1988

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東京都社会民主連合

書記長代行  沖山 一雄

 一九七七年四月十六日、江田三郎の社会党離党に呼応して東京の区議十名が集団離党した時が、この十年の歴史のはじまりとなる。その後、東京革新同志会のメンバーが参加、また、保谷市での公開討論会を経て、菅直人ら市民派が加わり、東京社市連準備会が発足、参院選と都議選に向けた動きがスタートしたその直後の五月二十二日、江田三郎が急死。翌二十三日、東京二区選出の大柴滋夫が社会党を離党、社市連に参加した。七月に行われた参院選では、全国区の江田五月は二位で当選したが、東京地方区と都議選では九名が全員落選した。十月二十三日「東京社市連が正式に発足、市民政治の実現を誓いあった。

 翌七八年一月、田英夫ら四人の国会議員が参加し社民連が発足。二月の町田市議選では、古宮杜司男が社民連公認では全国初の市議となった。六月十九日、東京社民連が発足。代表に井汲卓一、副代表に貴島正道ら三名、書記長に金子義隆が就任した。七九年四月の統一地方選では二十九名の区市議候補を公認し、市民自治の確立を訴えた。三多摩で一挙に四人が当選したが、全体としては横ばいであった。十月には衆院選が行われ、二区・大柴滋夫、四区・安東仁兵衛、七区・菅直人の三人が公認で立候補、必勝を期したが、現職の大柴も含め全員が落選という結果に終わった。

 八〇年に入り、参院選全国区の秦豊再選のため準備を進めていた五月十六日、衆議院が解散し、初の衆参同日選挙となった。全国社民連では七区・菅直人一人を公認したが、東京社民連の一部メンバーが四区で工藤泰治を公認申請し、また、参院東京地方区では社会党の加藤清政の推薦を主張し、前自民党代議士(当時)の宇都宮徳馬を推薦しようとするグループと対立した。結局、並列推薦となり、宇都宮は当選、加藤は落選となり、また、衆院選では菅が十五万票余を獲得し、トップで初当選した。

 翌八一年まで、組織内の対立が続いたが、八〇年十一月の全国大会では、ゼッケンをつけた男が登場するなど大変なさわぎとなった。八一年、阿部昭吾全国組織委員長(当時)のもとに暫定執行部が置かれ、その体制のもと、二度目の都議選を迎えた。候補者を絞った社民連は四人の自前候補を立て、「東京都を県に、二十三区を市に」などと訴えた。また、三人の候補者で「自治と参加民主主義をめざす市民の会」という確認団体をつくった。しかし、準備不足と低い投票率が災いして四人全員落選となった。選挙後、東京社民連第二回大会が行われ、代表に菅、副代表に中金善男ら三名、書記長に片岡勝が就任し、再スタートを切った。

 八三年四月の統一地方選では、自前候補十七人を公認、推薦し、東村山市の木内徹ら新人三人を含む十人が当選。八王子市の上島儀望、武蔵野市の深沢達也の二人がトップで当選した反面、ベテランの葛飾区・栗原一郎、文京区・笠原広信、が落選するなどの波瀾があった。六月の参院選では、東京地方区で野末陳平を推薦、比例区での不振を横目に堂々トップ当選を果たした。十月の田中角栄一審有罪判決前後は「反角散歩」など政治倫理の確立を求める行動を行った。十二月の衆院選で、東京社民連は菅再選を至上命題として取り組み、選対委員長(当時)大関幸蔵を先頭に頑張った。その結果、トップで再選となった。

 八四年、神奈川県逗子市や三宅島で、市民運動型の首長選が行われ、側面から応援した。六月、第三回大会が行われ、代表に菅、副代表に竹内薫ら三名、書記長に片岡が就任。市民に開かれた政治をめざし、引き続き努力していくことを確認しあった。

 八五年七月の都議選には無所属候補二人を社会党と共同推薦し、北多摩二区で池田敦子を送り出すことに成功した。またこの年、中野区での教育委員準公選への投票呼びかけを行った。

 八六年七月、衆院選では四区・岩附茂、七区・菅直人の二人を公認して闘った。菅は三選、岩附も、次々点ではあったが、次回につながる結果を残した。この年四月の統一地方選では、売上税旋風が吹き荒れる中、自前候補十五人を公認、推薦し、新人三人を含む十一人が当選した。特に新人は、清瀬市の川村幹がトップ、小平市の小林正則が二位で当選、また、大田区の岡崎幸夫が前回の惜敗を見事に克服して当選するなど、若手が躍進した。十月、第四回大会が行われ、代表に菅、副代表に岩附ら三名、書記長に大関が就任、「政治を生活の道具に」をスローガンに、統一地方選での全員当選を誓いあった。


 現在、機関誌の発行は三三号を数え、月一回の運営委員会や政策研修会なども定期的に開かれている。そして、一九八九年七月の参院地方区の田選挙と都議選に勝利し、首都東京の中で市民参加の政治の実現をめざしたい。

 最後に、昨年、十年来社民連と共に歩んできた大関幸蔵書記長と的場茂豊島区議が相次いで亡くなられた。ご冥福をお祈りします。

 


1981年9月20日、東京社会民主連合第2回大会


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