1987

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一九八七年の情勢

 
一九八七年は「売上税」の年であった。

 一月十六日、社・公・民・社民連四党は「売上税等粉砕闘争協議会」を結成。一月十九日には野党党首と労働五団体の首脳が会談、売上税等税制改革案反対で一致した。

 ところが中曽根首相は、施政方針演説の中で「売上税」導入の説明をしなかった。野党は補充説明を要求して代表質問を拒否した。

 三月の売上税反対の国民集会は各地で延べ二十三万人が参加した。岩手県の参院補欠選挙で、売上税反対一本に政策を絞った社会党の小川仁一候補が、自民党候補を破り圧勝した。公・民・社民連の応援も息が合っていた。売上税反対の声は、統一地方選候補者によってより一層拡げられた。自民党の鳩山邦夫・深谷隆司両代議士が売上税反対集会に出席するというまさに末期症状の中、統一地方選前半の投票日を迎える。

 北海道と福岡県で横路孝弘と奥田八二、いずれも社民連が推した知事候補が圧勝。府県議選でも自民党は大敗。

 京都社民連の三上信子候補が府議会に初の議席を獲得するなど、社民連は各地で善戦、議席を増やした。またこの選挙で注目されたのは、無所属の女性候補の健闘であった。生活クラブ所属の生活者NETの女性の進出が特に目立った。

 しかし、政府・自民党は衆院予算委員会で六二年度予算案を強行採決。野党は反発し、四月二十一日の衆院本会議では、野党は不信任案を連発、十八年ぶりの牛歩戦術で抵抗した。

 四月二十三日、売上税法案を事実上廃案とする原衆議院議長の斡旋で、与野党は合意、予算案は衆議院を通過した。

 少数の野党が結束して、絶対多数の自民党を押し切ったのである。久しぶりに野党に自信が甦った瞬間であった。

 売上税のゴリ押しによって統一地方選で敗退したにもかかわらず、中曽根首相の自民党内での力は衰えなかった。そのわけは、竹下・安倍・宮沢の三人のニューリーダーを中曽根が巧みに分割統治したからであった。二人ではなく、三人というところがみそだった。順ぐりに一人だけを敵役にして、忠誠心を競わせた。

 数の論理を知り尽くしている中曽根は、当初から指名するのは竹下と決めていた。が、それを最後までおくびにも出さなかった。しかも、一年間の分割統治の間に、竹下は田中から、安倍は福田から、宮沢は鈴木から完全に独立する道を敷いてやっている。指名に漏れた二人からも怨まれぬ布石はちゃんと打ってあったのである。

 十月二十日、中曽根首相は竹下登を次期総裁に指名。十月三十一日、自民党大会は竹下新総裁を選出した。

 十一月六日に召集された臨時国会の首班指名で、社会・公明・社民連の三党は土井たか子社会党委員長を統一首班候補者に決め、投票した。これは、国民の意志を問うことなく政権のたらい回しを行う自民党への異議申し立てであり、連合政権実現をめざす三党のパフォーマンスであった。

 十一月二十日、「連合」がついにスタートした。労働四団体の時代は終わり、官民を含めた「全的統一」に向けて新たなスタートが切られた。

 竹下新首相は「土地」を最重点課題にすると表明した。ところが、地価抑制策などを地道に協議するより、「遷都論」に重心が移り、何やら各地の誘致合戦のようになってしまった。

 この時、議員になる前から土地・住宅問題と取り組んでいた菅直人副代表を中心に社・公・民・社民連四党の政策委員長が、土地対策に関する緊急共同提案をまとめ、政府に突きつけたのである。売上税における四党の足並みは、政策委員長レベルでは、まったく揺るぎなく続いている。




1987年4月 統一地方選挙


1987

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