第五章 復学から卒業へ 目次前へ次「父の選挙で応援演説」

  法学部へのコース

 東大復学後、父の宿舎で大学の友人と

 モスクワにいる間に、東大から復学の話があり、九月に手続きすることになった。慣例としては、退学の理由となった行為について謝罪することになっているらしい。私も相原茂教養学部長あてに手紙を書いた。若気のいたりで御迷惑をかけたかも知れない、私の行動の一部に反省すべき点もあった、大学に戻り勉強したい――というような内容だったと思う。結局、復学は許可された。

 駒場では二年の後期(十月−三月)が始まるまでに、進学する学部を決める。私は一度経済学部に決めていたが、これは退学によって無効となった。経済学部にするか法学部にするか、もう一度選び直すチャンスが与えられたわけだ。

 もともと私が経済学部を選んだのは、公式的なマルクス主義の理解に基づいていた。経済が下部構造で基本的なものであり、法律、文化など上部構造は下部構造により規定されるものである。どの時代でも、経済は一定の生産関係の下で営まれているが、生産力がしだいに発展し、古い生産関係の制約を打ち破ろうとする。それが革命である。現在も極めて発展した生産力が、私的所有を基本とした資本主義の生産関係と矛盾している時代だ。だから社会主義革命の時代だ――というようなマルクス主義の基本的理論を認めると、誰でも「経済が大切だ、経済学を勉強しなければ」ということになってしまう。

 東欧旅行などの経験で、私はこんな理論そのものに疑問を持った。上部構造は下部構造に規定されるといっても、政治、文化などは国により大きな差異がある。生産力そのものが成熟していないのに、社会主義的勢力が強まり、ついに権力を握ることがある。その社会主義政権により、経済が社会主義に移行する逆の関係さえある。マルクス主義の社会認識が誤っているかどうかは別としても、歴史というものは生き物である。その主人公である人間が、その意思によって社会を変えていくのだ。そのような人間の意欲までも、経済的諸関係によって決定されるとする経済決定論に余り魅力を感じなくなった。

 上部構造にもそれぞれ独自の論理がある。例えば法律では、あらゆる社会事象を権利と義務の関係で整理する。化学の構造式のように、権利義務の関係を基本として一つの社会を作り上げるともいえよう。現代社会は極めて複雑になってきており、有機的なつながりも強くなっている。上部構造の面から、社会のトータルな把握を試み、どこを変えれば、影響がどのように広がり、社会全体はどう変わるかを予測できるようにして置いた方が良いのではないか。私が政治学を志し、法学部への進学手続きをとったのは、こんな考え方からだ。

 復学した直後、父が参議院からくらがえして初めての衆議院選があった。父の居住地、岡山市は岡山一区であり、地盤としても岡山一区の方が強かった。しかし当時一区には和田博雄、黒田寿男という大物代議士二人が社会党から出ており、社会党三人当選は誰が見ても無理な状況だった。結局父は二区に回った。しかも当時父は社会党組織局長だった。初当選を目指すのに、他人の応援演説に飛び回らなければならない。選挙区で本人が運動できる期間はわずかであり、「大丈夫か」という声もあった。


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