1981/12 五月会だより No.10 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

江田五月会だより 江田五月の主張
シンポジウム&パーティー
英国社民党大会に出席して
活動報告(岡山)

江田議員に広がる人の輪  各地でホームミーティング

 目下江田五月氏は、岡山一区県下各地で街頭演説に力を入れているところですが、これと合わせて、必ず一、二ヵ所でホームミーティングを重ねています。

 街頭演説地の知人をたより、その方のお宅を借りて、ご近所の方々を集めていただいて、親しくひざを交えての懇談会です。

 番茶と駄菓子でぐっと雰囲気を和らげながら、皆さんが日ごろ抱いている政治に対する不満・注文に耳を傾け、また江田氏の考え方、政治の理想を聞いてもらいます。

 小さな表情・感情までが伝わる会場であるため、江田氏の人柄もわかり、これまでマスコミ等で作られたエリートくささや、冷たい、固いというイメージが実は虚像であって、本人は驚くほど庶民的で、きさくな温かみのある、しかも噂どおりの切れ者だ、会えてよかったという反響がほとんどで、当人も至極気をよくしてます。

 今、江田氏は、招いて下さるご家庭を訪ねて、西へ東へと忙しい毎日を送ってます。江田五月氏は「あなたのお宅でもホームミーティングを開いてくださいませんか?」――と、みなさまからのお声がかりをお待ちしています。


「おはよう7・30江田五月です」 休みなく年越しへ

 「おはようございます。参議院議員をさせていただいております江田五月でございます。先週一週間の政治的話題から……」ではじまる「おはよう730江田五月です」をはじめてすでに八ヶ月になります。毎週月曜日の朝七時三十分から八時四十分までの一時間十分の駅頭演説も定着し、巷の話題にものぼりつつあります。

 一口に八ヶ月といいますが、雨の日も風の日も、また前日夜半まで酒をすごした日も、変わりなく朝七時半に駅頭に立つことは、なかなか大へんなことです。しかし、江田五月氏はすすんでマイクを握り岡山市民の皆さんへ熱っぼく呼びかけます。

 「岡山生まれの岡山育ち、岡山の皆さんの手で育ててもらい、二十一位紀の政治を担いうる政治家に成長したい。お力をお貸し下さい」と。

 最近は一方的な呼びかけに加え、車上で大亀書記長との、“Q&A”方式も採り入れました。二人の声が交互にスピーカーから流れると、おやっ?と足を止めて振りむく人の数も増えてきました。大亀氏の質問が、自分の関心と一致した人でしょうか。

 朝の忙しい足を止めて聞き耳を立てる人の数も増えだしました。

 今、江田五月氏はふる里岡山から自前の政治家としてはばたこうとしています。「おはよう7・30江田五月です」はそのことの象徴なのです。


江田五月さんの似顔絵

 「五月さんの感じを似顔絵で表現しよう」と決まってから約三ヵ月がたちました。やっと出来あがったのがこれです。いかがてしょうか。それにしても五月さんは真面目すぎるようです? 筆者は朝日高時代の恩師・坂手得二先生です。


私の主張 “連帯”の政治を   江田五月

 郷里岡山に家族そろって居を構えて、初めての冬を迎えました。

 東京の冬は、ビルの暖房や自動車の排気ガスで、かなり暖かいのですが、岡山の冬は結構厳しいので、子供たちはビックリするかもしれません。

 しかし、夏は冷房で夏風邪がなおらないと鼻水をすすり、冬は暖房で汗をかいてまた風邪をひき、エネルギーも無駄使い、自然もよごし、というのと、夏は照りつける太陽のもとでまっ黒にやけ、冬は水たまりの氷をパリパリ踏みしめ、自然の厳しささの中でこれを楽しむゆとりを持って生さるのと、どちらがよいでしょうか。

