第八章 裁判官の姿勢 目次前へ次「被害者の立場で」

   非行少年の保護

 羽田へ着いたのは四十五年六月三十日だった。裁判所に呼ばれていたので、その足で直行した。入るなり知合いの人たちに「ひどい格好して帰って来たな」と言われ、びっくりした。私の服装は茶色のズボンに替上着、べージュのチェックのシャツ、それにチェックの粗い織目のものだが、ちゃんとネクタイもしめていた。英国では日本のサラリーマンのような服装は銀行員ぐらいしかしていない。一般社会でもラフなうえ、私は学生の中で暮らしていた。その感覚からすると、私としては最大限びしっとした格好をしたつもりなのだ。ドブネズミ色の背広、白いワイシャツ、地味なネクタイでなければいけない社会に帰って来たんだなと思った。

 翌七月一日から東京地裁民事第九部配属となった。ここは保全部といい仮差押、仮処分などを扱う。ほとんどの事件が、申立てがあれば、その場で認めるか認めないかの判断を下す。忙しい部署だ。私は裁判経験が乏しい上に、二年間の留学の間に法律の細かなことを忘れたこともあって、最初は苦労したが、しだいに仕事に慣れた。ここでの九ヵ月は自分ながら生き生きと仕事ができたと思う。じっくりやる仕事には向いていないのかも知れないと思ったほどだ。

 本来、仮処分などの手続きは、本訴があることを前提としている。民事訴訟で紛争が解決するためにはかなりの時間を要する。そこで、権利の存在が明白で、しかも至急に手を打っておかなければ、本訴の結着を待っていては権利が実質的に無意味になるといういう場合に、仮差押、仮処分の決定と必要な執行とをして権利を保全するのである。しかし、これらの保全手続きは法の予定しているところよりもずっと大きな意味を持つ場合が多い。債務者は仮差押によって命運尽きる場合もある。逆に債権者にとっても、仮処分決定が出なかったためせっかく本訴に勝っても一円の利益にもならない場合がある。

 そのため、保全手続きの結果が、紛争そのものに大きく影響を及ぼす。仮差押された場合、著しく社会的信用を落とすという不利益を考えて、紛争を解決する方向へ動き出すこともある。また仮処分決定が出れば、それだけで本訴を起こすまでもなく権利が満足されるケースもある。即戦即決で重要な意味を持つ、法律家にとって戦場とも鉄火場ともいいうるのが、この保全部である。

 弁護士ともよくケンカをした。保全処分決定が出ると出ないとでは大違いだから、目論見どおりにいかなかったら怒り出す弁護士がいる。若い裁判官に対しはったりをきかそうとする弁護士もいる。また「よその裁判所ではこうやっている」と他の裁判所の例を引合いに出したりして牽制することもある。そういう時は「それではその裁判所でやってもらったらいかがですか」と応酬したりする。そうするとケンカになる。

 各種の事件を取り扱ったが、最も難しかったものの一つが、日照権のからむ事件だった。当時は日照権紛争が起こり始めた頃だ。ある地域について住民たちが作り上げた生活環境というものがあり、それを後から大資本が入ってきて壊してしまうという面もある。先住の住民のエゴがあるために都市の発展が阻害されるという面もある。その上にいろいろの要素が複雑にからみあっており、その中で、日照阻害が我慢の限度を越えているかどうか、裁判所が的確な判断をすることは極めて難しい。

 政治や行政が、その都市の発展の方向について明確な方向性を打ち出しておらず、「民間デイベロッパーによる開発」などというきれいごとを言いながら、開発を野放しにしていることが、日照権紛争の起こる根本原因だろう。行政サイドが、ある地域については日照の期待よりも高層建築による土地の高密度利用を優先させる、別の地域は土地に密着した住宅環境を整えていく、など地域全体をカバーする計画を立て、リーダーシップを発揮しなければ、日照権紛争の合理的解決はない。

 裁判所は、一つの地域の発展の方向を示すようなことを、すべきでないし、する能力もない。したがって、個々のケースについて日照権がどの程度重視されるべきかについても、判断することははなはだ難しい。裁判官は行政の怠慢を肩替りさせられているような感じを持つことになる。ある場合には、裁判官の自意識、権力意識をくすぐることになり、危険だ。また、そうでなくても憶病な裁判官をますます憶病にしていく場合もあり、これも良いことではない。日照権紛争に裁判で結着をつけるというのは、裁判所に対する過剰期待が伴い勝ちであり、それは国民にとっても裁判所にとっても好ましくないと思う。

 英国から帰ってすぐに松戸市の裁判官宿舎に入った。鉄筋アパートに八十世帯ぐらい、裁判官ばかりが入っている。クズやササが生えて荒れ果てていた庭があったが、この根を掘り起こして畑にした。油カスを買って来て肥料にし、トマト、キュウリ、ナスなどの野菜や花などを植えた。相当の収穫があり、近所に配ったりした。

 その年四月に転勤し千葉家裁、地裁の判事補を兼任することになった。最初一年間は家裁で少年事件に専念した。その後九ヵ月間、少年事件と刑事単独事件を担当していたから、合計一年九ヵ月間、少年事件の担当だったわけだ。二十歳未満の少年が犯罪を犯したり、あるいは犯すおそれのある場合、保護し教育し立ち直らせることを目的としてさまざまの処置を取るのが少年事件担当裁判官の役割である。保護、教育するよりも、大人と同じ刑事罰を課すことが適当な場合は、十六歳以上の少年に限り、検察官の手にゆだねることもできる。

