1995/01 No.75 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

現実を見据え、そして理想を求める

どうか政治を見捨てないでほしい。政治を見捨てることは、未来を見捨てることなんです。

まさに「激動」としか表現しようのない一年。日本の政治が大きく揺れ、江田五月をとりまく状況も激変した。その中にあって、江田五月は何を思いどう動いたか。そして、来る1995年、どう行動しようとするのか?

激動の1994年−そして1995年へ。江田五月インタビュー

○すごい一年でしたね。細川首相の突然の辞任、会派「改新」騒動で社会党が連立離脱。羽田政権、そしてまさかの自・社連立政権。どうですか、今年を振り返って。

 いやまさに激動、ですね。歴史の転換期とはこういうものか、という感じです。

 昨年の夏の総選挙で、自民党が過半数を割った。しかし230議席程度を持つ圧倒的多数。一方で、挑戦者順位第一位の社会党は、歴史的大敗北を喫してしまった。「ああ、やっぱり政権は変わらないのか」という中で、「そうじゃない。自民党以外のみんなが大きく腕を組めば政権交代が実現するんだ」ということで細川政権が誕生した。

 僕自身、旗振り役の一人としてそうした動きの最先端に立てたことを誇りに思ってます。

政権を取ることの重要性

 そこで国務大臣科学技術庁長官ということになったんだけれど、これは色々あったなぁ。8月に細川政権が発足して、さっそく9月にはウィーンに飛んで、国際原子力機関の総会でプルトニウムの国際管理を提唱。11月になったとたん、ロシアの放射性廃棄物海洋投棄問題でしょ。さて国内では、原子力長期計画の改訂作業、H2ロケットの打ち上げ、重粒子ガン治療装置の完成、「もんじゅ」の臨界…。

○開かれた原子力政策をということで、原発反対派の人たちとも対話したり、科学技術庁アドバイザー役に女性を多く起用したりと、前政権の基本政策は継承しながら、しかも新しい動きの見えた8か月、という感じでしたが…。

 とにかく忙しかった(笑い)。でもね。ここで絶対に押えておかなくちゃならんのは、政権を取って、はじめて政策を実現できる、理想を少しずつでも形にできるということなんですよ。

 与党の悪い点、野党のいい点、いろいろあるけれど、政権の座にいるのといないのとでは、やはり雲泥の差がある。このことを、できるならば読者の皆さんにも共通認識として持っていただきたいと思います。

 …しかし、4月になって細川さんが辞意表明。それからは文字どおり、スッタモンダがありまして(笑い)、「改新」騒動。羽田内閣。そしてまさかの自社政権。これはおかしい、というので現在我々は野党の立場で村山政権と対決しているわけですが…。

自民党を倒すために結集

 それともう一つ、政治改革法が成立して、選挙制度が大きく変わった。しかし大切なのはこれからなんですよね、この制度を吉とするか凶とするか。僕らは、新しい制度のもとで政治に地殻変動を起こさせようと訴えてきた。

 具体的には巨大な利権構造に裏打ちされた自民党というものを打ち壊す、そのためには少なくとも当分の間、自民党を政権の座から放逐しなきゃならん。新しい制度のもとで行われる選挙では、非自民勢力が一つにまとまって闘いを挑むべきだということで、現在「新党準備会」で準備を進めているところです。

○新進党の最大の役割は、自民党を倒すことだと?

 新進党は新しい政治を創る役割りと同時に、凍てついたこれまでの政権の冷たい固い殻を壊す役割も果たして行かなきゃならん、と。

 最近、「自民党も野党になって生まれ変わった。非自民というのはもう古い」という人がいますが、これは強弁に過ぎると思います。別に社会を見回せば、会社と言わず地域と言わず自民党利権構造が網の目のように張り巡らされていて、その中で沢山の人たちがアップアップしているわけですから。

誤解生んだ「三極構造論」

○さて、そこで12月10日の新進党結成ですが、ここに至るまでの流れについて、「江田さんは、保守、新保守、社民リベラルの三極論で、しかも社民リベラルの側に身を置くべき人じゃないのか」といった声がしばしば聞かれるのですが。

