1984/05/18

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101 衆議院・文教委員会 

公立幼稚園定数法案について


○江田委員 公立幼稚園定数法案、こういう形で非常に重要な役割を果たしている幼稚園の、それにもかかわらず抱えている多くの問題について解決の道を開いていこうという提案者の皆さんの御努力に冒頭敬意を表し、同時に、こうした議員立法にきちんと審議の場を提供してくださる委員長に敬意を表します。

 文教委員会、こうして議員提案を組上にのせて議論をやっているわけですが、この台風といいますか、政党で言えば党風、会社で言えば社風、この文教委員会の台風、いろいろ難しい法案を抱えておるわけですが、今後とも大切にしていきたいと思っております。

 ところで、幼稚園が大変大切な機能を果たしている、役割を果たしているということは、これ皆、もちろんだれも疑わない、前提にしているわけですが、それにもかかわらず、一体幼稚園は何をやるところなのかな、何が求められているのかな、こうちょっと開き直ってといいますか、もう一遍しっかり反省をしながら考えてみますと、これはなかなか難しいんですね。一体文部省あるいは文部大臣、幼稚園というものをどういうものだとお考えなのか。どういうことを期待していらっしゃるのか。

 例えば、今小学校に入る段階で、学校の側からいえば、余り算数とか国語とかその他の余計なことを覚えずに来てもらった方がいいんだ、もう白紙で学校へ来ていただいた方がいいんだということがよく言われますし、私もそうだと思うのです。幼稚園というのはそういうものじゃない、そういう小学校の前段階の教育をする場ではない。それならば、いろいろなしつけなどをきちんと覚えて、小学校へ入って入学式が終わって、その翌日にはもう先生が教壇に立って何か言えば、生徒が皆ぴしっと座ってクラスで授業を受ける、そういう子供になっておいてほしいと学校は思っているのか。どうもそうでもないんだろう、幼稚園というのはそういうことをするところでもないんだろう、それじゃ一体幼稚園というのは何なんだろうかなと考えると、なかなかこれは難しい。教育学の教科書でもひもとけばいろいろ書いてあるのかもしれませんが、文部大臣、どういう基本的な見解をお持ちなんでしょうか。

○森国務大臣 幼稚園はどのような機能と目的を持って存在するか、設置されているか、それは事務当局から必要がございましたらお聞きをいただくといたしまして、政治家という立場で私が感じますのは、子供が世に誕生して最初に接するのは母親、そして本当の幼児期の初歩段階といいましょうか、最初の段階は家庭だろうと思うのです。そして、そこで恐らく人間として一番基本的なことをやり、むしろ本能をある程度助長させる意味で、家庭の中で子供の育つ基本が身についていくんだろうと私は思うのです。

 学者によると、何か前頭葉と後頭葉があって、どちらがどうか私もはっきり覚えておりませんし、ソニーの井深さんに言わせると、右と左の脳が違うんだというようなことをおっしゃいますが、いずれにいたしましても、これも井深さんの本に別におべっかを使うわけじゃありませんが、少なくともゼロ歳児から三歳児くらいまでは家庭を中心にして人間としての、何といいましょうか、心身の発達を助長させるということがまず行われる。したがって、その後幼稚園へ出るということは、今江田さんがおっしゃったように、字を覚えたり学問を覚えるということではなくて、やはり豊かな情操や思考力や創造性、自律の態度を養う。そして、それはむしろ家庭という自分の身内の人たちによるはぐくまれ方ではなくて、初めて世間と、先生とか友達、別の人たちと会う、自分の家庭と別の人たちと会う。人間形成の中の諸段階の一番大事なところを最初は家庭で、そしてその後は幼稚園の仲間で、そこが初めての社会生活の一つの初体験だろう、私はこう思うんです。そういう意味で、幼稚園というのは子供たちにとって大変重要な時期である、その中で幼稚園というのは大変大事な教育をしていく機関である、私は政治家の立場でそういうふうに理解をしておるわけでございます。

