第五章 復学から卒業へ 目次前へ次「丸山ゼミで」

  父の選挙で応援演説

 私は当時まだ政治を志す気持もあった。そういう状況の下で「手伝おうか」というと「そりゃありがたい」ということになる。結局一ヵ月あまり選挙運動で走り回り、せっかく復学したのに、全く大学へは行かなかった。

 私はまず選挙区の北部の地域を担当した。新見、高梁の両市、上房、川上、阿哲の三郡が担当地域だった。十年ほども使い古した車を一台あてがわれ、毎日毎日自分で運転して走り回る。小さな地区ごとに支持者に集まってもらい、「これこれの方針で選挙にのぞみます。こういう点を強調して、支持を訴えて下さい」という話をする。地域の演説会の段取りを依頼する。さらにはポスターをはる位置、それぞれ誰がはるかまで決めるなど、細部にわたって手はずを整えるのが仕事である。衆院選が公示され、運動期間に入ると、候補者代理となり、宣伝カーに乗り、立会演説会で演説した。当時の演説草稿は以下のようなものだ。

 私は日本社会党公認の江田三郎の長男、江田五月であります。本日は父がまいってみなさんに立候補にあたっての考えを述べるのが本当でありますが、何分にも皆さん御存知のとおり、社会党の中央の組織局長をやっており、毎日、日本中を飛び歩いております。この総選挙にも、はじめて立候補したのですが、それにもかかわらず、昨日は九州、今日、明日とお隣りの鳥取、島根、あさっては神奈川県という具合で、今日は皆さんにご挨拶にまいることができません。したがって、大変失礼とは思いますが、長男の私が代わって、父の考えをみなさんに訴えさせていただきます。

 みなさん御存知の通り、先月十五日から開かれた臨時国会は開かれるとすぐ、二十三日に 解散されました。そのため、今選挙が行われているわけですが、私は先ず、この解散のやり方がおかしいのではないかということを皆さんにお考え願いたいのであります。今年の夏は異常天候で各地に災害が起こりました。岡山県でも多くの田が水につかりました。この対策を早急に立てなければいけません。また、公務員の給与を引き上げよ、という勧告が人事院からでているので、こうしたことをするため、補正予算をこの国会で通す必要があったわけです。その他、多くの条約や法律が討議されるはずだったのですが、政府は審議を一切しないで国会を解散しました。補正予算は、一週間もあれば成立した筈ですが、その一週間さえ、政府・自民党は審議をしたくなかったのです。審議を続け、社会党に質問されると、ボロばかりでて、その後で選挙をすると自民党は勝つ自信がなかったわけです。これでは国会は何のためにあるのか、わけがわからなくなります。議会政治のなんたるかを忘れ、国民を忘れて、ただ政権にのみしがみつこうとする池田内閣のやり方こそ、国会正常化を邪魔している最大のものだと私は思います。

 こんな、冒頭解散をしても、池田内閣のボロは隠しきれるものではありません。毎日必要なものの値段が、食べるものも着るものも、あるいはバス賃、汽車賃、水道、ガス、電気、みな池田内閣の所得倍増がはじまってから急に値上がりしてきているのは、皆さんもうとっくの昔にお気づきの事と思います。私は今、東京で父と一緒に下宿住いをしていますが、毎日の食費の値上がり、通学定期の値上がりで、その上、学生に一番必要な本の値段の上がり具合はどうでしょう。学生は特権階級だとよく言われますが、今ではアルバイトをして、せっせとかせがなければやっていけません。池田首相は人づくりという事を盛んに言われますが、本当に人づくりを真剣に考えているのなら、こんな所から先ず考え直してもらいたいものであります。とにかく、池田首相の所得倍増はとりもなおさず物価倍増なのであります。高度経済成長で、日本の実力以上に、金と物と労働力をかき集めるのですから、放っておけばどうしても物価が上がるのですが、政府はなおこれに拍車をかけるように、公共料金の値上げを次々と認めているのであります。