 これから私たちはどういう生き方を選択すべきなのか、よく考えなければなりません。


 もちろん、一部の変わり者を除けば、「自然に返れ!」をそのまま実行することはできません。私たちは、今の物質文明の水準に慣れきっており、この水準を下げることはできません。しかし、低成長時代に入り、物と金ばかり追い求めることは、現実にも合わないし、賢いやり方でもなくなったと思います。

 新エネルギーエレクトロニクス、遺伝子工学など、新しい技術が次々と開発されつつあります。それぞれ問題もありますが、それでも、これらが新しい時代を開く可能性もあります。例えば、食糧問題の解決もガンの克服も、夢ではなくなるかもしれません。

 だからといって、人間が物質的豊かさばかり追い求めていては、駄目になってしまうと思います。限りない欲望に追いたてられる人生でなく、「必要」と「欲望」をきちんと区分けし、意味ある人生を送れるようにしたいものです。


 努力したら報われるのでないと、誰も努力しなくなります。その意味では、競争は大切です。

 しかし、努力の「報い」とは一体何でしょうか。物資的な報いも大切ですが、物の豊かさを追い求めるあまり、例えば環境破壊とか人の心の荒廃とか、とんでもない報いが来るのも困ります。ゆとりややすらぎも、人間にとって非常に大切なことです。


 社会は、人々の連帯がなければ崩れてしまいます。競争ばかりで、子供まで、友だちが病気で休むと点取り競争の相手が減ったと喜ぶようでは、社会の質は低いといわざるをえません。

 人間が生きていく「容れ物」としての「文明」は完成まであと少しのところまで来たと考えるべきてす。今度は、その物質文明を基礎にして、そこにどのような「文化」を築くのかを考えなければなりません。

 文化とは、人々がどのような質の生活をしているかということです。その意味では、現代は、生活の「量」から、その「質」へ重点を移す時代、新しい時代です。

 「量から質へ」は、放っておいてできることではありません。意欲して歴史を転換させなければなりません。これが、これからの「政治」の大仕事です。新しい政治です。


 みんなが連帯し、助けあってお互いの社会を作っていくためには、それにふさわしい社会制度が必要です。どのような制度がふさわしいのでしょうか。

 ある市で、老人福祉センター、身体障害者福祉センター、児童センターの三つの機能を備えた施設を作ることにしました。まとめて作るのだから、図書室や便所、訓練室などまとめて規模の大きいものを作った方が合理的です。ところか三種類の補助金を別々にもらうため、それぞれの施設ごとに、図書宅や便所をばらばらに設けることを要求され、訓練室は間仕切りをつけさせられました。

 ある地域にどういう施設が必要なのかということは、そこに住んでいる者が一番よくわかります。なのに、今の行政の仕組みは、中央で基準を決め、細分化された補助金を使って「金も出すけど口も出す」と、中央の意向を地方に押しつけます。これでは地域の連帯は生まれません。地方分権が必要です。


 最近は、なかなか立派な福祉施設かできるようになりました。しかし、いくら金をかけても、その施設が、家族や友人か遊びにも行けないというのでは、福祉の水準が高いとはいえません。

 隣に寝たきりの人がいれば、朝晩声をかけて様子を聞いてあげるというように、社会全体が、福祉と連帯の精神を持つことが大切です。福祉の「量」を削ることでなく、その「質」を見直して改革していくことが今必要です。福祉社会がこれからの目標です。


 世界の平和の問題も大切です。戦域核という時代に入って、一日も早く、軍縮の声を強め、米ソを交渉の場につけさせなければなりません。軍備拡大は時代錯誤です。

 清潔な政治も大切です。ロッキード事件の一連の裁判が次々と大詰めを迎えました。私は田中元首相実刑を予想しますが、こうしたことを二度と繰り返してはいけません。

 やることはたくさんあります。しかも、簡単なことではありません。道は遠いですが、それでも、一歩を始めないと前へは進めません。ご支援をお願いします。


9月24日東京プリンスホテル
盛大に “江田五月と語るパーティー”

