1994/01 No.71 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


1993年を振り返る

38年続いた自民党一党支配が終わり、細川連立内閣が誕生。
江田五月も科学技術庁長官として入閣…。
まるで歴史の歯車の音が聞こえそうな激動の1年でした。

この一年をふり返って  江田五月会会長 河原昭文

 この1年、陳腐な言い方だが、まさに激動の1年だった。

 3月6日、金丸信が、70億円の財産隠しが発覚して、所得税法違反などで逮捕された。ここから、政治改革の声が一段と高まった。

 4月11日の江田五月会総会で、父、河原太郎にかわって、私が会長に選ばれた。

 宮沢内閣による政治改革は失敗し、6月18日、衆議院で宮沢内閣不信任決議案が可決され、宮沢首相は、衆議院を解散した。6月21日、新党さきがけ、23日には、新生党と相次いで誕生。7月4日、総選挙に突入。

「歴史的瞬間」を共有できた喜び

 「江田五月は16年間政権交代を訴え続けてきました。いよいよ政権交代、江田五月の出番です」

 この訴えが、砂が水を吸うように、有権者の間に浸透していった。

 個人演説会では「私は、江田五月君が最初の衆議院選挙で当選した時、『江田が総理大臣になったら、僕は法務大臣になるぞ』と約束しました。政権交代ということは、江田君が総理大臣にもなれるということです。そうなったら、私は選挙もせずに法務大臣になれるのです」という下りが聴衆に受けた。

 江田君がほとんどいない14日間があっという間に過ぎ、7月18日、投票、即日開票。121,400票という空前の大量得票で、4回連続のトップ当選。国民が、いかに政権交代を望んでいたか、はっきりと表れた。選挙全体の結果は、自民党、社会党の大敗、新生党、日本新党の大勝。

 8月5日、特別国会が召集され、土井たか子さんが女性初の衆議院議長に。6日、細川護煕さんが総理大臣に選ばれ、9日、細川内閣発足。江田君は国務大臣(科学技術庁長官)として入閣。

 まさか、生きている間に、江田君が大臣になるとは思わなかった。自民党政権がこんなに簡単に倒れるとも思わなかった。時代が変わる時、人智を超えた早さで変わることを実感した。歴史の大転換期に立ち会うことができた喜びを感じた。

自分に忠実に、思い切った行動を

 しかし、これからどうなっていくのか、全くわからない。

 そこで、江田君に注文しよう。10月16日のシンポジウムで、福岡政行さんが「江田さんは、大臣になって、歯切れが悪くなった」と言ったが、大臣になって、一花咲かせたのだ。これからは、自分白身の考えに忠実に発言し、思い切った行動をとってほしい。

 われわれ江田五月会のメンバ一は、いつまでも変わらず応接する。


あの人この人 1993あれこれ

選挙のお手伝いを通じて感じたこと 岡山市中尾 三宅博美

 忙しい選挙戦の中で、私は3つのことに触れかつ発見した。

 1つめは、目標に向かっていく江田五月会の団結力の強さである。特にアゼリア会の方々は、「縁の下の力持ち」的存在だった(大変お世話になりました!)。

 2つめは、支持者同士で交流を深めることができたことだ。

 3つめは、江田さんを支持する気持ちがさらに強くなったこと。自分の選挙活動の傍らで、仲間を増やそうと獅子奮迅の働きをしている姿を拝見した時、「真の政治家」とはこういう人のことを言うのだと改めて実感し、これからもずっと支援していこうと決意を新たにした。

 活動を終えた今、私の心にはある思いが芽生えている。それは、私と同年代の人たちにも政治に感心を持ってもらい、江田さんを支援してもらいたいということと、「女性進出」の揚を広げていくことだ。

 このような気持ちにさせてくれた江田さんに感謝しつつ、これからも支援していきたい。


江田さんに望む、真の「新党」作り 光南台五月会 篠原新二

 江田五月さん、科学技術庁長官就仕おめでとうございます。我々、地元後援会としても、永年の思いが一度にかない、この上ない喜びと誇りを感じています。

 細川内閣がスタートするやいなや明るみに出たゼネコン汚職といい、長期化する不況といい、すべては自民党一党支配による長年のツケが出てきたわけで、我々国民は今、静かに耐えているところです。出せるウミはすべて出し切ってほしいものです。

 それはさておき、社民連は一体どうなるのか? 誰にも予測がつかない今日このごろですが、江田さんがめざした政権交代という一つの目標を達成した今、私は発展的解党やむなし、と考えます。

