンセン同盟岡山県支部の総会が労金ビルで、それぞれ開かれた。八月二十七日には、もう一つの全国連合組織である中立労連に属する中立労連に属する松下電器産業労組ビデオ岡山支部の大会。いずれも、時代認識の点でも政治運動、労働運動の考え方でも江田議員と相互理解が期待され、それだけ江田議員の挨拶にも熱がこもる。若さを爆発させる演説に、代議員からも力のこもった柏手が寄せられた。

 八月二十九日には、部落解放同盟岡山県連の大会。差別からの解放は、差別に目をつぶりこれを忘れ去ることでは達成できない。実態を直視し解放の闘いを進めなければならない。水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光あれ」との言葉をを引いた江田議員の挨拶は、大きな拍手を受けた。そのほか、九月七日には中国交通労組の、十月二日には正織労組岡山支部の各研修会で、講師として講演した。


労組全国大会でも  函館・大阪・大津

電機労連大会

 毎年、七月から十月頃にかけて、労働組合の大会シーズンと言われますが、七月七日には、電機労連の第30回定期大会が函館市で開かれ、社民連を代表して江田五月議員が出席。連帯の挨拶を行いました。ちょうど、大会の行われた会場が、ロッキード事件・佐藤孝行のアリバイ工作に登場した森進一ショーと同一の場所とあって、江田議員は、「汚職追放、政治の大改革を」と、もともと大きい声をさらに張りあげて訴え、共感を呼びました。

松下電器労組大会

 松下電器産業労働組合の定期大会が、七月二十五日、大阪で開かれ、江田五月議員は社民連を代表して挨拶を行いました。松下労組は、江田議員の亡き父・江田三郎さん以来、とくに親しくお付き合いしている労組とあって、五月氏の挨拶はいつになく熱が入っているようでした。彼は、松下労組の、時代の先を見越した運動に賛辞を述べるとともに、民間主導の労線統一へのイニシアティブなどに激励の言葉を贈りました。

交通労連大会

 九月二十九日、全国交通運輸労働組合の全国大会が滋賀県大津市で開かれ、江田五月議員は社民連を代表して出席しました。
 民社党の吉田元久教宣局長につづいて立った社民連副代表の江田五月氏は、鈴木政権の国民を無視した政治姿勢を追及する挨拶を行いました。江田議員の他にも、公明党など、来賓多数の挨拶がありましたが、いずれも、表現の違いはあっても中味は共通しており、野党が小異を捨てて、腕を組むときが来ていることを感じさせられました。


自民党時代に終止符を打ち、 政界再編成をめざそう

 鈴木首相が退陣した。

 余力を残しての引退で、あざやかとの声もあるが、とんでもない。後継選びの大騒ぎを見ると、無責任さがよくわかる。それより何より、総理大臣は、桜の花ではないのだから、散りざまで評価されるとはなさけないことだ。

 鈴木首相は、在任二年二か月の間、一体何をしたのか。

 政治が金に汚れている。ロッキード事件の判決で、裁判所は、起訴されていない灰色高官もわいろを受取っていることを明らかにした。

 次は国会の番だ。真実を究明し、けじめをつけ、再びこうしたことが起きないように対策を立てなければならない。しかし、田中角栄にあやつられた鈴木総理は何もせず。

 不況対策、行政改革、財政再建……課題山積なのに、無策のままで終った。鈴木内閣の支持率は、日に日に下降線をたどり、ついに上昇することはなかった。

 後継選びのドタバタ喜劇が一か月以上続いた。カザミドリだプリンスメロンだとからかわれながらの政治空白。その一方で、国民は不況にあえいでいる。これほど無責任な話が、ほかにあるだろうか。