 ちょうど三年前の今頃、やはり同じように総選挙がありました。その時、三党首立会テレビ討論会というのが行われましたが、皆さん、まだ御記憶のことと思います。私の父が、浅沼委員長なきあとの委員長代行としてでておりました。「物価をおさえる措置をとらなければ、所得倍増は物価倍増になるではないか」と私の父が指摘した時、池田首相は 「経済の事は専門家の池田にお任せ願いたい。池田は嘘は申しません」と答えていたのであります。結果はどうでしょう。一昨年6.2%、昨年は6.7%。今年の春の国会で社会党が質問した時も、池田首相は今年は2.8%の値上げにとどめると約束していたのですが、八月までで既に昨年以上の7%の物価値上げであります。物の値段が上がったのだから、物を作る人のもうけは増えただろうと思いたいのでありますが、どうでしょうか。今、白菜の出荷もはじまったかと思いますが、農家が出す時は町で売っている値段の四分の一程度。東京で牛乳を飲んだら、以前十二円だったのが、今では十七円します。しかし、農村では今、一合二十銭の値下げが問題になっているではありませんか。こうした、売る方も買う方もどちらも損をするのが、池田首相のやり方であります。

 こうして国民の大部分に損をさせておいて、利益はひとり大企業に集中させるのであります。最近、合理化、近代化という言葉が、流行語のように使われていますが、徹底的な合理化、近代化をやった大企業は、生産原価が半分ぐらいですむようになった製品を前と同じかそれより高い値段で売る事ができるのですから、これは池田内閣さまさまでしょう。自民党は一升ますを五升ますにして、みんなにわける分量を増やすんだと言いますが、最近、経済はかなり成長して、一升ますが三升ますぐらいになっているのに、一向にわけ前はまわってきません。いかに、高度経済成長政策が輝かしき成果をあげても、それは私たちの生活とは全く関係ない所での話にすぎません。大企業だけが近代化、合理化をやって、高度経済成長万歳といっているだけです。

 この選挙になって政府、自民党は農業や中小企業の近代化にも力を入れるといっていますが、金がなければできません。政府は貯金をしきりに勧めています。この貯金で集まった金を政府は民間に貸し付けるのですが、大企業が設備を拡張するといった時には長期・低利で貸しても、中小企業の人たち、農村の人たちにはほんの涙金しか貸してくれないではありませんか。しかも貯金の利子より物価の上がり方の方がはげしい。こんな経済政策がどこにあるでしょうか。物価はどんどん上がる。近代化しようと思っても金は貸さない。貯金や保険で将来の計画を立てようと思っても、利子がついた時は物価はそれ以上なのです。物価を安定させる政策を今やどうしてもとらねばなりません。とらさなければいけません。大企業の製品の価格を下げさせ、大企業本意の融資を改め、大企業に対する税金の特別待遇を改める。そして、売るものも買うものも損をしないような流通機構をつくり、国民みんなに経済成長のわけ前が行くようにするというのが、社会党の経済政策であります。

 物価値上がりに表れた池田内閣の失敗はもっと深い根を持っています。この八月、大平外務大臣がアメリカへ行って、利子平衡税という問題をアメリカと交渉したのを覚えている方もおられると思いますが、この交渉は失敗して、日本の株価はガタ落ちしました。これは一体どういうことなのでしょうか。

 日本の経済は、社会党が前から指摘しているように、アメリカに頼りすぎています。池田内閣の高度経済成長は、アメリカから毎年二億五千万ドルから三億ドルの金を借りて支え柱にしています。ところが、アメリカの景気が最近悪くなってきました。世界一の大金持でなくなってきたのであります。第二次大戦後、アメリカは世界の経済の中心でしたが、その後手持ちの金がしだいに少なくなり、前のアイゼンハワー大統領の終わりの頃には、アメリカの大世帯をやりくりするには足りなくなってきました。このため、物は買わない、金は貸さないというのが、一時しきりに言われたドル防衛であります。ケネディ大統領は、最近日本へもドル防衛への協力を要請し、日本に対して貿易を自由化しろと圧力をかけながら、日本からの輸入には、ことごとく制限を加えてまいりました。今日も新聞を見ていると、アメリカは日本製のジッパーまで関税を五〇パーセントかけると決めています。アメリカの資本家が日本に金を貸したら税金をかけるぞというのが今度の利子平衡税であり、池田内閣の高度経済成長政策の支え柱であるアメリカからの借金が、非常にむつかしくなってきました。このため、大平外務大臣が、利子平衡税をかけるのを待ってくれと交渉に行ったのですが、体よく断わられて日本の株価が暴落したのであります。こうして高度経済成長政策が失敗に終わろうとしているわけです。