 江田さんは、どうする? 私見を言わせてもらえば、細川、武村、江田、横路の4人を中心に若々しい政党を結成してほしいと願っています。これまでのように、社民連代表として孤軍奮闘していた時代は終わりだと思います。国民のための真の政治をめざすのなら、1人より2人、2人より4人と、数多くの人々と手を組み、知恵を出し合っていくべきです。

 真の 「新党」作りをめざし、江田さんのますますのご活躍を期待しています。


連立政権にあってキラリ輝く活躍を  上道五月会 水島解子

 政権交代、連立政権成立、科学技術庁長官就任と、93年は、江田五月氏親子2代にわたる宿願がかなった、喜ばしい年でありました。

 が、一方、連立政権の悲しさ。政府の意向が江田氏の意向、私たち五月会会員の意向と全く同じではないと感ずることも少なくありません。

 小選挙区制も、通らなければいけない道なのかと思いながらも、「やっぱり恐い」という思いはぬぐえません。

 税制、食管法……。多年にわたる自民党政権の歪みを背負うた政権の中で、キラリと輝く江田五月氏を期待しています。


おはよう・730参加者のひとり言  番町文庫 山本美奈子

 「おはよう7・30江田五月です」のビラ配りをさせてもらって11年たちました。昨年の政権交代は、私にとっては、夢のような出来事でした。サラリーマンの人、学生さんたちと、道ゆく人たちは色々ですが、「江田五月」と書かれた宣伝カーを見る目に、温かさと期待を感じる今日このごろです。

 私がビラくばりを続けられたのは、江田さんの大きな心が続けさせてくれたのだと、感謝しています。

 江田さんは今、公務に忙しく「7・30」での演説もままならなくなり、ちょっと寂しく思いますが、スタッフのみなさんの後から、ボツボツとついて行きたいと思っています。

 江田さんのこれからのお仕事は、本当に大変だと思いますが、大きな心でみんなの幸せを考えてくださることと私は信じます。

 小・中学校の同級生だからというわがままを、今年も続けさせて下さい。


細川政権に敢えて厳しくもの申す―  備前市 周藤道生

 細川政権が成立して120日が過ぎた。公約の政治改革に熱心なのは認めるが、景気・コメという当面の2つの課題に見るべき策がないのは残念だ。

 それなのに70%以上という高い支持率を維持しているのはなぜか。いろいろあろうが、38年続いた自民党単独政権が政治腐敗で嫌われたこと。細川総理のクリーンなイメージと、生活者中心のキャッチフレーズが受けたこと、などが理由だろう。厳しい言い方だが、政策が良いからではない。

 政治は弱い人のためになければならない。自力で解決する方策を持たないからだ。景気対策に所得税減税を言うのは分かるが、財源に消費税率の引き上げを云々するのはいかがなものか。もし総理が社会的弱者の立場を第一に考えるなら、不公平税制の改革から手をつけるべきであり、消費税を引き上げるにしても、食料品の免税などを盛り込むべきだ。

 細川総理は「きらりと光る国」の建設を訴えているが、国連常仕理事国になって一等国を夢見るのではなく、世界の環境とか貧困、医療などに最大限の貢献をして、キラリと光ってほしいものである。


江田さんの手腕に期待してますよ! 新庄村五月会 石田紀基

 私は、テレビはあまり好きではありませんか、毎日のニュース、天気予報、それに政治番組だけは欠かさず視るようにしています。

 細川政権は「国民に分かりやすい政治」を旗印に、国民の大きな期待と圧倒的な支持を受けて発足しました。ところがです。私はここのところテレビを見るたびに、胃が痛みだします。

 国会論議も各論に入って、政権与党・8党連合の難しさもわかります。あまりにも唐突な政権担当による準備不足もあるでしょう。それにしても、永年にわたる自民党一党支配による金権・腐敗政治に終止符をうち、永田町政治に代わる、国民に目を向けた政治を実現し、政治に対する国民の信頼を回復するために「小異を残して大同団結」したはずの連立諸党の不協和音は、いったいどうしたことですか。

 私たちにも言いたいことはイッパイありますが、愚痴を並べているうちに字数をオーバーしそうなので、結論を急ぎます。今こそ我々の江田五月の出番です。

 江田さん。あなたの卓越した見識と調整力で、8頭立馬車の手綱をさばいて、活力あふれる新しい政治の「本丸」を再構築してください。


景気対策について思いつくままに― 岡山市富田町 富山敬介

 12日1日、突然に江田五月会から原稿の依頼を受けました。題して「景気について考えられること」。このような高尚なことを税理士の立場から投稿するようにと言われても、まったく思い当たらず困りましたが、思うがままに書き並べてみようと思います。

