江田五月 活動日誌 2001年5月(11〜15) >>日程表 ホーム総目次5月目次前へ次へ


5月11日(金) 司法書士、本会議、ハンセン病判決、議懇会長、報告集会

今日は8時から、司法書士制度推進議員連盟の総会で、司法制度改革についての民主党の考え方を説明しました。司法書士の皆さんにも、自治権強化を含む能力担保措置を前提に、簡裁での訴訟代理権を初め業務範囲の拡大を認めようというもの。法曹人口の大幅増加で、弁護士が司法書士の領域に侵出すれば、司法書士業務を規制緩和しないと、不公平です。また司法書士は、弁護士のいない地域で、市民の日常の法律相談役になっていることも大切です。

9時半、議員総会。10時から昼休みを挟んで15時過ぎまで、本会議で代表質問の続き。民主党は14時前から20分間、小林元さん。

10時過ぎ、本会議場にいる私のE-Mailに、ハンセン病訴訟で熊本地裁が原告勝訴の判決との連絡。ホッとしました。何人かの関係者に耳打ち。更に、素晴らしい判決内容が分かって、議場を飛び出し、小林さんの質問に追加してもらうよう依頼。小林質問を自分で仕上げ、野間弁護士と協議。「ハンセン病問題の最終解決を進める議員懇談会」の会長談話を作成。

12時15分から20分程度、懇談会会長として記者会見。「らい予防法」違憲の判断や国会の立法不作為の違法判断は、画期的です。国会議員として、襟を正し、控訴を断念させ、訴訟では解決出来ない偏見解消などの最終解決に、全力を尽くさなければなりません。

小林質問に対する小泉首相の答弁は、判決を検討してからというもの。しかし、法的責任の有無にかかわらず、「廃止法」に基づく施策は続けると言明。さらに議場内で交渉してもらって、元患者の厚相、首相との面会要請については、厚相と相談するとの補足答弁を得ました。

15時半、厚生労働省で、元患者の皆さんの担当課長に対する申し入れに同席。16時、議員懇談会に対する申し入れを受け、16時半、井上参議院議長に対する、17時、渡部衆議院副議長に対する、各申し入れに同席。もち論発言もします。大童です。

17時半から、議員懇談会の緊急役員会。14日夕の坂口厚生労働相との面会や議員懇談会の総会について打ち合わせ。

国を被告とする訴訟では、法務大臣が国を代理して訴訟行為を行います。しかし、その意志決定は、請求の原因となった行為を所管する行政庁と協議します。今回は、国会の責任も認定されているので、控訴には、厚生労働相だけでなく、国会との協議が必要。その相手は、衆参議長。そこで、衆参の議院運営委員会での協議が必要。ここで、控訴せずと決めることが大切。このような論理の検討をしました。

18時半から、判決報告集会。原告代表や弁護団の、喜びに溢れ決意のこもった挨拶の後、議員懇談会を代表して挨拶。国会議員は、いわば被告側ですが、国会の責任を追及し、判決でこれを明確にしてもらったことで、国会議員としての歴史に対する責任を果たす道筋がついたのです。そのことにつき、皆さんにお礼を申し上げ、控訴断念と最終解決に向け、全力を尽くす決意を述べました。他に国会議員7人が参加しました。最終新幹線で、帰岡。



5月12日(土) 倉敷街頭演説(石田さん)、小泉改革

今日は、8時半にわが家をスタートして、石田みえさんと倉敷市内で街頭演説。倉敷駅の南口と北口、ショッピングモールの3ヶ所で、一ヶ所2人合わせて30分足らずです。五月晴れでした。

倉敷市は、衆議院小選挙区では橋本龍太郎さんのところ。夏の参院選では、1名区になったので、過半数を獲得しなければなりません。だから街頭演説では、橋本ファンの神経を逆撫でしないように、気を使います。同時に、小泉人気にも逆らわないようにします。

などと言うと、じゃあ何も話せないじゃあないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。結構えげつないことも言います。

もっとも、倉敷市は同時に、全国からお客が来る観光地です。立ち止まって聞いてくれた人と話していると、九州の人だったりします。無駄だったと思ってはいけません。どこでどう活きるか分かりません。