○江田委員 文部大臣の御答弁が、まさに核心にもうずばり入っちゃったんだと思うんですけれどもね。

 教育というのは、一つは、これまでの私たちの歴史の中で築き上げてきたいろいろな知識経験を次の世代に伝達をしていく、これが教育の一つ。しかし、これは幼稚園教育に恐らくそんなに求められていない、ほとんど求められていない。もう一つ、教育はそういう知識経験の伝達もあるけれども、同時に、社会化といいますか、生まれてきたばかりの子供はもちろん社会人の能力は到底持ってない。次第次第に成長していくに従って人間が社会人として成長していく。これは例えば物の見方も主観的、自己中心的なものから次第に客観化していく、あるいはみんなと一緒に腕が組み合えるようになる、助け合えるようになる、人のことがわかるようになっていく、そういう社会化、ソシアライゼーションと言うんですか、そういうことが一つの教育。人間をコーチしていくといいますか、そういう社会化の過程で一番最初の社会というものの初体験が幼稚園。もちろん家庭も一つの社会でしょうけれども、初体験と言うとちょっと違うのかもしれません。

 しかし、母親がいて、その次に父親と出会い、兄弟と出会い、隣近所の人と出会い、だんだん広がっていく。私は、この幼稚園の一クラスの定数というのもそういう面からひとつ見直してみる必要があるんじゃないだろうかと思うんです。今まではどうも、ともすると、幼稚園に限らずクラスの定数というのは、先生がどれだけの生徒を把握できるか、どれだけの生徒が先生の教育の可能な限度なのかというアプローチが多かったけれども、大きくなればそれもいいのかもしれませんが、小さなときはむしろ、教師がどのくらいな数の生徒を把握できるかということもあるけれども、生徒同士が一体どのくらいな数なら自分たちの友達として認識し得るんだろうか。どのくらいな数の友達関係を設定し得るんだろうか、そういう光の当て方があるんじゃないか。

 小学校が四十人学級、あるいは現実には四十人以下のところもたくさんあるにはあるんですけれども、しかし超えているところもあって、四十人学級にした方がいい、しなければならぬということが問題になる。その小学校よりもっと社会化が進んでいない幼稚園の年代で四十人というのはいかにもおかしいじゃないか、もっと小さな数でなければ、一人の子供にとって友達関係を設定するというのは無理じゃないだろうか、そういうアプローチでこの定数の問題を考える、これは自分で言うのもなんですが、なかなかおもしろいアプローチじゃないかと思うんですが、どうですか、文部大臣。

○高石政府委員 先生の発想は非常に重要な発想だと思います。ただ、子供の社会性に着眼して、何人であれば子供が最も有機的に動く単位の集団であるかということと、学級編制を何人にするかをすぐに結びつけることはどうかというふうに思います。というのは、子供の発達段階、例えば三歳児、四歳児、五歳児という年齢差にもよるでしょうし、子供の持っている能力というか、適性と申しますか、それによっての差も出てくるであろうと思うのです。

 したがって、仮に四十人という学級編制にしていても、学級を分けてグループ指導をやるときに、数名のグループ指導でいろいろな遊びを覚えさせるとか遊ばせるという場合には、まさに先生のおっしゃるように、何人ぐらいの小集団に分けて子供の学習活動を展開したらいいかというか、生活活動を展開したらいいかという場合に、大変貴重な御意見だと思うのです。だから、そういう意味で、やはりクラスをつくる際の今までの基本的な考え方は、一人の先生がどこまで子供に目が届くかというような角度が中心になって、そして、今お話のありましたようなことは、学級の学習活動の際にどういうグループ集団に分けて遊ばせるか、活動させるかという場合に大変貴重な意見だろうと思っております。

○江田委員 どうも、それも一つの意見であるけれどもそれだけじゃないと、こういう考え方がどうですかと言うと、それも一つの意見だけれどもそれだけじゃない、それだけですぐに結びつかない、こうなりますと、それじゃ一体文部省は何を基準に考えているのか、そうすると何かわけがわからぬことになってしまう。それでは私はどうも議論にならぬのじゃないかと思うのですが……。