 鈴木総理の退陣は、善幸さん個人の不手際によるものではない。自民党政治の破綻によるものだ。現在わが国がかかえるさまざまの課題は、自民党では解決できなかった。

 自民党政治は、ついに行きづまった。だから、後継選びは難行し、一段落ついても翌日から新総裁おろしが始まるのだ。

 自民党という枠の中で、派閥の間で政権をキャッチボールしている間に、腐敗と不信のうみがたまり にっちもさっちもいかなくなった。だがら、次期総裁に誰がなっても自民党政治の枠のままでいる限り、政治の腐敗は続くし、国民生活も安定しない。

 河本、阿部、中川の三氏は自民党が刑事被告人田中角栄によって牛耳られていることを批判した。当然の批判だ。しかし、宴のあとはくさいものにふた、というのでは、国民の政治家不信はつのるだけだ。筋を通して欲しい。

 野党も、力は金なりという角栄型政治を終りにし、長く続いた自民党時代に終止符を打つために、従来の殻を破った行動をとるべきだ。自民党の殻に入ったヒビを広げるために、あえて介入することを躊躇してはならない。自民党政的の枠が崩れ去ると、戦後の政治史に一つの区切りをつけることができる。そのあとどのような政治の形を作るかは、その後の離合集参、合従連衡により、政界再編成をして決めていけばよい。

 自民党が行きづまった。野党は星のつぶし合い。相変らずの政争で、ネズミ一匹も出ず、腐敗と増税と軍拡の継続……これでは、日本の政治は良くならない。

 自民党政治の時代に終止符を打とう。そして、政界再編成による新しい時代をスタートさせよう。政権を担当しうる健全野党の総結集のため、全力をつくす覚悟だ。


講演でも好評博す 各地青年会議所で

黒部青年会議所で講演
 江田五月議員は、黒部ダムで有名な富山県黒部市の青年会議所に招かれて、八月十四日、「政治と青年」について講演してきました。

 江田議員は、約六十名の会員を前に、とくに、ヨーロッパの反核運動、米ソの核バランスなどの状況に触れながら、平和な未来への運動の重要性と青年の役割りなどを中心に、約一時間半の話をしました。活発な質疑・応答のなかでは、国会の裏話などもまじえて、予定時間を大きく越える集いでした。

むさし府中青年会議所でも
 十月五日には、東京・武蔵府中の青年会議所で、行政改革についての話を一時間半。

 江田五月議員は、この講演のなかで、行政改革を「どうしてもやり遂げなければならない課題」と強調しました。一方、思い切った行政改革がなぜすすまないのかという点について、「自民党にも社会党にも、そして官僚にも労組にも、従来の行政システムに利害関係で組み込まれている者が多いため、抵抗が大きい」と説明し、世論の盛り上がりを期待するとともに、自らの決意を述べました。このあとの懇談会では、ポルノ談義も飛び出すなど親交を深めました。

福井市で講演
 江田五月議員は、七月二十七日、福井通信社主催の政経懇話会に招かれ、福井市で「日本政治の新しい芽」について講演を行いました。ここで江田議員は、社民連の誕生と役割りについて話し、イギリス社民党の出現と現状など、外国の状況にも触れるなど、聴衆に強い感銘を与えました。


「人勧凍結」で首相に申し入れ 社民連

 政府は、九月二十日、人事院勧告の凍結を決めましたが、社、公、民、新自ク、社民連の全野党と労働四団体はこれに反対し、九月二十二日、鈴木首相に申し入れ書を提出しました。江田五月議員は、社民連を代表してこれに加わり、「政府は、国民および第二幅調の厳しい要求に応え、公務員並びに公企体職員の職務効率の向上に努力すること」との文面を含めた「人勧凍結反対」の文書を首相に手渡しました。

 江田議員は、「人勧凍結」に反対する理由として、(1)長い間定着している制度への信頼を政府自ら壊してしうことが良いのかどうか、(2)政府は、財政破綻の責任を回避し、国民へのしわ寄せばかり。恩給、年金、地方公務員、春の賃上げなどへのハネ返りは必至である、(3)消費需要の拡大が必要な時に、これを押え、不況からの脱出をさらに困難にさせる−などをあげています。