 まず、どの新聞も、またテレビのニュース解説も、所得税減税を景気対策の最有効策のように述べているようですが、私は、同額であるならば、減税よりも何らかの政府支出を実行するべきだと考えております。そうであるならば、その財源を赤字国債に求めてもいたしかたないと考えます。

 減税の財源を国債に求めることは論外と考えますし、消費税の税率アップは、消費という需要刺激剤としての所得税減税の効果を半減させるように思われます。実はこれ、家内から教わった考え方でありますの「減税で還付される税金は、みんな貯金するわ。それで消費税が上がったら、みんなもっと倹約するわ」

 我が家の夕餉(ゆうげ)での家内の独り言です。何という主婦の発想! 所得税減税と同時に消費税をアップして、消費という需要を喚起することが、本当にできるのでしょうか。

 以上、税理士というより、一市民から見た素朴な景気対策についての感想です。


参政権をもとめてドンキホーテに… 在日党代表 李英和(リ・ヨンファ)

 在日党は、昨年の参院選に引き続き、今年も衆院選に「立候補」しました。在日外国人参政権の実現を訴えてのことでした。

 「ピエロだ」、「ドンキホーテ」。こう揶揄(やゆ)されながらも、メゲずに精一杯がんばりました。外国人参政権の実現こそ、21世紀に向けた「真の政治改革」の重要課題だ、そう信ずるからです。

 道のりはまだ遠そうです。在日韓国・朝鮮人に参政権がないことすら知らない方もたくさんいます。ですが、今年は微かな光明が見えてきました。岸和田と八日市の両市議会で「定住外国人への参政権付与」の要望決議が上がったことです。批判や嘲笑があっても、信念とファイトでことに当たれば必ず道は開ける―。そんな当り前のことを、改めて確信した1年でした。来年も、今年を倍するファイトでがんばりたいと思います。

 「あって当然の参政権」。江田五月さんの一層のお力添えをお願いいたします。


農業問題について細川政権にのぞむ  加茂川町 赤木邦彦

 93年の日本の米作は。大変な不作となり、需要量を国内産米で確保できず緊急輸入が行われるのに加え、ウルグアイラウンドも大詰めで、いよいよ大きな岐路に立たされた感がある。

 自国のコメは自国で作るといってももはや通用しないと思う。まして経済大国といわれる日本は、積極的かつ前向きに対外交渉に当たるべきであろう。

 そもそも日本の米不足は、昭和47年以降の減反政策から生じたものである。西暦2000年には、世界の穀物は9160万トン不足するとの試算もある。減反政策をやめて、もし余剰米が出るなら飢餓に苦しむ団に輸出してはどうでしょうか。

 行き当たりばったりの農政をやめて、時代を先取りした農政にしていただきたいと望んでいます。

 

新しい政治が始まろうとしている

岡山県社民連書記長 大亀幸雄

 私が政治運動に参加したのは1946年(昭和21年)の秋だった。当時の日本は日米戦争に敗れ苦悩のどん底にあった。だが一方では、平和と民主主義をもとめる大衆運動が燎原の火のように燃え広がっていた。

 思えばあれからもう47年になる。

 その間には、忘れがたい想い出が数限りなくある。中でも昨年の出来事は歴史的であり、感動的である。戦後40数年続いた自民党一党支配政権が崩壊し、細川連立内閣が実現、江田五月国務大臣の誕生…。私は故江田三郎先生の苦闘の足跡をよく知っているだけにその思いは人一倍つよい。

問題山積、だが変化の兆しも…

 さて問題はこれからだ。たしかに細川内閣の支持率は70%前後で史上空前といえる。しかし、自民党政権から引継いだ、(1)政治・選挙制度の改革、(2)異常ともいえる不景気、(3)コメ、高齢化社会への対応、さらに加えて所得税減税と消費税−など、難問は山積している。一歩取扱いを誤れば総辞職・解散の危険すらある。たしかに政権交代によってさまざまな変化が表れている。(1)大手ゼネコンの逮捕者はついに34名、(2)政・官・財の癒着構造にメス、(3)利権の温床である規制緩和、(4)料亭政治の廃止、(5)政治家への政治献金の禁止など。たが道は険しい。

1994年こそ、江田五月の真の正念場

 選挙制度の改革が実現すると否応なしに政界再編成の嵐が吹きまくる。新党結成も本格化することは間違いない。

 このような激動する政局にたいして江田五月はどう対応するのか、どんな政治・政党をめざして奮闘するのか。すべての江田支持者がその動向に注目している。まさに江田五月の正念場である。