 今、グループ指導というようなやり方もありますよというお話でしたが、私も幼稚園、ちょろっと行ったのですけれども、私たちのころには恐らく「チイチイパッパ」とか「むすんでひらいて」とか、とにかくみんな一斉にやらしておればよかった。最近の幼稚園は、どうもそうでもないようですね。一斉に何かをやらせるということではなくて、子供たちがいろいろなことを自主的にというか、自由にやっていく、それを教師が全体としてうまくオーガナイズをしていくという、そんなやり方をやっているんだろうと思うのですが、そういうやり方で幼稚園の授業を組み立てていって、そして先生方、一日の幼稚園の保育時間が四時間程度ということになっているようですが、四時間の間、休みがないというのが実態ですよね。そうじゃないのですか。あっちの方では子供が何か遊具で遊んでいる、こっちの方ではまた別の遊具で遊んでいる、そういういろんなたくさんのグループが、それぞれいろんなことをやっている。それを全体としてうまくオーガナイズをしていく幼稚園の先生というのは、小学校の先生のように、はい一時限目、ベルが鳴りました、それではこれから授業を始めます、そして四十分やって十分休んでという、そういう休みがない。それが幼稚園の先生方の実態だと思いますが、これはどうなんですか。そういう認識は違うのですか。

○高石政府委員 実態はまさにそうでございまして、午前中八時、九時から始まったら四時間程度、いわば休み時間というようなものはなくて、全体的に、幼稚園にいるときに先生方が教育をしていくというか、世話をするというような実態でございます。

○江田委員 そうしますと、これは幼稚園の先生にとってみたら――その前にもう一つ確認をしておかなきゃならぬのですが、そういう幼稚園の先生が幼稚園児をどう育てていくことが期待されているのか、全部一斉にまとまって何かをできるような、そういう子供に育っていくことを期待されているのか、それともそうじゃなくて、まだまだ四歳児、五歳児というと、授業を始めます、「起立」と言えばみんな一斉に起立をしておじぎ、こうやるのじゃなくて、いろいろなバラエティーがある子供たち、それぞれ個性というか、まだ個性の芽生えぐらいでしょうけれども、いろんな発達段階はそれはそれでいいんだ。生まれつきも随分違うわけですから、四歳児、五歳児でそう同じようにそろうわけはないので、いろんな発達段階の、もう芋の子を洗うようにごろごろしている。大きいのもある、小さいのもある。やんちゃなのもいる、静かなのもいる。そういうそれぞれの子供がそれぞれにバラエティーを持って存在しておる、そういうものでいいので、むしろそういうそれぞれの子供を一人一人大切に温かく見守って、その発達段階におけるその子の一番いい成長過程に乗せていこう、それが幼稚園の先生に求められていることじゃないかと思いますが、この点はどうなんですか。

○高石政府委員 教育そのものがそうだと思いますが、非常に多様な機能を持っていると思うのです。だから、人間の発達段階に応じてそれぞれ伸ばしていくということになるわけでございます。その際に、個人に着眼して個人の持っている能力を伸ばすような対応もしていかなければなりませんし、それから、社会生活を営むについて基本的に身につけなければならない生活習慣、態度、規律、そういうような教育もしていかなければならないということで、個人に着眼すると同時に、やはり全体の社会性を身につけさせる、そういうような二面から教育が展開されてくる。したがって、子供一人一人が伸び伸びとやれるだけではなくして、場合によったら子供が集団の中で規律ある態度、行動、そして我慢をするというような教育もあわせてやっていかなければならないという、非常に多面性を持っていると思います。