江田五月杯争奪野球リーグ戦  ― 函館

 北海道・函館市の江田五月会は、今年も七月から八月にかけて、恒例の『江田五月杯争奪野球リーグ戦』を行い、九月三日、函館市で表彰式を開催しました。
 今年は悪天候にわざわいされて、事務局は苦労しましたが、写真屋さんの“道写連”チーム、洋服屋さんの“背広センター”チーム、社民連・黒島市議後援会の“黒潮会”チームなど、参加七チームが無事三十六試合を終了。優勝は、喫茶店の“アブアブ”チームでした。
 表彰式にかけつけた江田五月代表は、盛大な懇親会で、『昴(すばる)』を歌うなどご気嫌でした。


大いに語る

 この対談は、秋山ちえ子さんが岡山に来られた際、江田五月氏と対談したもので、前号の続きです。

「六・三・三」制では 真ん中の三がみじめ 秋山ちえ子
公的立場が 教育問題解決の足かせ    江田五月

江田 前号にひきつづき、今日は、秋山さんの前東京都教育委員としてのご経験の中から一つ。

秋山 私はね、東京都の教育委員になったとき、初めに申しましたのが、障害児の教育と、それからもう一つは、学齢前の子供の教育をどうするか、つまり、家庭教育の分野ですけどね。この二つに集中して意見をいいますっていったんだけどなかなか思うようにいきませんでした。やっばり教育委員会なんていうのは一つの、ある意味では、形式的な飾りものじゃないかな。大筋はやっぱり文部省とか、その他の地方自治体も文部省が、かなり牛耳ってるという感じね。だからどの位教育委員会に力があるのか。

江田 ぼくは家裁の裁判官をやっている当時、非行少年を扱ったこともあるんですげどね、どうも非常にむつかしいのは、少年院だと本当にやらなきゃならないことが、やれない限界がある。少年院のフォーマリズムといいますかね。どうも公的な立場といいますか、これが、いまの日本の教育制度全体の中で、一つの足かせになってきてるんじゃないかという気がしましてね。

秋山 さっきのね、障害児の問題、これはすべて普通の学校へ入れろっていうんじゃなくて、やっぱり、障害をよくみて、普通学級へ入れた方がいい、特別学級へ入れた方が妥当だ、養護学校じゃなければ無理だ、その場合でも、横の交流も保つ、というようにきめ細かく相談をして決めなさいってね、そういったの。

江田 その通りですね。

秋山 それともう一つ、学制をね、今の「六・三・三」ていう、中学の「三」がね、心身共に変り目の時に受験一本に打ち込まなくちゃならなくって、人間の評価がいつも点数で決められるようなことでは子供は悪くなりますよ。私のことを考えても五年制度の女学校だったわけですが、一〜三年までは、夢中になって小説読んで、親に隠れて、さも恋愛小説なんか読まないような顔をして(笑)もう夢中になって…、文学全集なんてのはちょうど円本(一円の文学全集)が出揃ってそれを読みあさって、その時の知識が、今ものすごく役に立っている。それで四年の終りごろからすごい勉強。だからいまの六・三・三を先導試行的に東京が変えてみたらどうだって言って、たとえば、四・四・四とか組み変えてみたいって。それで高校の多様化、たとえば芸術高校だとか体育高校だとか好きな者はそちらに進むと。これはできたんだけど、制度を変えるにはやっぱり文部省がかんでくる。お役所は、一度決めたら変るのは大変なのね。でもやっぱり六・三・三の真中はみじめですよ。