見えてきた、新しい政治の方向

 新しい政治の方向とその大枠の方針は明確である。

 第一は細川内閣の継続・発展につとめること、小選挙区選挙に勝ち抜くために細川与党勢力の統一候補を実現すること、そのためには、何よりも細川連立政治勢力の統一と団結に努めることである。

 第二は 古いイデオロギーにこだわらないで、既成政党の枠を越えた新しい政党を結成することである。新しい政党の理念と政策は保守・革新論、資本主義・社会主義論をのりこえた、新しい時代にふさわしいものにすることが大切である。一言でいえば「平和・人権・環境」「自由・民主・公正・平等・共生・軍縮・連帯」などの理念と政策が生かされることが重要である。


保・革乗り越え、新しい理念の新党を

−江田五月会・拡大幹事会開催される−

 12月12日午後2時より、岡山市大供の全逓会館で江田五月会拡大幹事会が開催された。出席者は、五月会の常任幹事、地域五月会の幹事などおよそ100名。

 羽場頼三郎・事務局次長が開会を宣言。倉敷の緒方憲市氏を議長に選出。橘民義・事務局長の活動報告、空席となっていた事務局次長の選任などの案件を全会一致で承認した後、「政界再編と新政治方針について」の討論に入った。

 これについて大亀・常任顧問は「選挙協力などを含む『政治勢力の結集」と、『新党結成』を分けて考える必要がある。後者に関して、社民連及び江田五月グループは『保・革を乗り越えた、清新な理念を持つ新党」を目指したい」と表明、様々な困難はあろうが、この方向で最大現努力することを出席者全員が了承し、閉会した。

 ※事政局次長(江田事務所専従)には、岡山市の井上康生(32)が選任された。


福島瑞穂さんと江田五月議員の卜ークセッション

11月22日(月) 三木記念ホール 参加者450名

「アゼリア会(江田五月を支える女性の会)」の講演会も回を重ね、今年は12回目。江田五月の歩みに、つかず離れずゆるやかに輪を広げてきましたが、政権交代の実現、江田大臣の誕生と、ひとしお感慨深い年になりました。

今回は福島瑞穂さんをお迎えし「男と女の関係学」の講演と、江田五月さんとのトークセッションを行いました。社会派弁護士として、従軍慰安婦の問題などに光を当て続けている方ですが、社会派にありがちな重苦しさはなく、伸びやかで軽やか。

「結婚は当人どうしのことなのに、結婚式はほとんど両家の名のもとに行われている…へんですね。でもまさか披露宴に招かれてそんなことは言いませんがアハハ…」

というように、明るい辛口のお話。夫婦別姓で子育てをされるなど、私たちがこうだったらいいのになと思いながらも今一歩踏み出せないでいることを、どんどん声に出し実践していることに力強さを感じました。

「出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない。ランラン♪」という女性へのエール、このランラン♪に福島さんの真骨頂が表れているように思います。この言葉を受けて、江田さんが「出すぎた杭は引っこ抜かれたり、倒れることもある」と言われたのは、ご本人の心境の表れでしょうか。連立政権の舵取りのむずかしさ、大臣の発言の重みをひしひしと感じている江田さんを垣間見た思いです。

トークセッションはそのためか、元気な福島さんと今一つ噛み合わなかったようで残念です。

でも江田さんの本質は変わっていないはず。新しい道を探しながら、男も女も元気にいつでもゴールインスタート。(S)


五月会バスツアー’93
11月2・3日、総勢120名が秋深い伊勢・志摩を堪能―

 去る11月2・3の両日、恒例の江田五月会バスツアーが行われた。今回は 「秋深い伊勢・志摩への旅」。

 2日早朝、総勢120名がバス4台に分乗、一路「お伊勢さん」をめざす。8時間かけて伊勢市に到着。伊勢神宮は、20年に一度の遷宮の年。境内を散策しながら、1300年の歴史の重さを実感。五十鈴川の鯉の大きさにも一同感心させられた。

 夜は「志摩ビーチホテル」で大宴会。邑久町・末石朝夫町議率いる「末石一座」の大熱演や隠し芸大会などで大いに盛り上がった。

 翌日は、伊勢湾をのぞむパールロードを走り、話題の「伊勢戦国時代村」へ。忍者アクションショーや立体映画などを童心に帰って楽しんだ。


編集後記
 先日、大阪市釜ケ崎を訪れました。不況の風をモロに受ける日雇い労働者の皆さん。中でも高齢者は仕事にあぶれる率が高いようです。聞けば、障害を持つ人たちの就職も、不況で大変な状況だとか。94年が、社会的に弱い立場の人たちにとって、暮らしよい年となりますように。 (K)


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