○江田委員 一般論に全部還元してしまいますとわけがわからぬので……。
 教育というのはもともと多面的な営みですよ。一面的にすぱっと切ってしまえるようなものじゃないのです。しかし、幼稚園というのは四歳、五歳でしょう。四歳だったら、四月に生まれた子と、くるっと回って三月に生まれた子とでは随分違うわけですよね。そういう違いを前提にしながら大きく受け入れてやっていくわけですから、おのずから程度の違いが、小学校あるいは中学と違った性格があるだろうと思うのですね。そういうまことにバラエティーに富んだたくさんの子供たちをグループに分けながら、しかし、全体として目配り、気配りを欠けないように行っていく。あっちの方じゃけんかが起こった、こっちの方じゃけがした、こっちの方じゃついついお漏らししたなんというのがいっぱい出てくるわけですね。そういう先生たち、休みもなしに四時間、四十人の子供を見ていくということがどのくらい過酷なことであるか、どのくらい大変なことであるか。

 例えば、今、一クラスで一つの園になっている幼稚園、これはどのくらいありますか。

○高石政府委員 一クラスの幼稚園が九百五十二、全体が一万五千余りありますから、全体の比率で言いますと六・三%程度でございます。

○江田委員 もう一つ、クラスの数と先生の数とが同じだ、これはどのくらいでしょうか。

○高石政府委員 これは文部省調査ではございませんけれども、国公立幼稚園長会が調べた調査でございます。それによりますと、学級数と同じ教諭の因数というのが全体で言いますと約二千三百程度ございます。

○江田委員 二千三百ですかね。
 提案者の方はどういう数字を把握されていますか。

○中西(績)議員 これは的確かどうか知りませんけれども、私たちが調べましたところでは、国公立園の園長会の調べによりますと、国公立だけで申し上げますと、二千三百四十一園がクラス数と同数の教員の数、そして率からいいますと四一・九%になっております。

○江田委員 そうですね、国公立だけで二千三百という数字ですかね。
 いずれにしても、四二%ぐらいの数の幼稚園がクラスの数と先生の数が等しい。さらにプラス一、園長が別におる、これを含めると八〇%ぐらいになりますかね、もっとですかね。しかし、その園長さんが専任の園長じゃなくて兼任ということになっておると、これはもうクラス数イコール先生の数ということになってしまうわけです。こういう、つまり余裕が先生の方に全くない幼稚園の場合には、先生は、例えば、きょうはこれこれこういうことでうちの子供が熱を出していますから休ませていただきますというふうな電話が入ってくる、あるいはいろいろな行政上の事務連絡の電話が入ってくるとか、あるいは先生だって四時間トイレにも行かないなんてことは無理なので、トイレにも行かなければならぬ、それも小だけじゃない、あるいはまた子供がけがをした、養護室へ連れていかなきゃならぬ、あるいは病院へ連れていかなきゃならぬ、そういうようなときにはほかの子供たちのことはもう面倒が見れないことになってしまうという、甚だ綱渡りのような幼稚園の現場になっているのじゃないかということが容易に想像できるのです。そういう綱渡りのような現場になっているというふうには、文部省の局長はお考えになりませんか。

○高石政府委員 幼稚園の設置基準では、各クラスごとの専任教諭を置く、そして園長が専任でない場合には教諭の数を一人配置するという原則でございます。

 したがいまして、そういう意味では、十分な余裕の人数を配置していないという御指摘があればそうかと思いますが、専任の園長があればそれに対応している、そして対応できているというふうに思っておりますので、そういう専任の園長がいないとかプラス一の教諭がいないというところには、ちゃんと置くようにという行政指導を重ねてきているところでございます。

○江田委員 提案者の方は、今のような局長の認識が実態を正しく認識しているというふうにお考えですか。あるいは提案者の方でもっと別の認識があれば、現実はこういうふうになっていますよということをお聞かせ願えますか。

○中西(績)議員 今申し上げましたように、二千三百四十一園がクラス数と同数の教諭しかいないということが明らかになっておりまして、それが四一・九%、そして兼任のものも含めますと大体八〇%を超えるということになるわけですね。そうしますと、兼任ということになれば、小学校の校長だとかこういう人たちが多いわけでありますから、当然幼稚園にはいないということになるわけなんです。そうすると、それも加えますと大体八〇%近くがクラス数と同数の教諭しか配置されておらない、これが実態であろうと思います。