江田 そうですね。

秋山 これを変えなきゃ。

江田 灘とか開成とか三・三のところを一緒にして六にしてやっていますが、あれは受験ですからね。数字を変えるだけではやはり済まない。

秋山 そう、でも変えないより数字も変えたいのね。その中で教師も変えるという様に何かを変える気運をつくつていかないと、このままでは増々悪くなって行く。

江田 どこからやればいいのか、ぼくもどうも今の教育の問題は教育だけで解決つかない問題ばかりになってて、いまの受験体制が悪いという、しかし、これは教育の内側からでは変らない。もっと教育の外から。

秋山 たとえば、就職とか社会の機構の問題もあるだろうし。

江田 で、現実には親が思っている程、学歴社会になっていないんですが、みんな学歴社会と思っているという事実、これは厳然たる事実でそういうものが一体、どう変っていくのか、学歴があることによって得られる社会の地位だけが人間の目的じゃないんだという気持ちにみんながならなきゃいけないし…。

秋山 そうなのね、その為には基本的な生活の条件が整ってなきゃならない。住宅は、そんなに高くなく住まえる家が借りられる、安心してかかれる医僚のシステム、年とった時に、どんな職場で働いてたって、ちゃんと三分の二位は年金でまかなえて、あとは子供が「ありがとう」といいながら持ってくる小遣いと貯金でやっていけるなど、基本的な生活の目途みたいなものが立つことが必要よね。

江田 能力に応じて真面目にやっていれば、少々運が悪くっても、少々不幸が巡ってきても、そんなに食うに困ることはないという状態があれば、皆んなそんなに上へ上へと這い上るような、しかも無意味な競争はしないで済む…。

秋山 勉強するとか競争も必要なんだけれども、人間の向上とかそういうものにちっとも使われない、エネルギーのロスになる競争が多すぎますね。教育っていうのは、人造りなんだから、もっと人間らしさを大切に考える教育でなくちゃならないわけね。

江田 その通りなんです。今日はどうもありがとうございました。又よろしくおねがいします。


税理士達も江田五月を大いに激励

 江田五月を励ます弁護士のつどいにつづきまきび会館の一室に五十名の税理士が集まりました。八月九日のことです。

 「江田五月君を励ます税理士の集い」のタイトルをバックに会場は熱気と興奮。

 発起人を代表して江田・高原法律事務所の大家さんでもある吉沢税理士が挨拶し、続いて土屋税理士、若手からは田尾税理士も力いっばいの激励をしました。また北山税理士は故江田三郎さんの古くからの友人でもあり、当時の思い出もまじえた話しは、会場の各氏によって感慨深いものであったようです。

 「新しい政治をめざして誰かが第一歩を踏み出さなければいけません。新しい考えを持つ皆様といっしょに、その出発を私の生まれ育った岡山で始めようと決心しました。」と江田五月議員も各氏の温かい言葉に答えて、力強い決意を示しました。

 平井税理士の音頭で乾杯。各氏を歩いては接触を深める江田五月議員と京子夫人。それは、一ときの会話、一杯の酒から肌と肌のふれあいとなり、そして親しみ、力となります。

 日ごろは難かしい帳簿や数字に囲まれた税理士各氏、さまざまな人間関係を持つ各氏も、郷土の政治家江田五月議員をなんとかして応援したいと考えていることがはっきり感られる一夜でありました。


紅葉と温泉の旅楽しむ 「女性の会」山形へ

 この度、江田五月を支える女性の会有志で、社民連国対委員長阿部昭吾代議士のお招きにより十月十四日より十六日迄、山形県に行って参りました。山形はどこへ行っても社民連の組織が網の目のように張り巡らされ各地で秘書・後援会の方々に大変お世話になりました。
 コースは、一日目は蔵王→斎藤茂吉記念館、二日目、立石寺→注連寺→致道博物館→羽黒山、三日目、最上川舟下り→山居倉庫→本間郎→酒田復興街と盛り沢山の観光でした。旅行中は、子供の事も家事の事も、勿論主人の事も忘れて、道中ずっと笑いの絶えない楽しい旅となりました。
 蔵王の山ののえも言われぬ美しい紅葉に感嘆の声を上げ、日頃はガスがかかってなかなか見えないというお釜もくっきりと見えて幸せでした。立石寺の一〇五〇段の石段も若さで登りきり、「静けさや岩にしみ入る蝉の声」と芭蕉が詠んだ森閑とした山を一時賑わせました。
 それにしても庄内平野は広々としていて、行けども行けども田園が広がり、刈り取られた稲穂が、まるで天童のこけしの様に行儀よく並んでいました。
 そして葉山温泉では、若返りのお湯に浸って、全員美しくなって帰って参りました。(M)