 その年四月に転勤し千葉家裁、地裁の判事補を兼任することになった。最初一年間は家裁で少年事件に専念した。その後九ヵ月間、少年事件と刑事単独事件を担当していたから、合計一年九ヵ月間、少年事件の担当だったわけだ。二十歳未満の少年が犯罪を犯したり、あるいは犯すおそれのある場合、保護し教育し立ち直らせることを目的としてさまざまの処置を取るのが少年事件担当裁判官の役割である。保護、教育するよりも、大人と同じ刑事罰を課すことが適当な場合は、十六歳以上の少年に限り、検察官の手にゆだねることもできる。

 刑法犯罪を犯した少年、犯すおそれのある少年は、どちらかといえば早く就職する少年に多かった。高校、大学に入れば、それだけ少年たちは保護されているわけで、社会に出れば非行に走りがちな刺激の多い環境に置かれるということだろう。中学を出てすぐ、商店などで働くとか、大工・左官・板前などの手仕事の見習いになるとかの少年たちが、ケンカして人を傷つけるとか、盗みをするといった事件が多い。

 こういうケースの場合、私は高度に進んだ資本主義社会での労働について考えた。労働とは本来個性的なもので、自己を社会的に実現していく作業である。ところが資本主義の高度化とともに個性ある熟練労働はしだいに姿を消し、単純労働に塗りつぶされていく。そのすう勢の中でも熟練労働は残り、労働の本質を社会に示し、社会の浄化作用を果たし続ける。大学、高校に進学しない少年たちが目指す大工、左官、板前といった職業は、こういう本来の労働の分野に当たるのではなかろうか。しかし現実には彼らはすくすくと育ちにくい状況に置かれている。進学した者へのひけ目を感じて生きており、社会から差別した目で見られ、日々の労働もきつい。

 こんな中で自分の仕事に自信を持ち、社会に誇りうる熟練労働者を目指すんだという目的を持って生きることが、少年たちが非行から立直る道だと思ったし、こういう少年たちに健全な社会意識が育つことが、社会の成熟のために必須だと思った。私は裁判を通じて、その手助けをしたいという気持で事件を取り扱ったつもりだ。

 交通違反を犯した少年を取り扱うのも重要な仕事だ。今の日本はモータリゼーションの第一世代で、慣れていない者が急に自動車を与えられて扱いに困っている状況だと思う。暴走族もその一つの現れで、急に面白いオモチャをもらったから、夢中になって遊んでどうしようもない。自動車のカッコ良さにひかれて、その方が他人の生命、財産の尊重という基本原則よりも大切になってしまう。実際、自動車をめぐっての殺人、傷害、窃盗などの事件は、一般の人が考えるよりはるかに多い。自動車を使っての窃盗、強姦事件も多い。自動車そのものの窃盗も多い。交通事故や酒酔い、無免許、スピード違反などの交通違反の多さはもちろんよく知られている。こういう時代だけに、自動車についてのモラル、交通道徳をきちんと少年の頃から身につけさせることは極めて重要なことだ。大人の交通事故や違反に刑罰を課すことよりも重要だろう。

 これは、保護観察所と連携を取って、六ヵ月程度の短期保護観察を大量に活用する。もう一つは少年鑑別所に十日程度少年を入れて、その間に集中的な検査、訓練をする。少年事件の専門家といわれる人たちからみれば、数々の疑問は出るだろう。とくに鑑別所で少年を訓練するのは邪道だということになっている。しかし交通違反を何回も繰り返す少年たちは、それに付随して他の非行を起こしやすい。それを未然に防止するために厳しい処置をとることが、結局は少年たちのためだと思い、この二つの制度を始めた。毎週二、三人は鑑別所へ送っていた。

 交通事件でも一般事件でも、私は少年に厳しい裁判官であったかもしれない。しかし親には感謝されたと思う。親が自信喪失し、子供に弱く、もて余しているケースが多い。親の無責任さには全くあきれた。無免許運転の少年が車を持っている。免許も取っていないのに、親が買い与えているのだ。車を買ってやらなければ息子がいうことを聞かないからと平然という。まさに親の資格喪失だ。我が子に対する過剰な信頼というのもある。自分の息子が他の友人を悪の道に誘っているのに「息子はいいんだが、友だちが悪い」と信じ込み、いくら説明しても分からない親も多かった。そういう親と子に襟を正すことを求めたのだ。もっとも、厳しいばかりでなく、いわば兄の立場に立って、同情も惜しまず、思い切って許しもしたし、また、施設に送った少年によく面会もした。

 いずれにせよ少年事件は、それぞれの少年の個性を見抜き、今何が大切かを判断して処遇を決めなければならない。少年事件の処理は軽い順に不開始、不処分、試験観察、保護観察、初等少年院送致、中等少年院送致、特別少年院送致、検察官送致ということになるが、一回目だから不開始、二回目だから不処分というようなやり方もある。私は調査官の意見もじっくり聞き、大胆に軽くすることも、大胆に重くすることもあった。重い犯罪でも反省し自力で立ち直るカがあるとみた場合には軽い処分、軽い犯罪でも根が深いとみた場合は重い処分にした。無免許運転だけで少年院送りにしたこともあれば、傷害致死事件を不処分にしたこともあった。後者は正当防衛的な色彩が強い事件ではあったが。


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