1999/03/24

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参院・総務委員会  

○江田五月君 三人の先生方、きょうは私どもの情報公開法案の審査のために御足労賜りまして、大変ありがとうございます。お礼を申し上げます。

 海老原委員の方から何か三宅参考人の方に私がたくさん聞けという申し送りがあるんですが、必ずしもそれにとらわれずに皆さんにお伺いしたいと思います。

 ずっと伺っていて、どちらかというと、宇賀参考人は今議題になっている法案を高く評価される立場といいますか、そういう面からこの法案に光を当てられた。三宅参考人は、この法案、そうはいってもこういうところがひっかかるよという、気になるところに光を当てるという立場から御意見を述べられた。後藤参考人は、それらを通じて実際情報を今後どうやっていくのか、いろいろ情報公開についていい制度はできても、情報の作成、管理、保存、こうしたものの実態がそれに伴っていなかったら機能しないのでという点を言われたという気がするんです。

 さて、そこでお三人の方にそれぞれ伺いたいんですが、まず総論的に、今出てきている法案に光を当てて、これがこういいとかこう悪いとかということをちょっと離れてみて、情報公開制度が国にできるということの意味。

 宇賀参考人はそこよりもむしろ中身についていいところをピックアップされたと思いますが、やはり全体に、世界じゅうたくさんの国がある、その中で情報公開制度が国というレベルであるところは数は少ないです。数は少ないけれども、私ども日本という国にこの制度ができることの意味というのは、私は非常に大きな意味があるんだろうと思いますが。

 三宅参考人は、いろいろひっかかるところを言われたんですが、しかし、さはさりながら一日も早くつくってほしいということも言われたので、やはりこういう点が日本の民主主義を大きく変えるんだということを認識されているんじゃないかと思いますし、後藤参考人も同じです。

 簡単で結構ですから、三人の方からそれぞれ伺いたいと思います。

○参考人(宇賀克也君) 私は、情報公開法が成立するということは我が国の民主主義にとって非常に大きな意義を持っているというふうに考えます。

 これまで行政文書というのは、情報公開制度がない段階におきましては、いわば行政機関の職員が自分たちの執務のために使用する文書であると、そういうふうにとらえられてきたわけです。しかし、情報公開法ができますと、不開示情報に該当しないものはいわば国民との共有財産ということになるわけで、これまでは文書を出すか出さないかということはいわば行政機関側の裁量であったわけですが、これからは不開示情報に該当しないものにつきましては開示する義務があるということで、そこが百八十度変わってくるわけでございます。

 したがいまして、この法律が通りますと、要するに公務員というのは国民に対して常に自分たちが行政を行っていくときに説明できるように、そういうアカウンタビリティーを持った行政を行っていかなければならないという認識が浸透していくと思います。そういう意味で、私は非常に我が国の民主主義にとって重要な法案であり、一日も早い可決を祈念しているわけでございます。

○参考人(三宅弘君) 情報公開法というと、大体国民の皆さんがイメージされるのは官官接待かというところで情報公開という話が結びつくんです。それまではなかなか情報公開といっても説明するのが難しかったんです。それほど自治体の情報公開条例における税金の使い道に光を当てたという点では大変成果のあったことだと思うんですが、それが中央の省庁においても税金の使い道に光を当てることができる。

 それは、つまりは今の国家予算の中で、むだ遣いをしないで有効に税金を使わないとなかなか国家が成り立っていかないという状況の中で、今までの高度成長期と違う国のあり方なりを、国民がつぶさに税金の使い道なり政策形成を、個別具体的な意思形成の過程を見ることによって意見を言い、それによってまた行政効率を高めるという新しい国のあり方が一つ出てくると思うんです。

 それからもう一つ、日韓情報公開交流というのを最後に私説明しましたけれども、これは九六年の春に韓国の嶺南大学で講演したときに、若い女子学生から、日本の情報公開法ができれば従軍慰安婦の問題の資料なんかも公開されて私たちも手に入れることができるのかという素朴な質問が出たんです。

