江田五月 活動日誌 2001年12月 (17〜21) >>日程表 ホーム総目次12月目次前へ次へ


12月17日(月) 駅前演説、挨拶まわり、景気、石田・金谷・河原・櫻井さんs

今日は、7時半からの駅前演説に、遅れて8時過ぎに参加。景気と雇用につき20分ほど話しました。

9時から連合岡山へ、来春の地方選挙の相談に。9時半、事務局会議。10時半から挨拶まわりに出発して、午前中2人、午後6人回りました。

途中、石田みえさんを訪ねました。8年の国会議員生活の間に寂しくなってしまったご家庭に戻られ、お元気で、ご母堂やお孫さんの相手をされています。民主党県連の副代表は、続けていただいており、お元気です。

どこへ行っても、経営者の皆さんの話題は景気。「政治家は、実状も知らずに、駆け引きばかりしているように見えますよ。だめな企業は、1日も早く退場させて欲しいですね。」と、厳しいお叱りです。「民営化しても、ぶら下がった関連業者が、相変わらず殿様商売をしていますよ。」と、実態を教えてくれます。医療現場のことなど、教えられることばかりです。

17時、金谷光夫さんを訪ねました。倉敷市議9回当選、勤続38年で、議長まで務められた社民連時代の重鎮です。「引退すると、足腰が弱って…」と、寒さがこたえる模様。激励しました。

18時半、大学同窓若手有志の「弥生会」へ。会長の河原昭文君は私と中学以来の竹馬の友。来年度は日弁連の副会長かな。司法制度改革での役割が期待されます。

この間、携帯電話で、憲法調査会中間報告の打ち合わせ。最終新幹線で上京。岡山駅で櫻井充さんらとばったり。今日の中小企業セミナーの講師をお願いしたのですが、200人近い参加者で、大盛況だったそうです。感謝。



12月18日(火) 憲法総会、大会準備、NC会議、合唱練習

今日は、10時半から1時間強、民主党憲法調査会の総会です。鳩山代表、鹿野会長の挨拶の後、私の司会で第1から第5までの各作業部会の中間報告が説明され、意見交換。若干の文章訂正のうえ、了承されました。第1作業部会は総論で、完成度の高いかたちになっています。私は、事務局長のほか、第3作業部会の座長として人権を担当しました。

12時15分、大会実行委員長として、荒井事務局長と共に経団連へ。さらに13時、連合へ。大会の来賓挨拶のお願いです。連合では、笹森新会長にお会いして、直接お願いしました。道中、荒井さんと大会運営につき協議。

13時半、憲法調査会の鹿野会長の記者会見に同席。13時45分、遅れてNC会議に出席。特殊法人改革方針を大筋で了承しました。原研とサイクル機構の統合も、大筋で了承されたことになります。郵政3事業改革の中間報告は、NC会議として、(1)簡保の位置づけを明確にする、(2)金融検査を1元化する、(3)郵貯限度額の下げ幅を明確にするとの3条件を付け、了承。

16時から、来客や取材。17時半、知人とちゃんこ鍋。19時過ぎから2時間、21日と24日に本番を迎える「六本木男声合唱団クリスマスディナーショウ」の練習。今年は無茶苦茶で、練習は今日1日だけ。回りの声を良く聞き、ついていきます。



12月19日(水) 帰岡、挨拶まわり、再生法、しし鍋、練習

今日は、9時前の新幹線で帰岡。暮れの挨拶まわり。

労働組合3ヶ所。景気の悪さが話題になります。労組としても、仕事の現場を知っているから、経営者に対しあまり勇ましい注文は出来ません。民主党に対し、いろいろ注文を頂きました。県連と連合岡山との関係を、もっと緊密にしろと言うことで、先日の新役員との懇談会のことを説明しました。

さらに経営者3ヶ所。当然、景気の悪さが話の中心です。青木建設の民事再生法申請について、「市場が退場を命じたのだから、身軽になって生き返られるのでは、何にもなりません。」と、厳しいご意見。「旧経営者は、当然退場でしょう。」と、立法の際の考え方を説明すると、「そうはなっていません。それに、社会的に価値のある部分は、特にないでしょう。デフレ下では、インフラ時代と異なり、やはりきちんと退場させないと、起業が出来ません。」