「郷里岡山で一から……」  江田五月氏 決意を披歴

 江田五月氏が、自らの政策研究集団「21世紀サロン」を創ったのは昨年五月。その一周年を期して、去る九月二十四日、東京芝の東京プリンスホテルで“日本の新しい社会像の考察”と題するシンポジウムと“江田五月と語るパーティー”を開催しました。シンポジウムには三百人、パーティーには八百人と、いずれも会場いっぱいの大盛況で、21世紀を見通した優れた政治家を目指す決意を披歴しました。

秋山・田・河野・横路氏らも激励

 「江田五月と語るパーティー」は、午後六時に幕を開けました。司会は、岡山朝日校で江田五月さんと同期だった島誠子さん。

 まず、秋山長造・参議院副議長が登壇。秋山副議長は、パーティーの発起人代表として、大勢の出席者に感謝の意を表しながら、「江田五月君は若く、頭脳明晰、そして時代感覚、発想が新鮮そのもの。加えて、良い人柄を備えていて、明日の日本の政界を担って立つべき何人かの人材の一人であることは間違いないと確信しています。私どもも立場を越えて、出来る限りの応接をしたいと考えておりますので、みなさまも是非、お力を」と江田五月さんへの支援を呼びかけられました。

 次いで、田英夫・社民連代表が「いま、激動する日本の政治のなかで、文字通り、その一翼を担って活躍している江田五月君が、ますます大きく育つように、これからもご支援下さるように、兄貴分としてお願いを」とあいさつされました。

 ちょうど臨時国会の初日に当たるこの日から、衆議院で会派を同じくすることになった新自由クラブの河野洋平・前代表は「江田さんのお骨折りで誕生した参議院の新政クラブ、そして、今日スタートした衆議院の新自連。遠い将来までにらんだこうした動きは、やがて幅の広いうねりとなって政局を支える時期が必ずくると信じ、同世代の政治家として、その日が一日も早くくるように、お互い努力したい」と述べ、「江田さんに対する期待をますます大きく」と声を大にして訴えられました。

 広い会場一杯に小出桂子さんのエレクトーンが流れて、いよいよ江田五月さんと京子夫人が壇上に……。

 大勢の参加者を前に、いつになく緊張した表情でマイクの前に立った江田五月さんは「こんなにたくさんのみなさんが私のために……」と感謝しながら次のようにあいさつしました。

 「政治の舞台に立って四年少々が経ちましたが、私は今年の三月郷里の岡山に転居し日本の政治の将来を見渡しながら、自分の力で一からはい上がる試みをしてみようと考えているところです」

 「日本の政治の動きは、いま、たいへんなところへ来ています。与野党の間で、きちんとした論争が行われずに、野党どうしの不毛な争いのみが目立っています。やはり、自民党に代わる野党の大きな腕組みをつくっていくのでなければ、日本の政治に展望を切り開くことはできません」

 「このたび、新自由クラブの皆さんと衆議院で腕を組むことになりましたが、やはり、天下を二分する大きな野党の勢力をつくりあげたいと思います。まだまだ未熟な私ですが、みなさんのご指導をいただきながら、そういう方向に向かって進んでいきたいと考えています。どうか、さらに大きなご支援をお願いいたします。」

 ここで、女優の、三田佳子さん(録画撮りのため欠席)から贈られた花束を受けて江田夫婦は降壇。

 このあと、社会党国会対策委員長・田辺誠代議士の音頭でカンパイ。

 続いて、同盟の宇佐美忠信会長、新自由クラブの山口敏夫幹事長、自民党の加藤紘一代議士、社会党の横路孝弘代議士が次々に立って祝辞を述ペられました。

 宇佐美会長は「選挙の準備をがっちり固めていただきたい」、山口幹事長も、「江田さんの熱烈な政治的情熱、信念をさらにご評価いただいて、是非とも衆議院へ送っていただき、同時に新会派の飛躍ためにご支援を」と訴えました。