「小泉さんの、改革意欲に賛成。本気なら協力します。例えば、景気回復には、不良債権処理は焦眉の急です。しかし、安易な債権放棄と税金投入ではいけません。セーフティーネットを前提とした法的整理が本則。これを本気でやると、必ず自民党の基盤を壊します。逆に自民党を元気付けると、小泉さんの足を引っ張ります。だから仮に選挙で、小泉さんが自民党の人の応援に来ても、つられて自民党の人を支持すると、その結果、選挙後に小泉さんは足を引っ張られることになるのです。そこを間違わないで下さい。」ちょっとややこしいですね。

昼過ぎ、地域の素人写真展。年1回が、もう13回になったと、みな満足顔。昼食後は、事務所でデスクワーク。夕方、農家の方が庭の消毒に来てくれました。夜はちょっとゆっくりしました。



5月13日(日) 体育大会、グラウンドゴルフs、県腎協、企画会議、田淵さん

今日は、8時45分から古都学区民体育大会へ。来賓挨拶で、自民党議員が「岡山では、橋本さんで一生懸命運動をし、勝ちましたが、全国では完敗。小泉さんを全力で支えます。」などと長々演説。次いで私が、「今日は五月晴れ。政治も大切ですが、健康はもっと大切。頑張って下さい。」と短く挨拶。さやあてです。

9時半、森本県議の後援会のグラウンドゴルフ大会へ行き、開始前に参加者に挨拶。10時から、「岡山県腎臓病患者連絡協議会」の総会で挨拶。「自己責任の時代です。皆さんが、厳しい自己管理で透析をされ、人生を大切にされていることに敬意を表します。しかし、病気は自己責任だけではどうにもなりません。総合対策、移植、介護保険等、政治の責任を果たします。」

知人の弔問。13時から、羽場市議の後援会のグラウンドゴルフ大会。挨拶だけでなく、プレーも楽しみました。54打で、51人中21位。日焼けで顔が真っ赤になりました。その後、参加者で懇親会。羽場君の庭に植わったエンドウが、たわわに実をつけているので、摘み取ってゆでたら、美味美味。

18時から2時間弱、民主党と連合岡山の参院選企画会議。たくさんのテーマについて、密度の濃い協議ができました。次第にエンジンがかかってきています。詳細は省略。

20時から、夕食を取りながら、田淵雅子さんらと打ち合わせ。



5月14日(月) 駅前演説、ハンセン議懇総会、法相、若狭さん

今日は、7時半から恒例の駅前演説。先週のハンセン病国賠判決や今日からの予算委員会質疑のことなど。8時過ぎの新幹線で上京。

13時から、ハンセン病問題議員懇談会の役員会。14時15分、今井澄さんに参議院予算委員会でハンセン病問題を扱うよう依頼。14時40分、法務省担当者と法案審議につき協議。その後、総会の進め方につき、いわゆる根回し。

16時から、議懇総会。設立総会に続いて第2回ですが、判決で状況は大きく変化しました。会場に入りきらないほど、元患者、弁護団、支援者、議員、秘書、報道陣が集まり、川内博史さんの司会で、私が会長として挨拶しました。

「最近、この判決ほど国民に大きな共感を呼び起こした判決はありません。全国民がこの判決によって、ハンセン病行政がいかに苛烈であったか、元患者の皆さんがいかに人間性を否定されたかにつき、共通の認識を持っています。1日も早く全面解決を実現しようという、共通の願いをもっているのです。これまで、これほど大きな説得力を持った判決は、ありませんでした。」

「国会の責任が認められました。社会に深く刻まれた差別と偏見につき、国会も重大責任を負っています。私たち国会議員は、元患者の皆さんだけでなく、社会全体にお詫びします。そして、この絶好の機会に、最終解決の第1歩として、まずこの判決をここで確定させるため、国会決議に取り組みます。そして判決を前提として、原告の皆さんはもとより、元患者全員、お亡くなりになった皆さん、生まれる前に抹殺された小さないのちの、全てのために最終解決に取り組みます。」

全療協の高瀬会長が、病を押して出席、挨拶し、全療協として訴訟に積極参加する方針を示されました。弁護団の八尋弁護士から判決報告。原告のお2人から支援の訴え。藤楓協会の大谷藤郎理事長から挨拶。そして、厚生労働相、法相、衆参議長、最後に小泉首相への申し入れを決定。最後まで熱気に溢れた総会でした。それだけに、責任重大です。