 社会党はもう何年も前から、アメリカ一辺倒の外交政策や経済政策はあぶないと主張してきました。日本は、日本国民の立場に立って、国民の利益になるような日本独自の道を歩まねばならないとロをすっぱくして言ってきたのであります。いま世界中で日本ほどアメリカの機嫌をうかがって、その言いなりになっている国はあまりないでしょう。イギリスはソ連との貿易交渉をやっており、中国にも大型旅客機の輸出を決定しています。アメリカと一体のような関係にあるカナダでさえ、最近ソ連へ小麦を輸出することを決めました。私は今年のはじめ、貨物船に乗ってアジア、ヨーロッパの国々を回ってきました。もちろん金はありませんから、行く先々で次の所を紹介してもらって、全く人の世話でこの八月に帰ってきたのでありますが、アジアの国々にしましても、ヨーロッパの国々にしても、今ではそれぞれが自国の立場を持っています。インドにしても、インドネシアにしてもそうです。ユーゴスラビアなどは、最近、チトー大統領がアメリカを訪れ、アメリカともソ連とも仲良く手をつないで国を建設しているではありませんか。世界が大きく平和共存の方向に動いて行き、どこの国もそれぞれの立場を持ち、世界中の国がみな仲良くやっていこうという時に、日本だけが、せっかく、ソ連、中国との貿易に一番地の利を占めながら、アメリカの機嫌をうかがって、世界からとり残されようとしているわけです。

 もちろん、アメリカの言いなりになってはいけないと言う事は、ただ経済の面だけではありません。日韓会談では、アメリカに尻をたたかれ、肝心の李ラインの問題に何ら解決の糸口も見出せないまま、筋の立たない金を五億ドルも払う約束をしています。沖縄では住民の祖国復帰の願いをよそに、アメリカの水爆基地にされてしまっています。原爆専用のF105Dという爆撃機を九州の板付基地に配置されて、日本がアメリカの原水爆基地にされつつあります。万が一にも米ソが争えば、あるいは何かちょっとの誤差とか目の錯覚で、日本の方がアメリカより先に軍事基地として攻撃され、たった三発の水爆で、日本列鳥は地上から姿を消してしまうという危険の中に我々は住んでいるのであります。学者の計算によれは、米ソ合わせて、世界中の人類全部を十八回殺すことができるだけの兵器を持っているということです。私は戦争の時はまだ子供で何も覚えていません。しかし今度戦争が起これば前のようなどこかが勝ってどこかが負けるような戦争ではなく、人類全滅の戦争であります。陸続きの国なら国境をめぐってのごたごたもあるでしょう。しかし日本のような海にとりかこまれた国にとっては、戦争とは人類全滅の戦争を意味します。アメリカについても、これはのがれられません。ソ連についても同じことです。中立政策をとり、アメリカともソ連とも仲良くしていく。世界にこういう中立の意見を強めていく。これこそが、人類の全滅を防ぐただ一つの道であります。世界中でただ日本人だけが、原爆の恐ろしさを体験している国民です。日本が、この原水爆を世界からなくする運動の中心にならないでどこの国がなれるでしょうか。

 今、政府は、原子力潜水艦が日本の港に入ってくるのを許そうとしています。これは、原爆の魚雷を積み込む潜水艦ですが、たとえこの魚雷を積み込まなくても、エンジンを冷やした水は日本の近海にまき捨てられるのであります。この水のため日本の海が放射能で汚され、原爆マグロのあの事件が、今度はサバにもイワシにも、あるいはカキやノリに起こる危険がたいそうつよいわけです。ノーベル賞の湯川秀樹博士はじめ、日本中の学者がこれは危ないと言いました。ところが政府は、アメリカの学者の保証つきだと言い、日本の学者の中には曲学阿世の徒がいると言うのです。これではノーベル賞もへッタクレもあったものではありません。日本の学者の悪口をしきりに言いながら、一体池田首相は我々に誰に学べと言うのでしょうか。人づくりがどうの、教育がどうのというのなら、先ず、政府自身が、アメリカだけを権威とするような政策を改めてもらいたいものです。