 また、加藤、横路両代議士も「野党の中でも脅威的存在である江田君に対して自民党の立場からチャレンジします」「いまは厳しいだろうけど、最後にはほんとうに笑える日が来るように岡山でがんばってほしい」と、それぞれ古い同世代の友人として江田氏を激励しました。


 パーティーは、いよいよ盛り上がるなか、第二部のアトラクションでは、落語の三遊亭円歌師匠が登場。政治家の名前もポンポン飛び出す楽しい話に、満場終始爆笑の渦。

 江田五月さんに対しても上げたり下げたり……。でも最後はやっぱり“がんばれ”と力強い激励をとばしての応援ぶり。

 円歌師匠のほか、女流講釈師の神田紅さんがユ二ークな演技を披露し、最後に槇岡婦貴子さんの“五月の歌”(野坂昭如さんが江田さんのために贈った歌)に合わせて全員が合唱。

 会は最高潮に達するなか、最後に社民連の楢崎弥之助書記長が、「江田さんはこれから大事な人。みなさん方の友情で、今後とも大きくささえて下さい」としめくくりのあいさつをして幕を閉じました。


“シンポジウム21世紀” 21世紀サロン(江田五月代表)1周年
2時間半・内容豊富・議論がっちり ――日本の新しい社会像の考察――

 この日、パーティーに先だって午後三時から、同じく東京プリンスホテルでシンポジウムが行われました。

 シンポジウムは「日本の新しい社会像の考察」のテーマで、討論者は専修大学教授正村公宏氏、朝日新聞編集委員石川真澄氏、東京大学助教授樺山紘一氏の三名。

 司会に当たった江田氏はまず「政治が不必要になったのではなく、意味ある政治の不在こそ問題とされなくてはなりません。人びとが灰色にしか描けない二十一世紀に対して、政治は自らの存在価値をかけて挑戦していくことが求められているのです」とあいさつし、シンポジウムの幕をあけました。

 正村氏は「産業化社会と脱産業社会」のテーマで報告し、「産業社会の動きは非常にダィナミツクなものであり、文明の発展や衰退を人為的にコントロールすることは、それほど簡単ではない。しかし、それにもかかわらず、社会の動きは、窮極においては、非人為的、自然史的なものではなく、人間の意識や努力によって左右される」と報告、政治の果たす役割に注意を喚起しました。

 石川氏は「“保守化”の意味を考える」との題で、保守化は大都市の若者に顕著であり、一般的傾向では必ずしもないと指摘しました。

 樺山氏は、原宿の“竹の子”族を紹介しながら、満ち足りた若者たちも職業についたなら、必ず社会的矛盾に出合うだろうと指摘し、“企業文明批判”“同居”“分権”“国際化”の重要性を説きました。

 討論は「保守化の意味」「企業主義の功罪」「軍縮」など多岐にわたり議論はがっちりとかみ合いました。三百名を超す参加者は、二時間半におよんだシンポジウムを、時間を忘れて熱心に聞きいっていました。


岡山からも上京団  国会見学や都内観光も

 九月二十四日の江田五月氏のパーティーに、岡山からは小型バスの一団が深夜の高速道路を走り抜け、応接とお祝いに駆けつけました。

 一行は朝方東京に到着し都内を見学しました。参議院本会議では傍聴席から江田議員の姿を見守り、また同じ岡山出身の秋山長造副議長の部屋にも通されるなど、初めての興奮気味の国会見学でした。