 個別の問題に入るわけではないんですけれども、ややもすると今までは隣の国でも歴史的な文書なども含めて情報を相互に交換し合うことができない、そういう中で行きがかり上の問題が生じたりしていると思うので、そのあたりは相互に理解し合いながら、お互いに寛容し合う世の中を情報交流の中で築くことができる。これは日韓だけにとどまらず、アメリカもそうですが、いわばアジア全体に日本が情報公開法をつくったこういう動きを紹介することによって、アジアの諸国が同じように情報公開法を持って、情報公開による市民レベルでの情報交流ができると、これはやはりアジアとして一つの一体感がまたそういう形で地道に定着するんじゃないかと思います。

 そういう意味で、今回の日本における情報公開法の制定の過程というのは非常に有意義な過程であり、この参議院、衆議院での議論も国際的にも紹介すべき事例ではないかと考えているところです。

○江田五月君 後藤参考人にお答えいただく前にちょっと。
 これは月刊「晨」という雑誌ですが、後藤参考人が「電子文書への対応と公文書館の役割」という文章をお書きになっているのを拝見したんです。その中に例えば、これは自治体についてのことをお書きなんですが、「条例の改正、制定によって公式の制度を整え、新たな実務システムに対して、契機と根拠を提供する。一方で、実務のマネジメントを変えて、制度に生命を吹きこむ。情報公開をめぐって、自治体も、もう一汗流す覚悟を固めるときである。」と。これをお書きになって早くも二年がたってしまっておるわけですが、今のお話の中で後藤参考人は、法律が実務に影響を与える、実務が法律に影響を与える、それを市民のインパクトで変えていく、そういう一つのメカニズムのようなことをおっしゃったと思うんです。

 日本というのは、明治維新で急ごしらえで中央集権の官僚主導の国家をつくり上げて今日まで来ましたが、ここへ来て、行政というのが無限定の権限を持っていて、とにかく設置法で何かこういう目的で設置をすると書かれたらそれが権限規定みたいになってわっと広がる。そのかわり情報は国民に開示しない。有権者の方は国から幾らサービスを受けるかということばかりを競う。ちなみに政治家はそのサービスをどれだけ提供するかを競う。そういうあり方から、行政というのもルールがあるんです、ルールの中でやれることしかできないんです、そのかわりやっていることは全部国民に明らかにするんです、国民の責任なんです、行政が失敗したらそれは国民も責任を共有するんです、そのかわり次の世代にはこれを変えていくんです、何かそういう民主主義の新たなフェーズに入っていくきっかけに情報公開制度というのはなるような気がするんですが、そんなことを踏まえて後藤参考人にお願いします。

○参考人(後藤仁君) 私も、情報公開法というのは日本の社会に非常にいい大きな影響を与えると思っております。

 今、私の考えを一部先に述べていただきましたけれども、私は、仕事を委託されてやっているところにいい情報が集まったり生まれたりするのは自然なことだと思うんです。ですから、それ自体は別に非難の対象ではない。どういうことかといいますと、つまり政治とか行政の仕事は主権者である国民の信託に基づいてそれぞれのところでやっているわけですが、その過程でどうしても仕事に関係をしまして非常に高度な情報も必要になりますし、それも集まってまいりますし、実際に、特に議員の皆さんは、議論をする過程で情報をいわばきちんと取り扱っておるわけですから、良質の情報環境の中で仕事をするということになると思うんです。

 これ自体は、仕事を頼んだ方もその気になっていなければいけないんですが、問題は、それが完全に内部に隠れちゃって外へ出てきませんと、主権者である国民の方がいざ必要になって、自分もこの情報が必要であるとか、あるいはある程度の信頼関係があるうちはいいんですが、どうもこのところちょっと不安とか不満とか不信が政治や行政側の行為に見られるというときに、何かコントロールを及ぼしたいというときに、情報が内部から出てこなければコントロールする手がかりがなくなるわけです。情報公開法というのはそれについての手がかりを、つまり制度の面できちんとつくることになりますので、多分、賢い国民、市民は、絶えずこの権利を発動して乱用するというようなことはないと思うんです。

 これは、持っていることによって、信頼をしてふだんは任せておく、しかしいざとなれば開示請求権を正々堂々行使するのであると。それに対しては、今度は行政側は原則開示するのが義務なんです、こういう関係を定めるわけですから、ふだんは裁量的に政治と行政がいい仕事をやりながら、かつ国民の側は、主権者の側は必要なコントロールを加えられる、こういう仕組みになっていくはずだし、いけるはずだと。そうなれば非常に日本の民主主義にとっていいことではないか。特に代表制民主主義という、いろいろ批判はありますけれども、人類の知恵みたいなものですから、これにとっていいことではないかというふうに考えています。