 そうですね。そのあたり、誤解されているところもあるので、きちんと順を追って説明しましょう。

 先にお話ししたように、新しい選挙制度のもとで自民党に勝つことが、まず最大の課題。そこで自民以外は一つにまとまって選挙に臨む、ということで当面二極。

 しかし、非自民の側は多様性を持っている。その中にはカッコつきで敢えて言うなら「新・保守」の芽もあり、「新・革新」の芽もあり、あるいは「新・中道」の芽もあるかな(笑い)。

 じゃあ、将来は自民対新進党の二極で政権交代していくのかと言うと、僕はまずそうとは思えない。

 自民党というのはなくなる。いや、なくしてしまわなければならない。何度も言うように、自民党は政党というより巨大な利権の構造ですから。そして自民党が解体したとして、新進党一党支配になるのかというと、これも非現実的で、その時新進党が三つくらいに分かれてジャンケンポン型の政治構造になる「これからのゼロサム社会、安定成長時代の政治は、二極ではなく安定感のある三極構造の方が望ましい、という意味を込めてね。

今の立場で全力を尽くす

○ただ、「新・革新」というのか、いわゆる「新・保守」に対抗できる勢力が双葉にならないうちに、新進党ができてしまった。少しペースが早すぎたかな、ということはないですか?

 確かに「予想以上に早いペースだと言えます。でも早いのは悪いことではないんで、もし自民に対抗する勢力ができないうちに解散でもされたら、目もあてられないですから。

 そこで我々も、これは時の動きというものがありますから、新・新党に参加することにした。「新・革新」でいこうと言ってみても、見えないものを頼りに現実の政治は動かせない。やはりここは、新進党の中で、新進党を「新・保守」じゃないものにしていく努力をすべきだと思います

 たとえば僕自身のことを、言うとね。「もうすぐ社民リベラルができるんだから、今はしょうがないから新・新党の片隅でちょっとスネておいて(笑い)、できたらすぐこっちへ来い」と言われるけれどね、政治家というのは自分が置かれた立場で全力投球するべきだと思うんですよ。そういうスネたやり方、生き方をすると、結局最後までスネていなきゃならなくなる。

見えない社会党の展望

○「民主リベラル新党」、本当にできるんでしょうか?

 社会党も本当に追い詰められた。村山政権というのは、社会党の仮面をかぶった自民党政権。しかも肉体(自民党)が仮面(社会党)の方向に変化するのではなく、仮面(社会党)が肉体(自民党)に同化しつつある。それじゃあいけないというので、民主リベラル新党ということになった。

 村山さんは安保も自衛隊も認めた。そういう意味ではむしろ右派を中心とした、飛び出そうとする人たちの主張を呑んだわけで、政策の違いで出るという理由はない。しかもさらにおかしなことには、リベラル新党を創ろうという人たちの中にも「村山政権を支える」なんて声がある。何でだ?と聞くと、「そうしなきゃ数が集まらない」と言う。一方で、村山さんに近いグループからは、「全党一丸となって、新党を創りましょう」と言うう意見が出る。それじゃあ看板の塗りかえで、実態は何も変わらない。

 いずれにしても1月に党大会を開くと言ってるけども、果たして開けるのか開けないのか…。いろいろあって、結果何人かが飛び出す、という事態は十分あるでしょう。しかし 「出てどうするの?」という問題がそこで出てくる。

第3勢力めざすと言うが

 小さな勢力で、新しい制度のもとで選挙を勝ち抜くのは、これは非常に難しい。

 そリゃ、東京都か大都市圏ならいいでしょう。東京では自民党は5分の1政党なんですよ。そういうところなら、自民党に勝ち、新進党に勝って議席を取ることも可能。でも大多数の地方ではそうじゃない。岡山では国会議員だけで言うなら自民党は2分の1政治。地方議会のことなんかを考えると、2分の1よりさらに大きな力を持っている。そんなところで、かたや自民党に対抗する勢力が二つにも三つにも分かれていたんでは、勝負にならない。

○先日、岡山で開かれたシンポジウムでも海江田さんが言われてましたよね。「一等賞になればいいんだ」と。

 そうそう、沢山の中で比較第一党になればいいとね。全国見渡せば、そんな選挙区が50とか70とかあるでしょう、

 しかし、それを悪く、言うつもりはないけど、「どうぞ1番と2番はおやりください。我々はキャスティング・ボートを握る第三勢力を目指します」というやり方は、どうもスッキリしないというか…。政治に責任を持つという立場とは、ちょっと違う気がしますね。