街から

私たちの手でニューリーダーを   西崎 武芳

 例年ならプロ野球のナイター中継が終わると少しばかり寂しい思いをするが、この秋は違う。自民党の総裁選を間近かに控えての茶番劇が見られるからだ。
 九月未の尾張決戦、巨人・中日戦みたいに自然に画面に引きこまれていくような真剣さはない。むしろ距離をおいてクールに見た方が腹がたたない。全く劇画だ。
 鈴木総理の人気は、先日の朝日新聞の調査では二六%台まで下がった。それでも鈴木さんが画面の上ではスターだった。
 だが、突然の引退表明で鈴木さんは主役の座を去った。その主役の座を争って、中曽根、河本、安倍、中川の四人のレースが始まった。それらの人々を裏で操る監督、そしてスポンサー。タイトルは“政局秋の陣”という。観衆がどう考え、どう思おうともそれには一切関係なしにストーリーはどんどん前へ進められていく。そして語りの中では、“腹をくくって…”。“重大な決意をして”とか“命をかけても…”と云う言葉がやけに耳につく。
 今度、後輩、江田五月、さっちゃんが岡山一区より衆議院選に出馬することを決意した。
 学生当時から人間江田を知る私は心情的には彼の汚れない人間性を毒するような今の政界へますます入りこんで行くことは……。本当は気がすすまない。
 でも彼は敢えて火中の栗を拾おうと立ち上がった。本当の自由と民主主義を守る為にも…。今の参議院ではどうしようにもならない無念さが素直に彼を決意させたのだと思う。
 良識が通用しない今の政界、自民党内部ですら間違った方向を軌道修正しなくてはという声が若手中心に出はじめた“おごるもの久しからず”その兆候が見えかけていることも事実だ。
 時代の交代、ニューリーダーの誕生が今ほど待たれている時はない。いや我々が我々の為に我々の責任で誕生させなくてはならない。
 時代は変りつゝある。歴史の流れの中での大きな礎となって欲しい。
 最近彼に会う度に、声に力とハリが出てきた、目の輝きが一段と増してきた…たのもしく思う。
 先日の週刊現代のコラム欄に江田は恵まれている。衆議院選へくらがえできる“ふるさと”を持っているからと書いてあったが…。
 確かにそうかもしれない、しかしその戦いは以前の選挙みたいなあまいものではない。
 少くとも二番煎じだ、厳しいものになることは間違いあるまい。
 江田五月に何を期待するか! それ以前に江田五月をどう育てるか! が今我々に果せられた一番大きな使命である。
 そのとき始めて江田はいい“ふるさと”を持って本当に幸せだと云われるのではなかろうか。


フレッシュ江田さん 岡山市 T生

 夏休みも終りに近づいた八月下旬。プールサイドで15人位の子供達を相手に一生懸命水泳指導をしている江田五月さんを見かけた。聞いて見ると子供の水泳教室だそうで江田さんは神伝流七段の腕前だそうだ。子供達の中には、まだ水を恐がる子もいるし、数メートルしか泳げない子もいる。バチャバチャと元気な子供の声が夏休み中の静かな校内に響きわたる。柔軟体操の後、江田さんの号令と共に最初は水の中に顔をつけさせる練習。そしてバタ足、水かき訓練ととてもスムーズな指導だ。最初は水を恐がった女の子も江田さんのうまい指導でだいぶ馴れて来たようだ。さすがだ。子供達と一緒になって水の中を泳ぐ裸の、やや骨っぼい筋肉質のお兄さんが国会議員とはとても思えない。体操の先生という感じだ。プールサイドのお母さん方の「頑張って」の黄色い声援とは対象的に一、二、三、四、とリズミカルな江田さんのダミ声がとてもフレッシュに聞こえた。