17時半、総会決定に従い、金田、川内、都築、瀬古、中川、私の6人で、森山法相に面会し、控訴しないこと、国会の意見を聞くこと、元患者の皆さんから面会要請があったときは応じることを申し入れました。18時、その旨の記者会見。

20時、中学、高校で同級の若狭勝美さんが急逝され、町田市まで弔問。



5月15日(火) 英語取材、事務総長s、国対、LRT、人権、司法、連合

今日は、10時からロサンゼルスタイムズ(Los Angeles Times)東京支局長のマーク・マニエ(Mark Magnier)さんが、ハンセン病について取材に来られ、英語で1時間弱、汗をかきました。英国留学は法律が専攻で、訴訟用語は頭に入っているのか、政治スキャンダルなどよりずっと楽でしたが、“hostages(人質)”が英語でも日本語でも出てこなかったのは、年のせい…。

11時から、ハンセン病弁護団の野間啓弁護士と打ち合わせ。12時前、参議院の堀川事務総長に面会し、議長あての申し入れを渡しました。法相が国会と協議するのは、先例はあるそうですが、いずれも事務方で形式的に処理していたそうです。今回もそうされては困るので、大慌てで釘をさしに行ったのです。

12時、メールを頂いていた司法修習生が2人尋ねてきました。初々しいですね。あまりゆっくり話が出来ず、残念。これからもぜひどうぞ。

12時40分、衆議院の谷事務総長に、同様の面会。立法不作為の訴訟は、かなり例があるそうですが、今回のような実質的内容の伴ったものは、やはり異例でしょう。その後、民主党の赤松国対委員長、直嶋参議院国対委員長と順次打ち合わせ。部屋に戻り、決議案の起案。昼食は、うどんを取り寄せました。

14時半、LRT(Light Rail Transit)研究会の設立総会に出席。路面電車によるまちづくりのことです。岡山から、岡将男さん、齋藤さん、徳田さんが来ており、やはり嬉しかったですね。

15時から、福山哲郎さんと国内人権機関設置WTの打ち合わせ。政府の人権擁護推進審議会の審議が、いよいよ大詰め。私たちもいそがなければなりません。地方組織の制度設計、報道による人権侵害の扱いなど、難しい課題があります。

16時前、中尾津山市長ほか県北の皆さんが陳情に来られたのに、ゆっくりして貰えず、失礼しました。17時、NC会議に顔を出したら、ちょうどハンセン病の国会決議を協議中だったので、説明しました。17時半、NCで決定された司法制度改革の最終提言につき記者会見。18時過ぎ、連合推薦議員懇談会へ。私は、民主党の中では数少ない非推薦議員なのですが、顔を出しました。

国会決議の私の起案は、以下のとおり。


ハンセン病問題の最終解決をめざす決議(案)

熊本地方裁判所は、平成13年5月11日、ハンセン病国家賠償請求訴訟につき、厚生労働大臣と国会の法的責任を認め、請求認容の判決を下した。その中で、我が国での90年間にわたるハンセン病政策が厳しく批判され、昭和40年以降の国会の立法不作為の違法性が指摘された。

これは、我が国のハンセン病政策が、世界でも例を見ない大規模かつ長期間の苛烈な人権侵害であったことを反映している。

ハンセン病が、極めて感染力・発症力が弱いにもかかわらず、世界でも特異な、国の強制隔離政策により、患者・元患者は、深刻な偏見・差別にさらされ、また、療養所において、貧困な医療、強制労働や堕胎・断種の強制など、筆舌に尽くし難い人権侵害を受けた。

これまで、隔離の壁の中で、無念の思いを抱いて亡くなった方は、平成12年末現在で23700人を超えており、その大多数は、死してなお故郷に帰ることができないでいる。
        
参(衆)議院は、この判決を厳粛に受け止め、強制隔離政策の継続を許してきた責任を認め、深い謝罪の意を表し、さらに数多くの物故者と中絶されたいのちに対し、深い哀悼と謝罪の意を表する。

そして、彼らの平均年齢が74歳を超える高齢であり、その人権回復は人道上一刻の猶予も許されないことを踏まえ、控訴しないことを相当とし、ここにハンセン病問題の最終解決を進めるとともに、このような不幸が二度と繰り返されないよう、全力で取組むことを誓う。

以上決議する。


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