 そうなりますと、今江田委員が言われましたように、幼稚園における園の仕事の面、例えば管理運営から会計面からすべての面、全部を教師が見なくてはならぬということになってくるわけですね。そういうことと同時に、先ほど言われておりましたように、もしけがをした場合には、あるいは園児の健康的なものをどうするかという問題等含みますと養護教諭の問題が出てくるでしょう。あるいは園内におけるいろいろな連絡あるいは外部に向けての事務的な連絡等含みますと、これまた、一人でやらなくちゃならぬということになりますと、そうしたものが欠けていくという実態等があるわけですね。

 したがいまして、幾つかの例を挙げれば挙げるほど、そうした園におきましては、実際に文部倉が考えておるようにちゃんとプラス一名が配置されておれば別ですけれども、大多数のものが配置されておらないという実態数が出ておるわけですから、その点をもう一度文部省で再調査をしていただいてこの点を明確にしていただく必要があるのではないか、こう考えます。

○江田委員 そうですね。
 それから、幼稚園の先生方は、常識的に考えてみても若い女性の先生方が多い。大体二十五ぐらいでそろそろだぞというような感じになってきておるようですよね。しかし、一体それはそれでいいのだろうか。女性の先生方の場合にも、未婚のピチピチギャルの幼稚園の先生というだけじゃなくて、結婚された、子供も育てた、そういうお母さん先生、あるいはもっとお年を召されて、もういろいろな経験を積んで熟達した先生方、そういう先生ももっとたくさんいなければならぬし、それから女の先生ばかりではなくて男の先生も幼稚園にもっとおってもいいのじゃないか。そうやって、幼稚園というところでもう少し先生方の幅広い層ができて、これが育っていかなければ、なかなか幼稚園教諭というものをずっと勤め上げてこられた人が幼稚園の園長になるということができてこないのじゃないだろうか、そういう気がするのですが、これは文部省としてはどうお考えですか。

○高石政府委員 基本的に私も同感のところがございます。というのは、幼稚園教育の果たす役割の中に、子供たちだけではなくしてお母さん方に対する指導、アドバイス、それができることが非常に重要だと思うのです。したがいまして、そうなりますと、自分でそういう子供を育てた経験のある人、そういうことについていろいろな識見を持っている人、そういう者が幼稚園の先生になっていくということが今後やはり大切なことではないかと思うわけでございます。現状はどうしても若い人ばかりになっております。

 それから、男性につきましてもやはり同じような考え方を持っておりまして、そういう意味では、今後幼児教育をどう基本的に展開していったらいいか、新しい臨時教育審議会でもいろいろな角度から論議されていくだろうというふうに思っている次第でございます。

○江田委員 そうですね。
 そのためには、今の一クラス当たりの定数あるいは先生方の配置の数、クラスの数と先生の数が同じだというようなこと、あるいは先ほどからもお話のありました給与の点、こういうことではなかなか、子供ができたらもうやめなければならぬという感じになってしまって、本当に幼稚園という中ですばらしい先生たちが育っていくということになっていかない。やはりこれは何とか改めていかなければならぬと思うのです。

 幼稚園というものを一体どうしていくのか、私たちも勉強させてもらわなければならぬわけですが、恐らく今どこにも確たる指針がおいのじゃないだろうか。保育所と幼稚園とをこれからどうするのだという議論も起こってくるわけですけれども、県によって保育所と幼稚園のバランスはものすごく差があるわけです。

