1988

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一九八八年の情勢

 一九八八年一月二十五日、竹下首相の施政方針演説は、波風を立てまいという気持がありありとした個性も情熱もない退屈なものだった。

 ところが二月八日の衆議院予算委員会は、一転してヤクザ映画もどきの場面が展開したのである。主演は浜田幸一委員長であった。

 共産党の正森委員の発言を突然封じて、その時の質疑とは無関係な宮本共産党議長への殺人者呼ばわり発言を行ったのだ。当然のことながら審議はストップ。議事進行役の委員長が審議ストップの原因をつくるという珍事が発生。

 こういう乱暴な人物に予算委員長の重責を任せた竹下首相の鑑識眼を疑わせることとなった。

 中曽根政治の継承を誓って首相の椅子を譲り受けた竹下首相には、「税制改革」は是が非でも通したいテーマであった。

 しかし、ここ数年、国民の間の「持てる者」「持たざる者」の格差は拡がるばかり。真面目な勤労所得者の絶望感と不公平感は鬱積するばかりだった。しかもそれに拍車をかけるのが、「持てる者」がさらに持たんがために行う「不正」の数々だった。

 「土地転がし」「株のインサイダー取引」「地位利用」「リベート」等々。また合法であっても不公平の典型は「借金すれば無税」という法人税の仕組み。さらに不公平なのは政治家だけに許された「政治資金」という名の浄化装置。特権を持つ者にこそきびしいモラルを、というのは社会のルールではないか。

 こうした「倫理なき政治」「金がすべての社会風潮」に活を入れたのが、今回もまた楢崎弥之助だった。



リクルート疑惑追及  告発義務果たすため

衆院議員 楢崎 弥之助

 私がこれはおかしいなと思い始めたのは、それまで何の面識もない松原弘リクルートコスモス社長室長が私の予算委員会質問の前日、八月四日の夜遅く、突然、赤坂議員宿舎の私の部屋を訪れたからだ。引き続いて旧盆休み明けの二十五日、そして二十八日、二十九日は二日間続けてわざわざ東京から私の故郷、博多の自宅にまで彼が飛んできてからである。

 毎回、「できるだけのことはいたしますので、何分お手柔らかによろしくお願いします」とか「どうぞ助けて下さい」などといって、「先生も政治活動には何かと費用がかかりましょうから」と執拗に現金を私に受け取らせようとする言動、そして「先生が議員活動を続けられている限り、リクルートとしては最後まで、ご支援をさせていただきたいと思っております」という支援申し込み、これは余りにも異常である。あるいは私を陥れようとする罠ではないのかと疑わざるを得なかった。密室のことである。不都合なことがあって反論しても、それを証明する証拠がない。身の潔白を主張する証しがない。何とかしなければ危ない。ハメられるかもしれないと警戒し出したのは私の方である。

 そう思い悩んでいたとき、たまたま取材にきた親しい友人の記者に初めて、ことの次第を打ち明けた。贈収賄などは立証がむずかしい。疑問の余地のない証拠を残しておく必要がある。協力しましょうということになった。その結果が、すでにご存じのビデオカメラの隠し撮りである。私にとってはギリギリの身を守るための正当防衛、あるいは緊急避難の措置であった。

 分かりやすい例をあげてみよう。いま巷の銀行にはほとんどすべて隠しビデオカメラが備えつけられ、四六時中、行内の人物の動きを撮り続けているはずである。しかしそれは公開されない。ただ銀行強盗などが押し入った場合のみ、その姿が新聞などに公開される。私の場合もそれと同じだと考えていただければいい。しかも後述の通り、刑事訴訟法では公務員(私も特別公務員である)は犯罪があると思った場合、告発する義務がある。そのためには何としても証拠の保全が必要なのである。

 社会民主連合代表の江田五月代議士は優秀な判事であった。彼も、贈収賄など密室の犯罪はその証拠保全のため隠し撮りをすることなどは法的には全く問題はないと助言してくれた。

 私が九月五日、贈収賄罪でリクルート側事件関係者を告発する意思がある旨の記者会見を行った夜、日本テレビが八月三十日の赤坂議員宿舎における私と松原氏とのやりとりの模様を隠し撮った生々しいビデオを放映したのである。高鳥修総務庁長官は記者団にその印象を聞かれて「FBI(米連邦捜査局)のオトリ捜査に近いようなものかも知れない」と語ったそうであるが、それに対しては「松原氏の言い分は銀行の防犯カメラに対し、強盗が無断で写すとは、と文句を言うたぐいだ。オトリ捜査は犯意のない人を誘って犯罪を行わせ、つかまえる方法で、今回のように相手が何回もやってきてわいろ供与の申し込みをした、というのが事実とすれば、証拠を取ろうとするのが当然。刑事訴訟法では公務員は犯罪があると思えば告発する義務があり、そのためには証拠保全が望ましい。他の政治家、公務員が贈賄者を告発しない方が問題なのだ」 (アエラNo.18)との板倉宏日大教授(刑法)の反論を紹介させていただくだけで十分であろう。

 かつて私たちはロッキード事件を構造汚職とよんだが、今回のリクルート・スキャンダルは政界、官界、財界にマスコミまで巻き込んだロッキード事件以上の典型的な構造疑惑である。

 確実にもうかる株を自分の金も使わずに特権的に手に入れ、短期的に売り抜けてばく大な売却益を得る。これまさに“ぬれ手でアワ”の献金(殖産住宅事件最高裁判決)であり、国民が怒り、指弾するのも当たり前ではないか。

 しかもこの臨時国会で税制の抜本的改革―消費税という名の大型間接税法案を提案している竹下首相、宮沢蔵相及び安倍幹事長、渡辺政調会長ら政府与党の首脳たちが、現段階では秘書らを通じてとはいえ、ずらりと甘い汁を吸っているのである。

 一方では税金のかからない“ぬれ手でアワ”の金をこっそり己の懐に入れながら、他方においては庶民の負担増(増税)を強いる消費税を押しつける。そんなことが許されるわけがない。これが健全な庶民感覚というものであろう。

 国会はこの種の事件が起こり、議員が絡んでいる場合は国政調査権を縦横に躯使して政治倫理の観点から真相を徹底解明し、その責任を明らかにするのが任務である。

 今回の場合も、衆・参両予算委員会や税制等特別委員会で野党側はそろって真相解明に必要な証人喚問と資料提出要求を行ったが、自民党の多数という壁、公務員の守秘義務、会社の企業秘密擁護が盾となり、政府側のおく面もない徹底した真相隠しと相まって、国政調査権の形骸化と限界があらわになり、ついに今回もまた事件はうやむやのうちにヤミの中に葬り去られる様相を示した。

 私は衆議院永年議員としての誇りと、国会議員の権威を守るため、自らは決して好ましい方法とは考えないが、個人的心情をのりこえ、あえてこの際、やむなく己の政治生命をかけ、告発という最後の強硬手段に訴えたのである。告発したからといって国会における真相解明ができないことは絶対にない。私自身もまだ隠し玉があるので、今後とも機会があれば国会の委員会や、質問主意書などで追求を続けてゆくつもりである。


 「汝の道を歩め、人をしていうに任せよ」これが現在の私の心境である。

(1988/09/24 「毎日新聞」)


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