中小企業に対する「不良債権処理」についても、「地域経済は成り立ちません。」と、心配しておられます。いろいろな声を聞かせていただくと、紛れもなくデフレはスパイラルに入っていると思います。

いのししの若い良いのが取れたと言うので、津山まで飛ばし、数人で政治談義を肴に、しし鍋を突きました。往復の車の中は、歌の練習。帰宅して、夜中にバイオリンのお稽古。六本木男声合唱団の公演に、「弾いてみたら」と言われたのです。短いフレーズですが、さて、合格するかどうか。



12月20日(木) 挨拶まわり、研修会

今日は、午前中2ケ所の挨拶まわり。

「人をだめにする一番良い方法は、甘やかすことです。日本は、これまで依存体質を植え付けて来たから、もうだめかも知れませんよ。公務員はすべて、民間の経験をさせるべきです。首相も、民間の製造業の人から登用したらどうですか。」

「電機メーカーが希望退職を募ったら、応募殺到だったそうです。かなりの人が、割増し退職金で住宅ローンを払い、再度雇ってもらうのですが、給与は半分。それでも、先行き不透明感は薄らぎ、不安は減るのです。」

寒さが身にしみる年の瀬です。11時過ぎの新幹線で、京都へ。13時から大津で、参議院民主党・新緑風会の1泊研修会です。臨時国会で十分議論出来なかったことを、東京を離れてじっくり話し合います。


研修会は、角田会長、直嶋幹事長の挨拶で始まり、まず、国際証券のアナリスト、水野和夫さんの「国民国家=インフレの時代」の総決算と題した講演。デフレ・スパイラルに入り込むことはないとのこと。

「ペイオフ解禁はすべきですが、ペイオフ実施は避けるべきです。3月中に引き当てを十分に行い、それでも危ない銀行は国有化の期間を長くしましょう。」

「民事再生法で退場が避けられると、過剰設備はなくなりません。他の産業に移って貰うべきです。」

次は、弦本將裕さんの動物占いの話。私は、全力疾走するチータです。個性を見抜き、心理を上手に扱おうという趣旨でした。

引き続き懇親会でした。



12月21日(金) 六本木合唱団ディナーショウ(横浜)

今日は、大津から京都経由で新横浜へ。13時前、ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル・ホテルに入り、13時から六本木男声合唱団の最後の特訓です。私は、「メリーウィドウ」の、17小節のバイオリンのソロのため、岡山からずっとバイオリンを持ち歩いて来ました。練習不足なのに、どうやら合格。

15時から3時間ほど、ゲネプロ。打ち合わせも同時進行で、怒号も飛び交います。今年は企画が多く、なかなか前へ進みません。

18時から練習室に戻って、特訓と打ち合わせ。本番が迫り、19時45分には時間切れ。夕食の弁当を、10分程度でかき込み、20時過ぎ、いよいよステージへ。合唱メンバーは、ほぼ100人、お客は600人で、チケットは完売です。

まず、「いざ起て戦人よ」と「シュテンチェン」。アカペラで、ちょっと心配な出来映えでしたが、大きな拍手にホッ。芳村真理さんと安藤和津さんのトークで進行。メンバー紹介など。「ガウデアムス」「アヴェマリア(アルカデルト作曲)」「もみの木」「フィンランディア」「冬の夜」「慕情」と続きました。そこから、羽田孜さんご一家の寸劇風の「ドレミの歌」。坂上二郎さんの「コウモリ」のアリア。聞かせました。浅葉さんの南京玉簾は、バイオリンとコントラバスの伴奏付き。次が私のソロで始まる「メリーウィドウ」。終わってホッ。「学生王子のセレナータ」「狩人の合唱」「兵士の合唱」「ナブッコ」「カリンカ」「ネットを越えろ」。三枝さんと小林さんのお礼の挨拶があって、「遙かな友に」と、最後に「いざ起て戦人よ」。22時半を回っていました。

お客さんと一緒にパーティー。23時半、お先に失礼。疲れました。


江田五月 活動日誌 2001年12月 (17〜21) >>日程表 ホーム総目次12月目次前へ次へ