 最高裁判所では、石ばかりの建築物にびっくり。「江田五月さんもこのような硬いところで仕事しているより、政治の道へ進んで良かったんじゃない」というのはある主婦の声。

 パーティーの席では各氏のあいさつに耳を傾けながらも、目と手はもっぱら盛大なご馳走の方に。そして蓄えられたエネルギーは夜の赤坂で爆発。

 地下のディスコで若者たちに負けじと力いっぱい体を動かしたのは主婦たちでした。激しいロックのりズムに我を忘れたように手を振り腰を動かし、旅の疲れもどこへやら。

 翌朝バスに乗った顔はさまざま。二日酔いや疲れを見せるのは男性で、さわやかな姿はやはり女性たちてした。

 それでも帰路につく車内はにぎやかで、テレビ、冷蔵庫、リクライニングシートと設備満点。カラオケをバックに続々と飛び出す歌は、地元岡山勢の江田五月氏を支える大きな力の表れでしょうか。「仲間と仲間はいいものだ」と“五月の歌”の大合唱で終わった旅は、今でも大きな余韻を残しています。


岡山でもシンポジウム・パーティー

 政治家にいわゆるパーティーはつきものですが政治のあり方や政策などを、支持者とともにじっくり論じ合う「シンポジウム・パーティー」は、江田五月議員の“専売特許”といわれています。東京で開かれた「シンポジウム・パーティー」が大好評だったこともあって、地元・岡山の皆さんとも、是非こうした場を設けて、いっそう親交を深めたいものと、左記のように「シンポジウム・パーティー」を開くことになりました。多勢のみなさんのご参加をお待ちしています。

日時 昭和五十七年一月十六日(土)午後一時〜四時
場所 あおえみよしの
内容 第一部 シンポジウム 「21世紀の政治を考える」
     講師=河野洋平、田英夫、楢崎弥之助
     司会=江田五月
    第二部 パーティー


老大国に育つ若い政党 英国社民党大会に出席して

 江田五月氏は去る十月二日から六日間、英国社会民主党大会に出席してきました。これは英国社会民主党から日本の社会民主連合に対する招待を受けた訪問で、帰国後、江田氏が読売新聞に寄せた一文をここに転載しました。


 老大国イギリスに、新しい政党が生まれた。二大政党のこの国が今、新しい時代を迎えつつある。

 サッチャーの強硬右寄り路線の保守党と、左傾化を強め、労働組合に振り回される労働党の中間に、健全な社会民主主義政党を作ろうと、労働党から閣僚経験者四人が飛び出した。

 今年三月二十六日、「社会民主党」を結成。誕生日が、わが社民連と同じだ。半年ほどで、党員が六万六千人を超す勢い。自由党との提携で、世論調査の支持率は軒並み四十%台に。

 社会党と別れ、先日、新自由クラブとの連携に踏み切った私たち社民連としては、地球の裏のできごととはいえ、大いに気になるので、無理して現地に行ってみた。

 十月四日から、二日ずつ全国三か所を移動して大会が開かれた。各地を移動する理由は二つ。一つは、この党が地方分権を掲げており、それを象徴的に示そうということ。もう一つは、この大会が、特に決議をせず、討論集会の全国行脚で「みんな集まれ」と呼びかけるキャンペーンだということ。

 大きな組織、団体に頼らず、地方的個性を持った市民の政党を下から作っていこうという点で、社民連と共通する。

 大会の前日、ロンドンから特別列車を仕立て、「社民党に参加を!」と、ステッカーで窓を飾りたて、幹部も乗り込み、主要駅で停車して人を集めながら七時間半かけてパースまで北上。私もこの列車に同乗した。

 大会は「四人組」がそれぞれ党の組織方針、外交政策、産業経済政策、自由党との提携など、項目を分担して基調報告をし、参加者が討論する。素人っぽい話しぶりがすがすがしい。

 党員の半数以上は、政党未経験者だ。「新党に参加して、初めて政治参加の楽しさを知った」と多くの人が私に話した。

 幹部の一人、ビル・ロジャーズは私に、「党が(草のように)育ちつつあるんだ」と説明してくれた。国会議員レベルではなく一般党員のレベルで、党が「草の根」的に生まれてきているというのだ。失業が一二%・三百万人という状況で、国の立て直しのため何かしなければと、市民がこの若い政党を育てつつあるのだ。政党の誕生とはどういうことかを教えられた思いがする。

