2004年6月3日

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政権交代へ悲壮決意 江田五月(63)=民主現

 五月三十一日朝、江田五月氏は毎週月曜恒例の街頭演説に立った。JR岡山駅西口。梅雨空に垂れこめた雲を振り払うように、駅から流れ出る通 勤客に向かって声を絞った。

 「年金問題で政治不信が広がっている。だが、投票率が下がることで誰が喜ぶのか。一部の有権者に国民の運命が握られていいのか。政治を見放せば、結果 は必ず国民に返ってくる」

 低投票率に対する懸念を訴えながら、強固な組織を誇る与党の自民、公明をけん制した。

 旧社会党書記長など務めた父・三郎氏の遺志を継ぎ、当時の参院全国区に打って出たのは一九七七年。父子二代にわたる「江田ブランド」を背負い、圧倒的な知名度に支えられてきた。

 衆院四回、参院二回の当選を重ね、九八年の前回選挙も自民現職の加藤紀文氏を抑えてトップで勝ち抜いた。それでも「今回ほど厳しく、今回ほど負けられない選挙はない」。たった一人しか生き残れない戦いに危機感を募らせる。

 二大政党への足がかりを築きつつある民主にあって、副代表、県連代表を務め、自らの参院選を政権交代への試金石と位 置付ける。「衆参で二十五年、父と合わせれば五十年の議員活動にして、ようやく政権交代に手が届くところまできた」と力を込める。

 その一方、三年前の参院選、昨秋の衆院選で県内選挙区の民主候補は全敗。衆院中国比例に津村啓介氏(岡山市)はいるが、後がない、孤塁をめぐる攻防でもある。「負ければ、岡山選出の民主議員はいなくなる。衆院も参院も、自民に独占させていいのか」との訴えには悲壮な決意が漂う。

 掲げるのは「正義と良識の結集」。従来の支持層や無党派層に加え、自民を支持してきた市町村長、業界団体、財界などにも浸透をうかがう。

 政策宣伝カーが県内を細かく回り、数人単位 のミニ集会も重ねてきた。草の根の支持を一から掘り起こしながら、連合岡山の各地域協議会を核とした組織的な活動を融合させる戦略。十六日には千人規模の決起集会も予定している。

 先月二十九日、水島広子衆院議員を招いて熊山町で開いた集会を、江田氏は何度も繰り返している言葉で締めくくった。

 「スペインでは有権者の一票が政権交代を起こし、イラクからの軍撤退につながった。政治を変えるのは有権者の力。その力を貸してほしい」


 えだ・さつき 1941年生まれ。東京大法学部卒。77年に参院全国区で初当選。83年に旧衆院岡山一区にくら替えし当選4回。96年の知事選で敗れ、98年参院岡山選挙区で国政復帰した。社民連で代表、日本新党では副代表を務めた。93年から94年にかけ、細川内閣で科学技術庁長官。


山陽新聞 2004年6月3日 掲載


2004年6月3日

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