 こういう状態になって一体幼稚園をこれからどうするんだ、あるいは今の幼稚園に何を求めるかということにしても、幼稚園教育要領を見直すということでありますけれども、現行の幼稚園教育要領の中にも、例えば数量、図形などについて興味や関心、興味や関心だけでなくてその中には、量の大小を比べるとか簡単な数の範囲で数えたり順番を言ったり、速い遅いなどに興味関心とか、ちょっと学校教育とのつながりがあり過ぎるのじゃないかというものまで入っているような気もするのですが、幼稚園教育というものをひとつ根本からしっかり見直して、はっきりしたものを打ち立てるということを文部大臣にお願いをし、御見解を伺って、質問を終わります。

○森国務大臣 この国会が始まりましでから、予算委員会あるいはまた文教委員会で、幼児教育の問題はかなり議論をされておるわけでございます。

 幼稚園教育、幼児教育に対する一つの考え方も、私、大体江田先生と一致していると思っております。それだけに、受ける立場に立ってみますと、どうも幼稚園も保育所もみんな何か一緒になってしまっている。先ほど江田さんは、幼稚園教諭の定数の物の考え方、事務当局が答えておったことに対して、もっと園児の立場から考えてみろというようなお話もございました。そういう意味で、幼稚園児は自分の意思は言えませんから、やはりお母さん方の立場になるでしょうから、お母さん方が、今の幼児教育のいろいろな機能を果たしている幼稚園も保育所も、あるいは公私立すべてみんな全く同じものだというふうに考えておられると私は思うのです。そういう中に、やはり不満というものも出てくるのだろうと思いますが、そういう意味で当面、幼稚園の教育内容等につきましては、今文部省が新たにこの問題について検討を加えていこうという段階に入っているわけであります。

 同時に、私も前から国会の答弁でも申し上げておりますが、機能、目的はそれぞれ違うけれども、受ける立場から見るとみんな同じようなものだと国民全体は考えておるわけでありますし、まして幼児を持つ親としては同じような考え方、認識を持っておりますから、幼児教育全体がどうあるべきであろうかというようなことも、私は新しい臨時教育審議会などで御検討をいただく大変大事な課題ではないだろうか、こういうように御答弁を申し上げてきたわけでございます。

 いずれにいたしましても、当面の定数とかこうした問題になりますと、財政を全く考えずに議論はできないわけでありますし、また、仮に財政の判断からできるにいたしましても、幼稚園の場合は私立幼稚園が大変大きい比率を占めておりますから、私立幼稚園の皆さんの経営ということも考えてあげなければならない。当然国の立場として、公の立場でかわってやってくださっている方々もたくさんいらっしゃるわけでありますから、そういうことで公教育だけで、公の立場だけで定数を判断していくということもなかなか難しい面もございます。保育所のような条件が非常にいい――先生方に対する給与等々すべてに対する、幼稚園の財政の立て方、こういうものとは全く違っておるわけでありますから……。そんなことは政府が考え直せばいいじゃないかと言えばそれまでの話ですけれどもそういうように多面から考えていかなければならない点もたくさんございます。

 文部省としても、事務当局で十分幼稚園の内容等も含めて議論いたしますが、私は幼児教育全般、全体にわたってどのようなことで判断をしていくべきであろうかということも、できれば新しい審議機関で、賢明なそれぞれの識者の立場でぜひお考えをいただいて、国民の前に新しい一つの考え方を提示してもらいたいな、実はこういう希望を持っているわけでございます。

○中西(績)議員 今大臣、答弁ありましたけれども、大臣が一番最初に、幼稚園教育に対して何を期待するか、これに対して答弁されたことを私は支持をいたします。この立場からいたしますと、今こそ、余りにも劣悪な条件に置かれておる幼稚園を何をもって補強し、そしてさらに幼稚園教育を充実していくかという視点をもう一度見直しをしていただくことが今一番大事ではないか、その点が十分語られなかったことを非常に残念に思いますので、私たちが提案をしておるこの中身というのは、そうした意味で、この幼保一元化なりを目指すその一つの過程として今果たさなければならない役割を、わずかではあるけれども果たしていこう、こういうことで提案をしておりますので、この点をひとつ御理解をいただきたいと思います。

○江田委員 ありがとうございました。


1984/05/18

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