市民に開かれた新進党に

○ところで話を新進党に戻しますが、先日、新・新党の理念の骨格が示されましたね。「新鮮味に欠ける」などの批判があるようですが。

 最大公約数をとると、どうしてもぼやけちゃう、ということはあるかと思います。しかし、注意して見ていただくと、これはこれで幾つかの新機軸を打ち出してるんです。たとえば、「参加型民主主義」。これは、これまでの政党にはあまりなかったんじゃないかな。かつて、社会市民連合(社会民主連合の前身)が「参加・公開・自治・分権」ということを主張したけれども、それが17年経って、ようやくコンセンサスを得てきたかな、という感じです。

 それと、僕自身、「新党準備会」の政務委員長として新進党の骨格作りに携わった中で、クォーター制(候補者などに女性を一定の割合で登用する)の導入とか、党議拘束の緩和とか、経済団体一辺倒あるいは労働団体一辺倒というのでない、広く国民各層に開かれた政党のシステムを構築していかなきゃならんとか、新進党を市民のものにするための提言を幾つも盛り込んでいます。

○新進党は国会議員だけが寄り集まって作る、数あわせ政党じゃないか、という批判も耳にしますが…。

 確かにそういう面があることは認めます。しかし、現実的には事は急を要するんで、まず国会議員が集まって新進党を作る。これを市民参加型の政党にしてゆくという作業に、これから全力で取り組まなきゃならんと思ってます。

新しい理想主義を求めて

 「数あわせ」という点で言えば、理念なき野合は許されないけれども、自民党利権構造を打ち壊すんだ、21世紀に向け社会のあらゆる面で改革を進めるんだという部分では一致しているわけだから、多少ソリが合う合わないという部分を乗り越えてまとまってゆく訓練・努力をしていかなきゃならんと思いますね。

 現場の政治というのは、決して理想通りにはいかない。けれど理想の旗を掲げない政治は、結局は人々の信頼を得られないと僕は思う。そこで大切なのは、これからは、それを実現できるだけの力量を持ち合わせてこそはじめて理想と呼へるんだ、ということです。その力量の中のかなり重要な要素として、数というものがある。

○それは、社民連という小政党を引っ張ってきた経験から?

 社民連というのは、言ってみれば「実験室」だったと思うんです。ある物質を作る時、実験室で成功するでしょう。でも、その実験設備をそのまま大きくすれば工業化できるということにはならない。それに、工場は無菌状態じゃないから、色んな雑多のものが混じってくる。

 今は実験室を離れて、実際に工場で「いい政治」を生産していかなきゃならん時に来ているんで、「アイツは好かん」とか、もしかしたら僕だって言われてるかも知れない、「江田は、アイツは昔ゲバ棒持ってデモしてたヤツだから信用ならん」とか(笑い)。そうしたものは乗り越えながら、新しい民主主義の骨格を作っていくべきじゃないでしょうか。

今こそ、信頼してほしい

○さて、来年は今年以上に政治が激動しそうです。その中で江田さんの立場も本当に大変で、まさに真価を問われる正念場と言えそうですが。

 今は、過渡期。新しいものを創り出す産みの苦しみの時です。平時の革命とでも言うのかな。本物の革命だったら、すへてを壊してボンと新しいものを作ればいい。だけど、人は壊す作業と作る作業を同時並行して進めていかなきゃならないところに、難しさがある。

 駅ビルが古くなった。けれどもいっぱいテナントが入っているし、壊してしまう訳にはいかない。今ある建物を使いながら、少しつつ改築作業を行わなきゃならない。時には、白アリの食った古い柱だけど、応急処置として利用して、しばらくたったらはずす、なんてこともある。誰が白アリの食った柱かは別として(笑い)。

 そんな中で、僕自身が一貫して目指してきたもの、つまり、社民連時代から訴え続けてきた市民政治の実現という理想をどうやって現実のものにするか…。

○そのプロセスが、それこそビルの改築作業のように外から見えにくいこともあって、「江田さんは何をしてるのか?」なんて声も出てくる…。

 わかります。今は時代の動きが激しくて、時にはきちんとした説明が皆さんに届かないうちに次のプロセスに進んで、なんてことも起きてくる。その点は申し訳ないと思います。しかし、今は本当に120%力を出し切って頑張っているところですから、どうか信頼していただきたい、と、これまで僕を支えて下さった多くの皆さんに心からお願いしたいんです。

市民の政治、一市民の願いを体現する勢力を結集して、再編に臨まなければなりません。胸を張り、希望に燃えて、未来の夢に向かって前進しようではありませんか。


新進党結成で、岡山の政治はどう変わる?

