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1月12日(月) 挨拶まわり、高木先生、新見市長、ドラゴン通夜、上京

高木聖鶴先生と
 
正風会互礼会で挨拶

今日は成人の日。8時半に自宅を発ち、9時半から総社市内の挨拶まわりをしました。かな書道の最高峰に位置する高木聖鶴先生のお宅を訪ねると、ちょうどご在宅。今年も「現代書道20人展」に新作を出品されたとのことで、図録をいただきました。10数軒で正午となり、時間切れ。

14時から、新見市長の石垣正夫さんの後援会「正風会」の新年互礼会に出席。桂三蔵さんの初笑いの落語があり、30分強、大笑いしました。続いて来賓挨拶。村田吉隆さんの次が私で、落語のねたを引きながら挨拶。次が加藤紀文さんの奥さまの正子さんで、やはり落語を引きながら、上手に挨拶されました。彼女が出てくると、闘志が鈍ります。型どおりの式が終わって、一杯入って賑やかな懇親会ですが、30分ほどで中座。

16時前のJRで新見を発ち、岡山で新幹線に乗り換え、新大阪から地下鉄へ。ホームで、ハンセン病国家賠償訴訟の弁護団の皆さんに、ばったり出くわし、ご一緒に「瓜破(うりわり)斎場」へ。19時から、昨日亡くなった千龍夫(チョン・ヨンブ)さんの通夜に参列しました。

千さんは、ハンセン病回復者と在日韓国人という二重のハンディを負って、自ら「ドラゴン千葉」と称し、果敢に闘う人生を送られました。長島愛生園の入園者で、園での私の会合に出席してくれたこともあります。私の父が園を訪ねたとき、私を肩車していたのを覚えていると言っておられそうです。国賠訴訟には、最初から原告として加わり、勝訴の後、念願の社会復帰を果たされたのですが、わずかの時間しか残されていませんでした。病床で「江田さんに会いたいな」と言っておられたと聞き、お見舞いの日程調整をしていたのですが、間に合いませんでした。あまりにも短い過酷な63歳の生涯でしたが、最後の祭壇は、きれいな花で飾られていました。合掌。ほぼ最終の新幹線で上京。

ドラゴン千葉の通夜は、花で一杯 (撮影:江田五月)

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