○江田五月君 ありがとうございます。
 宇賀参考人にもう少し伺いたいのですが、今出てきておりますこの法案についてのすぐれた面をいろいろ御指摘いただいて、現にここにあるわけですから、それがいかにおいしいかということを余りお互い言い合ってもしようがないので、むしろ気になる点ばかりを委員会の中ではつついておりますが、そんな中で、いや、だけれどもこんなにいいところがあるんだよというのを教えていただいたのは大変ありがたかったと思うんです。

 しかし、幾つか聞いておきたい点があります。時間のこともあるのであれもこれもというわけにいきませんが、インカメラのこと、あるいは知る権利のこと。知る権利についていろんな学説があると、それは確かにいろんな学説がある。知る権利というものを明記すると、ある学説からするとこうなる、こっちの学説からするとああなる、そこで困ってしまう、ひょっとしたら解釈改憲になりかねない、そういうお話でした。だけれども、それはどの学説の知る権利を採用したんだというようなことで明記する、条例などがそうなっているわけではないと思うんです。

 むしろ逆に、知る権利ということを明記することによって実務の運用にある種の方向性を与えるという、そういう理念的なことというよりもむしろ実務的なことからすると、私は知る権利を明記しておいた方が実務がより情報開示の方向に一定の方向性を与えられることになるのじゃないかという気がするのですが、いかがですか。

○参考人(宇賀克也君) 欧米諸国の情報公開法の中で、知る権利という言葉を目的規定に明記しているものはないわけでございます。

 私、ずっとアメリカの情報公開法を研究してまいりまして、その中で何度も調査にも参りました。その際に、向こうの市民団体の方とか弁護士の方とかあるいは非常に情報公開に熱心な学者の方等に、アメリカの情報自由法には目的規定がそもそもないと、したがって、知る権利どころかアカウンタビリティーも書かれていないんですけれども、修正一条に基づくものだということを明記するといったような、そういう改正を働きかけないのかということを聞いたことがございます。

 しかし、これに対しては一様に、要するに不開示情報の判断というのはそれぞれの不開示情報の規定の仕方によって決まるのであるから、目的規定をどうこうしなくても、不開示情報の規定の方を、もしもっと拡大させたいというのであれば、そちらの方を改正させればいいのであって、したがって、自分たちとしてはそういう運動は全くしていないし、しようとも思わないという、そういう回答を得たわけでございます。

 私も、やはりこの情報公開法というのは原則公開、そして不開示は例外であるべきだと思います。しかし、そのことは目的規定に知る権利という言葉を入れなくても、それは不開示規定をそのようにつくればいいというふうに思うわけです。私は、この情報公開法案はそのような原則公開という趣旨でつくられているというふうに考えておりますし、それから私の考えでは、アカウンタビリティーと、それから私個人の学説としての知る権利というのは実は別のものではございません。説明責任も知る権利も両方入れるべきだという説もあるんですけれども、私はこの両者というのはいわばコインの裏表の関係であって、知る権利と説明責任というふうに並列されるものではないと思うんです。

 ですから、私はこのアカウンタビリティーが入ったことでもう満足しているということでございます。

○江田五月君 制度を書かれた文書、文字、これで見ると、あってもなくてもというよりも、実際には不開示の制度をどれだけ限定するかということでよろしいということになるかもしれませんが、その制度が実際に動くときにどうなるかということはなかなか大変なことがあって、動かしていくときの姿がどうなるか、これを見ておかなきゃならぬと思うんですが、それはおいて、管轄のことについてもう一つ。

 おっしゃることがなるほどと思うところもあるんです。私自身もこの情報公開訴訟の管轄についてはなかなか悩ましいところだということは思っていまして、しかし自分の行政上の例えば許可なら許可が取り消されて路頭に迷う人の訴訟と、情報を不公開にされてこれの取り消しを求める自分の訴訟と、自分の方を優先させろとは言えないという、しかしそれは行政事件訴訟法十二条がこれでいいのかという問題でもありますよね。