 こうした事を追及されるのを恐れ、政府・自民党は、社会党も協力すると言っている補正予算の審議もせず、議会運営の常道を無視してまで、国会を解散したわけです。そして今、選挙になると、例によって例の如く、調子のよい宣伝をやっています。減税とか住宅とか、農業や中小企業に力を入れるとか。池田首相はうそはつかないと言いますが、三年前のテレビ討論会での、私の父の質問に対する答えは、あれは嘘ではなかったでしょうか。かつて何回も選挙が行われましたが、公約はどれほど守られたでしょうか。この前の総選挙の直前、社会党の浅沼委員長は、日比谷公会堂で、「政府は選挙のときには立派な約束をするが、選挙が終わるとこれを忘れ去り」とここまで叫んだ時、右翼の青年の短刀に倒れましたが、今、この言葉をそっくりそのまま、浅沼さんの命を奪った短刀よりもっと鋭く、自民党政府につきつけなければなりません。政府は平ぜいやっていない事を選挙の時には並べるのですが、政府のしなければならない事はきちんと憲法に書いてあります。この憲法は実に立派な憲法であり、これにのっとって国の政治をやっていけば、日本はもっともっと明るい豊かな社会になるというのが社会党の主張であります。社会党はこの憲法を社会の中に実現していこうというのであります。

 第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 第二十六条 義務教育はこれを無償とする。

 国は一体何をしていますか。義務教育でも、PTA会費、あれこれの寄付金その他で相当の負担になっているではありませんか。今、大学の授業料は国立大学で一万二千円、私立では十万円見当もかかります。高等学校や大学へ、能力があっても進学できず、就職したものが、私の友だちにもたくさんいます。もちろん大学へ行くばかりが能ではありません。しかし、勉強をしたいものは誰でも勉強できる、そういう政治をしろと憲法は言っているのであります。

 この憲法を完全に実施するためには、社会党が政権を取らねはいけません。そして今、この前の参議院選挙では、自民党を支持したのは半数以下の47%、革新の票が45%となっています。今年の春の地方選挙では、自民党は県会議員が百人も減ったのに、社会党はちょぅどその分だけ九十九人増えているのであります。今や社会党が政治を行う日は近づいているわけで、世界中をみても、この大きな変わり方は各国に起こっています。働く者の力が強まり、イギリスでも西ドイツでも次の政権は革新勢力だという時に、私は父江田三郎の責任はますます重大だと思っています。

 過去十二年にわたって、参議院にみなさんの力で送っていただき、その間、参議院においては、農林水産委員長をはじめ、重要な委員、理事を務め、社会党にあっては、浅沼委員長なきあと、委員長代行として党を代表し、書記長、組織局長を努めてきた父は、その仕事が重大になるにつれて、衆議院に議席を持つ必要を強く感じ立候補しております。私も大学入学以来、父と東京での生活を共にしてきましたが、毎日毎夜、みんなの生活をすこしでも良くし、世界を一歩でも二歩でも明るくするために邁進している父の姿にうたれ、今何の総選挙にはどうしても当選させてもらわねばと、学業なかばで世の中の事を十分知らないながらも、皆様の前に立って自分の考えを述べられない父に代わって、毎日不十分な代理を努めているわけであります。

 私は、父はこの選挙で幸い当選させていただきますなら、決してみなさんのご期待をうらぎらない働きをすると確信しております。父に限りないご支援をお願いいたしまして、私の話を終わらせていただきます。御静聴ありがとうございました。

 今から考えると、社会党についてなんと楽天的な見方をしていたのかと、感慨深いものがある。しかしとにかく社会党は伸び続け、自民党の長期低落傾向が続いた時代なのである。石田博英氏が「このままでは自民党が過半数を割る」と予言していたのであって、この予言通りなら、とっくに社会党中心の政権はできていただろう。選挙には、東京の友人たちが数人応援に来てくれた。この友人たちにもいろいろやってもらったが、オンボロ車の運転には困ったらしい。ブレーキなんか三回ぐらい強く踏まないと効かないのだが、つい東京のクセで一回だけですましてしまう。バスに追突した事故もあった。中には事務所にいた娘さんを見そめて結婚した男もいる。

 いろんな人のお世話になって、父はトップ当選だった。私も自分の責任を全うできたことになる。選挙のあらゆる側面について知ることができたと同時に、非常に楽しい思い出となった。この選挙運動を最後に、私は今回の参院選立候補まで十四年近く、「政治」とは無関係な生活をするのである。

 選挙を終わって東京に帰ると、冬休みまであと二、三週間しか残っていなかった。駒場では専門の教科として憲法一部、民法一部、刑法一部、経済原論、近代経済学の講義が始まっていた。普通の学生は在学一年半で専門の講義に接するのだが、私は入学後三年半を経てようやくこれらの講義に接することになった。聴講する側の意欲の違いのせいか、教養学部の講義よりも格段に面白いと思った。


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