1978/03/26  社会民主連合結成大会

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政治方針

  人間の顔・心をもつ社会主義を


  現代に対するわれわれの基本的認識(略)


  現在の政治状況および政治構造の中における社民連のポジション(位置づけ)

 日本の政治は、戦後から五五年体制を第二期とすれば、七六〜七七年頃より明らかに戦後の第三期といわれる時代にはいっている。昨七七年の政治動向をふりかえってみても、そこには明らかに日本の政治構造変動の出発を刻印するものがあった。概ね三つの特徴をあげうる。

一、七六年末の総選挙を契機として与野党伯仲の情勢が一層顕在化し、いわゆる連合時代の開幕となった。

二、公・民・新自ク等のいわゆる中道勢力の台頭と定着化が進行している。五五年体制の二極構造が(自民党)、(新自由ク)、中道勢力(公・民)、(社民連)、(社・共)の五極構造に変化し、この構造がこれからの政治の基調となることは疑いない。

三、新自由ク、社民連(社市連)、革自連など、クラブとか連合という名称をもった新しい政党が生れ、政治の市民化、市民の政治参加が政治の新しい課題となったことは最も注目すべき変化であった。

 自民党は七六年末総選挙で敗北し、無所属をかき集めてやっと過半数を維持しているが、七七年参議院選挙では既成左翼(社・共)の混迷、後退に助けられて危機を乗りきり、政局の小康を保っているかにみえる。福田内閣自体は支持率が一〇%台、不支持四〇%台と危険ラインに大きく割りこんでいるが、自民党の方は一時的かどうかは別として最近復元力をかなり示している。しかし危機の根元は深く根強い。長期政権は佐藤内閣で終り、田中、三木そして福田政権もまた短期政権であろう。このような事態自身が安定期の終焉を意味する。

 特に福田政権は経済見通しの誤りに起因する政策的不況の元凶としてその政治責任は重い。大型インフレの五三年度予算を編成したが公約の七%成長、六〇億ドルの経常収支黒字減らしの見通しは暗く、異常な円高、ドル安の前に、自からの墓穴を掘ることになるであろう。大・福は「争わない」のではなく、「争えない」のである。解散をする資格がないだけでなく、解散する体力すらないであろう。政権の「たらいまわし」の可能性の方がはるかに強いと思われる。

 社会党は飛鳥田委員長のもとに大会を開き、新しい道を模索しはじめている。三月大会に提案された中期経済政策案、「開かれた党」「国民の共有財産としての党」「百万人の党」 モニター制」等々、その内容において大部分がわれわれの訴えてきたポイントであり、われわれの政治理念、路線、組織の考え方が大きな影響を与えている事態は歴然としている。しかし肝心の党体質問題は表面を糊塗したままであり、路線論争は棚上げされたままである。この点でわれわれは大きな批判と失望を感じる。しかし野党第一党の責任は重大であり、その動向に注目したい。

 公明党は真剣に革新的大衆政党をめざしているが、なお改革はまだ十分とはいえない。

 民社党はその綱領でもうたう民主社会主義はタテマエと化し、実際の行動面においても結果として自民党を補完する役割が多くみられた。

 共産党はハカマダ問題で全体主義的、権威主義的体質が露呈され、国民の拒否反応はさらに深まるであろう。

 新自由クラブの最近の自民党回帰路線は今後の政局に決定的影響を与える点で重大である。模索をつづける連合の行方に対して一つの路線が示された。即ち保・保連合路線の道すじである。まさに新自由クラブは死活の岐路にたっている。率直にいって、理念は違っていても五五年体制の脱却派として心情的な共通の感情をもっていたわれわれとしては失望を禁じえない。

 特に注目を要するのは、最近の安保・自衛隊に関する竹入発言、連合政策形成構想における佐々木発言である。右よりをセーブしようとしていたはずの公明党が民社党に寄り、その民社党が自民に寄る。そして公明党がさらに右に寄ってゆくという現象がみえる。新自由クラブとともに公民の「右シフト」志向を危惧せざるをえない。