 情報公開訴訟の方は管轄が広がる方向に修正された。今は我々の手にそれをどうするかというのが来ているわけですが、それはある種の時間の流れであって、過去の姿と今現に動きつつあって変えようという姿と、それを比べてどちらが優先ということは、いや情報公開の方を優先せよということは言えないという、比較はなかなか難しいのじゃないか。もっと時間の要素を入れればこれから行政事件訴訟の方も変わる可能性が出てくる。

 国会が、少なくとも衆議院が、いわば立法裁量で八つの地方裁判所に管轄を広げた、それは立法裁量として、そういう裁量は違法であるとか不当であるとかということになりますか。それとも、それはそれなりにそういう裁量を行使する合理的な理由があるというふうにお考えですか。

○参考人(宇賀克也君) 衆議院におきまして、私などにはわかりませんが、恐らく大変な御努力の末に全会一致ということで、こういう御決断をされたんだと思います。私は、もうそれには大変敬意を表しております。別にそれに対して異論を唱えようとかそういう趣旨では毛頭ございません。

 ただ、私が申し上げたかったことは、今申しましたように、一般原則に対して例外をつくる場合に、やはり説明責任の問題があり、どうして一般原則に対して例外を設けるのかということについての説明を考えなければいけないと。それは私も一生懸命考えたいと思います。

○江田五月君 私も法律には無縁というわけではないので、法律家の立場で見ますと衆議院の修正というのは管轄の法理の中で言えば革命じゃないか。つまり、事物管轄で地裁ということにして、そうすると全国五十の地方裁判所がある、そこへどういうふうに割り振るかですね。そのときに、事物管轄が全然違う高裁の土地管轄の原理を持ってきて全国を八つに割る。八つに割った中には複数の地方裁判所がある。そこのどれにするかというので、今度は高裁所在地という、高裁が当事者でも何でもないのに、高裁所在地という全く関係のない理論を持ってきて一つの地方裁判所に決めるというのだから、頭の中がこんがらがります、これは真っ白。しかしそれは恐らく、今おっしゃる原則と例外という、行政事件訴訟法の場合には被告住所地が管轄裁判所になるという原則、これが原則ではいけないんですよという、そういう立法府側からの強い問題提起ではないのか。

 そうすると、今、我々はさらにもう一つと言っているわけですが、これが成立すれば、立法府の考えを受けて法律の論理を形成していく世界で、さてそこで別の論理を考え出さなきゃいけないという重要なところへ来ていて、そうなると、やはり次に見直すときには行政事件訴訟法十二条というものが俎上に上がってくるんじゃないか。もちろん利害関係人の参加の便宜というのもありますが、それこそ例外ですから、ひとつ先生に大いにそこは立法府の意を受けて理論構成をしていただきたいと思うんですが、いかがですか。

○参考人(宇賀克也君) 理論的な問題については考えたいと思いますが、実は理論的な問題以外に実務的な問題というのもあるということに最近気がついたわけでございます。それはどういうことかと申しますと、これまで私個人も行政事件訴訟法十二条の原則について疑問を持っていたことがございます。

 しかし、実際にいろいろと検討をしてみますと、実は行政機関というのはそんなにオールマイティーではなくて、行政機関の中にもいろんなものがございます。地方支分部局とかあるいは施設等機関の中で定員も予算も非常に乏しいものがあるんです。出張旅費などほとんどないところがあるわけです。実際に行政訴訟が提起されますと、訟務検事がいるからいいではないかといいましても、実は訟務検事というのはそれほど実態を知っているわけではございませんので、実際上は行政機関の職員が一人行政訴訟に張りついてやる形になるわけです。

 しかし、その出張旅費を考えてみますと、例えば北海道大学の教官一人当たりの出張旅費なんというのは、これは一度九州なりあるいは沖縄なりに行きますとそれで一年分使い果たしてしまうような額なんです。そういたしますと、では、その出張旅費の制約のために公判が一年に一回しか開かれないということですと、これは迅速な審理を期待している請求者にとっても不利益じゃないか、そういう実務上の問題もやはり検討していただきたいというふうに思います。

○江田五月君 学者、研究者の皆さんも出張旅費が少ないので大変苦労されている、そのお気持ちからの発言だと思いますが、しかし、司法予算が少ないからといってこれだけの司法サービスしか提供できませんという、それはいけませんね、本末転倒です。

 三宅参考人には、那覇地裁、沖縄のことについて、若い世代からの本当に心のこもった発言ありがとうございました。
 時間になりましたので終わります。


1999/03/24

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