江田五月の生いたち  (3) − 青年前期 − 中学時代

中学校1年の時、先生・級友と(左から4人目)

 人はみな成人に達したのちも少年、少女の頃のあのあどけない幼な顔というか汚がれを知らない面影をどこかに宿しているものである。五月君があの人なつこい笑顔で話しかけてくると、もともと保守系の青年政治家好みの私も弱いんだなあー。どちらかといえばお父さんの江田三郎氏の風貌よりも、お母さんの光子未亡人の血を多く引き継だかのような容貌の彼が中学時代の恩師や級友とキャメラに収っている。この写真の笑顔がこれまたキカン坊の中学年らしくてよろしい。あれでかなり鼻柱も強く東大で学生運動の委員長をしていた頃、頭にキタ彼が自民党総裁室に押しかけドアを靴でケリあげたというから相当な者で、どの道へ進んでも大物になる素質の片隣をうかがわせている。

 五月君は岡山市立旭中学校には昭和29午4月に入学している、弘西小学校、5・6年の頃から中学、高校を通じて、自分で教科書中心の学習を重んじ、ガリ勉タイプの生徒ではなく、クラブ活動、写真、書道、水泳などにものめり込んでゆき、毎年夏市内を流れる旭川で神伝流同志会という水泳教室を開いて河童の申し子よろしく黒ん坊大会に出しても結構いけるぐらいひと夏を裸で過ごし、日本伝来の古式泳法神伝流に熱中して中3で初段、高1で2段、高3で3段とトントン拍子に昇段してゆき、彼はいまたしか7段の腕前だと記憶している。同じ流派の泳法で青春時代を過した私も彼の実力を高く評価している。

 几談が好きな彼のことだから旭川の河原で素うどんを昼食時に作り「今日のダシはカエルだぞ」仲間を驚かしていたのであろう。五月君が中学高校で水泳に熱をあげていた当時といえばシンクロナイズド・スウィミングといって水中でのお色気たっぷりなショー的な泳ぎが登場してきた時で、あでやかな水着姿の美女と日焼した若者との組合せがよくプールサイドでみられたことが懐しくよみがえってくる。その彼の中学時代で最も印象に残っておる思い出で、今でも私が好感を寄せてるのは、五月君はいつもトップで表彰を受ける生徒でなく、むしろ、満を持して常に2番手で晴れの卒業式で総代として賞状をもらう級友に柏手を送る側に立っていたということ、つまり小・中学校を通じて優等性に選ばれなかった彼が朝日高校・東大へとそう苦もなく進学してゆけたいきさつ、進学に血道をあげているナントカママに教えてあげたいような話を彼の書いてる出発のためのメモランダムで私も読んだことがある。そこらから五月くんの大衆性、教養性、タレント性、三つの条件を揃えている人間的魅力の、一端がうかがえるのかも知れない。
     (湯浅文伍郎)     次号は高校時代


編集後記
 発行が当初の予定よりかなり遅れ、会員のみなさんに大変ご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。年末が近づくにつれ、最近、選挙ムードがかなり高まってきました。
 岡山県議選に始まり、岡山市長・市議選をはじめとする統一地方選、そして参院選…と続きます。もちろん、私たちの最大の関心事は衆議選。本号はご覧のように、江田五月氏の「選挙を考える会」を中心に編集しました。みなさんも知り合いの方に、読まれることをお勧め下さい。


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