岡山で新進党が結成されるのはいつごろか。またそのプロセスは?

 岡山における新進党結成へのプロセスは、まず日本新党、公明党、民社党、新生党の4党の代表による協議から出発する。

 すでに10月23日、11月10日と2回の会談が開かれている。〔協議の中心は(1)組織(2)人事(3)財政(4)理念・政策(5)衆・参選挙(6)結成へのプロセス―などである。〕

 新進党の結成について、4党の対応には若干の差がある。

日本新党岡山は……いつでも新進党に参加する方針だが、「新進党岡山」が結成されるまでは、「日本新党岡山協会」として政治活動を続ける。

公明党岡山は……国会議員は新進党に参加するが、地方組織(日笠、貝沼を除く)は、当分の間「公明」として存続する。

民社党岡山は……ただちに新進党へ入党の方針であるが、当面は「民社協会」という名の政治団体を組織し、そこを中心に活動する。

新生党岡山は……当面は「新生協会」(仮称)を組織して政治活動を続行。新進党への加入運動は並行して進める方針。

 このような4党の党内事情も考慮しながら、結成への努力が続けられていくと思う。統一地方選挙、衆・参議院選挙などがあるので、「新進党岡山」結成をスピードアプする必要があろう。

統一地方選挙では、日本新党所属の候補者はどのような形で立候補するのか?

 来春の統一地方選挙に立候補する人たちの肩書は、原則として新進党の公認、推薦でいく。ただし、旧政党の公認、推薦のままでいく、あるいは無所属という形ぺをとることもあると思う。

参議院および衆議院選挙は新進党として闘うのか? その場合、社会党との関係はどうなる?

 来年夏の参議院選挙については、連合岡山の代表が社会党に対して、「森暢子の無所属立條補も検討すべきだ」と提案したこともあって、無所属説が独り歩きしている観があるが、「選挙に勝つための手段としての無所属説」なら選挙民を侮辱した話であり、正式な協議対象にはならない。

 だがそうではなくて、自・社連立政権に対する態度、新しい政治路線などを明確にしての、その第一歩としての正式提案ならば検討に値すると思う。ただ率直に言って、現状では自民(片山)、社(森)、新進党の対決選挙になる可能性が高い。

 近日中に「参議院選挙候補者選考委員会」が発足、選考が開始されることになる。

 衆議院選挙についても同じことが言える。社会党の有力幹部から、「自民党と選挙協力する気はない。できれば旧・連立与党グループと選挙協力をしたい」と表明があった。連合岡山の皆さんも、それを期待している傾向がある。

 だが、自民党とも新進党とも仲よく「両に花」では、政治路線が不明になり国民の共感は得られない。

世論調査によると、新進党の人気は決して芳しくないようだが、今後、広く国民の支持を得るためには、何が必要か?

新進党が国民的支持を受けて大きく発展するためには、4つの条件が大切だと思う。

第1は、市民感覚が活かされる、生活者の喜怒哀楽がよくわかる政党になること。

第2は、国民との共同作業で政治がすすめられる、参加型民主主義の政党になること。政策決定の過程が透明で、多様な価値観が共存できる政党になること。

第3は、政治・経済、社会の改革に情熱を持つこと。ことに政・官・業の癒着、金権腐敗の構造を断ち切ること。

第4は、憲法の平和精神を大切にし、平和的手法による国際貢献はもちろんのこと、すべての内外の課題に対して平和第一の立場から対応すること―である。

大亀幸雄 (日本新党岡山幹事長)



