1978/03/26  社会民主連合結成大会

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「われわれのめざすもの」の理解のために

  自由な社会主義

一、われわれの自由な社会主義とは、集権的、画一的な社会主義のモデルを否定して市民の自由と民主主義が最大限に保障され実現される社会である。

一、既存の社会主義体制は、一党独裁、企業と産業の国有化、そして一元的な計画経済という三位一体の制度を共通の骨組みとして、党と国家が国民を管理し、操作する社会となっている。

一、われわれがめざす社会主義社会における政治体制は、複数政党と政権交替による議会制民主主義に加えて、「分権」と「参加」の原理が組み合わされることによって、市民の直接・間接の政治参加が不断に保障され政治の基礎単位として自治体が本来の役割りを果す体制である。

 われわれの考える社会主義は、国家を支配階級の道具とみなし、社会を階級対立と抗争によってわりきり、市場機構を廃絶するという考え方をとらない。

 自由な社会主義社会では、官僚主義を生み、非能率に陥りやすい産業の国有化は、必要最小限の範囲にとどめ、各級自治体の所有、共同組合の所有、公益型の私的企業、その他の法人、個人企業など多様な所有形態が組み合わされる。とりわけ言論、出版、文化、芸術の領域における国有化は絶対に避け、市民の創意と自由が確保されなければならない。

一、企業を誰が所有するかという問題よりも、誰がどのように管理するかということこそ重要である。「参加」の原則が企業において実現されること、つまり、企業が生産に従事する市民(労働者)の共同体として、労働者によって自主的に管理されることをめざさなければならない。同時に、企業は国民的規模での計画と調和されつつ活力を保持するであろう。

一、一元的な国家計画による官僚統制と経済の硬直化にかえて、市場機構は、資源の効率的な配分、需給の自動的調整、企業の創意、消費者選択の自由など、分権的、多元的な経済活動の自由を保障する。資本主義的市場機構における利潤原理の肥大化、競争の無政府性などの欠陥を克服するために、経済活動のマクロ的調整・計画化、社会的な規制と誘導と市場機構によってカバーできない公共財の充分な供給、ナショナル・ミニマムを実現する社会保障などの補完が必要とされる。

一、おおむね以上のような制度と体系を骨組みとすることによって、われわれがめざす社会は、社会的公正と制御という社会主義の公理を高度な産業社会において実現する社会である。こうした社会を実現する社会主義こそ市民的社会主義、分権的社会主義、自主管理社会主義等と呼ばれる新しい社会主義であり、自由な社会主義である。


  新しい文明をめざして

 既存の社会主義理論は、生産力を資本主義的桎梏から解放し、無限に発展させ、その豊かな社会の中でこそ万人の平等と自由を実現できるということを核心としていた。そこには科学技術の進歩と工業生産の発展は無限であるといういわば生産力信仰が暗黙の前提にあった。

 だが今日、人びとの目に明らかになってきた事態は、地球が有限であること ― 自然の綾なす生態系と環境の破壊が進めば、とりかえしのつかない破局をもたらすということである。

 今日の産業社会がつくりだしつつあるこの危機は、単なる社会体制の転換によっては克服しえない。いま人類に問われている最大の課題は、資本主義か社会主義かの体制選択を超えて、生産力の発展と環境・資源・生態系との適切な調和をいかにして保ちうるかという新しい価値観と文明モデルの選択である。


  社会民主主義

一、自由な社会主義社会に向けてわれわれは、多数の国民の合意にもとづき、経済のバランスと生活の安定をはかりながら一歩一歩確実に改革を積み重ねていく。この改革の過程は資本主義が漸次的に改革されていく過程であると同時に、社会主義が次第に形成されていく過程でもあり、長期的、漸進的な道程である。その過程をつうじて社会的公正・正義とそのための社会的制禦という社会主義の原理が浸透し、定着しつつあたらしい社会の基本原理として確立される。民主主義の徹底としての社会主義の実現である。

 はっきりさせておかなければならないことは、われわれにとって完成された社会主義があるわけではなく、社会主義とは現状を変革していく終着駅のない永遠の運動である。

 もともと民主主義のために社会主義はあるのであって、社会主義のために民主主義があるのではない。自由、平等、連帯という市民主義の理念を万人のもの、社会の現実のものとするために生まれたのが社会主義の思想であり、民主主義を通じて民主主義的な社会主義をめざす社会民主主義こそ、社会主義本来の立場である。


  市民と市民社会

一、市民とは、労働者、農民と区別されたり、対置される特定の階層や職業の人びとを意味するのではなく、また町民、村民など行政区画による分類でもない。あらゆる職業に従事しつつも市民的な権利を自覚し、私的・公的な自治に参加する人間である。

一、市民社会とは、市民革命が理想としてかかげた自由、平等を基調とする社会であるが、現実は資本の論理によって市民社会の論理が歪められ、空洞化された資本主義的な市民社会となっている。市民社会本来の理念を資本の論理による制約から解き放ち、いっそう充実させ、より高次のものに開花させていくのが社会主義本来の目標である。とりわけ「労働者参加」や「自主管理」によって企業を資本の制約から解放し、生産に従事する市民の共同体とすることが肝要であり、この基礎の上にこそ社会主義的市民社会の実現が保障される。

一、したがって、われわれのめざす「自由な市民の連帯する共同体」として構想される社会は、それを市民の立場からは市民社会の諸理念が実現される社会といってよく、社会主義者の立場からは自由な社会主義体制と呼んでよい。


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