 われわれ社民連は、このような政治の変動期の中で変化に対応しつつ変化をさらに促進する主体として生れたのである。それ故にわれわれはすでに政治的機能を失った五五年体制の崩壊を意識的、積極的に早め、それに代る新しい政治の主役(新革新の立場)を果さなければならない。

 またわれわれこそは五五年体制の「脱却派」である。その理由の第一は五五年体制から疎外されてきた市民との結合を重視し、市民運動との自覚的連携を追求しようとする姿勢にある。第二に、その組織は市民が参加し、手づくりでつくる党である。組織の内部の一枚岩的統制や官僚的運営を排し、分権と自治を原則として、個人の自発性、自律性を前提として結び合わされる連合である。

 われわれはその路線において疑いもなく新革新の側にたち、新しい社会主義の側にたつ。いまわれわれの社会は、管理社会か、参加する個人の自治による社会かの選択を迫られている。しかもいま最も解決を迫られている課題は、資源、環境、食糧、エネルギー、生態系、都市問題、生活様式などの問題であり、それらは何れも旧い資本主義か社会主義かの選択をこえる課題である。

 社会民主連合は、これまでの経済的、社会的発展の諸々の傾向に対して、様々の主体によって提起されている不満と抗議、要求と主張を何よりも重視し、そこに政策体系検討の出発点をおく。人々の抗議と不満、要求と主張から出発することはその政策の革新性を保証する不可欠の前提の一つであるからである。そのためには可能なすべての知識と知性の結合の必要を強調する。こうした知的リーダーシップとともに市民参加による政治運動のモデルを構築し、提示しなければならない。

 このように新しい時代と課題に挑戦する社民連の路線や政策は言葉の真の意味におけるラジカル(根本的)にならざるをえない。しかしわれわれはそれを実現する方法として、一歩一歩、漸進的に改革を積み重ねる道をえらぶ。

 われわれは、ここ数年の間に、旧型の保守・革新ともに再編が迫られると考える。三年を経ない間に行なわれる統一地方選挙、衆議院、参議院両選挙を節目としてその再編は進むであろう。前述のような新自由クラブ、公明党、民社党の右シフト志向が強くなれば、その延長線上にみえるのは保守・中道連合政権である。これは結局、五五年体制の衣替えであり、何ら日本の政治を革新するものではない。

 われわれのめざす連合は現実的には「社・社・公・民の革新・中道路線」である。

 すでに各野党の連合政権構想は出そろっている。いかにして共同のテーブルにつくかである。そのためわれわれは、例えば“未来政経構想フォーラム”のような場の設置を提唱したい。構成は学者、文化人、官僚、政党人、労働運動指導者、農漁業問題専門家、社会保障関係専門家、市民運動指導者などとし、参加条件は政党、団体、組織の代表としてではなく、個人の資格とする。

 以上のべてきたわれわれの党・社会民主連合の既成政党と違った特徴を簡潔に表現すれば、次のようなものに集約できる。

党風として……「のびのびとした、さわやかな開かれた党」「知性と行動の清潔な党」「市民が手づくりでつくる参加の党」「政策的、知的ヘゲモニーの党」「大きな組織にゆ着しない、誰でも自由に入れる市民の党」「民主集中ではない自発、自治、連合の党」

理念として……「参加」と「分権」と「自治」の民主主義
  「公正」と「誘導」と「制御」の社会主義
  「平等」と「連帯」と「不可侵」の平和主義

路線として……「漸進的」に、「国民合意」の下に、みんなで「参加」する社会民主主義

めざす社会主義……「人間の顔・心をもつ社会主義」「生きがいのある自由と民主主義を保証する社会主義」

 国民は既存の政治へ不信をつのらせながら、政治のリーダーシップ、新しい革新の確かな受け皿を待ちのぞんでいる。タテマエと本音に距離をおく時代はいつわりの時代である。

 「本音の時代」の到来である。政治も労働運動も新しい時代感覚にマッチした本音で新しい道を切り開くときがきた。これこそが革新である。社民連は「本音」で勝負をしようではないか。道はきびしい。しかし未来は明るい。それを確信しよう。


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