 まだ路線や政策の細部は決まっていない。二大政党体制打破、混合経済体制による官民間の役割分担、地方分権、国際的協調(EC離脱反対)、多国間軍縮(一方的軍縮反対)、比例代表制採用などは明確だ。一般党員も含め、じっくり討論しようというのだ。

 日本に帰ると、社会党都本部が分裂していた。しかし、その議論は、相変わらず党内の技術的な問題。国民は関心も持てず、参加もできない。わが国は、世界の優等生ともてはやされても、政権交代という議会主義の基本さえ実現できていない。老大国の政治の方が、ずっと若く直截(せつ)だ。一日も早く市民の力で若い政治を作りたい。


初めて岡山県で 社民連全国研修会開く

 十月十日、十一日、社会民主連合秋期全国研修会が、江田五月参院議員の地元岡山は御津郡建部町のゼンセン友愛の丘で催されました。

 初めて開く岡山県下での研修会のため、全国の仲間が少しでもくつろいでくれるようにと、江田議員をはじめ、地元社民連と江田五月会のスタッフは、何かと気をつかう二日間ではありました。

 初日は田代表のあいさつにはじまり、「世界の中の日本経済」と題する叶芳和国民経済研究所主任研究員の講演、つづいて「行政改革の問題点」を広瀬通貞朝日新聞調査研究室主任が明解に説いて下さり、参加者一同たいへん勉強になりました。

 夜はスキヤキパーティーで、地元岡山勢も含めた百名余りが多いに懇親を深め、第一日目を終えました。

 第二日目は、午前九時からゼンセン同盟会長の宇佐美忠信氏から「労働戦線統一について」講話をうけ、われわれの政界再編への大いなる糧となりました。

 そのあと、江田五月副代表の英国社会民主党大会出席報告、楢崎書記長の新自由クラブとの院内統一会派結成にいたるまでの経過報告、討論で幕をとじました。

 午後一時からは、友愛の丘に隣接した故江田三郎氏の墓前に参加者全員打ち揃って詣で、社民連の発展を誓いあいました。向山と向かいあって眠る故人にとっても、岡山での研修会は何よりの供養であったことでしょう。


江田議員があいさつ 全電通岡山県支部大会で

 岡山県下の電報電話局につとめている約四千五百名の労働者をもって組織されている全電通労組は、さる九月九日、労働金庫五階で第二十九回定期大会を開催しました。社民連からは江田五月代表が出席して連帯のあいさつをおくりました。

 江田代表は、「私は四年前に、父江田三郎のあとをうけて政治の世界に入りました。これからも皆さまにお教えをいただきをがら頑張りたいと思っています。ダブル選挙において自民党が大勝していらい、政治は反動化、右傾化の一途をたどっています。こんな重大なときに野党同士が小さなことで対立・抗争している現況はなんとしても残念でなりません。私は微力ですが、野党の腕組みをつよめ、そして、相違点より一致点を大切にする気風をつくるために努力します」

 「全電通の皆さんは、いつも先進的な労働運動の発展のために努力してきました。労働戦線の統一にも熱心であります。私は新しい政治をめざして、革新政治戦線の統一に全力をあげます」と訴えました。

 約二百名の大会代議員の拍手、とくに若い人々の拍手が印象的でした。


「労線統一に期待」  岡山県総評大会でも

 岡山県総評第三十回大会は九月十七日、勤労者福祉センターで開催されました。岡山社民連から江田五月代表が来賓として出席し連帯のあいさつを送りました。

 江田代表は、「自民党政治は軍事大国・生活破壊の方向にすすんでいます。これからも大企業中心・庶民泣かせの攻冶がつづくでしょう。今こそ野党は、“小異を残して大同”につき平和・民主主義・生活向上のために奮闘しなければなりませせん。社会党は野党第一党ですから、その政治責任の重大さを自覚してほしいと思います」

