江田五月 活動日誌 2000年3月(7〜10) >>日程表

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3月7日(火) 警察改革について

今日、私と松本龍地方分権等ネクスト大臣の共管で民主党の「警察改革PT」が立ち上がり、第1回会合が開かれました。

私は、冒頭に問題提起をしました。その内容は次のとおりです。

  1. 昨今の事態を見ると、警察の制度改革が必要。しかし、

  2. 警察に対する戦後の民主的改革は重要で、角を矯めて牛を殺すことになってしまってはいけない。そこで、

  3. 改革は、市民参加でより一層の民主化を実現する方向が大切。

  4. 具体的には、公安委員任命の制度を変える、事務局を警察部局から移す、監察に市民を加える、警察オンブズパーソンを作る、情報公開を徹底する、キャリア制度を変えるなどです。
頑張ります。

3月8日(水) 警察関係の連絡先

地元の複数の方から、ぜひ警察の不祥事について抗議をしたいので、連絡先を調べろとの依頼を受けました。以下のところが適当と思います。

国家公安委員会   委員長 保利耕輔国務大臣
  住所 〒100-8974 東京都千代田区霞が関2-1-2 合同庁舎2号館
  URL  http://www.npsc.go.jp/

警察庁 田中節夫長官
  住所 〒100-8974 東京都千代田区霞が関2-1-2 合同庁舎2号館



3月9日(木) ドコモと中坊さんと(今日の出来事)

今日は、なかなかハードでした。

9時から参議院法務委員会で、臼井法務大臣らの所信表明の聴取など。  終わるやいなやNTTドコモの本社に駆けつけて、ほぼ1時間半事情聴取。 昼は、弁当を食べながら、民主党参議院の国対理事合同会議。 1時から警察庁にきてもらって、3時半まで事情聴取。途中で電話が数本。

4時からNC会議。法案に対する党議決定など。今日は長くかかり2時間。最後に、私から中坊さんの内閣特別顧問就任について発言。小渕首相のパックンは、パフォーマンスとしてもちょっとやりすぎで、唖然とします。中坊さんに本当に働いてもらう起用とは思えません。

しかし、中坊さんには考えもあろうし、例えば司法改革審議会での法曹一元の推進役としては、中坊さんの役割はきわめて重要。私たちは、中坊さんを非難する態度はとりません。

夜は、久しぶりに上京した妻や孫たちと会食。といっても、一人あたり2500円以下。ささやかなものです。


やった!  [3月9日(木)22時37分]

遂に(一日のアクセス数が)百回をクリア。みなさんこれからどうぞもよろしく。


勘違い  [3月10日(金)09時17分]

昨日の私の日程につき、勘違いが一つ。
昼の弁当食べながらは、別の会議でした。国対理事は、一昨日。

年ですかね。



3月10日(金) 追悼2題 

  佐々木良作さんについて

 1977年5月22日夜半、薄暗い慈恵医大の廊下で、佐々木さんと矢野絢也さんとお会いしました。その日午後8時過ぎ急逝した父・江田三郎と、党派を超えた盟友のお二人は、言葉少なに沈痛なお悔やみを述べられました。私も、父の後を引き継ぐ決意をした直後で、ご指導をお願いしました。

 83年秋ごろだったと思います。社民連で衆議院選出馬を表明した私のために、わざわざ岡山駅に降り立って、街頭から、「自分が陳情する。民社党は彼を推薦して欲しい。」と訴えられました。気乗り薄だった民社党は、委員長のこの直接行動にさぞかしとまどわれたでしょう。私は、人情味溢れる先輩のはからいに感激しました。

 94年ごろ、東京電力病院。こちらの言うことは分かる佐々木さん。「いろいろ課題はあってご心配だと思うけど、野党再編が『がらがらぽん』で進んでます。」と言う私の手を黙って握り返してくれました。

 ご冥福をお祈りします。


  加藤武徳さんについて

 今日(3月10日)の参議院本会議で、加藤さんに弔詞が朗読されました。加藤さんと父とは、1950年参議院選挙で、岡山県から一緒に当選。政治行動は全く違いましたが、時の流れを感じます。

 加藤さんは司法試験合格者で、議員時代に私に、「合格者で立法に長く携わった者に、弁護士資格を与えるよう法改正しよう。」と説かれました。私は、「司法研修所で修習をを受けられると、他の修習生にも良い刺激になりますよ。」と、自分の経験も交えお勧めしました。

 2年の修習は、きつかったと思いますが、みごとにクリア。弁護士として私と同じ岡山弁護士会に所属され、活躍されました。

 ご冥福をお祈りします。


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