 やっぱリというか、やっとというか、先月岡山市内に怪文書と言っていいような新聞がばらまかれた。はじめから終わりまで、安宅市長の悪口の言い放題。

 このような新聞が出てくる背景には、低調な市長選挙がある。来月の末に、市長を選ぶという岡山市民にとって大切な行事があるというのに、その関心はあまりに低い。タクシーに乗ることがあれば運転手さんに聞くといい、選挙の話は出てこないと言われるはずだ。

 選挙は事実上、安宅市長、K市議、共産党の三つ巴になっている。選挙通の間では、失点のない現職安宅市長が勝つことは間違いないので、燃えないという。このような選挙では、対立候補への人格攻撃をするしかないので、怪文書が出てくるそうだ。こんな選挙をするのは耐えられない、という市民の嘆きが聞こえてきそうだ。

 選挙は、今後4年間の市政を決めるものだ。どのような市にするか、市民が選択するためには、政策論争をしてもらいたい。

 前回であれば、岡山に、デンマークの物まね「チボリ公園」がいるかいらないか、が問われた。今回ならば、ごみの非常事態宣言によって明らかになったように、ごみ問題をどうするかが問われてもよい。有料化すべきだ、いやそうではない。そんな議論が沸き起こらないと、選挙の意味がないし、街はよくならない。(は)


県議選で5党統一候補擁立
県議会の「自民党一党支配」打破めざす

 連合岡山と日本新党など5党(社会、公明、民社、新生)は、10月23日、来春の県議選で選挙協力をするため、「岡山県政治改革推進連結会(略称=改革連、代表・村上格)を結成。

 岡山国際ホテルで各党、組織の代表が合意書に調印し、無所属統一候補として現職2人、新人5人の計7人を擁立すると発表した。5党統一候補は県政史上初のできごと。

 現在、岡山県議会では自民党が定数58名中36名で圧倒的多数を誇っている。特に1名区18のうち15、2名区4つでは8議席すべてを自民党が独占しているのが現状。これを打破しなければ県政の民主化も活性化もあり得ないと、中央では自民党と連立を組む社会党も加わり、候補者の選考を進めてきた。

 この日、会場には江田五月議員をはじめ、加藤六月、日笠勝之、貝沼次郎、石田美栄(以上衆議院議員)、一井淳治、森暢子(以上参議院議員)と、岡山県選出の非自民国会議員が全員顔をそろえた。

 連合岡山と5党は、この日の合意書の中で、▽岡山市、倉敷市・都窪郡を除くすべての選挙区に協力して統一候補を擁立、当選に全力をあげる。▽当選後は新統一会派に所属。▽新しい政治勢力の結集をめざす−などを約束。各候補予定者と協定書を交わした。

 今回の第1次発表に続き、近日中に、第2次としてさらに数名の統丁候補が発表される予定。

 大亀幸雄・日本新党岡山幹事長は、「最終的には2ケタの当選を目指し、県議会内での『多数派』を実現したい」としている。

 今回発表された統一候補予定者

津山市/藤木靖史(新)=県教組役員
玉野市/住吉良久(新)=玉野市議
備前市/藤村欣裕(現)
赤磐郡/井本丈夫(現)
邑久郡/山本秀一(新)=元衆議院事務局員
御津郡/中原哲夫(新)=元御津町役場職員
久米郡/横山泉 (新)=社会党県本部職員


日本新党解散、新進党へ
「日本新党岡山協会」設立し、当面の課題に対応

 日本新党は10日30日、都内のホテルで党大会を開き、解党と「新・新党」への参加を正式に決定した。12月9日付で解党し、翌10日に結成される新進党に合流流する。

 これを受け、日本所党岡山では、11月27日、岡山市古京町の「三光荘」で党大会を開催し、(1)12月9日をもって日本新党岡山を解散する。(2)12月10日付で 日本新党岡山協会」を設立し、当面の間、日本新党岡山の政治活動を継承する。(3)日本新党岡山の党員は、新進党が結成され次第、ただちに入党する−などを決定した。



編集後記

 5月22日の社民連全国代表者会議にはじまり、東京、岡山であわせて6回の解党決定大会や結党大会。いやはや忙しい1年でした。さて来年は第2次世界大戦終結50周年。いまだに過去の歴史をつぐないきれない日本ですが、50年の節目の来年こそ、戦争責任はもちろん、冷戦時代の異物といえる古い政治に別れを告げたいものです。(K)


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