 「社民連と新自由クとの院内会派の統一について、いろいろの意見があるようですが、新しい政治の実験として暖かく注目してほしいと思います。もし新しい保守と新しい革新との持続的な提携の可能性が実証されるならば、中道四党へ、社会党を含む五党へと発展することができるでしょう。」

 「私は労働戦線の統一に大きな期待をもっています。皆さまのご健闘を心から祈っています」と力強く訴えました。

 労働組合が思想・信条の違いをのりこえて大同団結し、各野党が古いイデオロギーや政党セクトをすてて大きく結集すれば、日本の政治は急激に変化することは間違いありません。


岡山県同盟評議員会で いっそうの連帯訴える

 岡山県同盟第十八回評議員会は九月二十六日、労働金庫五階で開催されました。社民連からは江田五月代表が来賓として出席し、心からのあいさつをおくりました。

 江田代表は、「東京においては同盟幹部のみなさんにはしばしば連絡をとりあい懇談をしていますが、岡山ではまだまだ提携が不十分です。これからは時間の許すかぎりみなさまの職場をたずねて、民間産業の状況を勉強したいと思います。お招きいだだければどこにでもすぐとんでいきます」

 「一日も早く労働戦線の統一を実現し、政治の世界でも中道政党の提携・統一を捉進し、政権交替の可能な国民本位の新しい政治を推進したいと念願しています」と、率直に訴えました。

 働くすべての人々が、あらゆる困難をのりこえて統一されるならば、かならず明るい展望がひらかれると思います。


江田五月君に期待する われとわが身を大衆の中に
新産別顧問 三戸 信人

 政治家・江田五月は、むしろこれからの人である。だから期待や希望が託されるし、文句の一つも言ってみたくなる。

 彼と私は、時折り会う機会があるが、尊父・江田三郎の御曹司とあって、どこかに心やすさが残り、政治家としての江田五月像が、容易に浮かんで来ない。

 しかし、そう何時までも、親父さんと重ね合わせて、彼を見るのもどうかと思うので、これからは、友人としてお付合いを願おう。私からすれば彼は政治家、五月君から見ればこちらは労働運動の労兵の一人、と思えば、何はばかることなく物も言えるし、聞き耳もあろうというもの。

 そこで、私の彼に対する期待を一言でいうなら、多少俗っぽくなるが、親は親、自分は自分の、出藍の息子たれ、ということに尽きる。これは大変なことだが、その重荷を背負
っているということは、幸せというものだろう。

 政治家の道がどんなものかは、私は知らない。しかし、われわれからする政治家への注文なら、いつも持っている。例えば、八方美人型の政治家、先生型の議員、これは余り頂けない。五月君はその人柄、学識からしても、それらとは縁遠いが、朱に染まれば赤くなる。既成の政治家には成ってはもらいたくない。

 何時のことであったか、新宿で開かれた故江田三郎追悼会の時、親族を代表して立った、五月君の挨拶を思い出す。この時彼は、政治家の持つあざとさのようなものを、場所柄もわきまえず、つい口に漏らした。並居る政界の面々が、渋い顔をしたのは当然である。

 だが私は、その時、これでいいのだ、と思った。というのは、五月君の持つ率直さ、それに少しばかり角ばったところも見出されて、むしろ好感が持てたからだ。若い時にはソツのない人間よりも、ソツのある方がよい。

 それにつけても、これからは何かと難しい時代をむかえる。利口な人は、どんな風向きでも、時流に乗って、ソツなく身をこなして行くだろうが、それでは政治屋は氾濫しても、政治家は生まれにくい。同様に、時として、流れに逆うことを忘れては、革新政冶家も育たない そんな時勢に来ているように思われる。

 そこで、政治家・江田五月に望みたいのは、その初心に立って、どこまでも大衆政治家であって欲しい。われとわが身を大衆の中におき、そこから政治を語ってもらいたいのである。


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